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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第五章 風龍の跳躍
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第五章 風龍の跳躍 第三話

 王座へとつづく赤いじゅうたんに膝をつくラグラス・マーブルの胸を、新たな勲章が飾った。

 ハレイシア・デューンの身辺調査を先に完遂した者が昇進するという約束であったが、いつの間にやら反故にされた。後宮薔薇園の主という意外な伏兵が、ハレイシアの正体を暴いたためである。ハレイシアの逮捕は、先代皇后ラウィーニア・ライズランドに権力を持たせたくないという皇帝の思惑もあって、その場に居合わせたラグラスの手柄とされた。ラグラスは大佐に昇進、新たな城内警備総責任者に任じられた。

 ラズラス・マーブル大佐暗殺事件によって空席となっていた城内警備総責任者の座を、そのままにしておくわけにはいかない。しかし大佐以上でなくては、城内警備の総指揮を任せる席につくことはできない。その席をラグラスに与えるためだけに、半ば無理やり昇進させたのは明らかだった。

 他に大佐以上の者がいないわけでもない。外海からの侵略を防ぐことばかりを想定した帝国軍は、今や海軍が六割を占めており、陸軍の人員が足りているとは言えなかった。上に立つものばかりが増えていく現状では、軍人としての役割よりも政治家としての役割が求められる。しかし政治家としての能力を持つ者は、危険を察知する能力にも長けているものだ。ラズラス・マーブル大佐の暗殺、ハレイシア・デューンの逮捕、カイルロッド・フレアリングの逮捕と不吉な出来事がつづいたため、城内警備総責任者の席に座ろうとする者はいなかった。


「昇進おめでとうございます」


 昇進式が終了して、謁見の間から退室してきたラグラスを、副官は笑顔で迎えた。

 ラグラスは皮肉な笑みを浮かべて応じる。


「これで、兄と同じ位置にまでたどりついたわけだ」


 足早にいくつもの回廊を抜ける。ラズラスの殺された現場を一瞥して、鼻で笑う。

 返り血に染まったように見えた床は、今やただの赤じゅうたんに見えた。壁画の中の美しい女たちは皇帝に祝福を捧げ、そびえる木々が豊かな恵みをもたらす。


 心の持ち方一つでここまで違うのだから、面白いものだ。


 ラグラスは苦々しい思いで回廊を通り過ぎ、階段に足を向ける。


「今夜から城内警備が俺に一任されるのは聞いてるな? 今まではロッシュと一緒だったが、これからは俺が責任者だ」


 いつも以上の早足で、執務室へと向かう。扉を開けると、大量の祝電がデスクの上で山をなしていた。


「監視の目がなくなった。これで好きなように動ける」


 執務室に入った途端、真意を告げたラグラスに、銀縁眼鏡の副官は苦笑を返す。


「ラグラス様、わかりやすいのも問題ですよ」

「わかりやすい? 何がだ」


 不敵な笑みを浮かべたラグラスに、満面の笑みを浮かべた副官が応える。不気味な笑みがあふれる執務室で、祝電の山が崩れ落ちた。


「デューン大佐を逃がすおつもりでしょう」

「……どうだろうな」

「反逆罪に問われますよ」

「……そうだろうな」


 副官がいつの間にか育てている観葉植物をながめ、葉を撫でる。

 窓枠に区切られた向こう側は、すっかり夜だ。マーブル家では今夜、宴が催されていることだろう。ラグラスは上流貴族マーブル家の次期当主だ。現当主である父親は、己の息子の昇進を盛大に祝っているはずだ。


 先だって、兄のラズラスが亡くなったというのに?


 だからこそ、訃報を、悲しみを吹き飛ばすほどの、盛大な宴が必要なのだろう。

 窓際の壁に身を任せて、ラグラスは副官の反応を待った。


「僕が他言すれば、あなたは反逆罪で逮捕される」


 笑顔のままでクラウスが机にもたれ、両手を胸の前で合わせる。


「他言するか? エルザの愛人」


 ラグラスが祝電を確認しながら何気なく発する。その様子をながめながら、クラウスは何度か言葉をかけようとしてやめ、最終的に呼吸を整えると意地悪くほくそ笑んだ。


「……女性を中心に世界がまわるというのは、あながち間違いじゃないのかもしれませんね。庭園に降り立ったら、右に百歩です」


 ハレイシア・デューンのことを言っているのだろう。副官からの応酬をかわすように、ラグラスが席を立った。壁にかけておいた剣をとり、腰に下げる。大きなマントをまとう。


「そうだとしても、こちらの兵力が増えるのは確かだ」

「準備はできていますよ」


 クラウスが窓の外に視線を送った。


「いつでも結構です。ハレイシア・デューンが陛下に犯されたあとでも」


 意地悪い副官の声に、ラグラスはしのびない、と小さく返す。


「マーブル大佐、お気をつけて」


 兄であるラズラスも、殺人事件の被害者になる前はマーブル大佐だった。この期に及んで死んだ兄と同じように己を呼ぶ副官に、ラグラスは苦笑して右手をあげた。背中で扉が閉まる。

 規則的に足を進める。毛の長い赤いじゅうたんが、体重にあわせてわずかに沈む。


 死をも受け入れる覚悟をしろとでも、言いたいのか。


 赤じゅうたんを通り過ぎて階段を上がる。夜の回廊は暗く、小さな明かりがあるだけだった。

 普段立ち入りが禁止されている、三階の皇族居住区域へと足を踏み入れる。書庫がいくつか並んでいる。

 いくつか角を曲がり、城内牢へと入る。今日は新たな城内警備総責任者の祝福に忙しく、見張りの者はいない。

 祝賀会から抜け出した本人がここにいるというのに、お飾りなしでも彼らははしゃいでいるようだ。どちらかと言えば、かつての上官、ラズラス・マーブル大佐の死という不吉な出来事を忘れるための宴だからだろう。

 牢の向こうに人影が見えた。


「ハレイシア・デューン大佐」


 壁を背にしてまぶたを閉じていた女が反応した。青い瞳がぎらりとする。口元がふと歪んだ。


「ラグラス・マーブル大佐、昇進おめでとう。けれど私はもう大佐ではない。前にも言っただろう」


 ラグラスは鉄格子ごしに女を見る。薄暗い部屋に差し込むわずかな月光を受けて、金色の髪が輝くのを見ていると、騒いだ心が自然と落ち着いた。


「デューン大佐」


 もう一度呼びかける。床に座り込んだハレイシアが苦笑しながら鉄格子に近づいた。


「君も大概、頑固だな」

「あなたほどじゃない」


 口元に指をあて、ハレイシアが肩を揺らして笑う。両手首を繋ぐ鎖が目に入って、ラグラスは思わずうなった。ハレイシアのうつむいた顔は影に覆われ、表情が読めない。

 隠されたその表情が自嘲でないことを祈った。気のきいた冗談の一つでも言えればよかったが、うまい言葉が見つからない。それができれば、彼女の気も少しは楽になるだろうに。


「陛下のお呼びがかかったんだな? 君が昇進した、祝いの席だものな。酒とともに女を味わおうというわけか。さあ、私は何をすればいい。湯浴みの手伝いか、酌か、(ねや)の供か」


 黙って首を横にふる。

 これ以上、ハレイシアに自嘲の言葉を吐かせないために。これから起こる出来事に、余計な気遣いなどさせぬように。


「あなたの身柄を、もらいうけます」


 思ったとおり、ハレイシアは静かになった。牢の鍵を開け、手首を戒める鎖を短剣で断ち切る。しゃん、と高い音がして、鎖が床に落ちた。

 ハレイシアの腕をつかんで引きずり出そうとするラグラスに、彼女は抵抗する。自嘲の浮かんだ白い頬がこわばっていた。


「陛下ではなく、君の寝所をあたためろというのか」

「あなたがそうしたいのならご自由に」


 即座にそう答えた。関係を結ぶために助けたつもりはないが、全く考えなかったといえば嘘になる。ただそのたびに、ラグラスは眉間のしわをさらに深くした。もしもハレイシアを己の所有物にしたならば、屈辱と憎悪を彼女に与えることになるだろう。そうして、彼女は輝きを失ってしまう。


 ハレイシア・デューンが最も輝くのは、決して己の隣などではない。


 抵抗する力をゆるめたハレイシアにマントをかぶせる。


「失礼。時間が惜しいものですから」


 牢から出てきた調子で歩かれては困る。そのまま横抱きにして廊下へ、書庫へと向かう。階段の奥から聞こえる足音に耳を澄ませ、身をひそませる。足音が遠くなったことに気づいた瞬間、ラグラスの額から汗がふきだした。

 薄暗い書庫はカビと埃の臭いで充満していた。得体の知れない銀縁眼鏡の副官が教えてくれた窓を探す。

 マントをはぎとり、横抱きにしていたハレイシアをおろした。


「なんのつもりだ」


 口ごもるハレイシアに、ラグラスはしれっといつもの、眉間にしわを寄せた表情で返す。


「身柄をもらいうけるという話だったら、本気にしないで下さい。あなたの考えてるような意味じゃない。まあ、あながち嘘というわけでもないですが」


 言葉を返してすぐに城壁へと降り立つ。


「走れ。後宮まで」


 ふっきるように声をかけた。

 夜闇にまぎれて城壁の上を走る。いつの間にか雲がかかってやわらいだ月の光が、わずかに足元を照らしている。ときおりふりかえってハレイシアの様子を見る。わずかにくもった青い瞳がためらいの色を見せるたびに、先を急がせる。

 ハレイシアの後ろの様子をうかがう。特に騒ぐ様子は見られなかった。


 大丈夫だ、まだ見つかってはいない。


 壁から下りて最奥の庭園へと身をひそめ、あたりを見回す。廊下からもれる光で見つからぬよう、細心の注意をはらって植物の合間をぬけていく。背の高い植物がざわざわと揺れた。気をぬくことはできない。

「庭園に降り立ったら、右に百歩」という副官の言葉通り進み、窓をそっと叩く。ややあって薄緑のカーテンが開いた。部屋から明かりが差し込むのと同時に窓が開いて、かぐわしい花の香りが漂ってくる。

 蜂蜜色の髪の優しげな女が、上品に微笑んだ。皇帝第二夫人エルザだ。


「どうぞ、お入りになって」


 室内から流れ出るあたたかさは、あまりに濃密だった。背後をのぞくと天蓋のついたベッドにクラウスがいる。ハレイシアを牢から逃している間に、先に後宮へとやってきたのだろう。

 ハレイシアが息をのむ様子が伝わってきて、ラグラスは苦笑した。貴族を嫌っているくせに、不義密通に耐性がある己が滑稽だった。


「時間がないのでしょう?」


 なかなか入室しない二人をうながすように、ハレイシアと同じく金色の髪と青い瞳をもつ女は微笑んだ。朝日を浴びた花が開くように、ゆっくりと。

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