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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第一章 火龍の息吹
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第一章 火龍の息吹 第二話

 白亜の城の回廊を、一人の男が足早に進んでいた。誰にとがめられることなく城に侵入した男は、軍服の上に黒衣をまとい、すっかりその姿を隠した。日焼けした浅黒い肌と緑色の瞳だけが、黒衣の間からのぞいている。

 警備の者に見つかれば職務質問どころでは済まないだろうが、意外にも人に出くわさない。城の警備が手薄というわけではない。新興宗教が過激活動を行う以前と比べると、警備は厳重になっている。男が城を知っているのだ。

 男はフードの中から緑の瞳だけをきらめかせ、足早に大理石の回廊を越えて行く。闇夜を走る猫のように足音をたてず、彼は突き進んだ。

 青銀色の雷光が空を切り裂いた。光は瞬時に消えた。少ししてから雷鳴がとどろく。荒ぶる龍の咆哮にも似た音があたりに響いても、男はひるまない。

 何匹もの龍が描かれた毛の長いじゅうたんを踏みしめて進む男に、戸惑いはない。白い大理石で出来た柱の脇を通りぬける。回廊の壁の、総天然色で描かれた壮大な壁画に目をとめる。輝く空、茂る木々、実る果実、たおやかな娘たち。楽園の様子を描いた壁画は美しかったが、まるで現実感がない。


 ──まるでこの帝国のようだ。体裁は整っているが中身は空洞だ。


 男は黒衣の中で嘲笑した。


「待て」


 低く厳しい声が突如、男をいさめた。ふりかえらずに、一層加速して次の間まで向かう。階段に足をかけたところで、再度厳しい声をかけられた。


「待て! 姓名と所属を言え!」


 答えない。黒衣の男は階段を上り、次の間に進もうとしている。

 急がなければ。皇帝を、早く見つけなければならない。

 城内の下調べはあらかじめしてきたが、肝心の皇帝の部屋まで調べることはできなかった。軍上層部の人間にならわかるのかもしれないが、黒衣の男はそこまで調べることができなかった。


「不審者だ! 総員集合!」


 追跡者が仲間を呼び、背中の鞘から大剣を抜いた。硬質な金属音が男の耳に届く。小柄な人間ほどの大きさがある大剣を、やすやすと扱えるだけの筋力と才覚。男は息を飲んだ。


「オレに見つかるとは運のないことだ」


 ようやく黒衣の男は追跡者を見た。その顔に心当たりがある。自信にあふれる表情、太い眉、快活に笑う姿を、よく見かける。城内警備担当者、ラズラス・マーブル大佐。すぐに名前が思い浮かんだ。

 ライズランドで知らない者のない大貴族だ。自信家で猪突猛進。自分が正しいと思えば、多少無理をしても突き進む。リーダーシップはあるが、多少独善的なところもある。黒衣の男は己の抱く薄暗い感情のせいか、ラズラスにあまりいい印象を持っていない。


 ──よかった。これから殺す相手に、好意を抱く必要はない。不快なぐらいがちょうどいい。


 黒衣の男は城に侵入してから、はじめて声を発した。


「ラズラス・マーブル大佐か」


 案外幼い黒衣の男の声に、大佐は拍子抜けしたようだ。


「そうだ。よく知ってるな。新興宗教の連中か? それにしては身のこなしがいい。雇われたプロか? だとすれば結構な腕前なんだろうに、ここで命を落とすことになるとはもったいない」


 黒衣の男は答えない。ただ隠れたところでため息を一つもらす。大貴族のマーブル家ほどではないにしろ、それなりの家に生まれた身だ。裏稼業の人間に間違われるのは屈辱だった。一瞬唇をかみしめたが、男はすぐに平静を取り戻し、静かに大佐の動きを観察した。

 ラズラス・マーブルの構える大剣が、頭上からすさまじい迫力をともなって滑り落ちてくる。遠心力がすさまじい。右側から斜めにふりおろされる剣をかわすべく、黒衣の男が身を引いた。男は黒衣の中でわずかに目を見張り、舌打ちする。大剣の切っ先が黒衣の腹をかすった。相手の踏み込みが予想より深い。

 頭をおおうフードが滑りおちた。黒衣の男の赤く短い髪が外気に触れる。エメラルド色の瞳が追跡者の剣の動きをつぶさに観察している。珍しい武器だ。大佐は手を止め、ふりおろした大剣を下段に構えなおして息を飲んだ。


「お前……」


 侵入者の顔を見たラズラスは、愕然としている。

 その瞬間、赤い髪の男は頬に笑みを刻み、するりと間合いに入りこんだ。鞘から剣が放たれる金属音と、ずず……という肉の裂ける音がした。力を失ったラズラスの膝が床に落ち、ふきだす大量の血液が楽園を描いた壁画を染める。じゅうたんが血液を吸って、金色の龍の刺繍が少しずつ染まっていく。

 階下から響く足音に気づき、黒衣の男は身を低く構える。階段に反響する足音からして、増援は相当な人数だろう。まだ彼らは階下にいる。赤い髪の男は大佐の大剣を奪い、ぶん、と力任せに振り下ろすと、そのまま手を離した。斬撃というよりは殴打に近い。放り投げられた大剣が大理石の床にぶつかる。その音が回廊に響くのを待たずに、黒衣の男は足早に次の間へと去った。

 ラズラス・マーブル大佐の両目にうつった最期の光景は、じゅうたんの模様が自らの血によって、少しずつ染まっていく様子だった。

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