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妖狐乙嫁譚  作者: サモト
22/26

別離 1

 天遊の封印された神社は、武蔵国の西端に広がる山の麓にあった。


 参道入口にある 『八幡神社』と書かれた石柱は苔むしているが、そばの鳥居は新しい。白木の鳥居が夏の緑にくっきりと存在を刻んでいた。

 奥に見える社殿も建て替えられたばかりで、真新しい銅瓦が陽光を照り返して輝いている。

 神社は桑畑ばかりの地味な場所に建っているが、参拝客は後を絶たない。老若男女、侍、商人、農民、身分を問わず目を輝かせて神社にやってくる。


 人々の目的はただ一つ。ここに封印された妖狐を見物するためだ。


「さあさあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ここに封印されたるは九本の尾をもつ邪悪な狐。

 この狐がいかな悪事を働き、いかに封印されたか。事の始終を知りたけりゃ、これがおあつらえ。一枚といわず二枚三枚、買って土産にしなさんせ!」


 鳥居の前で売りさばかれている瓦版に、人々が競って手を伸ばす。神社の周囲には参拝客目当てに茶店や屋台が立ち、物売りもやってきていて、まるで縁日のようなにぎわいだ。

 神社を前にして、十和は顔をしかめた。


「ひどい。身動きをとれなくした挙句に、見世物にするなんて」


 十和は真新しい鳥居や社殿をにらんだ。

 聞えてきた話によると、ここは少し前まで人っ子一人いないようなさびれた神社だったらしい。

 天遊という見世物のおかげで神社が生き返ったのだと思うと、十和は今すぐ燃やしてやりたい気分になった。

 馬に化けて同行している赤城も、神社の繁盛ぶりに苦い顔をする。


「アタシたちも人間を食い物にすることあるし、見世物にすることあるからお互い様なんだけど。見ていたい光景じゃあないわねえ」


 風にのって、売られている瓦版が飛んできた。紙面を読んで、十和は眉をひそめる。


「『何の罪もない信心深く善良な男を喰い殺し、その妻を腹の子ともども喰らった悪しき妖狐!』だなんて……嘘です。お父様は人肉なんて召し上がりません。他においしいものをたくさんご存知です。

 それに、こんなに不細工でもないですよ。なんですか、この品性のかけらもない狐の絵は。お父様は流し目一つで男女問わず惑わすような妖艶な妖狐です。ちゃんと描いてください!」


「十和ちゃん、怒る場所ズレてない?」


 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の心境だ。十和は瓦版の一言一句に腹を立てた。

 赤城は神社に目をすがめる。


「この神社、やっぱり守りは完璧ねえ。魔除けの結界にすきがない。天遊様を封印しただけあって、ここの巫女さん力あるわ。

 よそから来た人らしいけど、元からいる宮司より優秀じゃない」


 参拝客がわっと湧いた。くだんの巫女がどこからか神社に帰ってきた。

 年は二十歳半ば。唇を引き結んだ横顔はきりりとしている。白衣と緋袴に身を包み、背には弓を背負っていた。まとう霊気は多くないものの、刀身のように力強い輝きがあった。


あさひ様、お手に触れさせてくだせえ!」

「旭様、お祓いをお願いいたします!」


 巫女自身も相当な人気のようだ。農民たちは拝み、商人などは高価な供物を携えてお祓いを頼みこんでいた。


「それにしても、月白のやつどこにいるのかしら。

 先に行ってるって、一人で飛び出して行って。いないじゃない」


 赤城が辺りを見回していると、白い犬がやって来た。月白だ。


「どこ行ってたのよ?」

「……ヤボ用」


 投げやりすぎる回答をして、月白は落ちている紙を見た。十和も読んだ瓦版だ。文面と、見るのも嫌そうにしている十和とを見比べ、鼻先で他へやる。


「ここは人目がある。向こうへ行こう」


 三人は居場所を山の裾野の雑木林へと移した。人目が無くなると、月白はいつもの白髪の青年姿になる。


「十和、神社に行くのは今夜がいい。巫女がお祓いを頼まれて出かける話が聞こえた」

「月白様、調べに行って下さったのですか?」


 月白の早出は偵察のためだったらしい。


「神社の宮司は他の社と兼任で、今日はいない。

 天遊殿が封印されているのは社殿に向かって左側の祠だ。

 扉に鍵はない。封印は貼ってある札を全部はがせばいい」

「月白様、お仕事が完璧すぎます」


 これから境内を偵察しようと思っていた十和は夫の優秀さに泣いた。出る幕がない。

 赤城も感心したが、あまりに詳しいので怪訝にした。


「あんた、なんでそんな詳しいのよ?」

「……封印を解けないかと、何度か見に来たことがあったから」


「危ないとするわねえ。見つかればあの巫女さんに矢を射かけられるってのに」

「赤城、帰っていてくれ。後は俺と十和だけでいい」


「ええ? 二人で大丈夫?」

「封印を解けるのは十和だけだ。妖狐が二匹いても仕方ない」


 赤城は納得すると、十和に竹の皮の包みを渡した。


「十和ちゃん、お漬物を刻んでゴマを混ぜたおにぎりが好きだっていっていたから、それにしといたわ。

 ここのところ暑くて食欲が落ちているみたいだけど、ちゃんとごはん食べてがんばるのよ」

「赤城おかあさま……! がんばってきます!」


 抱擁を交わすと、赤城は狐姿になって屋敷のある方向へ駆けていった。

 日はまだまだ高い。決行までにだいぶ時間がある。十和がそわそわ落ち着かないでいると、月白が提案してきた。


「……十和。少し歩かないか」

「はい。――その前に」


 十和は木立の向こうの神社をふり返った。


「私、まだ境内に入れるか試していないので。それだけ試してきます」


 これだけ下調べしてもらっておきながら、魔除けの結界を突破できなかったら笑い話だ。

 十和は神社に足を向けたが、月白は反対方向に手を引いてきた。


「十和なら大丈夫」

「でも」

「行こう」


 強引に導かれて、十和はその場をはなれた。

 てっきり近くを散策する程度かと思っていたら、月白は特殊な近道を使って十和を遠くまで連れ出した。


 到着した先はどこかの山中の洞窟だ。一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌に当たった。さっと汗が引いていく。


「涼しいですね」

「元は人食い鬼の住処だった」


 十和は肝まで冷えた。


「今はもういないから大丈夫」

「ここにはよくいらっしゃるのですか?」

「たまに。一人になりたいときに」


 洞窟の中には人食い鬼が使っていたものなのか、お椀やさじや徳利が転がっていた。月白は壁に立てかけてあった釣竿を手に取る。


「釣り、なさるのですか?」

「使わない方が早く獲れるが、ひま潰しにやってみてる」


 十和は釣りは初めてだったが、やってみればおもしろい。大きな用事のことは一時忘れて楽しんだ。釣ったあまごは焼いて二人で頬張る。


「香ばしくておいしい!」

「魚の食べた藻の風味がする」


 月白の感想は無味乾燥としていたが、十和は満面の笑みを浮かべた。塩がないので味気ないが、こうやって月白と一緒に釣りをして食べていることが最高の味つけだ。赤城にもたされたおにぎりもぺろりと平らげる。


「月白様、あそこ。瓜が生ってますよ。食べられそう」


 洞窟の近くに、小ぶりだが黄色い瓜ができていた。


「切るものはございますか?」


 まっさきに出てきたのは包丁だった。刀身には錆びが浮き、柄は何かの液体が染みこんでいる。人食い鬼の遺品なので、何の液体かはあまり考えたくない。


「ほ、他は……?」

「なら、これがおすすめ」


 月白が渡してきたのは刀だった。柄はぼろぼろだったが、鞘から引き抜けば白銀色の光がこぼれた。

 鏡のような刀身に、十和は見とれた。刀に映る自分の瞳を見つめていると、すうっと魂が吸い取られてしまいそうな気がした。


「十和」


 声をかけられると、十和は無意識に柄を両手で握った。自分で自分に仰天する。

 今まで刀など一度もふったことがないのに、身に染みついた動作のように手足が動いた。

 月白から投げられた瓜を、宙で真っ二つに斬る。

 切れ味は抜群で、一刀両断された瓜の断面からは果汁が染み出なかった。


「……え? なんで、どうして。私」

「その刀、妖怪になりかけてるから。握ったやつを操って何か斬らせてくる」

「そんな物騒なものをおすすめしないでください!」


 怒っている間にも、刀が十和を操ってくる。白刃が月白の首を狙って動いた。十和は悲鳴を上げたが、月白は平然としていた。淡々と剣筋を見極め、十和から刀を取り上げた。


「……血……血……血が欲しい……」

「あとで」


 月白は瓜をさらに半分に切ってから、不気味にうめく刀を鞘に納めた。


「……月白様って、肝が太いですよね」

「特別大きい感じはしない」


 月白は生まじめに自分の腹を触診した。


「他にもいろいろあるんですね」


 瓜を食べながら、十和は洞窟の奥に目をやった。鬼が殺した人々から奪ったものだろう、着物や編み笠、竹筒、刀、鎧などがうずたかく積まれ、その奥に珍品があった。

 青磁に絵皿、茶碗、毛皮、ラシャ、純金の香炉、香料、香木、螺鈿の箱、さんご玉やひすい玉、べっこう細工、古い小判など、いくらになるか見当もつかない量の財宝が乱雑に押しこめられている。


「鬼は、元はどこかの城主だったらしい。敵に攻められて、全財産をもって一人だけ逃げた。俺のことは毛皮目当てに狙ってきた」

「こんなところにいては使いようもないでしょうに」


「気に入ったものがあれば持っていくといい」

「いえ、べつに」

「ならこれで好きなものを買うといい」


 小判を押しつけられて、十和は困惑した。

 今日の月白は、なにか変だ。


「私は月白様がそばにいてくだされば、それで。他に何もいりません」


 月白の手に小判を返して、十和は大きな手を握った。

 なぜだか十和は不安だった。月白はすぐそばにいるのに心細い。


(これからのことがうまくいくか不安で緊張しているのかしら)


 大きく息を吸って、吐く。洞窟で過ごしているうちに日は傾き、夕暮れが迫っていた。


「そろそろ参りましょう」

「ああ」


 十和が腰を上げると、月白も刀を背負って立ち上がった。


 戻るころには、神社のまわりの屋台や茶屋は閉まっていた。昼間のにぎやかさが嘘のように静かだ。

 月が煌々と輝く刻限、巫女が神社を出ていく。近くの集落を目指して遠ざかっていった。


 十和たちは雑木林を出て、神社に近づいた。樹木に囲まれた敷地内に人影はない。妖魔や雑鬼のたぐいもいない。清浄な空気に満ちている。


「ここで待っている」


 月白は鳥居の前で立ち止った。

 十和は恐る恐る、鳥居に踏み出した。痛みも何も感じなかった。勇気を出してさらに進む。無事に魔除けの結界をくぐり抜けた。


「やりました」


 まだ侵入できただけだったが、十和は月白に笑顔を見せた。


 社殿の左側の祠へと急ぐ。月白に教えられた通り、簡素な祠があった。四方には棒を立て、紙垂しでとともに縄がめぐらされている。

 十和は参拝客がおいていった野菜やまんじゅうや賽銭を払いのけ、祠を開けた。大人が一抱えするほどの大きさの岩が鎮座していた。


(お父様……!)


 灰色の味気ない岩が、十和の目にはうずくまる狐の姿に見えた。

 夢中で岩の表面に張られている札をはがす。残りが二三枚になると、後は勝手に破れた。

 岩が身震いし、変化する。祠から、金の光があふれた。


 ゆったりと、長い金の髪の男性が出てくる。背は高く肩幅もあって体つきはまちがいなく男性だが、着ているものは女性的だ。白絹の着物の上に、あでやかな打掛を羽織っている。


 顔はできすぎなほど整っていた。直線的な眉と鼻筋、切れ長の目、鋭角的なあごは冷たく男性的だったが、口元には常に笑みが浮かび、春陽のような優しさに満ちている。挙動もゆったりしていて柔らかい。


 男か女か、冷たいのか優しいのか、魔性か菩薩か。一目見ただけでは判断がつかない。見る者を惑わす妖しい雰囲気を漂わせていた。背後に九本の尾があればなおさらだ。


 だが、十和はためらうことなく全身をあずけにいく。


「お父様、お会いしとうございました」

「きっとおまえが来てくれると思っていたよ、十和」


 胸に鼻をうずめると、衣に焚き染められている香がにおった。白梅に似たみやびな香りを、十和は肺腑いっぱいに吸いこむ。


「大きくなったね。咲きほころぶ前のつぼみだったおまえが、もう咲き誇る花だ。夭夭ようようたる桃、灼灼しゃくしゃくたる華だ。十和に……母そっくりに美しく育ったね」


 十和は、亡くなった母親の名でもあった。


「巫女に封印されて三年か。私には一眠りの間だったけれど、おまえにとっては長かったろうね」

「もう一生お会いできないかと思いました」

「そのようにしがみついて。ふふ、中身はまだ幼子とみえる」


 天遊は優しく目を細め、あやすように十和の背をなでた。


「お父様、早くここを出ましょう。みんなお父様のお帰りを待ちわびております」


 ゆっくり再会を味わいたい気持ちを抑えて、十和は父からはなれた。

 月白の待つ鳥居へと足を向けかけ、止まる。

 出て行ったはずの巫女が立っていた。手に弓を下げている。


「逃さんぞ、天遊」


 怒りに燃える双眸が九尾の妖狐を射抜いた。

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