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妖狐乙嫁譚  作者: サモト
17/26

誤解 4

 妖狐たちが人間に化けて町で聞きこみをしたところ、問答石で会った老人の身元はすぐに判明した。

 家でボヤがあり、妻と嫁が寝こみ、跡取り息子が倒れたきり目を覚まさないなど不幸の連続なので、町でもうわさになっていたらしい。


「ここの酒屋のご主人ですって」


 馬に化けた赤城が、鼻先で一軒の店屋を示す。間口が広く、奥行きもある立派な店だった。酒屋のしるしである杉玉が軒先にぶら下がっている。


 商い中であることを示す藍色ののれんがかっていたが、静かだ。戸口はぴったりと閉じられていて、中からは人の声も物音もしない。


「……やっぱり、よくない雰囲気ですね」


 十和は馬上で息を呑む。酒屋の瓦屋根には薄墨色のもやがかかっていた。曇天の空と相まっていかにも重苦しい雰囲気だ。

 赤城の背から降りて、こわごわ軒裏をうかがう。見て後悔した。小さな妖魔たちがうぞうぞとのたくっていた。予想通りに妖魔御殿だ。


「十和、俺も赤城もいるから心配ない」


 腰の引けている十和に、白い犬に化けた月白が寄り添う。


「弱気が一番よくない。連中が喜ぶだけだ」


 小雨が降ったり止んだりしているので、通りに人は少ない。

 十和が馬や犬と話していても、気にする者はだれもいなかった。


「想像しろ。自分の霊力をぶつけて、相手を散らすところを。

 爆ぜてはらわたぶちまけてちりと化せ、と念じる感じでやるといい」


「は、はぜてはらわたぶちまけてちりとかせ、ですね。がんばります!」

「……絶対伝わってないわよ、それ」


 赤城がうめく。復唱が呪文のようになっている時点で、十和の理解度はかなり怪しい。


「月白、生まれてこの方、虫も殺したことがないようなお姫様にそんなこといっても難しいわよ。

 十和ちゃんには、そうねえ……やっつけろっていうより、身を守れっていった方が想像しやすいんじゃないかしら。

 周りに壁を作るのよ。『私に触らないでー!』って念じながら」


「壁……それならできる気がします」


 月白に説明された時よりも具体的な絵図が浮かんだ。


「十和」


 月白が脚にまとわりついてきて、半歩退けられる。

 軒裏の暗がりから長いものが這い出てきた。蛇の胴体の先に、女の首がついている。十和と目が合うと、にたりと笑った。


(こっ―――――――来ないでええええええっ!)


 意識せずとも全力で念じられた。お腹の底から力が湧き上がる。

 十和は強く目を閉じて、自分の周りに筒形の壁を思い浮かべた。

 妖魔が壁に阻まれたと感じると、そのまま力任せに一気に壁を広げていく。ともかく自分から遠くへと奥へと。


 声にならない悲鳴が聞こえた気がした。


「……あ」


 ゆっくり目を開くと、恐怖は無くなっていた。

 蛇女は消えて、それどころか軒裏に溜まっていた小さな妖魔たちもいなくなっていた。屋敷をおおっていた重苦しい空気すら払われている。


「……成功したな」

「すごい。一発で周囲一帯きれいになったわね」


 ただ、と両隣の月白と赤城はつけ加えた。


「後は加減を覚えてもらえると助かる」

「放出する方向とかね」


 十和の霊波は妖狐二人にも衝撃を与えていた。月白の毛先や赤城のたてがみがちぢれている。


「すみませんすみませんすみません!」


 平謝りしていると、酒屋から白髪交じりの男性が出てきた。

 十和を見て、おや、と軽く会釈する。


「こんにちは。奇遇ですね。先日お会いしましたね」

「はい。問答石の前で。……その後、いかがですか? 解決しましたか」


 老人は八の字眉をさらに下げた。問答石から答えは得られなかったらしい。力なく肩を落とした。


「失礼ですが、息子さんは鯉を取ってきたことがございませんか?」

「鯉? 息子は釣りはしませんが」

「満月の夜に。酔った足で龍神様のいらっしゃる池にいって。網で」


 見た情景を思い浮かべながら、十和はとつとつと語る。

 唐突な話に店主は面食らっていたが、やがて顔を青ざめさせた。


「……思い出した。いつだったか息子が酒のつまみに鯉を食べていた気がする。買ってきたといっていたが、あれはまさか」

「そう、みたいですね」


 十和は老人の背後、店内を見つめながら、ぎこちなくうなずいた。

 つられて、老人も何の気なくふり返る。仰天し、ひっくり返った。


「うわあああっ!」


 二本の細長い角にうろこ肌、長い顔に長いひげ。龍の顔が戸口をふさいでいた。

 ぎょろりとした目に射すくめられ、老人は膝をついた。ぬかるんだ路面に額をこすりつけ、両手を合わせて必死で許しを乞う。


「申し訳ございません! 愚息が失礼なまねをいたしまして、誠に申し訳ございません! 

 食べてしまったものはお返しできませんが、生きた鯉を池に放します。これから満月の夜には、必ずあなた様のお社に酒と供物を捧げます。

 愚息が目を覚ました暁には必ず龍神様に頭を下げさせますので、どうかお許しください!」


 ふん、と龍は鼻を鳴らした。謝罪に満足したらしい、長い体が戸口から抜け出てくる。

 同時に、店の奥から奉公人らしき男が走ってきた。


「旦那様、旦那様! 若様がお目覚めに!」


 知らせを聞くや否や、店主は一目散に奥へと駆けて行った。

 龍は宙に身を躍らせる。天に上る途中で十和をふり返った。


「さっきの霊波、どこぞの巫女でも来たかと思うたが。狐使いだったか」

「違います。こちらの二人は主人と仲間です。私はこう見えて半分妖狐です」


 龍神はまん丸な目をいっぱいまで見開いた。いきなり笑い出す。厚い雲を割るような豪快な笑いだった。


「はははっ、そなた、狐に化かされておるのではないか?」


 笑いは雷鳴に変わった。ふしぎそうにしている十和を残して、龍は空に駆け上がる。

 土砂降りの雨が路面に叩きつけた。

 十和たちはあわてて酒屋の軒先に避難する。雨は長くは続かずすぐに止んだ。


「梅雨の終わりの雷かねえ」


 隣家の住人が雲間にのぞく青空を見上げてのんびりといった。

 帰ろうとすると、酒屋の主人が奥から駆けてきた。呼び止められる。


「あなたにもお礼を申し上げなければ。どうぞ上がっていって下さい」

「いえ、どうぞお構いなく」


 なおも誘われるが、十和は固辞した。代わりに、酒をいっぱい持たされて帰路に就く。夜はみんなでちょっとした宴会になった。


「月白様、今日はありがとうございました」


 夜、寝間に入ってから十和は丁寧に頭を下げた。


「これからは妖魔に怯えてばかりいないで済みそうです」


 「そうか」と答える月白の頭から耳が出ていた。尻尾も出ている。


「酔われたのですか? いただいたお酒、おいしかったですものね」


 そういう十和も酔っていた。ふっくらとした頬が桃の実のようにほんのり赤くなっている。月白の背に回り、上機嫌で五本の尾を腕に抱えた。


「ふふ、気持ちいい。これ大好きです」


 思う存分、五本の尾にじゃれつく。月白はされるがままなので、十和は調子に乗った。三角形の耳にも手をのばす。耳の根元をもんだ。


「耳はよく動かすところですから、凝りますよね」


 月白はやはりされるがままだったが、途中で正面を返した。十和の頭をなでる。


「お返しですか? ありがとうございます」


 月白の手は肌は荒く指もごつごつとしているが、十和は安らいだ。大きな手は温かく、触れる手つきは慎重でやさしい。

 安心して目を閉じる。耳にやわらかいものが触れて、十和はびくりと体を震わせた。


「……ん。月白様」


 月白が耳を食んでくる。甘噛みなので痛くない。仲の良い狐同士の触れ合いそのままに、唇で顔にも触れてくる。こめかみに、頬に、まぶたに。惜しみなく口づけが下りる。


 いつの間にか十和の背中はしとねに触れていた。


 骨ばった指がかすかにあごを持ち上げてくる。金色の目が間近にあった。唇を指の腹でなでられて、十和は身を固くした。早まる胸を抑えてその時をじっと待つ。


「……っ」


 苦痛を呑みこむ気配を感じて、十和は目を開いた。

 ぽた、と何かの雫が着物を濡らす。正体を知ったとき、悲鳴が出た。


「きゃああああっ! 月白様!」

「――どうしたの!?」


 駆けつけてきた赤城も仰天した。

 月白の白い夜着は、太ももの辺りが裂けて赤くなっていた。

 やったのは他でもない月白本人だ。左手の爪が血濡れていた。


「月白、あんた何やってんの!?」

「……酔った勢いで襲うところだった」

「え? は? 襲う?」


 物騒な単語に、赤城はひとまず十和を背にかばった。


「十和。やはり今夜も俺は居間で寝る。さっきはすまない。二度としない」

「え?」


「形だけの夫婦という約束だろう?」

「は、はあ」


 形でなくていい十和は、間の抜けた返事をした。


「豊乃殿から『嫁にはやるがくれぐれも食うな』と念を押されているからな」

「私も本当に食べられるのは困りますけど……」


 十和の頭にはたくさんの疑問符が浮かんだ。

 どうもお互いの考えに大きな間違いがあるような気がするが、十和にはどこが違うのかがはっきり指摘できない。


 困っていると、赤城が気づいた。


「月白、あんた。食うなってのはたとえでなく本当に喰うなってことよ? 霊力目当てに喰うなってこと」


 月白は怪訝そうに眉をひそめた。


「あんた、意味を取り違えていたの? それでずっと十和ちゃんに手出ししないでいたの? そういうこと?」

「……霊力のために嫁を喰うなんてことは念頭にない」


 部屋を出て行った赤城は、薬箱を手に戻ってきた。


「後は当事者二人に任せるわね。じゃ、お休み」


 障子が閉まる。部屋の中は行灯の明かりで温かなだいだい色に染められている。残された二人の間に、居心地の良いような悪いような沈黙が落ちた。


「傷、手当て、しますね」


 十和はまだ何がなんだか分かっていなかったが、ともかく薬箱を手に取った。月白の脚の傷に河童の傷薬を塗り、手ぬぐいを巻きつける。


「手ぬぐい、きつくありませんか?」


 顔を上げると、目が合った。先ほどのことが思い起こされて、十和の頬にじわりと血がのぼる。


「……きつくない」


 腰を抱き寄せられると、頭にまで血がのぼった。反射的に立ちあがる。


「替えの敷布、持ってきます!」


 血で汚れた敷布をはぎとって、十和は縁側に出た。納戸の前でへたりこむ。


(し……しらふでは無理ぃ!)


 酔いがさめた今では、さっきの月白との触れ合いを思い出すだけで心の臓が破裂しそうで。

 十和は火照った顔を抱えた敷布に押し付けた。

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