第三章 木龍の思惑 第二話
休日に入城するのは不思議な感じがする。緊急招集などもあるにはあるが、ユーミリアは妙に落ち着かないでいた。今日は城の外庭で開かれる、海軍士官の剣術大会を見に来た。家族連ればかりだと聞いてきたから恋人を連れてきたけれども、落ち着かないのはそのせいだろう。居心地が悪かった。ときおり顔見知りの軍人たちが、にやにやして通り過ぎていくからだ。
「ユーミリア様」
皇都に出てくるとき、故郷から連れてきた恋人は自分よりさらに困っていることだろう。人波に飲み込まれそうになる恋人を見失わないよう、気をつける。
「……ごめん、アリア」
「お恥ずかしいですか?」
「いや、居心地の悪いとこに連れてきたから」
「いえ」
アリアは首を小さく横にふる。それはかつて故郷にいた頃とはまったく違う反応だ。ユーミリアは悟られぬように嘆息する。故郷を出るときに、身の回りの世話をする侍従を一人連れて行けと言われ、迷わず彼女を選んだ。離れたくなかったからだ。けれどもそれ以来、彼女との関係は恋人というより主従になってしまった。故郷にいたころのように、ユーミルとは呼んではくれなくなった。もうその名で自分を呼ぶのは兄とロッシュだけになってしまった。一抹の寂しさを覚えながらも、ユーミリアはそれを口に出せないでいる。
「こんなことでもなければお城に入れませんから。ユーミリア様がお仕事されてる場所をこの目で見ることができて嬉しいです」
「……アリア」
いつからこんなふうになってしまったのだろう。彼女とは対等でありたかったのに。
「一介のメイドである私がお城に入れるなんて、なかなかないことです」
「だからそれは」
「あら、ロッシュ様?」
反論しようとした瞬間、アリアは明るい声を上げる。アリアの視線の先には軍服を着たロッシュ中佐がいた。今日は休みではないはずだ。きっといつも通り執務室から出て遊び歩いているのだろう。情報収集が主な任務の部署でなければ職務怠慢と言われてしまうに違いない。
「ロッシュ」
「お、ユーミリア! アリアちゃんも! こっち特等席だから来いよ」
銀髪の中佐が嬉しそうな顔で手招きしている。ユーミリアは明日のデスクに書類が積まれている様子を想像して、複雑な思いに駆られた。
人波をかきわけて進む。ロッシュのいる席は士官用の特等席であるらしい。休みの士官がちらほらと座っている様子が見えた。石畳も芝生もない訓練場に、紅白に組分けされた海軍士官が集まりだした。そろそろはじまるようだ。仕官の中の一人がこちらへ向けて小さく敬礼する。ロッシュが右手を軽く上げた。青年仕官は嬉しそうに微笑む。フレアリング准佐だった。
「准佐、皇都に戻って来てたんですね」
「意地悪提督と入れ替わり」
ロッシュが憮然とした瞬間、ファンファーレが鳴って塔の三階から皇帝が姿を現した。その場にいる仕官全員が敬礼する。観覧席の仕官も例外ではない。皇帝が椅子に座るのと同時に、皆一斉に手を下ろす。
すぐに出場者の名前が呼ばれた。呼ばれた者が訓練場の中央に向かう。礼をして、剣を構える。合図の赤旗が空気を切る音がして、試合がはじまった。両者、にらみ合ったまま動かない。
「今日は熟練者同士の試合なんですね。簡単に決着がつきそうにないな」
互いに低く構え、相手から剣先を外さずにいる。片方が突然声を発する。どちらもその声を契機に動いた。片方がみぞおちから突き上げる一撃をくりだす様子を見て、ロッシュがたずねる。
「動きがコンパクトだな。船の上だとそうなるのかね? で、どう?」
「彼らじゃないと思いますよ。赤の方が腕前は上だけど、不器用そうだ。あれじゃ、落ちた他人の剣を拾って即座に攻撃なんてできませんよ」
「手厳しいなあ」
「剣術についてはね」
あきれ返ったロッシュに、ユーミリアは苦笑して返した。周囲から歓声があがった。勝敗が決したらしい。すぐに次の士官が入場する。
「犯人探し、最優先させてくれないか」
急に真顔に戻った上官に、ユーミリアは目を細める。ロッシュが仕事の順序について語るなど珍しい。
「どういう風のふきまわしです」
「……昇進試験だとさ」
真顔のまま小さく答えたロッシュを追求することはしない。ここでは語ってくれないだろう。
周囲がいっそう大きく騒がしくなる。訓練場に目をやると、フレアリング准佐がいた。
構えの声を受けても、彼は剣を抜かない。剣の柄に手をかけて、身を低くして構えるだけだ。相手がじらされて斬りかかる。赤髪の准佐がそれを右上への抜刀で弾く。右に流れる癖のある剣術だ。
「あれくらい腕が立つなら」
ユーミリアは口に出して固まる。抜刀から流れるあの動き、身体の左側が空きがちになる癖、その隙を狙ってきた相手の剣を弾くための剣速、足さばき。
まさか、内部の者だと疑ってはいたけれど。
「ロッシュ」
喉から転がりだした声はわずかに震えていた。その様子を見て、銀髪の上官は彼の言わんとすることを悟る。
銀光が閃いて高い金属音が響く。次の瞬間、准佐の剣は構え直されている。
「……おい」
「確証なんて何一つない。でも」
周囲から歓声がわきあがった。喧騒の中にあっても、ユーミリアは己の心臓の音をはっきりと感じることができた。
「可能性は、あります」




