6 不安な心
それから数日後、微妙な顔をしたミレーヌが配達人から手紙を受け取って居間に入ってきた。ちょうど庭掃除を終えたエステラが縁側から顔を出す。
「ミレーヌ、どうかしたの?」
「それが……お嬢様にまた手紙が王都から届いたのですが」
また父かジュールだろうとエステラは嘆息した。王都からの手紙にろくなものはないが自分が逃げ出したことが原因でもあるので受け取るしかない。
けれどエステラは差出人の名前を見て眉をひそめた。
「エミリー・プラスロー子爵令嬢?」
「よくもまあお嬢様に手紙など出せましたよね」
エミリーはジュールの長年の恋人だ。彼女からすればエステラは邪魔者でしかなかっただろう。王立学院に通っていた時には表立っての嫌がらせはなかったけれど嫌味を言われたり無視されたりはした。ジュールはエステラに一度も恋愛感情を持ったことはないだろうが、それでも彼女にとっては面白くなかったのだろう。
エステラにとってもジュールはただの政略結婚の相手というだけなので、正直迷惑でしかなかったのだけれど。
そんな彼女がわざわざエステラに連絡してくる理由なんて婚約破棄のことしかないだろう。
気が進まないけれど手紙を開く。一通りさっと目を通したエステラはじっと様子を窺っているミレーヌに手紙を渡した。
「……届かなかったことにしといた方がよかったわ」
『エステラ様、いい加減邪魔をするのはやめてください。すでにご存じかと思いますが私とジュール様は愛し合っています。ただの形ばかりの婚約者であったあなたとは違って。これから先はジュール様を私が支えます。それなのに、ヴィレット侯爵様はあなたとジュール様の婚約破棄をお認めにならないのです。それはあなたが邪魔をしているからですよね。いい加減見苦しい真似はやめて婚約破棄に応じてください。ジュール様に愛されなかったことはお気の毒だとは思いますが、あなたのような地味で面白みのない人では彼を満足させることができなかったのだからしかたないでしょう? どうか一日も早くヴィレット侯爵に婚約の破棄を申し出てくださいませ』
「……この手紙、燃やしましょうか」
ミレーヌの目が完全に座っている。エステラも少々疲れて脱力していた。ここまでくると最早呆れしかない。
「エミリー様……困った方ねえ」
「そもそもヴィレット侯爵に伯爵家であるお嬢様から婚約の破棄など言い出せないに決まってるじゃないですか! できるならとっくにやってますよ!」
「ミレーヌ、そんなに怒ったら可愛いお顔が台無しよ。お茶にしましょう」
「もう! お嬢様ったら、もっと怒っていいのですよ。こんな侮辱されているのに」
顔を真っ赤にして怒るミレーヌにエステラは確かにと思う。正直ジュールのことはもうどうでもいいし、エミリーも小さなお嬢さんがキャンキャン騒いでいる風にしか見えないのだ。ただ困ったことがひとつあるとすれば、婚約が破棄になっていないことだ。
そのせいでジュールもエミリーもこちらへ文句を言ってくるのだし。
「とりあえず父にもう一度婚約を破棄……だとさすがに問題だから体調の問題で辞退したいと伝えてみようかしら」
それで納得してくれるかはわからないが。父としても侯爵家のジュールと婚約することがアシェル家の利になると思っているだろうし。
よっぽど腹立たしかったのかミレーヌが深いため息をつきながらお茶を持ってきた。
「……まったく、お嬢様はこちらへ来てから本当に……マイペースで……」
「ミレーヌ? あなたもしかして」
ソファに座り込んでしまったミレーヌの顔がまだ赤い。エステラは隣に座ってそっとその額に手を置いた。
ベッドに横になったミレーヌが苦しそうに乾いた咳をする。昨夜からずっと熱が下がらないのだ。
「お嬢様、申し訳ありません……。お嬢様のお世話をするのが私の役目なのに」
「いいのよミレーヌ。熱があるんだから仕方ないわ。屋敷のことは私にまかせてゆっくり休みなさい」
「ですが」
「大丈夫。私、ここに来てから少しはたくましくなれたでしょう?」
新しい氷を入れた氷嚢をミレーヌの額に乗せながらエステラは微笑んだ。観念したようにそっと閉じられた瞳にエステラも内心ほっとする。少しでも眠って回復してほしかった。
(後でミルク粥を作りましょうね)
しばらくして寝息が聞こえてきたのを確認して音を立てないように部屋から出たエステラは今日の予定を考えた。
まずは掃除と洗濯をして食料の買い出しだ。あとできれば近所に医者がいないかも捜さなければ。ミレーヌは不要と言ったけれどやはり医者に見せないと心配だ。祖母のパウラも体調が悪いのにすぐに医者に見せなかったことから病が見つかった時にはもう手遅れで亡くなってしまったのだ。そのことを思い出すと胸が苦しくなる。
「たくましくなれた……か」
ふとミレーヌに咄嗟に言った言葉を1人呟いて苦笑する。
誰だって100回も同じ人生を生きればたくましくもなるだろう。そう思っていたけれどやっぱり昔のことを思い出すと変わらず胸が痛くなるのだと気がついた。だって大好きな祖母だったからだ。
けれどエステラはもう王都にいた頃のエステラとも違う。ミレーヌにもちゃんと安心してもらいたい。何しろ心だけはもうおばあちゃんなのだから。どっしり構えていなくては、と張り切って家事を始めるのだった。
「ふう……やっぱり少し重いわね」
屋敷近くにある商店からの帰り道。エステラは重い荷物を一人抱えて歩いていた。中にはミルクや食材が入っている。
「お医者様も今日は休診だというし困ったわ……」
商店の店主に医者がいないかと聞いたのだがタイミングが悪いことにしばらく旅に出て休診なのだという。街の中心部に出れば他に医者もいるだろうと言われたが、荷物を屋敷に置いてから街まで行くとなると大分時間がかかってしまう。
そのとき背後から馬の蹄の音が聞こえてきた。
「エステラ!」
「……フェリクス様!」
軽やかに馬で走ってきたのはフェリクスと従者のオリバーだった。
「まあまあオリバー様も。ごきげんよう。今日はどうされたのですか?」
「えっと、この前のブルーベリージャムのお礼を……ってそれよりずいぶん重そうじゃないか。オリバー」
「こちらへ」
「え? でも……」
「エステラはこっちへ。屋敷へ戻るのだろう?」
「ええそうですけど……きゃっ」
さっと馬から降りたオリバーがエステラの荷物を受け取った。フェリクスは戸惑うエステラの手を引いて軽々と自分の馬に乗せる。
「屋敷まで送るよ。そんな重そうなものを君に持たせられないからね」
「あ、ありがとうございます。まあ本当にフェリクス様はいい子……じゃなくていい人ですね」
「これは騎士として当然のことさ」
エステラを抱えるようにひらりと馬に飛び乗ったフェリクスは照れくさそうに瞳を逸らした。背中がフェリクスと密着してしまい妙に心臓が煩くなる。なんだか恥ずかしくなってエステラは俯いてしまった。
(いやねえ、もうおばあちゃんなのに若い娘みたいにときめくなんて)
荷物を持ったオリバーが生暖かい目で主人を見た後エステラへと視線を移した。
「ところで本日はミレーヌ殿はどうしたのですか? エステラ嬢がお一人でこのような買い出しをしておられるとは」
「……実は、数日前からミレーヌは体調を崩しておりまして」
「医者には見せたのか?」
「それが近場の医者はしばらく旅で留守のようで。あとで街まで捜しに出てみるつもりです」
屋敷へと戻る道中、エステラの言葉にフェリクスが馬を止めてオリバーを振り返った。
「オリバー」
「承知いたしました。ではこちらの荷物をお願いしますね」
「え?」
馬から降りたオリバーが持っていた荷物をエステラへと預けた。優雅に一礼したオリバーは自分の馬に飛び乗ると反対方向へと走って行ってしまった。
突然のことに一体どうしたのだろうとエステラはぽかんとした顔をする。別に荷物は膝の上に乗せるだけだからいいのだが。するとフェリクスがエステラを安心させるように笑った。
「オリバーには医者を呼びに行ってもらったんだ。早く医者に診せた方がいいだろう?」
「まあ、お医者様を……? そこまでしていただけるなんて」
「気にしないで。ブルーベリージャムが美味しかったお礼だよ」
「ふふ、気に入って頂けて嬉しいわ。……でも本当にありがとうございます。正直、私一人で少し不安だったんです」
屋敷へと続くのどかな道を馬に乗りながら進む。近すぎてあまりフェリクスの顔は見られないけれど、だからこそエステラは話すことができた。
「私一人でちゃんと看病できるかしら。ミレーヌに何かあったらどうしようって。……昔、祖母が病気になった時のことを思い出しました」
あの頃は少ないながら使用人がいて、幼いエステラはただパウラのベッドのそばにいただけだった。それでも嬉しそうにパウラは目を細めては絵本を読んでくれようとした。もちろんそれは医者に止められてしまったのだけれど。
家事を一人でこなすのは苦ではない。だけどミレーヌが臥せっているのを見ているとまたあの時のように置いていかれてしまうのではないか、なんてありえない考えがふとよぎって不安になるのだ。
「……そうか、エステラはがんばったんだな」
「そうですかねえ。何もできてない気もしますけど」
「そんなことないさ。それに……今日君に会いに来て良かった」
ずっとエステラの話を聞いていたフェリクスが呟いた。
その言葉に思わずエステラは振り返った。間近にフェリクスの穏やかなブラウンの瞳があった。
「エステラをこれ以上不安にさせないですむ」
「フェリクス様……」
明るくて眩しくて温かくて、本当にまるでこの人は陽だまりのようだ。じっとフェリクスを見つめながらエステラは思う。
不安でぎゅっと縮こまっていた心が彼といるとゆっくりと解けていく気がした。
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