新領主と厄災孤児の少女
久しぶりの故郷は、どこか静かだった。
雄大な草原地帯なせいで、この国の民は全体的に遊牧民が多い。
一部の者が定住地を決めて、家がある。その程度だった。
そんな自然だらけの中で、ひときわ大きな屋敷がある。
ここが俺の実家であり、領主の館だ。
門をくぐり、ドアノッカーを叩こうとした瞬間に扉が開いた。
「お、おかえりなさいませ、坊ちゃま……!」
「坊ちゃまはよせ……僕はもう二十歳だぞ……?久しぶりだな、ウィルヘルム」
「あぁ、その言い方……間違いなくリーガル様ご本人……!」
「本人認定されるところがそれか?はは、そういうところは変わっていないな」
俺のことを坊ちゃまと言ったのは、白髪のオールバックで後ろ一纏めにしている執事長のウィルヘルム。
現領主である父親からのお下がりである燕尾服を着こなす人物だ。
それなりに歳をとっているはずなんだけど、年齢を聞いてもはぐらかされるばかりで年齢不詳。
あまりにも容姿に変動がないものだから、エルフ族の生き残りではないか、と聞いたが「いいえ」と即答された。
謎の多い執事長だが、背筋は正しく気品がある。貴族のマナーや知識全般は、この執事長から教わった。
そして、さらに多忙の中で領主の秘書もこなすハイスペックぶりである。
本当になんなんだろうな、この人。
「おや、リーガル様?何かご不満がございますか?」
「……いや、いつも通り謎の多い奴だな、と思ってな」
「ふふふ、謎が多い方が人を引き寄せるものですよ。さて、荷物をお預かりしますのでどうかお父上に会われて下さいませ」
「あぁ、頼む。父様は寝室か?」
「左様でございます。つい先ほど、帰還のご連絡を届けておりますので、すぐに通して頂けるかと」
礼を告げると、荷物を執事長に渡して父親のいる部屋へと向かう。
玄関から二階への階段を上がると、すぐに渡り廊下がある。この先の一番奥の部屋が、領主夫婦の寝室だ。
寝室の扉をノックすると、入室許可がおりた。
「失礼します。父様、お加減はいかがでしょうか」
「あぁ……リーガル、帰ってきてくれたんだな……!ごほっ、ゴホゴホッ……!」
「……確か、持病の喘息、でしたか……医師にはもうかかられましたか?」
「かかった……が……既に、肺がボロボロのようでな……手の施しようがないのだと、言われたよ……」
無理に上半身を起こしたせいだろう。何度も咳き込んでいる。
俺は父親の傍により、ゆっくりとベッドに寝かせてブランケットをかける。
父親から手を離そうとした時、やんわりと手を握られた。握力が、感じられない。もう、力がないのだ。
「あぁ……最期に、お前がいてくれて良かったよ……ありがとう、リーガル。そして、すまな……い……」
「え……父様?父様!!父様!!う、嘘、だろ……あ、アンタはそんな簡単に死ぬ奴じゃないだろ!死ぬなんて……うぅ……ぐ……」
握り返した父親の手は冷たくなっている。
こうして、俺の父親は俺に看取られてあの世へと旅立ったのだった。
肉親を亡くした悲しみに暮れている暇はない。俺は涙を拭い、すぐに執事長を呼ぶ。
葬儀の手配と、新しい領主の報告が必要だからだ。
父親は生前、自分が死んだら炎で燃やして灰にして欲しい。そしてその灰を、平原に飛ばして欲しいと言っていた。
平原に飛ばすのは迷惑すぎるので、灰にはするがそれは母が大事にしていた樹木の下に埋めようと思う。
形式だけではあるが、墓も領地内に建設予定だ。
まさか帰ってすぐに新しい領主として動くことになるとは思わなかった。
けれど、周りの大人たちは俺のことを「立派な跡取りであり、素晴らしい新領主様」と賛美していた。
嘘か本当かはわからない。けれど、自由奔放な母ではなく息子である俺が喪主を執り行い、それから領主としての仕事に取り掛かる姿は立派、なのだろう。
手探りな状態ではあるが、執事長の手助けもあり、なんとかこなしていた。
その直後に騎士団長が結婚した、という連絡を受けた。
相手はあの王族直属の護衛魔術師であるルカだそうだ。確かに長い間、片想いしていたらしいからな。
もちろん、俺も出席したとも。そして乗りこんで来たストーカー女神にも、しっかり矢を打っておいた。アレックスから止められたがな。
ただ、アレックスの説得もあり、その女神は「もう追い回さない」と宣言していた。
それでも妹の身は心配だ。その後も、保護を頼むとルーセント中立国の公王であるミハイル様にお願いしておいた。
そんなドタバタ結婚式に参加した後、俺はすぐに領地へと戻った。
いつも通り忙殺する中、執務室の扉がノックされる。執事長が扉を開けると、驚いた声をあげていた。
「久しぶりね、ウィルヘルム!元気してた?」
「シェ、シェファ様……!ようやくお戻りになられたのですか……?!」
「え、母様?今頃帰って来たのか?!」
エルフ族の生き残り、そして俺とカトレアの母であるシェファ。
長寿の種族であるため年齢不詳だが、いつ見ても若々しい。
別に二十歳と言われても違和感がないくらいだ。その母親には、放浪癖があり、絶対に捕まえることができない。
そのため、突然帰ってきたと思えば、またどこかに消えてしまうことがほとんどだった。
「ごめんねぇ……イーグルの最期に立ち会えなくて……」
「はぁ……別に、今更でしょう。それで?何しに戻られたんですか?」
「そう、それなのよ。ほら、騎士団長の子が邪神を討伐したのって聞いた?」
「あぁ、それは聞きました。単身で打倒したので、神殺しの騎士、と呼ばれているらしいですね」
「それでね、邪神が現れた村が壊滅されちゃって……その、唯一救出できたのがこの子だけなの。おいで」
母親から、おいで、と呼ばれた者がゆっくりと前に出る。
辛うじて服装から少女だとわかるが、ボロボロで酷く辛そうな顔をしている。
壊滅した村の生存者だったのか。それも、こんなに幼い子だけが生き残るなんて。辛いだろう。
俺は執務を止め、ゆっくりと少女に近寄る。
「そうか……村は壊滅したと聞いていたが……なぁ、抱き締めても、いいかな?」
少女は何も答えない。困った様子で、俯いて服を握りしめている。
きっと、悲しみを堪えている。あまりにも可哀想に思い、一言謝ってから優しく抱き締める。
細い。それに、血の匂いと土埃の匂いがする。
どれだけ酷い状況にあったかがわかる。
「母様、この子の名前は?」
「それがね、全然教えてくれないんだよ……でもこのままこの子を放置するわけにもいかないから……」
「それで連れてきたんですね。ん……そうだな……」
優しく抱き締めたまま、少し考える。
そして、ふとひとつの名前が思い浮かんだ。
「……グレーテル」
「ん?」
「グレーテルは、どうでしょう。森で迷子になってしまった少女の名です」
「いいね、フィリアの人間っぽいわ!じゃあ、今日からあなたはグレーテルよ。よろしくね」
母親は明るく笑いながら、少女の頭を撫でる。
悲しそうな少女ことグレーテルは、自分の名前を何度か口に出して、大きく頷いた。