第四章 水龍の波紋 第四話
デューン大佐逮捕の報は、すぐに国内に広まった。先日まで英雄であったハレイシア・デューン大佐を途端にさげすむ者もいれば、涙する者もいる。涙する者の数は意外に多く、市街での大佐の人気を物語っていた。理由を求める人々に国は一部始終を伝えたが、あまりに馬鹿らしい理由であると人々は呆れた。彼らにとっては英雄が女性であろうが男性であろうが関係ない。女性だったというだけで逮捕などされるものか、本当の理由が別にあるに違いないと民衆は疑った。民衆の間では、皇帝ウィルフレッド・ライズランドの暴虐と、皇后マリーの嫉妬が理由だというのが暗黙の了解になりつつあった。
怒りをあふれさせているのは、市外の人々だけではない。ロイは憤りをあらわにしたままシルバリエ大佐の執務室を訪れ、いきなり詰め寄った。
「なんとか助けられないんですか」
「俺に言われてもどうしようもない。かわいそうだが、自分で招いた結果だろう」
「そりゃ確かに後宮に行ったのはうかつです! 陛下に女だと言わなかったのにも問題がある。でも女だと言っていれば、陛下のお手つきになっていたでしょうよ!」
デスクに拳を打ち付けて叫ぶロイに、トゥール・シルバリエは嘆息する。普段明るい表情はすでに曇っていた。
「助けられるのなら助けてやりたいさ。でもどうするっていうんだ。大体お前、俺のところに来るのはお門違いだぞ」
「……議長なのに?」
トゥールの言葉にロイはすぐに反論したが、その灰色がかった瞳が一瞬揺らいだのを、議長は見逃さなかった。何かを言おうとしてためらったのだろう。興奮した犬のように吠えたてるロイを、シルバリエ大佐がなだめる。熱い男は嫌いではないが、相手をするのは少々面倒だ。
窓からやわらかい日差しが差し込んでいるのが視界の隅に入った。陽の光は、シルバリエ大佐に家族を思い出させる。
「馬鹿なことを。議長権は龍の間でだけ効力のあるものだろう。ずっと力を持つようなものじゃない。犯罪関係ならラグラスのところへ行くべきだろう」
眉を寄せたまま少し迷って、ロイが吠えた。
「陛下と一番接触する機会が多いのはあんただ。そうでしょう」
なるほど、これを先ほど言いかけて飲み込んだのかと、シルバリエ大佐は納得した。自分にこの件を頼むことがどれだけ見当違いであるかロイは理解している。皇帝に最も近く、実力もある人間として自分に声をかけたのだろう。その人選は間違ってはいないのかもしれないが、ロイの描く絵に載るわけにはいかない。
「陛下が俺の話を聞くと思うか? 無理だよ」
銀髪の中佐、ロイス・ロッシュは言葉に詰まり、そのかわりに瞳を鋭く光らせた。しばらく威嚇するように黙ってにらんでいる。刺さるような視線を真っ向から見返すうち、シルバリエ大佐はふと疑問を抱く。普段ふらふら遊び歩いているような男が、なぜ今回動いたのか気になった。
デューン大佐が女だったらか? それとも何か他にあるのか?
ロイが女好きなのは、女性が嫌いだからだと思っていた。だから都合のいいときに遊ぶだけで、特定の恋人もいなければ結婚もしない。沈みかけた船に乗った女に手を差し伸べるような男ではない。ずっとそう思っていた。それがなぜ──。
ロイが逡巡の果てにこぼしたせりふで、トゥールは我にかえった。
「こんなこと言いたかない。でもはっきり言います。あんたは自分の地位が大事なんだ。だから動かない」
若造が言ってくれる、と唇の端を吊り上げる。
「よくわかってるじゃないか」
トゥールは冷静なまま、卓上の写真立てに目をやる。愛しい妻と娘が写真の中から微笑みかけていた。彼らを守るのは夫である自分の役目だ。無茶なことをして立場を危うくするわけにはいかない。給金はこれから先しばらく平和に暮らせるほど、十分にもらっている。問題は金ではない。もしも戦乱が起きれば、金などあっても無意味になってしまうだろう。最も大切なことは、家族そろって平和に生活することだ。だから今、己の身を危うくするわけにはいかない。
皇帝に意見しただけで処刑されるというのは考えすぎだろう。さすがの皇帝も、そこまでの力はない。けれどもデューン大佐を救っても、特にメリットがない。自ら危険を冒して行動する見返りがない。おそらく、ロッシュにだって何の見返りもないはずだ。
お前は、なぜ動く?
じっと目を見る。眉目秀麗な男である。ロイス・ロッシュ中佐はすごみをきかせた視線を返した。
「あなたも上層部と同じですか」
帝国の軍上層部は皆、お飾りだと言いたいのだろう。確かに大将や中将の座についていても、彼らは半ば隠居同然で、ほとんど実務に関わらない。己の地位と給金を目当てにその座にこだわりつづけているだけだろう。けれども上層部は、龍将たちにすべてを──もちろん責任もではあったが──ゆだねていた。おかげで口をはさまれて、手をわずらわされることは少ない。
「あんな隠居たちと一緒にしないで欲しいな。今この国の財政をやりくりできる奴が、俺以外にいるか?」
南国の魔法使い、トゥール・シルバリエ大佐はのうのうと答える己の性格を悪いと自覚した。それでも、こうせざるを得ない。
守りに入りすぎだと言いたいんだろう?
苦々しい感情を隠したトゥールの穏やかな黒い瞳が、ロイの瞳とぶつかる。あからさまに鼻を鳴らしたロイに苦みばしった笑みを返し、トゥールは両手をあげて白旗を降った。
「俺にはどうすることもできんよ」
「魔法使いが聞いて呆れます」
「魔法使いも魔力が切れればただの人さ。自分の管轄外じゃ、魔力なんて発揮できやしないよ」
一歩も譲らないシルバリエ大佐に、銀髪の中佐、ロイス・ロッシュは大きなため息を残すと「失礼します」と荒々しく頭を下げた。




