第三章 木龍の思惑 第四話
「フレアリング准佐」
ユーミリアは中庭ですれ違った准佐に声をかけた。偶然を装っているが、そうではない。疑惑をもってからというもの、必ずカイルロッド・フレアリング准佐の監視を誰かしらにさせるようにしていた。間諜を通じて得られる情報だけでは物足りなかった。理由が己の勘だけというのも心もとない。
「ああ、ロイのところの」
赤髪の青年は頬をゆるめる。ロッシュは彼を情けない犬のような顔だと評するが、その気持ちが少しだけわかるような気がする。カイルロッドの動きには無駄がないが、顔や声が警戒心を表さない。感情を読みとるのが面倒な相手だろうなと、ユーミリアは頭の中でカイルロッドと対峙するときのことを考えた。
「ええ。お願いがあるのですが、聞いていただけますか?」
「内容によります」
意外にも、返ってきたのはストレートな答えだった。やわらかいのは口調と表情だけだ。マザコンで頼りないとロッシュからは聞いていたが、しっかりしている。ユーミリアはわずかに微笑んだ。
「先日の剣術大会、拝見しました。ぜひ一度手合わせ願いたいと思いまして」
ああ、と例によって気の抜けた声を発して、カイルロッドが赤い頭をわずかにかく。つづいた声は、やはり気が抜けていた。
「いいですよ。訓練場、行きましょうか」
中庭を抜け、外庭に足を運ぶ。
「陸軍一の使い手だという大尉と手合わせなんて、なんだか緊張するなあ」
前を歩くカイルロッドの横顔をそっとうかがう。疲労の色がにじんでいる。目の下にはくまがある。そう空気が乾燥していないのにまばたきが多いのは、恐らく目が乾いているからなのだろう。
武器庫から訓練用の刃びきした剣を二本用意した。それでは、と一礼して、カイルロッドが身を低く構える。右膝が地面に近い。抜刀した状態で待たない構えは、剣筋と速度を予測しづらい。
それに対し、ユーミリアは抜刀した状態で体の中心に剣を構える。カイルロッドと同様に体を低く構え、いつでも前に踏み出せるようにしている。
はっ、と先に短い息を吐いたのはカイルロッドだった。こちらをけしかけようとしているのだろう。先手を打たせようとしている。後手を選ぶのは、先手を見切る自信があるからか。
ユーミリアは袈裟斬りで様子をうかがう。後ろに飛んでかわしたカイルロッドのエメラルド色の瞳がわずかに見開いた。ゆるんだ表情の中にあっても瞳は雄弁だ。初撃を完全に見切れなかったのだろう。だから剣を抜かずに身をひいた。
構えを変えてくるかと思ったが、意外にもカイルロッドはそのまま動かなかった。ユーミリアは上段から、緩急をつけるために速度を抑えて斬りかかる。早く抜けと、ユーミリアは誘いをかける。
カイルロッドがその誘いに乗った。鞘の位置から斜め右上にユーミリアの剣筋をさばく。ユーミリアはその機会を見逃さずに角度を変える。上段から腰まで剣を下げ、突きの姿勢に構える。カイルロッドは脇をしめ、わずかに刀を回して受けの姿勢になる。突き上げるようなユーミリアの一撃をカイルロッドがかろうじて受けた。
「准佐の剣が右に流れやすいのは、初撃が抜刀からの動きだからですか?」
「大尉は緩急のつけ方が上手いですね。俺はつい力が入ってしまう」
剣と剣のぶつかる激しい音が続く。
「ラズラス・マーブル大佐が暗殺された夜、何をしておられました?」
そっとささやくユーミリアの声は顔と同じく幼く感じられたが、妙な迫力を備えていた。カイルロッドの目元がこわばる。
「自宅に──」
ユーミリアの攻撃の手は休まることがない。一撃一撃に重みのあった先ほどまでとは違う。連撃をくりだす。連撃を受けながら、カイルロッドは言葉を選ぼうとしている。その表情はわずかに動揺しているようにも見えた。
「自宅に、いました。一度散歩に出ました──あの日は湿度が高くて、蒸し蒸ししていたから夜風に当たりたくて」
「証明できる方はいらっしゃいますか」
「いえ。一人住まいですから」
エメラルドの瞳が左右に揺れる。動揺を押し隠そうとしているのだろう。剣ごしに視線が絡んだ。逸らさずに真っ向から見返してくるのは大したものだと、ユーミリアの頬が笑みを刻む。強い相手と戦うと、己の内に眠っていた龍が鎌首をもたげる。違う自分が呼び覚まされるのがはっきりとわかった。けれどもそんなことのために手合わせを申し込んだのではない。戦いたいという欲求を押さえつける。
「そうですか」
薄く笑って上段から頭を狙う。あとずさってかわしたカイルロッドが即座に踏み込もうとして、躊躇した。
ラズラス・マーブル大佐と同じ動きをとったユーミリアに、カイルロッドは応えなかった。同じ動きをするか試されているのだと知ったカイルロッドが途中で行動をやめたのだ。カイルロッドの表情が凍りつく。
ユーミリアはその隙を見逃さなかった。剣をはじく。カイルロッドの手から逃れた剣が弧を描いて遠くに落ちた。瞬時に己の剣が遠いと判断したカイルロッドがユーミリアの剣を奪いに来る。ユーミリアが一歩後退する。これまでの中で最も早い動きで、カイルロッドの喉元に剣をつきつけた。
「……参りました」
両手を挙げてカイルロッドが降参の意を示す。息があがっている。エメラルドの瞳が恐怖に揺れていた。
ユーミリアは剣を下げて一礼する。カイルロッドほどの熟練者が躊躇する様子を見せた。生じた隙の意味は重い。暗殺者でないことを証明するには、彼は別の行動をとらねばならなかったのではないか。全く同じ行動をとることも躊躇することも、カイルロッドはしてはいけなかった。
やはり怪しい。あとは裏付け捜査を。
「ありがとうございました」
このまま拘束してくわしい話を聞きたいが、そういうわけにもいくまい。立場が上の人間をいきなり捕まえるわけにもいかない。
立ち上がったカイルロッドは何事もなかったかのように裾についた泥を払う。非常に穏やかな表情をしている。
腹を決めたのか。
間を計っているのかもしれなかったが、ユーミリアにはカイルロッドのその表情が、どうにも不気味に思えてならなかった。




