7 可愛い孫
その後ミレーヌは数日でみるみる元気になった。
フェリクスとオリバーには感謝してもしきれない。出会ってから彼らには助けてもらってばかりだ。
「……それにしても、あんなに優しい殿方もいるのね」
エステラは庭の花に水をやりながらふとそんなことを思った。
エステラの身近な男性といえば父とジュールくらいしかいない。腹違いの弟とはほとんど話したこともないし通っていた学院は男女で校舎が分かれていて、勉強ばかりしていたエステラは交流もなかったからだ。社交界にもまだ参加したことがない。
そんなわけでエステラの交友範囲は狭くて男性への心象はあまり良いものではなかった。
(記憶の戻った今だから思うけれどもう少しお友達を増やしておけばよかったわ)
男女問わず友人を作っていれば悩みの相談などもできたかもしれない。
もっとも婚約者であるはずのジュールがエステラをあからさまに馬鹿にした態度で接し、エミリーの取り巻きにも嫌がらせをされていたので周囲からは腫れものを触るような扱いをされていた。なので、友人を作るなんて無理だったのだが。
エステラが誰にも心を開かず勉学に集中したのは早くに家を出たかったのもあるが、学院での周囲からの雑音に耳を傾けたくなかったからでもある。
(不思議ね、王都にいた頃は誰とも話したくなかったのに今はフェリクス様ともっと話をしたいと思っているなんて)
フェリクスはどうしてあんなに親切で優しいのだろう。彼といるとまるで陽だまりの中にいるような心地になる。
「……フェリクス様、次はいついらっしゃるかしらねえ」
「お嬢様……!」
「え?」
無意識にぽつりと零れた言葉に近くで洗濯物を干していたミレーヌが目を丸くしていた。何かおかしなことを言っただろうかとエステラは首を傾げた。
勢いよく近寄ってきたミレーヌは困惑した顔でエステラを見つめる。
「お嬢様、それはつまりフェリクス様にお会いしたいということですか?」
「それは、そう……なのかしら……」
言われてみればそうだろうか、とエステラははっとする。次いつ屋敷にフェリクスがやって来てくれるのか待っているのだから。
ミレーヌがエステラの両手をそっと掴む。
「フェリクス様をお慕いしていらっしゃるのですか?」
「え……!? まさか! いやあねミレーヌ。そんなわけないじゃないの」
思いもよらない言葉に驚いて慌ててエステラは首を横に振った。けれどミレーヌはまだ疑っているのか心配そうな顔をしていた。きっと彼女はエステラにこれ以上傷ついてほしくないのだ。だから少し過保護なほどに心配してしまう。
「ミレーヌも知っているでしょう? シュトラウス侯爵家といえば王家とも親戚の大貴族よ。そんな高貴な家柄の御子息と訳ありの私の間に何かあるわけないでしょう?」
シュトラウス侯爵家と聞いてこの地で知らない者はいない。ラコスト王国と国境を接するココシュカ周辺一帯がシュトラウス家の領地なのだ。古くは王家とも繋がりのある家で、現王妃もシュトラウス家の出身なのだという。
つまりは貴族の中でもとても高貴なお家柄なのだ。
エステラ自身も伯爵令嬢ではあるが、最近では婚約破棄騒ぎもあり田舎に侍女一人だけを連れて暮らしている。周囲からは好奇の目で見られてもしかたない状況だ。
だからそもそもフェリクスの相手にはなりえないのだ。
けれどミレーヌは納得できないようだった。
「お嬢様、私が聞きたいのはそういうことではなくて」
「フェリクス様のことはね、まるで孫みたいで可愛いなと思っているのよ」
「意味がわかりませんお嬢様!」
困惑しているミレーヌには申し訳ないが、エステラの心はすっかり隠居したおばあちゃんなのだ。だからフェリクスはまるで可愛い孫のような存在なのだ。可愛い孫とまた一緒に話をしたり料理をしたりして一緒に過ごしたい。
ただそれだけなのだ。
ミレーヌがすっかり元気になって元の穏やかな日々に戻った頃、またエステラを悩ませる手紙が届いた。
夕食の下拵えをする手を止めて読んでいた手紙をテーブルに置きため息をつく。差出人はアシェル伯爵――エステラの父からだった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ、それより先に準備を終わらせてしまいましょう。今日はフェリクス様たちが来るのだから」
あれからフェリクスは従者のオリバーを伴って何度か様子を見に来てくれていた。そのついでに四人で一緒に食事を食べることも多い。ミレーヌは心配そうな顔をしているし、オリバーはどう思っているのかわからないけれどエステラにとっては楽しい時間だった。可愛い孫と食事ができるのだから。
手紙の内容は前回と同じ叱責と、それから王都に戻って来いという命令だった。
婚約をジュールに破棄させないためにもエステラ自らが王都に戻りヴィレット卿に許しを請えというのだ。エステラの父としては格上のヴィレット家との婚姻はメリットが多いのだろう。当人たちの意思は関係ない。それが貴族の婚姻というものだ。
(そうは言ってもさすがに100回も繰り返せば疲れてしまうわ)
エステラは遠い目をして思う。
こちらは100回も公衆の面前で婚約を破棄されて周囲からは笑いものにされココシュカで一人寂しく死んだのだ。もういい加減、隠居してもいいだろう。
(だから、せめてこの人生を繰り返していると気づいた今回だけは自分の思う通りにしたい)
次があるかもわからない、あったとして覚えているかもわからない。だからこそ101回目のこの人生は好きなようにしようと決めた。父には多少迷惑をかけてしまうが今まで散々エステラを冷遇した報いだと思って受け入れてもらうしかない。
あとで断りの手紙を書こう。
そう決めてエステラはさっさと父の手紙を戸棚に仕舞ったのだった。
「ミレーヌさん、すっかり元気になったみたいで良かった」
「ええ、フェリクス様とオリバーさんのおかげです」
四人で囲んだ夕食が終わり、ミレーヌと手伝いを申し出たオリバーの二人が洗い物をしている。その様子を少し離れた庭に面したテラスから眺めながらフェリクスがうーんと身体を伸ばす。騎士学校は実技の授業も多く夕方になる頃にはすっかりお腹が減っているのだという。おかげで豪華ではない夕食もとても喜んでもらえるのでエステラとしても嬉しいが。
少し恥ずかしそうにフェリクスが頬を掻く。
「そんなことないよ。それに俺達の方こそ毎回ご馳走になってもうしわけないっていうか」
「あら、食費は払ってくださってるんですから気になさらないでたくさん食べたらいいんですよ」
「そうやってエステラがどんどん食べろ食べろって言うから、ついおかわりしちゃうんだよなあ」
「あらあら」
エステラは最初遠慮したのだが、そういうわけにはいかないとフェリクスには多めに食費を貰ってしまっている。確かに男性二人分となると食費もだいぶ違ってくるので助かる。なのでエステラは育ち盛りのフェリクスにどんどん食べなさいとおかわりをすすめているのだ。可愛い孫にはたくさん食べさせたいのがおばあちゃんだ。
実際若い男の子の食べっぷりは見ていて気持ちがいいくらいだ。
「……だから、今度は俺がエステラにご馳走したいと思うんだけど」
ぽつりと少し照れくさそうにフェリクスが呟いた。隣に座ったエステラからは少し耳が赤いのが見える。
「フェリクス様がですか?」
「来月にココシュカの祭りがあるだろ。一緒に行かないか?」
年に一度のココシュカの祭りはエステラも知っている。一年間働いたココシュカの人々の労をねぎらうための祭りでたくさんの出店があり、深夜まで皆で歌い踊るのだ。幼い頃祖母に連れられて何度か日が高いうちに行ったことがある。
けれど心臓の鼓動が小さく鳴ったのは、口調はさりげなかったけれどエステラを見つめるフェリクスの瞳が切実に見えたからだ。
無意識にエステラも緊張してしまっていた。
(行ってもいいのかしら)
自分は隠居の身で訳ありの令嬢だ。ミレーヌの心配するように、いらぬ噂が立てばフェリクスに迷惑をかけてしまうかもしれない。だけどその一方で想像する。彼と一緒にお祭りを周ったらどんなに楽しいだろうと。
ぼんやりとそんなことを考えていたらフェリクスが眉を八の字にしてしゅんとしていた。
「む、無理にとは言わないよ……。急にごめ」
これでは孫ではなくてしょぼくれた子犬だ。
咄嗟にエステラは答えていた。
「い、行きます! 行ってみたいです!」
「……本当に? 良かった!」
あ、と思った時には時すでに遅し。
ミレーヌにはまた呆れられてしまうだろうか。でも仕方ない。だってフェリクスの悲しい顔なんて見たくなかったのだ。
喜ぶフェリクスを見てエステラも祭りの日が待ち遠しくなっていた。
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