傷ついた少女と優しいお兄ちゃん
執務を行っていると、時間が経つのがとても早い。
一通りの重要事項に目を通し終えると、補佐をしている執事長から夕食の時間だと教えられた。
それならば、母親と一緒にグレーテルとも食事をしたい、と伝える。
「シェファ様はもう既にご不在のようでして……グレーテルでしたら、ハティと共に来ると聞いております」
「あの人は本当に突然消えるんだな……まぁいい。グレーテルと一緒に食事をしよう」
母親の放浪癖には、本当に頭が痛い。それでも、母としてやるべきことはこなしてくれているからまだいい方なのだろう。そういうことにしておきたい。
完了したものを執事長に手渡し、食堂へと向かうとちょうどハティと共にグレーテルと遭遇した。
長い銀髪は、緑色のリボンでポニーテールにしていて可愛くなっている。
さすがはハティ。俺の好みをよくわかっている。
食堂に入り、ちょこちょこと俺の後ろをくっついてきたグレーテルを両手で抱え、椅子に座らせる。
グレーテルよりも低めになるように屈んで、視線を合わせた。
「グレーテル、ご飯は食べられるかな?」
「……た、ぶん……」
「そうか。なら良かった。ハティ、給仕を頼む」
「かしこまりました。リーガル様も着席下さいませ」
返事をした後、グレーテルをちゃんと座らせてから隣の自分の席に座る。
本来なら、領主であるため上座に座らないといけないのだが、グレーテルが不慣れだろうということで隣に用意してもらった。
料理を並べられて、さて食事を取ろうとした時。グレーテルが慌てている。
「どうした、グレーテル?」
「あの……これ……全部……?」
「そうだよ、そこに並べられている料理は全部グレーテルが食べていいんだよ」
優しく伝えると、グレーテルはスプーンを手に取り手前のスープを掬って啜る。
その瞬間にボロボロと大粒の涙を零し始めた。
何か食事に嫌いなものがあったのかと慌てて傍に駆け寄る。
「大丈夫か、グレーテル。何か嫌なものでも入っていたか?」
「ひ、んぅ……ちが、ひくっ……ちが、うの……んええ……!」
食事を一旦止めて、そのままグレーテルを抱きしめる。
胸の中でえぐえぐと泣く姿は、どこか罪を償う罪人のような感覚がした。
罪人、そうか。グレーテルは、自分だけが生き残り、こうして豪華な食事を口にしていることに酷い罪悪感があるのだろう。
「……グレーテル。グレーテルは、死んでいったみんなのためにも、生きないといけないんだよ。だから、食べていいんだ。食べて、遊んで、勉強して、そうやって大きくなるんだ。お前には何の罪もないんだよ」
やはりそれが的中したのか。さらに大きな泣き声をあげて泣いていた。
少し行儀悪いが、グレーテルを抱えた状態で椅子に座る。
ぽんぽん、と背中を優しく撫でて泣き止むまでそのままでいた。
それから少し時間が経つと落ち着いたのか、ゆっくりとグレーテルが顔をあげる。
可愛い瞳は赤く腫らしてしまっている。後で冷たいタオルを当ててもらうようにしよう。
「……ご飯は食べられそうか?グレーテル」
「……ん、たべる……」
「うん、いい子だ。スープは温め直して貰おうか。サラダやパンを先に食べようね」
小さく頷く姿を見て、一旦俺は椅子から立ち上がり、抱っこしていたグレーテルを椅子に座らせる。
その横の椅子に座って、一緒に食事を始めた。
食事自体は問題なく終わらせられたので、食事量はこれからもこの通りでいいと思う。
それをハティに告げると、就寝準備をするよう言い渡された。
「子どもじゃないんだから、それくらいわかるよ……」
「言っておかないと、いつまでもお仕事してしまうでしょう?それに、リーガル様はいつまでもお子様ですよ」
「はは、ハティには敵わないな。グレーテルはひとりで寝られるのかな?」
ハティの横にいたグレーテルに声をかけると、俺にくっついてきた。
それから大きく首を横に振る。
「……ひとりは、や……いっしょが、いい……」
「そうだよな。じゃあ、一緒に寝ようか。先に寝間着に着替えておいで」
「……うん。ハティばぁば、ねまきって、なぁに……?」
「うふふ、夜に着るお洋服のことですよ。さぁ、可愛いものを用意していますからね。グレーテル」
二人を見送ると、俺は一人悶えていた。
あれだけ警戒していた可愛い少女が、俺に可愛く甘えてくるのがたまらない。
内心で俺に幼女趣味はない、幼女趣味はないと繰り返しながら自室へと戻った。
俺自身も寝るための軽装である白いシャツと短いズボンに着替えると、部屋の扉からノックが聞こえる。どうぞ、と返事をするとグレーテルとハティが来ていた。
グレーテルは、もこもこした可愛いうさ耳付きのフードを被ったワンピースに着替えている。可愛さが加速していて、俺の理性が心配になった。
「リーガル様はグレーテルの可愛さに言葉を失っているようですよ」
「……おにーちゃ、むね、いたい……?」
「痛くはないよ、大丈夫……グレーテルが可愛くてとってもドキドキしているんだよ」
「んぅ……?わたし?」
「そうだよ。グレーテルはとても可愛いんだ。さて、そろそろ寝ないとね。ありがとう、ハティ」
ハティに礼を告げると、そのまま退室していった。
翌朝になったら、グレーテルを引き取りに来てくれるのだろう。
可愛いと言われて嬉しいのか、グレーテルが小さくぴょんぴょんしている。子ウサギかな。
抱っこして、そのままベッドに寝かせるとベッドの大きさに驚いているようだった。
大人が二人寝ても平気な大きさだからな、このベッド。
ブランケットをかけると、眠たくなってきたのかウトウトしている。グレーテルの額にキスを落とすと静かに眠りへと落ちて行った。
時間はもうすぐ真夜中だろうか。隣から小さくうめき声が聞こえる。
ふと、瞳を開けるとグレーテルが苦しんでいた。おそらく悪夢を見ているのだろう。
グレーテルを抱き寄せて、優しく背を撫でながら「大丈夫だよ」と声をかける。
聞こえる声に両親を呼ぶ言葉が混じっている。それもそうだ、こんな幼い子ならば親を求めてしまうだろう。
少しでも悪夢が緩和するように、俺は昔聞いた母の子守唄を口にする。
言葉自体はなんと言っているのかはわからない。けれど、音程はきちんと覚えている。
覚えている言葉の形とメロディを紡ぐと、うめき声は止まり、少しずつ穏やかな寝息へと変わる。
「……しばらくは、一緒に寝た方がいいかもね……」
小さくそう呟いた後、改めてグレーテルの額にキスを落とす。
傷ついた少女の心が癒えるその日まで、良き兄として家族として頑張っていこう。
そう決意しながら、俺自身も深い眠りへと落ちて行った。