第三章 木龍の思惑 第五話
夜になると体中の震えが止まらなくなる。
赤髪の准佐、カイルロッド・フレアリングは無理やり体をおさえこもうとする。けれども震えは止まらなかった。
ラズラス・マーブル大佐をしとめてから、ずっとこうだ。
夜が来るたびに崩れ落ちるほど、身体が震えて仕方がない。カイルロッド・フレアリング准佐は下戸の自分を呪った。酒さえ飲めれば、たとえわずかであっても忘れられるだろうに。
ゆっくり睡眠をとることもできない。眠っている間に追っ手が来るのではないかと思うと、夜も眠れなかった。朝が明けはじめてから、まどろむように少しだけ眠る。ゆっくり眠るということができなくなってしまった。
とうとう、俺はやってしまった。
資源都市ルーファスの、炎上する城が脳裏に思い起こされる。
そうだ、俺は悪いことをしたんじゃない。復讐をしようとしたんだ。いつか恨みを晴らそうと、今までやってきたんじゃないか。何をおそれる必要がある? これからしようと思っていることと比べれば、この程度のこと。
何度も頭をめぐる思考を飲み込んで、けれども同じところに戻ってきて、ぐるぐると目が回るような気分だ。
日が昇るのが、窓から差し込む光でわかる。徐々に白んでくる世界を見て、カイルロッドはようやく眠りにつく。死の間際というのは、これに近いのかもしれない。力が少しずつ抜けていく。腕が、脚が、思うとおりに動かない。
眼裏に、優しい母の笑顔が浮かんだ。
蜂蜜色の美しい髪、淡い青の瞳。大地のような茶褐色の肌に、桜の花弁のような唇。
思い出すだけで涙が浮かぶ。カイルロッドは深く嘆息した。再び覚醒しはじめた意識をひきずったまま、拳を額にあてる。
カイルロッドは資源都市ルーファスの領主の家に生まれた。岩山に囲まれた小さな街だったけれども、カイルロッドは十歳まで幸福な時間を過ごした。
十三年前、ルーファスに皇帝……ウィルフレッド・ライズランドがやって来た。美しいと有名であった領主の妻を一目見るために、わざわざ遠くまでやって来たらしかった。目的を知ってはいたが行幸を断るわけにはいかないと、父は皇帝を迎え入れた。あのときの皇帝の顔は、忘れようとしても忘れられない。アルコールで赤らんだ顔と、縮れたひげ、肥えた幼虫のような指。余分な肉が腹の上で揺れていた。
カイルロッドの悪夢はそこからはじまる。
皇帝は、領主の妻……カイルロッドの母に、第三夫人になれと言った。当然父はそれを断った。皇帝はそれを聞いて激昂した。お前も謀反を起こすのか、と言いがかりをつけた。反旗を翻す意図などないと、父は何度も説明した。けれども皇帝は納得しなかった。
当時、商業都市スォードビッツで反乱があった。領主メイス・フォルテスが、税金を納めるのを嫌がって反乱を起こしたのだという。カイルロッドの故郷に皇帝が訪れたときには既に反乱は鎮圧されていたが、疑心暗鬼にかられた心は強く残ったようだ。皇帝は謀反の意図ありとして陸軍を動かし、故郷ルーファスに攻め込んだ。
陸軍の三分の一が山間の小さな街に退去して押し寄せる。城を取り囲み、火矢を大量に射る。石を積み上げて作った城はびくともしなかったが、そのことが逆に悲劇を生んだ。大砲の使用が許可されてしまった。壁を破壊しながら突入してくる弾丸は、まさに悪魔だった。中に釘を仕込んだ大砲の弾は、着地するや否や破裂して中身を四散させた。仕込まれていた釘や金属の破片などが飛び散る。石に打たれ、弾丸に撃たれ、釘に刺され、城内は地獄絵図と化した。
そうして、元々謀反の意図などなかった小さな街の領主は滅んだ。反逆者の汚名を着せられ、真意を糾す場も与えられず、屈辱を晴らすことのないまま、戦死した。
母に連れられて、カイルロッドは炎上する城から逃げ出した。城内もひどかったが、城下町もひどい有様だった。煙があちこちから立ち上がり、ときおり燃えた建物が目に入る。あの光景は忘れようとしても忘れられない。慎ましく穏やかに暮らしていた街が、たった二ヶ月でこんな姿になるとは、思ってもみなかった。驚きと同時に、カイルロッドは強い憎しみを覚えた。皇帝に、帝国に、陸軍に、強い殺意を抱いた。待っているのは血も涙もない奴等なのだから、逃げるだけ無駄だと幼いカイルロッドは悟った。案の定、城から出てすぐに陸軍に捕まった。そうして母と引き離された。
それ以来、母に会うことはなかった。噂によると後宮に連れて行かれたらしい。皇帝の第三夫人になった母は、後宮入りした翌日に自ら命を絶ったという。
ふと、人の気配を感じて急激に目が覚める。枕元に置いてあった剣をつかんで抜く。耳に甲高い音が届いた。相手も剣を抜いて受けたらしかった。
「カイン!?」
驚いたような声にカイルロッドの意識は完全に覚醒した。簡素なベッドに座りなおす。薄い板で出来たベッドは、みしみしと音をたてた。仮眠室のような簡素な風景が徐々に意識の中に入ってくる。
「……ああ、ロイか、ごめん」
剣を受けたのはロイス・ロッシュ中佐だった。剣をすぐに鞘に収める。ルーファス陥落後、皇都につれてこられて以来の幼馴染は、カイルロッドを心配そうに見つめた。
「お前に聞きたいことがある。大佐が殺された日の夜、何してた」
唐突な問いに、カイルロッドは狼狽する。ユグドラシル大尉にも昨日、同じことを聞かれた。疑惑の目がはっきりと自分に向いている。けれどもそれを表に出すわけにはいかない。心の内にぐっと押しこめる。腹に力を入れる。
「いつも通り皇都にいたよ」
「港町クロムフに向かったのは、提督から連絡を受けてから?」
ロイの視線が厳しい。できればクロムフにいて欲しかったと思っているのに違いない。残念ながらその思いをすでに裏切ってしまったけれど。
「そうだよ」
カイルロッドは正直に答えて、穏やかに微笑する。案じてくれるロイの気持ちが嬉しかった。
それと同時に、彼を裏切ったという事実が胸に刺さる。
「そうか、なら、いいんだ」
ごめん。心の内側でそっと謝る。強く結ばれた唇が開かれることはない。
「もし何か思い出したら会いに来てくれ」
「わかった」
それは懇願に近いのだろう。けれども本懐を果たさぬまま、カイルロッドは自首するわけにはいかなかった。
退室した幼馴染の後姿を見送る。部屋から姿が消えて、それにつづいて足音も消える。
カイルロッドは薄いベッドに体を横たえる。疲労感と罪悪感がカイルロッドを襲った。
ラズラス・マーブル大佐を暗殺したのとは別の恐怖が、津波のように襲ってくる。
罪を犯したのだから、それを償うのは当然だ。ラズラス・マーブル大佐の命を奪った罰は受けるべきだ。
けれどもそのあと、俺はどうなるのだろう。
復讐はどこかで断ち切らねばならないとわかっていても、感情がそれを許さない。故郷ルーファスの贖罪を。その思いはゆるぎない。
もしそれが叶ったとしたら? 皇帝を裁いたそのあとは? 自分がウィルフレッド・ライズランドという人間を殺したら? 皇帝の娘であるオフィリア・ライズランドにとって、自分は仇になるだろう。自分と皇帝の関係が逆転するだけだ。
──生き抜く覚悟ができんのなら、自決しろ。
めまいがするほど逡巡した果てに思い出したのは、養父の言葉だった。ルーファス掃討作戦の司令官だったレイド・ライエル中佐は、強い憎悪の視線を射るカイルロッドにそう言った。
ラズラス・マーブル大佐の命を奪った以上、もう後戻りはできない。
毛穴からふきだす冷たい汗をぬぐうと、カイルロッドは決意した。




