8 ココシュカの祭り
「よくお似合いですよお嬢様」
「ミレーヌ、本当にいいの?」
ココシュカの祭り当日。
エステラは普段の祖母パウラのお古のワンピース姿ではなく、薄水色のサマードレスをまとっていた。袖はフリルになっていてハイウエストのスカートは軽やかにふわりと広がる。髪もミレーヌにより綺麗に編み込まれすっきりとまとめられていた。うっすらと施された化粧のおかげかいつもより華やかな雰囲気になっている。
いつもの格好のまま行こうとしていたらミレーヌに捕まってあっというまに着飾られてしまったのだ。
けれどミレーヌはフェリクスと親しく付き合うことを黙認してくれているようだったが、やはりまだ不安があるようだった。だからエステラは少しだけ戸惑ってしまう。
ミレーヌは肩をすくめた。
「しかたありません。私はお嬢様にこれ以上辛い思いをしてほしくないんです。だけど、だからってお嬢様の気持ちを縛りつけたくもありません」
「……フェリクス様とはなんでもないわ。大丈夫よ」
「向こうはどうか知りませんけどね。もしお嬢様を弄ぶようなら侯爵様の御子息だろうと許しません」
エステラにとってフェリクスは孫のような存在だ。だから何もありはしないのに、と苦笑するけれどミレーヌにはそうは思えないようだ。それはエステラの秘密を知らないのだからしかたない。いつもエステラの味方でいてくれるミレーヌの存在がありがたかった。
ふとミレーヌが心配そうな顔をする。
「お嬢様、あの……」
「なに? ミレーヌ」
「私はお嬢様が新しい恋をしてもいいと思うんです。だってお嬢様はまだ若いんだから」
「まあ、私はもうおばあちゃんみたいなものって言ったでしょう。恋なんてしないわ」
「またそんなことを言って……」
「フェリクス様達が来たみたい。行きましょう」
ミレーヌはまだ不満そうだったけれど、それを見ないふりをしてエステラは部屋を出た。恋なんてするわけがないのだ。ただ心穏やかに隠居して暮らしたい。それがただひとつの望みなのだから。
エステラを見たフェリクスはぽかんとした顔のまましばらくこちらを見つめていた。それからオリバーにぼそりと「フェリクス様」と囁かれようやく我に返ったようだった。
「すごく似合ってるよ。可愛い」
「ありがとうございます」
落ち着きなく視線を彷徨わせたあと所在なさげにしていた手でエステラの手を取った。耳まで赤くして照れているのでなんだかエステラまで恥ずかしくなってしまった。
「今日はよろしく」
「こちらこそ、お誘いいただけて嬉しいです。よろしくおねがいします」
馬車で街まで移動すると、いつも以上に人があふれていた。日暮れが近いというのに小さな子供もたくさんいるのは今日が祭りだからだろう。いつも出ている市場の屋台の他にも祭り限定で出ている出店も多く、街の至るところには灯りがともりキラキラと輝いていた。
「ココシュカの祭りは初めて?」
「いえ、幼い頃に祖母と一緒に何度か。でも遅い時間は初めてです」
「そうか、夜は花火も上がるから綺麗だよ」
「楽しみですね」
馬車置き場でミレーヌとオリバーに見送られエステラとフェリクスは歩き出した。いつも以上に賑わっていて気を抜くと人とぶつかりそうだ。するとフェリクスがさっとエステラの手を掴む。
「……はぐれてしまったら困るだろう?」
「は、はい」
こちらを見ないフェリクスの頬は間違いなく赤くなっていた。手から伝わる熱にエステラの心臓の鼓動が騒がしくなる。フェリクスの手は大きいんだなと思った。
(私ったら年甲斐もなくドキドキするなんて恥ずかしいわ)
孫と手を繋ぐくらい動揺することではないはずだ。
落ち着かない気持ちを誤魔化すようにエステラは自分は普通の令嬢ではなくおばあちゃんなのだからと言い聞かせた。
普段も市場のある街の中心部には見たことのない露店も並んでいた。人でごった返す通りを歩きながらフェリクスがちらりと振り返った。
「エステラ、向こうで何かやってるみたいだ」
気恥ずかしさを誤魔化すように明るくフェリクスが言う。街の中心部にある広場には人だかりができていて時々歓声があがっているようだった。二人で人混みを抜けて前へ出ると、ちょうど旅芸人の一座が様々な見世物をしているところだった。
「まあ!」
思わずエステラが声を上げたのは、可愛い猫が見事に綱渡りを披露していたからだ。火のついた松明を何本も操りダンスをする男。足でナイフを操り的当てをする少女。輪くぐりをする猿と多種多様だ。
「フェリクス様見てください。あの小鳥、リボンを操っていますわ」
「すごいなあ、どうやってるんだろう」
黄色と青の小鳥がそれぞれリボンの端を持ち飛んでいる。くるくると飛び回るとリボンはやがて綺麗に結ばれた。そのリボンが踊り子のような衣装を着た女性の手元に落ちる。すごい、とエステラが見つめているとその女性と視線が合った。
女性は艶やかに笑うと近づいてきて小鳥が結んだリボンをフェリクスに手渡した。
「え、これを俺に? うわっ」
フェリクスの手に渡された瞬間ぽんっとリボンから音を立てて煙があがり、中からリボンをあしらった白と水色の花飾りが出てきた。
「え、ど、どうなってるんですか?」
「これは……」
「こちらの女性へ贈って差し上げてくださいませ」
にっこりとエステラに微笑んだ踊り子のような女性が去っていく。わっと周囲からはまた歓声があがる。お兄さんプレゼントしてあげなよー、なんて声が聞こえ慌ててフェリクスがエステラに向き直った。エステラも緊張しながらフェリクスを見つめる。そっとその髪に花飾りをフェリクスは着けてくれた。
「うん、すごく似合ってる」
「……ありがとう、ございます」
ピューっと誰かが口笛を吹く音や楽しそうな歓声になんだか恥ずかしくなりながらも二人で思わず笑い合ってしまった。
たくさんの露店は普段見かけないような異国の店も多い。二人で見たことのない色のジュースを買って飲んでみることにした。歩きながら飲み物を飲むなんてエステラには初めての経験だ。
「このジュース何味だろう?」
「こちらは緑、こっちは紅色。うーん紅色は甘酸っぱいです。そちらは」
「緑はちょっと苦いような……飲んでみる?」
「えっいいんですか?」
「うん、エステラのも一口……って、ごめん。さすがに嫌だよな」
「どうぞ一口飲んでみてくださいな」
飲み物を交換するなんてはしたないことかもしれない。だけど今日この瞬間だけは別にいいかとエステラは思った。だって今日はお祭りなのだから。 フェリクスと2人で過ごすうちお祭りの開放感からエステラの緊張も解れていった。
ジュースを交換して二人で同時に甘酸っぱい! 苦い! と呟いてから視線を合わせて笑いあう。そのあとは串に刺して焼いた肉や野菜、それからスパイスの香りのする不思議な味のスープ。美味しいパンに珍しい焼き菓子など屋台を巡って食べ歩きをした。せっかく孫に色々おごってあげたかったのにそれは固辞されてしまったけれど。
街の中心部にある広場では音楽家達が奏でる曲に乗って皆ダンスを楽しんでいた。社交界で踊るようなステップの決まったダンスではない、それぞれ自由に踊っていてフェリクスに引っ張られてエステラも一緒に踊った。最初こそ戸惑ったけれど最後は二人で笑いながらくるくると踊っていた。
こんな風に誰かと楽しく過ごすことは家族やジュールとはもちろん、誰ともしたことがなかったエステラにはとても新鮮なことばかりだ。
露店の並んだ通りを抜けてしばらく歩いた先に街が一望できる丘があった。歩き回ってすっかり疲れた足を休めるために二人でベンチに座る。夜空には色とりどりの花火が打ち上げられ始めていた。真っ暗な夜空がきらきらと輝いている。
「綺麗……!」
「ここ、花火がよく見える穴場なんだ。学校の友人に教えてもらったんだ」
「そうでしたの。こんな素敵な場所に連れて来てもらえて嬉しいです。ありがとうございます」
「俺の方こそ今日は付き合ってくれてありがとう。すごく楽しかったよ」
「……ええ、こちらこそ」
花火の光に照らされたフェリクスが屈託なく笑うとエステラはなぜか胸が苦しくなるような気がした。気持ちがそわそわとして落ち着かない。自分は一体どうしてしまったのだろうと首を傾げた。
「エステラ、また誘ってもいいかな」
「え……」
「俺は君のこと、もっと知りたいんだ」
どんっと一際大きな花火が上がる。照らされたフェリクスの真剣な表情にエステラは答えに詰まってしまった。
(私は……私のことなんて知ってもきっと幻滅してしまうわね)
婚約者から婚約破棄されそうになって王都マルタンから逃げ出した訳あり令嬢。そして同じ人生を100回も繰り返して精神的にはすっかり老婦人。それが今のエステラだ。
フェリクスは陽だまりみたいに優しい。けれど、エステラは恋をするつもりなんてないし彼に相応しくないこともわかっていた。
「まあ嬉しい。でもいけませんわフェリクス様。こんなおばあちゃん相手にそんなこと言って!」
「お、おばあちゃん?」
「そうです。私の気持ちはとっくに隠居しているんです」
「隠居って……それってどういう」
大きな瞳を丸くしてフェリクスが困惑している。それは仕方ないことだろうとエステラも思う。彼はエステラが100回も人生を繰り返しているなんて知らないのだから。本当のことを伝えてもきっと信じてもらうのは難しいだろう。
素直で優しくエステラによく懐いてくれたフェリクスと過ごすのはとても楽しかった。だからついつい仲良くなりすぎてしまったなと反省した。
(彼はシュトラウス侯爵家の御子息……。将来のあるお方だもの)
「私は色々ありまして……このココシュカで静かに暮らそうと思っているんですよ。のんびりと余生を。……だから、これからも時々は私の屋敷に遊びに来てもらえると嬉しいです」
「エステラ……」
にっこりとほほ笑んでそう伝えるとフェリクスは一
瞬辛そうな顔をした後に俯いてしまった。
フェリクスは優しいからきっと訳あり令嬢のエステラを放っておけなくなったのだろう。きっと彼にはもっとふさわしい人がいる。
花火はクライマックスなのか盛大に空が明るく染まるほどに上がっている。けれどエステラもフェリクスもとても花火を眺める気持ちにはなれなかった。
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