身分を隠した隊長の帰省
目を開けると、そこは暗闇の中だった。
何も見えない。けれど、微かにわかるものが、血の匂い。
誰かが戦っている。低い、男の声だ。
「我がどう思われようとも、我が信念を通すまで」
「邪神なぞ、足がかりに過ぎぬ」
「我が求めるは……無償の愛、である」
その言葉が聞こえた途端に、響き渡る狼の遠吠え。
俺はその瞬間、意識が浮上した。
「はっ……!い、今の、は……?」
身体を起こすと、そこは紛れもなく俺に宛がわれた自室。
そのベッドの上で、酷い寝汗をかいていた。
あの時聞こえた声は、もしかすると存在を抹消された神狼、だろうか。
話すこと自体をタブーとされた神狼「フェンリル」
初代国王たちによる戦の最中に、神狼は神の眷属でありながらも邪神側に付き消されてしまった。
眷属でありながらも、正しい道を進まなかった愚かな狼。
それゆえに、その子々孫々たちを皆殺しにしようとする動きはあったそうだ。
しかし、その中で異を唱えたものがいた。ブライト王国の初代国王であるイクノス様だ。
間違いを犯したのは、その狼であり、子孫たちに罪はない。皆殺しにするのは、人道に反すること。
その言葉を聞いた国々の重鎮たちは、妥協案としてその血族の者たちを認識しない、という方法を取った。
つまり、フェンリル一族は存在を秘匿されたのだ。
今もなお、どこかにひっそりと暮らしているらしいが、どこにいるかまでは不明である。
「……どうして、急にこのことを……?」
不思議に思っていると、外から鐘が鳴り響く。起床時間だ。
身支度を整え、全身鏡の前に立つ。
鎧を身に着けているが、顔立ちはまぁいい方だろう。今や騎士団長となった後輩のアレックスからは、軽そうな男と言われてしまうくらいだ。
暗い緑の短髪に、明るい緑の瞳。緑色を持つ存在は、フィリア小国に多い特徴だ。
神に近い色合いとされており、現在の四代目国王陛下であるガウリイル様も緑の瞳をしている。
神力を使用する時は金色の瞳に変わるが、二番目に高貴な色だ。
しかし、現在はフィリア小国なんて場所はない。今俺がいるブライト王国に吸収されてしまったからだ。
騎士団長のアレックスの母国であるフレイヤ小国も同じ。
さらに、国王陛下の側近であるクリスも同じでアクアマリン小国も存在しなくなった。
今挙げた人たちは全員何かしたらその国の王族だ。
アレックスは、フレイヤ小国の第二王子。クリスは、アクアマリン小国の第三王子。
そしてさっきから話している俺こと、リーガル・ウィリアム・フィリアはフィリア小国の第一王子なんだよな。
そして現在は、ブライト騎士団の四番隊隊長として活躍している。
いや、王子がそんなところで何しているんだ、って話になるだろう。わかっている。俺も第三者ならそう言っている。
俺個人としては、王子の役目なんてぶっちゃけ面倒極まりない。
アレックスも言っていたが「王子の役職で腹は膨れない。それなら実際に功績を立てた方がより建設的だ」と。
全くの同意だ。武人の国とされるフレイヤ出身だけど、そういう冷静な観点を持てるのはいいことだ。
まぁ、俺の場合は単に逃げただけなんだけどな。さすがにこれはアレックスには言っていない。
さてそんなこんなで、準備が終わったので食堂へと向かう。
隊員に挨拶を交わして、出されたメニューで腹を膨らませると俺宛てに手紙が渡された。
「え、手紙?僕宛てのラブレターか何か?」
「違いますよ。妹さんからです」
「そう怒るなって。あぁ、カトレアからか……どうしたんだろ……ありがとな」
緊急の印が押してあるのが気になる。手早く開封し、中身を見て俺は血の気が引いた。
あののんびり屋で死んでも死ななそうな父親が、危篤の状態にあるらしい。
さらには、カトレアが次期領主となる予定だったが女神の一人に追い回されており、戻ることが出来ないことが書かれていた。
女神のことでひとり思い当たる人物がいる。
「あんのストーカー女神……!まだカトレアのことを追いかけ続けているのか……!」
小声で怒りを込めた言葉を呟く。
主神であるガイア様の相棒であり、地上に降りることができる代理の女神。
愛と美の女神、アウローラ様のことだ。
どういうわけか、その女神はフィリア小国にいたカトレアに一目惚れをしてしまい、それ以来ずっと追いかけている。
なのでストーカー女神と呼んでいる。
奴への怒りはさておき。今は父親が危篤というのは、大変マズい状態だ。
おそらく領地経営が回らなくなっている。誰かが新しい領主として動かなければ、フィリア小国は本当に消えてしまう。
故郷が消えてしまうのは避けたい。しかし、次期領主となる妹は帰ることが出来ない。
「……僕が行かないと回らないってことだよなぁ……はぁ、年貢の納め時なんだな、きっと……」
大きなため息を吐いた後、一旦自室へ戻り、簡単に書いたメモを副隊長に渡しておいた。
渡した後すぐに、国王陛下の執務室へと向かう。軽いノックの後、陛下の声が聞こえた。
「失礼します。国王陛下、折り入ってお願いがございます」
「ん?リーガルがここに来るのは珍しいね。何かあったの?」
「何も言わずに、私を隊長の任から下ろしてください。そして、フィリアの新しい領主としてお認め頂きたいのです」
一気に言ったのがマズかったのか、硬直した陛下は少し考える素振りを見せている。
国王陛下は大変賢い方だ。おそらく、新領主として認めて欲しい、という部分で察してくれる、と思う。
「……そうか、リーガルのお父様は持病持ちだったね……わかった。次の隊長指名は出来ているかな?」
「はい、副隊長を指名しました」
「よろしい。今日を持って、リーガルを四番隊隊長の任から解除とする。そして、フィリア領地の新領主として認めよう」
「早急な対応、ありがとうございます」
「……手続きなどは、こちらでやっておくよ。リーガル、今は早く領地に戻ってあげてね」
優しい微笑み方は、本当に前の国王陛下そっくりだ。
一礼をすると、俺は荷物をまとめてさっさと故郷へと戻っていった。