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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第五章 風龍の跳躍
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第五章 風龍の跳躍 第六話

 皇都モルティアの北東に位置する港町クロムフに行くには、数日かかる。長期休暇をとったユーミリアは、ロイの密命を受けてアルフォンス・クーベリック提督に会うため、クロムフに向かった。ハレイシア・デューンの国外逃亡を見逃すよう、頼むためである。

 クロムフは山間部にも海にも面した町だ。皇都から直で行くと山脈沿いに進むことになる。最短ルートは学園都市イスハルを通る平坦な道だろう。皇都を出れば、すぐにイスハルの街に入る。学問都市イスハルは広く開けた町で、皇都と風景は大して変わらない。海沿いまで出て北上し、クロムフに到着する。

 故郷ユグドラシルから皇都に出てきたときのことを思い出させるような馬車の旅がつづいて、ユーミリアはうんざりした。ユグドラシルから皇都に出てきたときは山道だったため、馬車がひどく揺れた。一緒に皇都にやってきたアリアが体調を崩すのではと心配になったほどだ。今回は平坦な道を行く分、比較的楽ではあったけれど、やはり座り通しの旅はつらい。窓の外の景色を楽しめるのはほんの数時間ばかりで、その後はあまりにも変わり映えのない景色に、見る気もおきなくなる。区切られた小さな窓から見える景色だから、余計に退屈だ。

 港町クロムフ中心部に到達すると、町並みが派手になった。変わるものだな、とユーミリアは目を丸くした。繁華街のように、にぎやかで活気がある。途中で通った学園都市イスハルの活気とはまた違う。もっと俗な活気と言えばいいだろうか。

 物珍しく思いながらもあたりをうかがっていると、大きな建物の前に到着した。肩幅の広い男性案内人が待ち構えていた。彼は「デオフィル・リシュルです」と名乗った。四十代半ばだろうか。ユーミリアが推察するに、優秀な軍人であるらしい。歴戦を経たにおいというものは、本人が黙していても伝わるものだ。身のこなしにも隙がない。海軍少佐だというけれど、おそらく現場から功績をあげて出世した、叩き上げなのだろう。

 ユーミリアが名前と所属を返して敬礼すると、案内人は「どうぞ」とだけ言い残して足早に建物の中に入っていった。海軍本部のそっけない建物は、案内人に似ているかもしれない。行き過ぎた装飾はなく機能的で、無駄がない。


「クロムフというのは、ずいぶん活気のある町ですね」

「飲み屋と娼館が多いですから」


 歴戦の軍人の放つ、殺気を含んだ返答に困惑する。表情をうかがうが、デオフィル・リシュルの頬は引き締まっていて、どうにも世間話をする気配ではない。


「活気があるほうがいいですよ。私の故郷なんて、年に一、二度の祭しか楽しみがありませんから」

「そうでしょうね。ユグドラシルは、田舎ですから」


 とりつくしまもない手厳しい声が返って来る。こつこつと靴音を響かせてデオフィルが階段を上がっていく。ユーミリアは一瞬足を止めた。自分でけなすには問題ないが、他人にけなされると妙に腹が立つ。あなたに何がわかるんです、そう噛み付きかけてやめた。


「クロムフは港町です。色んな場所の色んなものが届けられる。ここ以上の町はありませんよ。多少ガラは悪いですが」


 言葉をさえぎるように、階段上からそう投げかけられた。浅黒い肌の中にある瞳が厳しい。歓迎されないだろうことはわかっていたが、ここまであからさまに冷たくされるとは思ってもみなかった。

 これ以上、自分から話しかけるのはやめにした。

 海軍主流の現在、陸軍の扱いは徐々に変わっている。十数年前までは地方で内乱もあったが、最近では戦闘自体がほとんどない。そういう経緯もあって、陸軍は政治方面に進出した。海軍の連中に、己こそが帝国を守っているのだという自負があるのも仕方のないことだ。


「馬車の旅はどうでしたか」


 ユーミリアが話しかけまいと決意した途端、見透かすようにリシュル少佐は声をかけた。意地が悪い。

 呼吸を整えて、どう返すべきかを考える。どう答えても反応は同じかと、ユーミリアは観念した。


「尻が痛くなりました。北西旅行よりはマシですが」

「馬車など大荒れの海に比べたら、ずっと揺れません」

「残念ながら船に乗ったことはありません。比べようがないですね」

「そうですか」


 デオフィル・リシュル海軍少佐はようやく笑ったが、それは嘲笑である。あまりにも不躾な扱いに、ユーミリアはむっとする。

 リシュル少佐が足を止め、白手袋をした手で木製の扉をノックする。上等な扉はこつこつと、中に響くような音をたてた。扉が開いた。


「陸軍大尉のユーミリア・ユグドラシル殿をお連れいたしました」


 デオフィルの背筋は先ほどから真っ直ぐに保たれている。まるで背中にものさしでも入っているようだ。わきをしめた敬礼も直線的な動作だ。


 やれやれ。いつからこういうきっちりした人が苦手になったんだろう。……まさか、ロッシュと付き合いはじめてからじゃないだろうな。


「ごくろうさん」


 執務室に通される。デスクで立ち上がった人物が見知った顔で、ほんの少し安堵した。海軍少将アルフォンス・クーベリックだ。敬礼すると相手の表情が人懐っこく崩れた。


「どうぞ」


 ユーミリアを中へうながして、アルフォンスはデオフィルに視線を送る。しかしデオフィルはいち早く一礼して廊下へと下がっていた。残された提督は頭をかく。


「デオまで機嫌が悪かったのか。嫌味の一つでも言われただろう」


 提督はためいきをついた。デオフィル・リシュルはすでに廊下にも姿がないようだ。ユーミリアは提督に勧められるままにソファに腰掛けて苦笑した。

 室内の本棚には、何冊もの分厚い皮表紙の本が並んでいる。海について、操船技術について、戦略について、航海について、海外事情について……さまざまな本と、何に使うのかよくわからない道具がずらりと並んでいる。おそらく海図作成などに使う道具だろう。


「普段の少佐を知りませんから、俺にはわかりません。あまり快く迎えてくれなかったのは確かですが」

「すまん。あとで注意しておく。あれはうちの良識派なんだが……筋が通らないと思ったことは徹底して嫌う節があってな」

「筋の通らないこと……今回俺が来たことですね?」


 提督が右手を開いて苦々しく笑う。


「そうだ。悪いが、内容によっちゃあ願いは聞けねえよ。大体お前の上官は、海軍に受けが悪すぎる」


 筋の通らない願いをしにきたユーミリアは、警戒して先手を打ってきたアルフォンスをかわす。


「女たらしだからですか? あれで仕事はそれなりにこなすんですよ」


 提督がほんの少しためらった。残った右目がまばたきをするのを、ユーミリアは黙って待つ。

 提督の灰色の髪は、重力に逆らう針金のようにはねていた。制服もどこか着崩れていて、左目には眼帯がかかっている。外見だけなら、海賊と紙一重だろう。海軍総司令の長男という血筋なのに、あまりそういう印象は受けない。


「お前を使いによこすくらいだものなあ。……さすがの提督も、シエラ様の弟君に頼まれりゃ断れねえんじゃないかってこった。一体どこで情報を仕入れたんだか」


 ロイは単に副官を使いに出しただけだろう。しかし余計な勘繰りをされてしまった。海軍の警戒具合を肌で感じて、思わずユーミリアは苦笑を浮かべた。


「姉が提督のアイドルだったと、おっしゃってましたもんね」

「結婚してたって噂もあったほどだ」

「結婚!? あの姉と!?」


 一度間合いをとるつもりで話を逸らしただけだというのに、とんでもない答えが返ってきた。


 あの姉に恋人がいるなら見てみたいと思っていた。よほど器の広い男か、よほどの酒飲みでなければ、つとまるわけがない。結婚となるとさらにおおごとだ。というか、無理だろう。あんな女と結婚できる男などいるものか──せめて、せめて姉にアリアくらいのかわいらしさがあれば。


 革張りのソファの上で、ユーミリアはうなった。


「実際は、どうなんです?」


 思わず口をついて出た言葉に、それまでと違う好奇心を感じたのか、隻眼の提督は眉をよせた。


「お前、そんなこと聞きにきたわけじゃあないだろう」

「あ、いや、すみません」


 黒髪の陸軍大尉が頭を垂れる。

 一度提督に本題を忘れてもらえれば、奇襲をかけやすい。そう思って話を逸らしたというのに、逆に自分が本題を忘れそうになった。ついうっかりでは済まされない。


「噂には尾ひれがつく。実際は、微妙なところだよ」


 これ以上聞くなといわんばかりに提督が立ち上がる。茶を入れてくる、という声に「お構いなく」と返すが、提督がそれを聞かないことは知っている。固辞しつづけるのも逆に失礼だ。観念して提督が退席するのを見守った。

 アルフォンス・クーベリックが扉を開けた瞬間、廊下の向こうから派手な足音が聞こえた。

 向こうから現れたのはデオフィル・リシュル少佐だった。先ほども十分いかつく思えたが、それよりも数段上の険しい表情をしている。今すぐ前線に出るかのような緊張感に満ちている。


「提督」


 リシュル少佐がそっと隻眼の少将に耳打ちする。提督の表情が一変した。頭をかきむしって、うなっている。


「セラフィナイトが強奪?」


 いらだったクーベリック提督が白い壁を殴った。デオフィル・リシュル少佐は敬礼したまま、次の命令を待っている。


「ユーミリア、すぐに陸軍への大規模な協力を要請したい。頼めるか?」


 ふりかえったアルフォンス・クーベリックの表情はすでに冷静で、瞬時にあれこれと思考をめぐらせたことがうかがえた。


「はい。手配に数日いただきますが」


 港町クロムフから皇都まで数日。あと一日で手配をする。南国の魔法使いに頼めば一日でなんとかしてくれるだろう。しかしそれが限界だ。移動にかかる日数がネックだ。


「急いで頼む。緊急事態だ」

「セラフィナイトというのは?」


 隻眼の少将は奥歯をかみしめて悔しげな表情でうめいた。


「完成間近の戦艦だ。予測される上陸基点を今すぐ抑えてくれ」

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