大罪の神狼と盲愛の領主
朝日が昇るのは早く感じる。
目を開けると、カーテンの隙間から朝日の光が零れている。
身体を起こすと、グレーテルがしがみついているようで少し引っ張ってしまった。
起こさないようにゆっくりと手を外し、腕の中に横抱きにする。
小さなその身体を抱えながら部屋を出て近くまで来ていたハティにグレーテルを預けた。
「あらまぁ、リーガル様は早起きですね。もう少し眠っていてもいいくらいですよ?」
「そうもいかないだろう。まだ領主として仕事が残っているからね。グレーテルを頼むよ」
「承知しました。グレーテルを着替えさせたら、朝食にお呼びします」
「あぁ、頼んだ」
ハティにおんぶされて、グレーテルはカトレアの部屋へと向かっていく。
その姿を横目に、俺は自室に戻って着替える。領主の服はわりとかっちりとした服装なので、少し肩が強張る。
服に関しては特に指定をされているわけではないが、歴代の領主は皆この恰好だ。
騎士服というより燕尾服に近いところがある。
解きかかっていた後ろの髪を、改めて髪紐で縛って結い上げると全身鏡の前に立つ。
学生時代から全身をチェックするよう指導されていたことが、今も身を助けている。
髪を軽く梳いて結び直すと、大丈夫そうだ。
確認を終えると、部屋を出て執務室へと向かう。
部屋の扉を開けると、目の前にある自分の机の上にはそれなりの量の書類がある。
ここ最近は、ずっとこんな調子だがいつもより少ない方だ。
重要度に関しては、それぞれ執事長が別けてくれている。早急に取り掛かる分は予想よりなさそうだ。
次に行うべき書類を区分けしていると、扉からノックが聞こえた。
「リーガル様、お食事の用意が整いました」
「わかった。すぐ行く」
途中まで別けた分を置いて、部屋を出ると目の前に迎えに来てくれたグレーテルがいた。
子どもらしい黄緑のエプロンドレスがよく似合っている。
「おはよう、グレーテル。よく眠れた?」
「おはよう、ございます……うん……えっと……おにーちゃん……」
グレーテルのお兄ちゃん呼びに、心臓がギュンとなる。
俺を兄と自覚しているけど呼び慣れていない感じがしてたまらない。ぷるぷる震えていると、グレーテルが心配していた。
いけない、また自分の世界に行っていた。
「ふふ、ありがとう。少しずつ呼び方に慣れてくれると嬉しいな。さて、朝ごはんを食べに行こうか」
「……うん!ごはん!」
手を差し伸べると、きゅっと握ってくれた。
小さな手を大事に握り返しながら、食堂へと向かう。
昨日と同じように両隣に座って、卓上に食事が並べられる。
朝から沢山食べられるとは思えないので、グレーテル用に少な目に用意してくれている。
館の料理長は、俺が小さい頃から子ども用のご飯について熱心に研究してくれていたことを思い出す。
それが今ではグレーテルにとって最適なものを作ってくれているようだ。
お互いに食べ終わると、グレーテルが俺の膝に何故か座ってきた。
身体をもぞもぞ動かすと、俺の抱き着いてくる。なんだろうこの可愛い生物。あ、グレーテルだった。
いや、今はそれどころではない。このままだと仕事が出来なくなってしまう。
「グレーテル?どうしたの?」
「……もうちょっと、あまえたい……の」
「んんっ……可愛いの極み……!じゃなくて……ええっと、僕はこれからお仕事なんだ。今じゃないとダメかな?」
「んぅ……よる、いっしょにねるの……」
「それはもちろん。それなら、寝る前に絵本を読んであげようか。グレーテルは絵本を読んだことがあるかな?」
「……えほん?しらない……」
予想外の反応が返ってきて戸惑ってしまった。
まさか絵本を知らないなんて思ってもいなかった。もしかすると、読み書きが出来ないのかもしれない。
これからのグレーテルへの教育で、読み書きも追加しておかなければ。
「おにーちゃん……?」
「あぁ、大丈夫だよ。僕が読むから、グレーテルは少しずつ文字のお勉強をしていこうね」
「うん、がんばる……!」
甘ん坊さんだったのが、頑張ろうとする状態に切り替わったのかあっさりと膝から降りてハティのところへ歩いていく。
ハティに何かを告げると、一緒に礼をして行ってしまった。
今日のグレーテルは何をするつもりなのだろう、と執事長に目配せすると館の地図を見せていた。
なるほど、この館はとても広くて探検しがいがあると評判だ。
少しでも早く慣れるために、ハティと共に歩き回るのが今日のスケジュールのようだった。
「さて、執務に取り掛かろう。今日は緊急の案件が少ないようだが、視察のスケジュールは入っているか?」
「いいえ、本日の視察予定はございません。緊急の案件が少ないのは、今日が祝日だからでしょう」
「そうか……フィリア特有の祝日だよな。しばらく仕事詰めだったから忘れていた……」
「リーガル様は真面目すぎると思われます」
「そうは言ってもなぁ……!いや、やめよう。長くなりそうだ」
執事長と話ながら、執務室に戻る。
緊急の案件をいつも通りこなし、緊急度中の案件を振り分けた後に最後を手に取ろうとした時だった。
いきなりハティが執務室の扉を開けた。
「失礼致します!あの、グレーテルは?!グレーテルをみなかったでしょうか?!」
「え……?グレーテルはここに来ていないが……?」
「ど、どうしましょう……!少し目を離しただけなのに、グレーテルの姿がなくて……!」
酷く動揺しているハティを、執事長が宥めながら状況を聞くと、
館の探検の途中でハティはお手洗いに行くためにカトレアの部屋にグレーテルを待たせていたという。
ただ、カトレアの部屋に戻るとそこにはグレーテルの姿がなく、近くにいた使用人に聞いても誰も見ていない状況だそうだ。
あのグレーテルが勝手に一人で外に出たとは考えにくい。おそらくまだ館にいるはずだ。
「まだグレーテルは館にいるはずだ!門番兵に外出を止めるよう伝えろ!」
「承知しました!リーガル様はどちらに?!」
「ハティ!俺と共に一緒に回った場所を案内してくれ!」
「は、はい!承知しました!」
執事長は急いで門番兵に伝令を伝えに駆け出す。同時に俺とハティも、一番遠い玄関ホールから順に見ていく。
ふと、一階の南の方から何か燃える匂いがある。それに、知らない男の声も微かに聞こえている。
「あぁ、グレーテル、グレーテル……!あの子はどこに……!」
「ハティ、厨房だ!知らない男の声がそこから聞こえる!」
「えぇ?!まさか、侵入者……?!」
ハティの動揺する声を聞きながら、急いで厨房へと走るとそこには必死に抵抗するグレーテルと、連れ去ろうとする怪しい男がそこにいた。
おそらく搬入をするための商人に扮したつもりだろう。
「くそぉ、このガキのせいで……!来るなよ……!」
「グレーテルを放せ」
「はぁ?!このガキの兄貴か?!へっ、そんな簡単に……ひぃっ!」
腰に携えている短剣を素早く取り出し、男の耳を掠めて壁に刺さる。
男がその短剣を引き抜くと、グレーテルに刺そうとしている。
怒りは有頂天にあるのに、随分と冷静だ。素早い動きで、その短剣が刺さる前に男を殴り倒す。
短剣が腕を掠めたが、かすり傷だ。一緒に倒れたグレーテルを抱き上げると、ボロボロ泣いている。
「この男を拘束しろ!即刻、犯行理由を聴取する準備に入れ!」
「はっ!こいつ、領主様の大事なの子に手を出すなんて……!」
男は動揺しているものの大人しく連行されたようだった。
一番怖い思いをしたであろうグレーテルは、ぎゅっとしがみついて泣き続けている。
優しく頭を撫でて、泣き止むのを待った。
しばらくすると落ち着いたのか、嗚咽混じりに顔を上げてくれた。
「おにーちゃ……おにーちゃん……」
「もう大丈夫だよ。悪い人は捕まえたからね。ごめんね、怖かったよね」
「んぇ、ぅ……あれ?おにーちゃ……きんのおめめ、じゃ……ない……?」
「え?金の目……?」
グレーテルから言われたことが分からず、誰かに聞こうと思ったが誰もいない。
金色の瞳は、神力持ちに現れる特性だ。俺に神力があるとは聞いたことがないし、使った覚えもない。
どうしたらいいかわからず、とりあえずグレーテルにはわからないと伝えておいた。
しばらくすると、ハティが救急箱を持って現れた。どうやら俺は腕からそれなりに出血していたらしい。
手当を受けながら、グレーテルに事情を聞いてみた。
もうすぐお昼だと気づいたので、厨房にお昼ご飯の準備が出来ているか確認しに向かったところ偶然放火しようとしていた男を発見したそうだ。
グレーテルに見つかったから、この場で始末するわけには行かないために誘拐しようとしたのだろう。
ハティからの手当てが終わった直後、執事長は聴取の準備が整ったことを伝えに来てくれた。
玄関ホールに到着すると、片手でグレーテルの肩を抱き寄せながら男を睨みつける。
「フィリア領主、リーガルの名において裁判を行う。被告人、釈明を聞こう」
「う、うう……今更釈明、なんて……!」
「ならば即刻死刑でも問題ないと見るが?」
「し、死ぬのは嫌だ……!ここの領主は大罪の神狼を匿う反逆者だと聞いたんだ……!だから、燃やしてやろうと……!」
「大罪の神狼……?」
その男の話が本当なら、グレーテルはもしかすると。
そう思い、続きを聞こうとした時グレーテルに異変が起きた。
「……はん、ぎゃく……しゃ……ぐ、がっ……ガァアアアアアア!!!」
「グレーテル?!」
狼の遠吠え。唸り声と共に、狼の耳と尻尾が現れ、グレーテルは四つん這いになる。
瞳は金色になり、ギラギラと男を噛みつこうとしている。
グレーテルの変貌に、男は酷く怯えている。その一方、館の面々は冷静だった。
「なるほど、グレーテル様はフェンリル一族の末裔であり、生まれ変わりのようですね」
「えっ、凶暴化しているのに可愛い」
「すみません、リーガル様の頭の方が終わっていましたね」
執事長からとても失礼なことを言われて、少し頭が冷えた。
無表情に取り繕いながら、グレーテルを羽交い絞めして抱きしめる。
唸るグレーテルを優しく撫でながら、小さな声で神語の子守歌を唄う。
それが良かったのか、唸り声はだんだんと小さくなり、耳はぺたんと降りて可愛く鳴いている。
「狼で天使とか最高じゃないか」
「グレーテル様を溺愛しすぎて怖いくらいですけどね」
「溺愛どころか最愛なので」
「そうですか」
そんな会話をしていると、グレーテルは大人しくなり眠ってしまった。
グレーテルをそのまま抱っこして、罪を犯した男に対して辺境の地へ強制労働の刑を下した。
処刑されないだけ軽い方だが、あちらは劣悪な環境なので死んだ方がマシだと言われる。男は観念した様子で、そのまま館から連行されていった。
男を見届けた後、自室のベッドに行くといつの間にか耳と尻尾は消えていた。
グレーテルが目を開けると、申し訳なさそうにしている。フェンリル一族の生き残りだと言っていなかったことだろう。
「おにーちゃん……ごめん、なさい……わたし、フェンリルの……うまれかわりなの……」
「うん、そうみたいだね。言いにくかったんだよね?」
「え、う、うん……その、わたしのこと、おいだす……?」
「え?逆に館から出したくないのが本音だね」
「……きけんな、こ、だから……?」
「可愛すぎるから誘拐されると僕が困る」
グレーテルが、よくわからないという顔をしている。疑問だらけな表情も可愛い。
戸惑ってどうしたらいいかわからず、何故かがおーと言いながら両手を上げている。小動物の威嚇に見えたので、そのまま抱きしめておいた。
「んう……に、ちゃ……?」
「グレーテルは僕の可愛い天使だからね。誰にも手出しはさせない」
「リーガル様の独占欲が重すぎます」
「グレーテルが最愛だからそうなるだろ?」
「普通という言葉が一切合いませんね」
俺たちがそんなことをしながらも、横で手際よく執事長がお茶の用意をしてくれている。
セッティングが終わったようで、一礼すると部屋を出て行った。
昔から執事長は俺や父親に対して、容赦ないツッコミを言う人だ。それで塩梅になっているのだから、別になんとも思わない。
抱き締める力を緩めてグレーテルを解放すると、ほんのり顔が赤かった。
「……おにーちゃん……へんなひとだけど、すき……」
ほんの少し拗ねながらも、素直に好意を伝えられて俺は変な声を上げながら悶絶した。
しばらくの間、ベッドから顔を上げられなかったが切り替えが上手いところだけは母親に感謝しなければ。
悶絶した後、なんとかお互い落ち着くための昼前のお茶会を楽しむことができた。