第三章 木龍の思惑 第八話
「我が名はアスハト! この世界を治めるにふさわしい現人神である!」
灰色のホールで、やせこけた男はそう叫ぶ。それを聞いた数人が大歓声を上げた。ホール全体が風にさわぐ木々のように揺れていた。雨の音をかき消す勢いで反響する。
新興宗教アスハト教の信者は最近になって急激に増加した。民衆たちは乱世の予感を敏感に感じとるのに長けていた。ある者は扉を固く閉ざし、ある者は尻馬に乗る。死後の利益をうたい文句にするアスハト教の信者は日々数を増やしていった。
余計な肉があまりついていない、骨の浮き出た男は微笑んで静かに右手をあげる。それと同時にホールが水をうったように静かになる。彼はようやく口を開いた。
「私は死病からの復活を果たした。一度死んで蘇ることによって、私は病を克服したのです。このような真似、神でなければ不可能でしょう」
人々のどよめきが波のように広がる。最初は歓声と拍手であったが、次第に疑いの声が混ざりだす。そうして最後には混沌が渦巻く。比較的最近集会に参加した信者は安易には信じられぬと怒声をはりあげるし、長く信仰してきた者は盛大な拍手と賞賛を浴びせる。アスハトは微笑みながら少し時間をおく。そうして再び右手をあげる。ただそれだけで、混沌は静寂に変わった。
「かつての私と同じように、死病に犯されている皆さん。残念ながらあなたがたは神ではない。故に、蘇ることはできません。しかしできるだけ苦痛をもたず穏やかに、死と来世を迎えようではありませんか。穏やかに死を迎えることによって、我々は死後の世界で幸福を得ることができるのです。現世の恐怖や執着に捕らわれることなく、死後の世界で暮らすことができるのです」
患者本人のうめき声、家族の嗚咽と拍手。それらが渦になってホールを揺らす。
来世という新しい概念に、民衆は揺れる。民衆の間に古くから浸透している国教にはない概念だった。
国教であるメイジス・フェシス教は祈る内容によって光と闇、どちらかの神を選ぶ。たとえば調理や戦争などは他の生物を殺すから闇、飼育や販売は還元することに繋がるから光というように、ライズランド帝国の人々はそのときどきで光と闇の神、それぞれに祈りを捧げる。その信仰は感謝、もしくは贖罪という、人々の善意に負うところが大きい。己の利益を追求する来世という概念がなかった。
突如、笛の音が高く響いた。信者たちがあわてて出口に殺到する。
「全員逮捕!」
力強い声がホールに響いて、多数の軍人がなだれこんでいく。集会場にあらかじめ潜入していたらしき数人が、教祖を追っている。
「大佐、人員の補充にご協力をありがとうございました。まさか二日でこれほどの人数を集めていただけるとは思ってもみませんでした」
ラグラス・マーブル中佐がトゥール・シルバリエ大佐に敬礼する。
「一応、街で『南国の魔法使い』と呼ばれているそうだからね。その名に恥じない働きができていたなら、まあいいだろう。だが少し、やりすぎじゃないのか?」
「犯罪がまだ芽のうちに摘み取るのが俺の仕事です。これだけの人数が集まる機会を見逃すわけにはいきません」
「そりゃそうだが……」
断固として譲らないことを予感させるラグラス・マーブル中佐に、大佐は苦笑する。険しい表情のままでいる中佐に次々と報告が入ってきた。教祖を逮捕したという報告にも、笑みを見せることなく中佐は頷いた。眉間の三本じわは健在だ。連行されて来たやせた教祖は、ラグラス・マーブル中佐の顔を見るや否や絶叫した。
「何故あなたは私を逮捕するのですか! 私がどんな罪を犯したというのです!」
ホールに彼の味方はいない。逮捕者は外に連れ出されている。ラグラス・マーブル中佐は険しい表情のまま教祖を見下ろし、シルバリエ大佐は中佐を見て、手厳しいものだと苦笑した。
「詐欺罪だ」
端的にそう告げて、深いオリーブ色の髪の中佐は教祖をにらみつける。鋭利な視線に一瞬もたじろぐことなく教祖は視線を返す。瞳は憎悪に満ち、歪んでいる。何かに憑かれたのように、見るものに違和感を覚えさせた。
「誰を! 何を! 一体私が欺いたのはなんだというのだ!」
両手をふさがれて床に伏しながら、教祖は力強く叫んだ。やせた身体のいったいどこにそんな力が残っていたのだろう。中佐はそんな嘲笑を返して、冷静に伝えた。
「偽りを告げて人心を惑わせた」
シルバリエ大佐はさらにあきれる。普通に取り締まればいいものを、こうやってわざわざ追い詰める。もしラグラス・マーブル中佐に子供が生まれても、彼は子供をこうやって叱るのだろう。逃げ道をふさぐように、端的に。トゥール・シルバリエ大佐は自分の娘を思い出した。きっと怒涛の勢いで泣くだろう。ラグラスの眉間にできる三本じわがぐっと深くなって、顔が面白いくらい中心に寄るのを想像した。少し見てみたいような気もするが、ラグラスに叱られる娘がかわいそうだと考えを打ち消した。
「何が偽りだと!」
シルバリエ大佐の思考を教祖の叫びが破る。興奮した教祖の腕を一瞥し、オリーブ色の髪の中佐は笑った。教祖の腕は痩せ細ってはいたが、死病の痕跡は見られない。通常死病は皮膚に紫色の湿疹があらわれる。それが徐々に全身に広がり、皮膚がただれて死ぬ。死病を克服した人間はいない。それ故、死病と呼ばれていた。
「……その腕、お前、死病にかかっちゃいないだろう?」
「何を! 私は死病で一度死んだから治っ」
「そんな戯言にだまされるか。死んだのはお前の双子の弟だ」
叫ぶでもなく淡々と事実を告げるラグラスに恐怖を感じたのだろう、教祖は全身をぶるっと震わせた。その様子を傍で見ながら、トゥール・シルバリエ大佐はため息をもらした。
アスハト教教祖を検挙すると決まってからまだ二日だ。二日前、はじめて教祖の出身地などの基本情報を渡した。そんな短い期間で捜査すすめてしまうとは侮れない。
「嘘をつくだけなら大目に見てやってもよかったんだが、こう広く人心を惑わすのでは、さすがにな」
表情をこわばらせて何も答えなくなった教祖に、ラグラスはつづけた。
「信仰自体は好きにするがいいさ。俺だってメイジス神もフェシス神も信じちゃいないんだからな。だがお前はやりすぎた。この国を敵にまわすってことがどういうことかわかるだろう? ネステラドの幽閉塔で、残りわずかな余生を静かに送ってもらうことになる」
ラグラスの頬に嘲笑が刻まれるのを見て、トゥールは視線を外に向けた。日頃寡黙なラグラスが饒舌になる様子に興味はあったが、加虐趣味なのではないか。ホールの外はいまだに小雨が降っており、ラグラスの兄、ラズラス・マーブル大佐が死んだ日を思い出させた。
第三章 木龍の思惑・了
第四章 水龍の波紋へつづく