第八話 宇土、俵に会う
そうして、宇土たちは北野天満宮を満喫すると、饂飩屋へと戻ると、前掛けを外した小袖姿の喜三郎が、店の前で待っていた。
「お待たせいたしました。それでは行きましょうか」
二人は黙って、喜三郎の後をついて行くことにする。
喜三郎は北野天満宮を南に下ると、西入ってしばらく歩くと、お寺の中に入って行った。
その姿を見て、竜露は宇土に耳打ちをする。
「饂飩さん、これって……」
「ああ、お寺を通るのが、近道なのだろう」
「いや、そうではなくて……」
どこまでも察しの悪い宇土に飽きれながら、竜露が説明をしようとした時、喜三郎はある墓の前で立ち止まった。
「宇土さん、こちらが祖父のお墓になります」
「え!?」
「……やっぱり」
竜露はそんな気がしていた。宇土の話では出会った時にすでにご隠居と言われる年なのだから、三十年もたてば亡くなっているのが普通だろう。
喜三郎はそんな竜露の考えを肯定するように話し始めた。
「祖父は江戸から帰ってくると、色々な土産話をしてくれました。その中にあなたの話もありました。『あいつは、何年かかっても、一人前の職人になって京にやってくる。その時までは饂飩を打ち続けるんだ』と言い出しまして、物見遊山に行く前よりも、元気になっていました。そうは言ってもその頃の俵屋は、すでに私の父に代替わりをしていました。ですので、祖父は屋台で自分の店を始めたのです。そして、ちょうど七年前のある日、いつものように屋台を引いて出かけた祖父が倒れてしまいました。一命は取りとめたものの、寝たきりになり、ひと月と持たずに亡くなってしまいました。よほど、宇土さんとの約束を果たせなかったのが、無念だったのでしょう。私どもに手紙を託しました。それが、こちらになります」
そう言って、大事に懐にしまってあった手紙を宇土に渡したのだった。
宇土は震える手で、手紙を開くとそこには、宇土に対して約束を果たせなくてすまないと、謝罪の言葉がつづられていた。
「そ、そんな……ぼくがもっと早く一人前になっていれば。ごめんなさい、俵さん」
宇土はここでも、自分の愚鈍さを後悔した。自分が普通の人のようにできていれば、約束を守れただろう。
時間をかけてでもコツコツとやるしかないと、宇土はこれまで職人としての腕を磨いていた。人一倍時間はかかる。だから、他の人間が酒を飲み、愚痴をこぼしている時も、宇土は修業をしていた。宇土にできることは時間がかかっても手を止めないということだけだった。俵さんが誉めてくれたたった一つの宇土の才能。
しかし、時間は有限だった。人はいつか死ぬ。
当り前のことなのだが、宇土はそのことを、初めて知ったかのような衝撃を受けた。
「宇土さん、祖父は幸せ者だったと思います。店を父に譲った後、魂が抜けたように元気がなくなったようです。そんな祖父を心配した父が、物見遊山を提案したそうです。戻って来た祖父は、あなたとの約束を果たそうと、元気を取り戻したそうです。私にも、まっすぐに、正直に、コツコツと生きろと、生前よく言っていました」
「そんな……」
宇土は俵に助けられてばかりいたつもりだった。だから、自分の存在が俵の生きる意味になっているとは考えていなかった。
そんな宇土の隣で竜露はあることに気が付いた。
「饂飩さん、手紙の続きがありませんか?」
言われた宇土は、慌てて2枚目の手紙を読んだ。
『儂はもうすぐ死ぬだろうが、儂の饂飩が死ぬわけじゃない。子へ孫へ、きちんと受け継いだつもりだ。だから、お前さんとの約束は、儂の子か孫がちゃんと引き継いでくれると信じている。宇土よ。この手紙を読んでいるなら、一人前の職人になったのだろう。よく頑張った。そして、それを子か、弟子に受け継いでやれ。それが、これからのお前さんの使命だ』
それは棟梁にも言われたことだった。しかし、宇土には弟子への指導方法が分からなかった。今まで、多数の弟子入りがあったのだが、結局は竜露一人しか残らなかった。こればかりは、自分の腕を磨くようにコツコツとやっても、どうしようもないことではないかと宇土は感じていた。
そんな宇土の心を見透かしたように、俵の手紙は続いていた。
『そうは言え、お前さんの事だ、弟子の指導に、頭を悩ませているだろう。だから、二つほど覚えておいてくれ。お前は立派な饂飩になったかもしれないが、汁が無ければ、本当の饂飩とは言えない。お前さんに合った汁を探せ。その汁が、お前さんを助けてくれるだろう。もう一つ、色々な弟子がお前さんの所にやってくるだろう。お前さんは一本饂飩だが、お前さんの弟子は伊勢饂飩かもしれねえ。もしかしたら、さぬきや稲庭かもしれねえ。太さも食べ方も違うが、全部同じ饂飩だ。どうせ、お前さんのことだ、教えるのも下手糞だろう。だから、絶対に受け継がなきゃいけねえ魂だけを教えてやれ。あとは弟子たちが勝手に継いでくれるだろうよ。それじゃあ、先にあの世で仏様相手に饂飩を打ってるからな。達者でやれよ』
命を助け、道を示してくれた恩人は、死してなお、未来の事まで心配をしてくれた。
そんな自分が、ただ、後悔で瞳を曇らせるのは間違っている。
そう感じた宇土は、あふれる涙を袖で拭くと、俵の墓に手を合わせた。
それを見た竜露も、見も知らぬ俵の墓に静かに手を合わせる。
初夏の爽やかな風が宇土を包み込むと、静かに立ち上がると、喜三郎へ向いた。
「喜三郎さん、ぼくに店の看板を彫らせてください。俵さんの魂がずっと受け継がれるような立派な看板にして見せます」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
そう言って、喜三郎は深々と頭を下げた。
「竜露、お前は、僕の汁になってくれ。二人で、日本一の職人になろう」
「何をいまさら、私は、どこまでも饂飩さんについて行きますよ」
明るいくらいに降り注ぐ太陽の光が、三人の未来を照らしているようでした。




