表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

竜神様へのカエリミチ

作者: 熱湯ピエロ

『竜神様へのカエリミチ』


ここには竜神様が祀られている。


 小さく、古ぼけたやしろを前に祖父はしゃがれた声で教えてくれた。

 社に向かって、深い皺だらけでゴツゴツした手を合わせ祖父は頭を下げる。噎せ返るような土の香り。滴る汗。響き渡る蝉の重奏。何もかもが騒がしい中、祖父だけは神秘的なまでに静謐であった。


ここで遊ぶのは構わない。だが、竜神様を起こしてはいけない。

竜神様に起きると、『帰らされて』しまうから。


 私は『帰らされる』のが何故いけないことなのかわからず、祖父に聞いた。だが、祖父は目を伏せて、小さく首を振るばかり。


わからない。ただ、それはとても恐ろしいことだと昔から伝えられている。


 顔を上げた祖父の真剣な眼差しに何か恐ろしいものを感じ、私は、帰ろう。と祖父の手を引いた。汗ばむ私の手に対して、祖父の手はとても乾いてザラザラしていた。


 帰り道、とても不思議な光景を見た。

 通りがかった池のほとりに一匹の大カマキリがいた。体をゆらゆら揺らし、まるで水面に映る自分の顔を覗いているようだった。

 昆虫が好きだった当時の私は捕まえようと慎重に近づいたが、そのカマキリを捕まえることは出来なかった。

 なぜなら、私が手を触れる前に、カマキリは池へと自ら飛び込んでしまったからだ。


 まるで、自殺であった。



 祖父の話を思い出したのは、故郷ふるさとの開発計画のプロジェクトを進めていた時であった。

 大人になった私は地方公務員の試験に合格し、地元の市役所に就職した。以来、10年間波風立てずに務めてきている。

 そんな折に、市内に高速道路を通す計画が上がり、故郷の部分の調査と開発は(地理に詳しそうという単純な理由で)私が抜擢ばってきされたのだ。

 夜ごと地図を眺めながら、連日故郷へと赴き、地元民から地道に協力を得て、ようやく、ここに通すなら特に問題は起きない、と合意したルートを再確認していたときに、ふと、


『ここには竜神様が祭られている』


 遠い昔の、夏の記憶が、鮮明に蘇った。

 道路を地図のルートに通すなら、『あの社』を壊す必要があるかもしれない。

 だからなんだ馬鹿馬鹿しい。と我ながら思った。ただ。記憶の祖父の顔を、ザラついた手の感触を思い出し、背筋に怖気おぞけが走る。


……事前に確認しておいた方がいいかもしれないな。


 私は二人の若い職員を連れて、『竜神様の社』の調査に向かうことにした。



 地元民へと聞き取り調査はかんばしくないもの……いや、開発を進めようとしている市役所職員としては、嬉しいものであった。


 竜神様のことを誰も知らなかったのだ。


やしろ? そう言えばそんなものもあったわねぇ……管理してる人もいないし、壊しちゃっていいんじゃない?』

 これが三人で炎天下の中駆けずり回って得た、社に関する唯一の情報であった。

 私の祖父はもう10年も前に亡くなっている。竜神様とは、ただ私を脅かすために作った祖父の与太話よたばなしであったのか。その真偽を確かめる術は既に無い。


 額に浮かぶ汗を腕で拭いながら若い職員二人は、どうするのか、と半ば呆れたような視線を向けて私に聞く。

 私はさんざ迷った挙句、最後に社を確認しよう、と二人に提案した。

 何か言いたげであった(真夏に散々外を連れまわされた挙句、まだ何かするというのだから、不満を持つのは当然だ)二人だが、これで最後、という私の言葉を信じたからか、不承不承頷いてくれた。



 社はあった。

 昔のまま……というわけではなく、昔よりも明らかに荒れ果てていた。

 建屋は屋根も扉も壁も半壊し、取り壊す必要もなく、今にも崩れ落ちんばかりだ。


 あれ、井戸じゃないっすか。建屋を指し、若い職員の一人が言った。


 確かに、その指の先には井戸があった。

 壊れた壁の隙間から、屋内の中央辺りにぽつんと一つ。苔むした、古びた井戸。分厚い石板で蓋がされている。

 社の中にそんなものがあるとは知らなかった。息を飲む私をよそに、若い職員達はほとんど用を為していない扉を力づくで開け、社の中へと入っていく。


『起こしてはいけない』


 私は震える声で止めたが、調査しにきたんでしょう? と至極真っ当に反論され、二人を止めることが出来なかった。


 二人は井戸の蓋となっている分厚い石板に既に手をかけている。


『起こしてはいけない』


 私の記憶の中の祖父が警鐘けいしょうを鳴らす。


『起こしてはいけない』


 ガタン。と重い音がした。気付くと井戸の蓋が外れていた。

 暗くて底は見えないけど、多分何もなさそうですよ。若い職員の一人があっけらかんと言う。


『起こしてはいけない』


 ゾワ。

 ゾワゾワゾワ。


 逃げろ、と叫んだ。


 ゾワゾワゾワゾワゾワゾワゾワゾワ!


 一瞬。何かが、黒い糸こんにゃくのような何かが井戸の中から大量に、噴出するように飛び出した。

 それらは驚き竦む私達へと向かい、ゾゾゾゾ、と、腕を、足の間を、頬を、あらゆる場所を撫でて通り抜けていく。

 本当に一瞬だった。今は、蓋の外れた古びた井戸が静かにあるだけだった。


 何だったんだ、今のは。

 コウモリですかね?


 二人の若い職員はそんなことを言い合って首を傾げている。

 コウモリなどではない。二人より少し遠巻きに見ていた私にはわかる。もっとおぞましい別のものだ。

 だが、それ以上は何もわからない。


 ……帰りますか。

 二人の内の一人がなんともなしに言う。

 そうだな、帰ろうか……

 もう一人が頷く。

 うん、帰ろう。

 私が頷いた。


 帰ろう。帰らなくてはならない。


 私達は帰る。

 知らない道を歩き、帰る。

 知らない場所へと、帰る。

 これが我等の帰り道なのだ。

 私の中の何かが、そう言っている。


 帰るのだ。帰るのだ。カエルノダ。カエルノダ。


 竜神様ヘトカエルノダ。



 池へと飛び込むカマキリの自殺。

 いつだったか調べたことがある。それはカマキリに寄生した『ハリガネムシ』という寄生生物に操られてのことらしい。

 ハリガネムシの成虫は水中で一生を過ごす。なので、ハリガネムシの幼虫は元々水生昆虫のヤゴなどに寄生している。しかし、宿主の昆虫が羽化してカマキリに食べられると、陸上生物のカマキリに宿主が変わってしまう。このままではカマキリが死ぬと、陸上では生きられないハリガネムシも一緒に死ぬことになる。そこでハリガネムシは自身が過ごす水中へと再び戻るため、宿主のカマキリを操り水場へと飛び込ませるのだ。


 つまり、水場に飛び込むのは、カマキリにとって違っても、ハリガネムシにとっては『帰るべき場所』に戻っているということだ。



 帰ってきました。帰ってきました。

 #####わたし###わたしわたし??わたしたちは帰ってきました。

 孵り還ります。

 あなたのなかへ、あなたのなかへ、あなたのなかへと還ります。

 竜神様、竜神様、ワレラを###をお食べ下さい。

 ###はあなたへとカエリマス。


 わたしはアナタヘト


【竜神様へのカエリミチ 終わり】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] おおよその何が起こったかの説明をハリガネムシで行っている部分が気色悪い出来事としてより印象付けられている感じがしました。やや狂信的な年配の描写はこの作品に関わらず若い世代と乖離が見られ、ホ…
[良い点] ハリガネムシにとっての帰り道を、龍神に応用させて、普通に「神の祟り」ものとは違う視点の話になっていました。なるほど、龍神様は人間向けの寄生虫だったのか。 [気になる点] 龍神とハリガネム…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ