4 見習い騎士の青年2
それから数日は平穏な日々が続いた。
相変わらず屋敷を掃除し修理する日々だ。
近くの川のほとりで休憩がてらエステラはミレーヌと共に読書をしながらお茶を飲んでいた。
「庭ももう少し手を入れたいわね、花を植えたいわ」
「業者を呼んで綺麗にしてもらいましょうか」
屋敷から持ち出した子供用の椅子(昔エステラが使っていた物だ)とピクニック用の敷布を広げてのんびりとくつろぐ。ううん、と伸びをすると風がとても心地よい。お茶を淹れていたミレーヌが目を丸くする。
「まあお嬢様はしたない。ここに戻って来てからずいぶんお転婆になられましたね」
「王都とは違って開放感があるからかしらねえ」
王都の屋敷ではとてもくつろげなかったし、王立学院では早く自立したくて勉強ばかりの毎日だった。
すっかりおばあちゃん気分なのもあってココシュカでの毎日はとても穏やかでエステラは自分が令嬢であることを忘れてしまいそうだ。
のんびりと川のせせらぎを眺めていると、街の中心部へと続く小道に人影が見えた。
「あら?」
「エステラ!」
「フェリクス様」
小走りにこちらへやってくるのは先日街で出会ったフェリクスだった。
周囲を注意深く見まわしている。一体どうしたのだろう?
「やあ、こんにちは。ミレーヌさんも」
「ど、どうも。こんにちは」
「おひさしぶり。相変わらず元気そうですね。……ところで今日はどうされたんですか?」
やっぱりエステラに悪い虫が、とミレーヌは少々警戒しているようだ。そんな彼女の心配を感じ取りつつもエステラはフェリクスを見て微笑んだ。近所の子供が遊びに来たような感覚なのだ。
今日は少し困った顔をしているフェリクスが頬を掻く。
「その……ちょっと色々あって逃走中というか」
「と、逃走でございますか? 何かトラブルに巻き込まれたのですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
「まあ……」
大きな瞳をさらに丸くして見開くミレーヌとどうも歯切れの悪いフェリクス。
そのときフェリクスが来た道から誰かがまたやってくるのが見えた。
「フェリクス様ー!!」
「うげ!?」
びくっと肩を跳ねさせたフェリクスが慌てた様子でエステラたちを見て頼み込んできた。
「エステラ、お願いだ! 少しの間だけでいいから匿ってくれ!!」
「え、ええ!?」
「こちらへどうぞ」
「……ああ、ありがとう」
むすっとしたミレーヌが屋敷の居間にあるソファにフェリクスを案内する。
結局あの後、エステラは思案する間もなく荷物をまとめて慌ててフェリクスを屋敷へ匿ったのだ。散々ミレーヌからは注意された後なので彼女が怒っているのは仕方ないことだった。
「お嬢様、どうするおつもりですか? ただでさえ女だけの屋敷に殿方を入れるだけでも妙な噂が立ちかねないのにフェリクス様がトラブルにでも巻き込まれていたら……」
お茶を淹れるためキッチンにやってきたミレーヌが眉を吊り上げる。カップを用意していたエステラは苦笑した。
「ごめんなさい。でも放っておけなかったの。大丈夫よ、あの子は良い子だから」
「そんな子供相手みたいに……」
先日街で初めて会った時のことをエステラは思い出していた。まだ出会って短い時間ではあるが彼は悪い人間ではないだろう。ミレーヌは呆れた様子だったがもう何も言わなかった。
キッチンからちらりと居間のソファに座っているフェリクスの様子を伺う。おそらく先ほど彼を捜していたのは従者だろう。騎士学校は平民でも通えるが身なりや育ちの良さそうな雰囲気から彼も貴族なのだろうとエステラは推測していた。
居間で落ち着かない様子のフェリクスにエステラはお茶を出した。
「どうぞ」
「あ、ありがとう。エステラ、その……」
フェリクスが何か言おうとした時、きゅるるるるる……と静かな居間に音が響いた。ばっとフェリクスが顔を赤くして腹を押さえる。
くすりとエステラは笑った。
「あら、お腹の虫が」
「わ、いや、その……!」
「昨日の夕飯の残りのシチューでしたらございますけど?」
ちょうどキッチンから出てきたミレーヌが言う。
「残り物ですがお食べになりますか?」
「さすがにこれ以上は悪いよ」
慌てた様子で遠慮したフェリクスの腹がまたきゅるるると鳴った。
「食べますか?」
「……いただきます」
真っ赤になってソファで小さくなったフェリクスが呟いた。
エステラとミレーヌは思わず顔を見合わせて吹き出しそうになってしまった。
そのシチューはエステラがパウラと暮らしていた頃の好物でよく作ってもらっていたのだ。
ココシュカの屋敷に住むようになってふと思い出し作ってみたのだ。エステラ自身は当時は幼かったので作り方などわからなかったがミレーヌがレシピを覚えていてくれたので助かった。
「……美味しい!」
「お口に合ったみたいですね」
出された素朴なシチューを一口食べたフェリクスは瞳を輝かせた。
素直な人だなとエステラは思う。
「ああ、本当にとても美味しいよ」
「昔祖母がよく作ってくれたものなんです。ほんのりと甘みがあって私も好きなんですよ」
「君のおばあ様のレシピなのか。優しい味がする」
話をしながらもシチューはみるみる減っていく。やっぱり男の子はよく食べるのね、などとエステラはおばあちゃん目線で考えていた。
「ごちそうさまでした! 本当に助かったよ。実は今日は昼食を食べてなかったんだ」
「まあ、食べ盛りなのにそれはお腹が空いても仕方ないですね」
「本当に今日はどうされたんですか?」
あっという間に空になったシチューの器を下げながらミレーヌが聞いた。
フェリクスは誰かに追われていた様子だった。まだその理由を聞いていない。おそらく高貴な身分であろう彼が何かトラブルにでも巻き込まれていたら問題だ。それは匿った側のエステラにも危険が及ぶかもしれない。ミレーヌはそれが心配だった。
「あー……実は、その」
そのとき玄関の方からノックの音が聞こえた。
ぎくり、とフェリクスが固まった。
おや、とエステラとミレーヌは顔を見合わせた。
来訪者はフェリクスの追手なのかもしれない。匿った方がいいのだろうか、とエステラは一瞬戸惑ったがとりあえず逃げる様子はなさそうだ。
「出てまいります」
玄関へ向かうミレーヌを視線で見送って、エステラはフェリクスに向き直った。
「一体何があったんですか?」
「お見合い……」
「え?」
「お見合いの話から逃げてる」
「まあ」
フェリクスは気まずそうに呟いた。おそらく十代後半くらいだろう貴族の青年だ。婚約者がいないのならばお見合いの話が舞い込んでくる年頃だろう。
「フェリクス様はどうしてお見合いが嫌なのですか?」
「嫌というか、あまり得意ではないんだ。昔、パーティーとかでぐいぐい来られたことがあって。女の子ってよくわからないし」
「まあまあ」
「笑いごとじゃないよ」
若く見目も良くまじめで誠実そうなこの青年はおそらくとてもモテるのだろうなあとエステラは思った。パーティーでは貴族の女性も積極的な人は多いと聞く。それで苦手意識を持ってしまったのだろう。なんだか気の毒だが少し可愛くて笑ってしまったエステラにフェリクスは口を尖らせる。
「私とは話せているじゃないですか」
「それはエステラが話しやすいから……なんだか俺のおばあちゃんみたいというか」
「うら若き女性に向かっておばあちゃんとは何事ですか!」
「うわあ!?」
突然室内に響いた鋭い声にフェリクスがソファから飛び上がる。
驚いて振り返った先には背の高い黒髪の男性が立っていた。眼鏡をかけたおそらく二十代後半くらいの美丈夫だ。隣にいたミレーヌも目を丸くしている。
「オ、オリバー……」
「捜しましたよフェリクス様」
「いや、これは、その」
「言い訳は後で聞きますからまずはそちらのご令嬢に謝罪を」
青くなっているフェリクスに表情ひとつ動かさずオリバーと呼ばれた青年は眼鏡を光らせる。フェリクスはギギギ……とエステラの方に向き直ると頭を下げた。
「おばあちゃんなどと言ってごめんなさい……」
「そんな、いいんですよ。事実なんですから」
「は?」
「すみません、お嬢様は最近ちょっと老婦人ぶりたいみたいで」
エステラとしてはおばあちゃんと思ってもらって構わないのだが、やはり周囲から見れば奇妙なのだろう。眉を顰めるオリバーにミレーヌがフォローを入れた。
「……ご挨拶が遅れ申し訳ない。私はオリバー・キルステン。フェリクス様の従者です。我が主が大変お世話になったようで感謝申し上げます」
「エステラ・アシェルと申します。お世話だなんて、何もしていませんわ」
「いえ、突然ご令嬢の家に押しかけるなど本来あってはならないこと。謝罪もさせていただきたい」
「そ、そんな」
「オリバー、それは俺がするべきことだ。すまないエステラ」
とても生真面目な顔でオリバーが深く頭を下げる。慌ててフェリクスも立ち上がって同じように頭を下げたので慌ててエステラは立ち上がった。
「頭を上げてください。私こそ深く考えずフェリクス様を屋敷に上げてしまったのですから……」
「とりあえず皆様、お茶でもどうですか……?」
あわあわと自分も頭を下げようとしていたエステラの後ろからミレーヌが遠慮がちに声をかけた。いつの間にやらオリバーの隣から移動していたらしい。そろりと顔を上げた二人が小さく頷いた。
「自己紹介が遅れて申し訳ない。俺はフェリクス・シュトラウス。今は王立騎士学校で学んでいる身だ。こちらはオリバー・キルステン。俺の世話役というか監視役というか……」
「従者です」
ソファに座ったフェリクスの背後に立っていたオリバーがしれっと呟いた。
フェリクスはグレーデン王国のシュトラウス侯爵家の子息だという。普段は王都ローゼで学んでいたが半年前からコルシュカの分校で学んでいるらしい。
「どうしてまたこちらのような僻地に?」
「王都は他に貴族も多くて色々と落ち着かなくてね。静かな環境に身を置きたかったんだ」
確かに王都となると住んでいる貴族も多いだろう。貴族同士の付き合いや噂話で苦労する者は多い。エステラ自身、あまりそういうのは得意ではなかったし家の事情で哀れんだ目で見られることもあったので気持ちはわかる。
ココシュカは友好国であるラコスト王国との国境を接するグレーデン王国からすれば僻地で、栄えた場所もあるが基本的には田舎の観光地だ。のんびり暮らしたいと思う者にはとても住み心地の良い場所だ。
「私もマルタンにずっと住んでいましたので気持ちはわかりますわ」
「ラコスト王国の王都か。……じゃあ君は」
「ええ、ラコスト王国アシェル伯爵家の長女、エステラと申します。母はグレーデンの貴族出身なのですよ。ここは祖母の残した屋敷で一ヶ月ほど前に越してきましたの」
さすがにココシュカに来た理由までは言えないが、エステラも改めて自己紹介した。フェリクスたちもそこを詮索してくることはなかった。色々訳ありなのは状況から察しただろう。
二人の出会いをオリバーに説明し、そこで市場でも一人で出歩いていたことをフェリクスは注意されていた。時々そうやって羽を伸ばしているのだろうなとエステラは微笑ましく思った。王立騎士学校のココシュカ分校の敷地が思いのほかエステラ達の住む屋敷から近いことも知った。
結局それから小一時間ほどお茶をしながら話をしてフェリクス達は帰っていった。お土産に焼いたクッキーを渡しながらエステラは微笑む。気分は家に帰る孫を見送るおばあちゃんだ。
「まだ知り合いがほとんどいないのでお話しできる人ができて嬉しいですよ。あなたさえよければまたいらしてくださいな。シチューをご馳走しますよ」
「ありがとう、エステラ。今度お礼をしに来るよ」
「お邪魔致しました」
ミレーヌとオリバーは微妙な顔だ。若い女性の家に侯爵家の子息が出入りしているとなれば妙な噂が立つかもしれないからだ。もちろんエステラにはそんな気はない。あくまでココシュカで出来た友人のつもりだ。
(恋だの愛だの、そんなのは私には関係ないことだしね)
百回の婚約破棄された人生を生き百一回目の人生を生きている今、エステラは結婚などすっかりどうでもよくなっていた。元々ジュールは親が決めた婚約者で最初からエステラを愛さないと宣言していたし、実際にエミリーという恋人がいた。父も母が亡くなった後すぐに後妻を娶りエステラのことなど興味も持たなかった。
結婚にも男性にも夢を持っていないとも言える。
(おばあ様はいつか私を愛してくれる人が現れるなんて言っていたけれど、すっかり待ちくたびれてしまったわ)
今はただのんびり穏やかに暮らせればそれでいいのだ。
区切りが悪くてちょっと長くなってしまいました。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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