第五章 風龍の跳躍 第八話
ユーミリア・ユグドラシルは港町クロムフから、クーベリック提督が出してくれた船でスォードビッツに移動した。短期間ですべて手配しろというのだから、迅速に行動せねばならない。
商業都市スォードビッツは道が整備されている。足の速い馬を使えば時間が短縮できるだろう。波止場の脇で一番足の速い馬をと頼んだ。青鹿毛の大きな馬の馬具装着を手伝っていると、船から下りてきた海軍連中の噂話が聞こえた。
──先だって大佐に昇進したラグラス・マーブルが来てるんだってさ。珍しいこともあるもんだな。
──週一日の休み以外に休みを取ったのか! 兄貴と同じ大佐に昇進したから、何か思うことがあるのかもしれないな。
──あれがそんな感傷的なタマかよ。
噂話は笑い話になった。
ユーミリアは艶のある黒い馬にまたがる。顔にほんの少し茶色の毛が生えた馬の首をなでて「頼む」と声をかけると、馬はいなないて返事をした。
足で馬の腹を軽く蹴る。ひづめが鳴ったかと思うと、次の瞬間には加速している。なるほど、いい馬だ。
街中に駆け出す。マーブル家の別荘の前を通り抜けた。
装飾の多い貴族の大邸宅を横目でながめると、確かに人のいる気配がある。窓のカーテンは開かれているし、邸内の明かりもついているようだ。遠くの窓に金髪の人影が見える。外をながめているのか。
一瞬、妙な胸騒ぎをおぼえる。見知った顔のような気がしてならなかった。
馬を止めるわけにはいかないと打ち消して、街を出る。街を囲う塀の外には草原が広がっていた。遠くに山が見える。山の脇をすりぬけて皇都へ、できるだけ早く。身を低くして馬に鞭を打つ。
セラフィナイト号が上陸すると思われる箇所。
黒髪の大尉はアルフォンス・クーベリック提督から受け取ったメモを思い出す。
観光都市タリビュート。港町クロムフ。北方都市ハルシアナ。商業都市スォードビッツ。
軍縮によって脆弱化した陸軍にどこまでの力があるというのだ? 政界への進出によって上に立つ者ばかりがあふれてしまった現在、実際に動く人材が足りているとはお世辞にも言えない。島内の東西南北に散った地点をすべて抑えるのは無理だ。
それでも、今できることをやらねばならない。
馬に鞭を加えた。なだらかな斜面を駆け上がり、丘を下る。川を越え、木々の間をぬって走る。
山脈にさえぎられていた日が頭上に昇り、傾いていく。日没の景色はユーミリアを焦らせた。また一日が過ぎてしまう。鞭を加えるが、馬も疲労していて思ったように加速しない。
山と山の間を抜ける前に、小さな集落がある。辺鄙な場所だが、旅人が休息をとるための施設が整っている。そこで馬を交換しよう。明かりと食糧、水も必要だ。馬が自分で障害物を避けて走るとはいえ、夜の早駆けに不安は残る。
みるみるうちに日が西の山脈に沈んでいく。黒く染まった山の背から、斜陽の残滓が投げかけられている。日が落ちた。薄暗くなった草原を走り抜ける。
月が明るいのが救いか。極端に視界が利かなくなったわけではない。
山間の集落に滑り込んで、ユーミリアはすぐに新しい馬を求めた。ランタンと干し肉、水を買う。今度の馬は鹿毛で、丸い目を人懐っこく、しぱしぱさせた。乗ってきた馬に礼を言って、別れを告げる。
ユーミリアの身体にも疲労がたまっているが、猶予はない。水筒に水を入れ、すぐさま馬で駆ける。方角を南東に保ちつつ、ときおり懐から干し肉を出して、馬上で食べた。山道はなだらかだったが、ごつごつした岩肌があちこちに見える。気をつけて走れよ、と馬の腹を軽く叩く。
新造戦艦セラフィナイトは、タリビュートで製造されていたという。きっと密かに作り上げるつもりだったのだろう。
──陛下は知っているとして、陸軍の上の者は?
暗い森にさしかかるとランタンに火をともした。右手を伸ばしてあかりを掲げ、左手で手綱を持って進む。月は明るいが、木々にさえぎられた森には光が届かない。ふくろうの声に馬が驚かないだろうかと心配したが、駆け抜けていくユーミリアに怯えて飛び去ってしまうのか、馬のひづめの音にかき消されて聞こえづらくなっているのか、ふくろうを見かけることはなかった。
森を抜けると空気が冷たくなっていることに気づいた。月光が道を照らしてくれるものの、夜の気配は濃く、身体の芯まで冷たさが入り込んでくる。ふりはらう。延々と駆けてきたせいか馬の身体から湯気があがっている。かじかむ手に力を込めて、ユーミリアは感覚を取り戻した。
陸軍上層部は実質的にはお飾りだが、実務を任されているトゥール・シルバリエ大佐が、セラフィナイト号の建造について知らなかったら? ロッシュが報告したとして、何故知っているのかと、もめごとにならないだろうか? トゥールは海軍が極秘で何をしていようと気にしないかもしれない。しかし下の連中はそうでもないだろう──。
クロムフで受けた、海軍士官たちの冷たい視線が蘇る。
段々と世界が明るくなっていることに気づいた。もう朝が来る。ランタンの火を消して、馬の腹にぶらさげる。草原に着くと遠くに街の明かりが見えた。皇都モルティアだ。身体から自然と余計な力が抜ける。もう一息だ。馬に鞭を打つ。
朝が来て、地平線から日が昇り、あたり一面を明るくしていく。ユーミリアはまぶしくて目を細めるが、それでも馬を駆る手は止めない。街に段々と人の気配が満ちていくのを察して、ユーミリアはカーミラ城への地図を頭に思い描いた。街を取り囲む壁の中に入る。石畳の上を、馬はしなやかに走っていく。
陸軍海軍で争っているときではない。今はただ、目の前の事件に対処しなくては。
最短コースを通ってカーミラ城に到着した。すぐさま馬から下りてトゥール・シルバリエの執務室に向かう。足がよろけたが、休む暇などない。階段を上がって赤じゅうたんの廊下へ。扉をノックして呼吸を落ち着かせる。ずっと揺れつづけていたせいか、意識も朦朧とする。
「どうした、こんな朝早く」
南国の魔法使いはいぶかしげにユーミリアを見た。メモを差し出して、ユーミリアは切れ切れに告げる。
「海軍の新型戦艦セラフィナイト号が強奪されました。上陸の、予想される基点を固めてください。今、すぐ」
すぐに手配しなければ間に合わない。
乱れた呼吸の下で行われた報告を聞いて、シルバリエ大佐は強くうなずいた。
「海軍からの、要請です」
付け加えたユーミリアの肩に手を置くと、シルバリエ大佐は部下に指示を下した。執務室の内外が急にあわただしく動き出す。
「よくやった。あとは俺に任せて休め」
大佐の部下の一人が運んできた水を飲んで落ち着くと、ユーミリアは敬礼した。すぐに上官のもとへ報告しに行かねばならない。一度廊下へ出て、また別の扉を開ける。
ロイス・ロッシュは机に脚を乗せて眠っていた。まわりに書類はない。どうやらきちんと仕事をこなしてくれたようだ。思わず前のめりに倒れそうになる。
扉を開けた音で目をさましたのか、ロイは寝ぼけたまま「本物か!?」と叫んだ。
「本物です。まぎれもなく」
こんなときでも軽口の出る自分がおかしい。いつもの執務室に入った途端、安心したのかユーミリアは足元から崩れ落ちそうになった。




