第五章 風龍の跳躍 第九話
『親愛なるライズランド帝国第十一代皇帝、ウィルフレッド・ライズランド殿
かつて島国ライズランドは、豊かにして民の一人一人が安らぐ地であった。
初代皇帝エルンスト・ライズランドは優れた統率力をもって、帝国の礎を築き上げた。
三代皇帝タイタス・ライズランドは軍事力を強化し、五代皇帝であるモーガス・ライズランドは政治力を強化、異国との関係を構築した。
これまで代々の賢帝たちが作り上げてきたライズランドは、他国に誇ることのできる大国家であった。十一代に至るまで治世がつづいたことが、それを証明している。
ところが十一代皇帝である貴君はどうであろう。
酒色に溺れ、政を省みず、こびへつらう貴族のみを優遇し、忠言する配下を貶め、無実の人々を迫害し処刑した。代々の賢帝が築き上げてきた民の信頼を破壊した。
貴君はかつて我が手から、謀略と姦策によって皇位を奪取した。そうまでして十一代皇帝の座を手に入れたにも関わらず、国家万民のために力を尽くさなかった。無策ぶりを国内に知らしめ、無能ぶりを国外にまでさらした。怠惰と猥褻をくり返し、万民より集められた血税を無為に使った。
愚帝が国家を治むれば、いかによき国であろうと衰え滅びるものである。そののちに賢帝があとを継いだところで、回復には長い時間を要するであろう。
ウィルフレッド・ライズランド、貴君に問う。貴君は愚帝であるか賢帝であるか。
私、ナイジェル・ライズランドは貴君が愚帝であるとの思いを強くしている。かつて貴君と皇位を争い、敗北した者として、貴君の国家運営を苦々しく思っている。国家をこのまま放置し、衰亡させるのは忍びない。
幸い、貴君の非道に対して義憤を持つ者たちが、私に手を貸してくれるという。
ここに、この者たちとともに貴君、ひいては現在のライズランド帝国へ向けて宣戦布告し、ライズランド王国の再興を宣言する。
ライズランド王国第十四代国王ナイジェル・ライズランド
追伸
本状到着を知らせるため、到着とともに空砲を撃つものとする。民に皇都を離れるための時間を与えるよう、その後も残り日数と同じ数の空砲を撃つべし。四日後より、軍事行動を開始する。』
各都市の新聞社にも同一文書が送付され、ウィルフレッド・ライズランドの宣戦布告は天下万民の知るところとなった。誰もが第十一代皇帝、ウィルフレッド・ライズランドは怒りをもってその書状を受け取り、戦に応じるであろうと信じた。十数年前にいくつかの反乱が起きたとき、皇帝は地方に陸軍を派遣し、その鎮圧をしてきた。いくら愚帝と呼ばれようと、賢帝の血をひく者としてこの戦いを受けるものだと考えたのである。
民衆は、すぐに己が抱いたものが幻想であることに気づいた。
皇帝は書状の受け取りを知らせる空砲も撃たぬまま逃走し、行方をくらませた。自らが言いがかりをつけて反乱を起こさせ、それを鎮圧することはしてきたが、正々堂々と宣戦布告されることにはまるで慣れていなかった。
「あれじゃあ、自ら愚帝であると認めたようなものですね」
クラウス・オッペンハイマーは楽しそうに、頬に薄く笑みを刻んだ。隣にはラグラス・マーブルがいる。
無人となったネステラドの幽閉塔は、罪人の血や汗、涙による独特の湿り気があったが、それは過去のものとなった。かつての悲惨な歴史が陰鬱な気配だけを残している。幽霊に出くわしたときのように、どこか肌寒い。
カイルロッドは、意外に仲のいい二人……ラグラスとクラウスから少し離れてたたずんでいる。居心地は悪いが、退席しても行き場があるわけでもない。
今やこの幽閉塔は革命軍……王国側の司令部になりつつあった。商業都市スォードビッツにハレイシア・デューンを置いてラグラスが一人ネステラドに来たのは、宣戦布告のあとのことを相談するためだ。
あはは、とクラウスは無邪気に喜んだ。
「いい案だったでしょ。新聞社にも送ったから黙殺するわけにもいかない。民衆にも伝わっていますからね。空砲が撃たれなければ、それだけ城内の混乱が市街に伝わる。皆の不安は高まっていく」
「あまり自分に酔わないことだ」
眉間にしわを寄せたラグラスは、己の副官へ向けて苦言を呈した。
「あ、策士策に溺れるって言いたいんですね? 策に溺れて身を滅ぼすのは三流の策士」
楽しくてたまらない、そんな様子を見て取ったカイルロッドはクラウスから視線を逸らす。喜んで戦を起こすような人間をどんな心持ちで見ればいいのかわからない。否、自分もまた戦を起こそうとしている一人だ。自然と口元がこわばる。こんなときに笑えるクラウスはどうかしている。
「ラグラス・マーブル大佐、あなたは何のために戦を?」
カイルロッドは己に向けて幾度となく問いかけた言葉を、外に向けることでごまかした。
同時に、銀縁眼鏡の大尉もラグラスに視線を送る。仏頂面の男はふん、と鼻で笑った。
「それなりの家に男子として生まれたからには、国を盗りたいじゃないか」
赤髪の青年は、その言葉に愕然とした。大貴族マーブル家の時期当主が、今よりもなお深く、すべてを欲するのが理解できない。
──なぜそんなことを平気で言えるんだ、この人は?
カイルロッドには信じられない。己の欲望のために人を殺すなど、咎人と同じではないか。
もっと確かな理想があるものだと思っていた。国とはこうあるべきだ、こういう国家運営をしたい、そんな理想があり、虐げられた者たちがおり、革命が起きたというのであれば、まだ理解することができる。
疑念に満ちた瞳のカイルロッドを横目で一瞬うかがって、クラウスが茶化す。
「ラグラス様ならできたでしょ。だってマーブル家の時期当主なんだから。今の陛下なら、酒と金髪碧眼の美女さえ与えておけば満足しますよ。宰相にでもなれば思いのままだったんじゃありませんか」
「誰かさんと違って権謀術数は苦手でね。絡め手は好かない。法と治安を守る立場にある者が、裏で手を回すというのはよくないだろう」
カイルロッドは王国派の面々への不信感ばかりが募って表情を曇らせる。そんなカイルロッドを一瞥すると、ラグラスは薄い唇をゆがめた。クラウスが椅子からゆっくりと立ち上がる。眼鏡の奥の目は細く、いつもの笑顔だ。
「それじゃあ、その権謀術数でアスハトを騙してきます。ラグラス様がここにいることを知ったら、きっと彼らは協力してくれませんから」
「アスハトを逮捕した張本人だからな。しかしそれならクラウス、お前はどうなんだ」
ラグラスはカイルロッドを見つめたまま、クラウスに問いかけた。
カイルロッドは口に出さなかったが、ラグラスには見透かされている。
仏頂面の中の、意地の悪い瞳がカイルロッドをとらえている。
──あなたはそんなことのために、戦をはじめるのか?
カイルロッドの無言の問いかけをあざ笑うように、ラグラスの唇がわずかに弧を描いていた。カイルロッドは観念して口を開く。
「俺と同じように、復讐だとアスハトに伝えるのですか? クラウスさんはフォルテス家の生き残りなのでしょう?」
そうだ。己にも理想などありはしない。ラグラスを咎める資格もない。成そうとしているのは復讐でしかない。そのためにラグラスの兄、ラズラス・マーブルを暗殺したのだから。
カイルロッドには、それがもどかしくて苦しい。
──同じ目に遭う者のいない世を? 本当にそれが目的だと言い切れるのか?
揺らいだ自分の理想を支えきれなくなって、クラウスに声をかけた。誰かの理想にすがりつこうとしている自覚はある。復讐を超えた理想を、彼なら見出しているはずだ。
「復讐? 僕の動機はそんなものではありません。滅びる者は滅びるべくして滅ぶ。僕の故郷のスォードビッツも、あなたの故郷ルーファスが滅んだのも、領主の立ち回りがまずかったからです。回避する策はいくらでもあった。ルーファス領主はもっと早く奥方を差し出していれば、民を巻き込むこともなかった」
カイルロッドの後ろに倒れた椅子が、派手な音をたてた。両親のことを言われるのは、我慢ならない。
「父は誰よりも母を愛していた。母も父を愛していた。ルーファスの民は領主を愛し、領主は民を愛していた。それだけのことではありませんか!」
「真に民を愛するならば、領主としての役目を果たすならば、あなたの父上は奥方を差し出さねばならなかった。それが領主としての責務です。違いますか」
激しい怒りを向けるカイルロッドに、クラウスは小さく肩をすくめてみせる。
「そこがわからない人間に領地を治める資格などありません。スォードビッツも大差ない。滅びるべくして滅んだんですよ」
吠えかけた赤犬は、スォードビッツの名を聞いて口をつぐんだ。似たような立場の者だからこそ、クラウスの意見は厳しい。カイルロッドの復讐は、所詮私憤であるのだと、クラウスは言いたいのに違いない。
自分も時が経てば、いつかそう思うようになるのだろうか。両親を愚かだと思うように──。
カイルロッドの握りしめた拳が、かすかに震えている。
「僕が欲しいのは、皇帝の首なんかじゃない。領地だの権力だの地位だの、そういうものも欲しいとは思わない」
クラウスが扉を開いた。銀縁眼鏡が外からの光を受けて反射する。逆光で表情が見えない。
「エルザです」
風が吹き込んできて、湿度の高い空気の流れが少し変わる。
「僕が欲しいのは、返してもらいたいのは、エルザです。あの男は僕のエルザを連れ去り、あろうことか、とりかごに閉じ込めた。賢明な彼女の自由を奪った」
もうすぐ戦争がはじまる。理想など一つとしてない戦争が。
カイルロッドは奈落に落ちた。
第五章 風龍の跳躍・了
第六章 地龍伏すへつづく




