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聖地

「ここ、埋められちゃったんだね」

 あかりちゃんは、かつて洞穴の入り口だった砂の壁に手を当てて言った。

「そうだね」

「思い出の場所がなくなっちゃった」

 あんな事件があった場所だから、埋められてもしかたがないかもしれない。


 消えた洞穴の形は、いまでも鮮明に思い出すことができる。

 あの事件のことも、きのうのことのように思い起こせる。

 忘れるには、強烈すぎる出来事だった。 


「あの日以来、初めてここに来たよ。父さんと母さんから、洞穴に行ってはいけないって言われてたから」

「あたしも禁じられたけど、4年生になってから、何度か来たわ。そのときは立入禁止になってた」

「そうなんだ」

「そうなの。最初は立入禁止の看板があっただけだったけど、そのうちに柵ができた。いまはもう埋められちゃったか」

「しょうがないよ。また子どもが入って、あんなことが起こったら困るから」

「あんなことか……」

 あかりちゃんは視線を足元に落とした。


「あれは、あたしにとって大事件だったし、大切な思い出でもあるんだよ。あれについて何度も思い返し、考えた……」

 彼女は砂の壁をじゃりじゃりといじった。ぱらぱらと砂粒が落ちた。

「お腹を殴られて、手を縛られた。大雨だったし、極限状態ってやつになったよね。あたしはものすごく混乱していたと思う。あの人を殺したくなったし、殺してもいいと思った。ふゆっちが殺そうとしてくれたから、嬉しかった。殺すのをやめたときは、がっかりした」


 あのときもし、足を踏み下ろしていたら、どうなったんだろう。

 俺はあの人を死なせてしまっただろうか。

 殺すのに失敗して、逆に殺されただろうか。


「別に殺してもよかったと思うんだ。正当防衛だよ……」

 そう話すあかりちゃんが、震えているのに気づいた。

「でもやっぱり人を殺すのはよくない。人に殺させるのはもっとよくない。ふゆっちに殺させようとしたあたしはバカだった……」

「あかりちゃんはバカじゃないよ。悪いのはどう考えても、俺たちを縛ったあの人だ」

「そうだね、あの人は悪いよ。でもあたしも悪かった」


 あかりちゃんは手で砂の壁をいじりつづけた。

 じゃりじゃりじゃり、ぱらぱらぱら。

 穴を掘っているようにも見えた。手でいくら掘っても、洞穴を元に戻すことはできない。


「ふゆっちは正しかった。殺さなかったし、あたしたちを助けた」

「正しいとかじゃない。あのときどう行動するのが正解だったのか、いまでもわからないよ。俺が蹴らなかったのは、勇気がなかったからだよ」

「ちがう」

 あかりちゃんは首を横に振った。

「ふゆっちは勇気を持って殺すのをやめたの。正しい判断をして、正しく行動して、あたしと浅香を救った」

「たまたまそうなっただけだよ。運がよかった。あの人が自殺志願者で、根っからの犯罪者ではなかったから、助かったんだと思う。結び方も雑だった」

「ちがうちがう、たまたまなんかじゃない。ふゆっちは口から血を流していたよ。ものすごくがんばって、あたしを助けてくれたんだ」


 俺はそうは思っていない。

 足を踏み下ろせなかったから、しかたなく歯でほどこうとして、結果的にそれがうまくいっただけ。

 失敗していたら、俺たちは殺されていたかもしれない。あの人は確かに道連れと言った。なにが起こってもおかしくない状況だった。

 雨が降っていて、夜で、外は崖に面した山道で、洞穴から脱出した空とあかりちゃんが遭難する危険性だってあった。

 なにもしないで救出を待つのが、最善策だったのかもしれない。

 なにが正解だったのか、いまでもわからない。

 たまたまうまくいっただけなのだ。

 運がよかった。俺は心からそう思っている。


「あたしはバカで、ふゆっちはかしこい」

「俺はかしこくなんかないし、あかりちゃんはバカじゃない」

「あたしは人殺しになるところだったし、殺されるかもしれなかった。殺さなくて済んだのはふゆっちのおかげだし、殺されなかったのもきみのおかげなんだよ」

「さっきも言ったけれど、たまたまうまくいっただけだよ。運がよかったんだ」

「たまたまじゃなくて、運でもない。ふゆっちだったからこそ、うまくやれて、あたしたちは助かったの」

 いくら運だと強調しても、彼女は首を振りつづけた。

「怖くて嫌な出来事だった。でもふゆっちがいたから、逆にすごく大切な思い出になった。あれは、なんというか、素敵なハッピーエンドの物語だったよ。あとから振り返ってみれば」

  

 ハッピーエンドと呼ぶには、暗すぎる出来事ではないだろうか。

 あの男の人は、生きているかどうかもわからないんだし。

 事件への認識が、俺とあかりちゃんでは大きく隔たっているようだ。

 でも俺はもう反論せず、黙っていた。


「ここはあたしの聖地なんだ。もう洞穴はなくなっちゃったけど、この場所は聖地」

 あかりちゃんは砂の壁をいじるのをやめて、俺の方を向いた。

 彼女の瞳は輝き、俺の目をまっすぐに見つめていた。

「そして、ふゆっちはヒーローなんだよ。あの日からずっと、あたしのヒーロー」

 やっぱり認識がずれている。

 俺がヒーローだなんてあり得ない。

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