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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第四章 水龍の波紋
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第四章 水龍の波紋 第一話

 朝の心地よい日差しをステンドグラスごしに受けて、ロイス・ロッシュ中佐は機嫌よく階段を上がる。赤いじゅうたんの上を軽いステップで己の執務室に向かう銀髪の中佐の頬はゆるんでいた。デューン大佐と食事するという名案が、彼の脳裏を支配していた。昨夜花屋の娘と同衾したあと、自宅へ帰る途中でひらめいて以来、その名案は彼の頭から消えなかった。とん、ととん、と自分の靴音までもが楽しげに聞こえる気がして、中佐はさらにほくそえむ。


 何を食べよう。どこに出かけよう。大佐は何料理が好きだろうか。酒は?


 中佐は己がとろけきった笑顔で廊下を進むが、通り過ぎる人の誰もが不思議な顔はせず、各々の部屋に向かって歩を進める。羨む者、蔑む者、無関心な者、皆それぞれが黙々と足を出す。慣れているのだ。

 執務室の扉を開けるとソファに座った人影が即座にふりむいた。


「やあ、おはよう、ユーミリア君」


 無邪気な笑顔の上官に、副官は鋭い眼光を返した。いつも大きな二重の瞳が、今日は重く腫れているせいか、半眼に見える。目の下にクマができている。白い肌はまばらに生えはじめたヒゲを、取り残しの雑草のように目立たせていた。ヒゲの生えた部分が青かったらさぞかし目立つんだろうなと考えるとおかしかった。少しばかり遅れてユーミリアは低くかすれた声で返事する。


「おはようございます」

「お前、ちゃんと家帰った?」

「帰れると思います? この書類の山を前にして」


 平然と嫌味をいう副官を、上官は軽くいなした。さすがにこのまま自分だけがいい思いをするのは申し訳ない。元はといえばユーミリアの役目は補佐で、本来自分がこの仕事を片付けねばならないのだから。


「手伝うよ、今日は。まだそっちは封も開けてないんだろ」


 机の上にできた書類の半分ほどが、いまだ紐でまとめられていた。おそらくこれからほどいて中身を確認するのだろう。


「ええ、まだこっち半分しか開いてませんからね。今日だけと言わず、明日も明後日も手伝っていただきたいものです。まあ、現実にそんなことがおきたら、誰も外出できないほどの大雪が降るんでしょうけど」


 ソファの隣に腰を下ろして上官は書類に目を通す。山をなして積まれた書類は、海軍少将アルフォンス・クーベリックが港町クロムフから送った書類の束であるらしい。退官した海軍士官たちのデータだ。

 なるほど、ユーミリアは城内暗殺事件の真犯人を探している。ロイの書類を持った手が止まる。


「昨日の夜からここまで確認するなんて、さすがは敏腕副官。でもさ、部下使ってやった方がいいんじゃないの」

「この捜査って陛下発の極秘任務なんでしょう? そもそもうちじゃなくて、本来ならラグラス・マーブル中佐の管轄なんですから」


 いつにもましてとげとげしい言葉が向かってくるのを、気づかないふりでやりすごす。


「でも対象者の聴取はできるだろ? なんか理由つけてさ」

「暗殺が起こった日に何をしていたか……ですか? 少し考えればわかりそうですね。クーベリック提督に言わせれば、俺は嘘が下手だそうですし」


 確かにユーミリアの言う通りだ。できれば他の人間には知られたくない。ただ一人では限界というものがある。そこを見極めて助け舟を出すのが上官であるロイの仕事だ。口が堅く信頼できる連中を集めて聴取を任せよう。

 極秘事項だからと職務時間外に一人残って書類を確認していたのだろうか。その根性と処理速度にロッシュは黙って両手をあげ、降参の意を表した。いつまでも負けた姿を晒しているのも癪なのですぐに手を下げ、海軍士官のリストに目を通す。

 第一容疑者であるカイルロッド・フレアリングは、何も言うことはないと微笑んだ。十三年前に彼が皇都にやってきてから親しくしているからこそ、違和感がある。「何も言うことはない」というのが嘘だとわかっていても、確固たる証拠が欲しい。動かぬ証拠は彼の運命を大きく変えるとともに、ロイの思いにも決着をつけるだろう。ロイはそのときが来るのを望んでいる。もしも友人、カイルロッドがラズラス・マーブル大佐を暗殺したのなら、当然償うべきだ。そこはロイが口をはさむようなことではない。デューン大佐のように、無実の罪に問われているのとは違う。けれどもほんの少し、心がきしむ。きっと付き合いが長いせいだろう。

 悟られぬように小さく嘆息したにも関わらず、目ざとい副官は気づいたようだ。徹夜開けのユーミリアの視線はいつも以上に鋭く見えて、ロッシュは苦笑した。全て探るような目だ。全力で容疑者を絞り込み、真犯人を見つけ、動かぬ証拠を手に入れる。証拠さえあれば、この宙ぶらりんな状態も終わる。


「……ありがとう」


 副官はとっさに視線を逸らして書類を手にとる。それは照れ隠しのようで、ロイの心はわずかに軽くなった。


「何がです」


 髪の中に指を差し入れて頭をかく副官の表情は、明らかに不機嫌だった。思わず笑ったロイから黒髪の副官は書類を奪う。


「俺が、好きでやってることです。あなたの手をわずらわせることじゃない」

「家に帰らないとアリアちゃんが泣くぞ」

「そんなつまらない勘ぐりや嫉妬をするような奴じゃない」


 自慢なのかよくわからない断言を副官がした瞬間、デスクの上の書類が崩れた。ユーミリアの表情が一層こわばる。不機嫌の絶頂に達した副官を見かねて、とうとう上官は声をかけた。


「自宅に帰ってヒゲ剃れ。童顔が妙に疲れて老けて見える」

「あなたはほんとに人が気にしてることをさらっと言う……」


 絶句した副官に、上官は笑ってみせると「女たらしの上官命令だ」と告げた。苦笑したユーミリアが立ち上がって書類の山に手を伸ばす。自宅でも仕事をするつもりなのだろう。先んじてロイがその手を制する。


「命令には迅速にしたがってくださーい」


 珍しく口の端で笑って、ユーミリアは一礼する。部屋を出るのを見送ると、ロイはソファ上で背中を伸ばした。

 天井が高く見えるのは、朝だからか。昼の風と違って涼しいし、気持ちがいい。なるほど、朝から仕事をするのも悪くないのかもしれない。


「デューン大佐との食事、また後になっちゃうなあ。残念」


 書類の山から数枚手元に移動させる。


「無実が証明できたら、食事につきあってくれるかな」


 聞く者のいない独り言が、天井にぶつかって落ちてくるようだ。少し笑って、ロイス・ロッシュ中佐は書類の山を退治すべく、ソファに座りなおした。

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