3 見習い騎士の青年
数日後、エステラの父から返事の手紙が届いた。
「……せめて、お嬢様のご様子を見に来てくださればよいのに」
「それは無理でしょうねえ、あの人は私に関心がないから」
屋敷はまだ片付かず二人で掃除をしていたところだった。
配達人からミレーヌが手紙を受け取ってきてくれたので、エステラは窓を拭く手を止めて手紙を開く。手紙の内容は予想していたものとほとんど同じだった。
『エステラ、アシェル家の娘ともあろう者が突然失踪し皆に心配をかけるとは何事か。ヴィレット家のジュール殿との婚約も破棄となった。彼にも問題はあったとはいえ、伝え聞いた醜聞が本当ならばお前にも婚約破棄の原因があったといえる。これはアシェル家の恥だ。わざわざ引き取って育てたというのにこのようなことをされるとは、お前には失望しかない。当分の間、ココシュカで謹慎を命じる』
100回目の人生までは同じ内容を王都のアシェル家の屋敷で父から直接聞いていた。
これもエステラがココシュカにいるので手紙になったのだろう。
「そんな……ひどすぎます! あんなジュール様の戯言を真に受けるなんて!」
「まあまあミレーヌ。別にいいのよ」
「よ、よくありません!」
「そんなに怒ってばかりじゃ可愛いお顔が台無しよ。さあ、お茶にしましょう」
「お嬢様ったら!」
ぷっくりとしたミレーヌのほっぺをつついて言えば顔を赤くしてますます怒るので可愛い。
エステラ自身は本当にもうどうでもいいのだった。
なにしろこれで晴れてココシュカで余生を送ることができるようになったのだから。
ココシュカはラコスト王国とグレーデン王国の間に流れるライン川沿いにある国境の街だ。ココシュカはグレーデン王国側にあり、大きな橋を渡ればラコスト王国の領地となる。
いつも賑やかで様々な人々が行き交っている交易の街でもある。
(とても活気があるわね。昔を思い出すわ)
本日エステラは一人で街の中心部へと買い出しへ来ていた。
前回までの人生では屋敷に引きこもっていてろくに外に出ないまま亡くなったのだけれど、勿体ないことをしていたと思うほど街は活気があり川を望む景色は美しい。もっと外へ出ていれば生きる気力も湧いて来たかもしれないとエステラはぼんやりと思った。
子供の頃の朧気な記憶では、祖母のパウラと一緒に市場に買い出しに出かけていた。その時の記憶を頼りに来てみたのだが市場の場所は幸い変わっていないようだった。
「お嬢さん、どうだい? この林檎! 甘くて美味いよ!」
「まあ、真っ赤で美味しそう。グレーデンの名産品ね」
きょろきょろと市場を歩いていたら店主に声をかけられた。山盛りの林檎が手ごろな値段で売られている。
パイにしたら美味しそうだ。その隣にはラコスタでは珍しい桃や蜜柑も売られている。
(おばあさまの遺産を手を付けずにとって置いたからしばらく生活には困らないけれど……あまり無駄遣いしないようにしなくちゃねえ)
少し考えてからエステラは林檎を指した。
「それじゃあ、こちらの林檎を3ついただこうかしら」
「まいどあり!」
魚に肉、野菜に香辛料。食料の他にも交易の街だけあって布や雑貨、アクセサリーと様々な物が売っている。通りを歩くだけであちこちの店から呼び込みがかかり、エステラは無駄遣いをしないように必死だった。それでもひとつ、ふたつはついつい衝動買いしてしまったのはご愛敬だろう。
余生だからいいのだ。
(このクッキーはミレーヌへのお土産にしましょう)
可愛らしい缶に詰められたクッキーをエステラが買っていたときだった。
「うわああああん! おかあさーん!!」
「え!? うわあ、どうしたんだ? 急に泣くな。男の子だろう?」
急に聞こえてきた泣き声に振り返ると道端にひっくり返って泣くじゃくる男の子と、困り果てている青年がいた。エステラは店頭に並んでいた青いリボンでラッピングされた可愛らしい飴を手に取った。
「こちらもいただこうかしら」
「うわあああああ」
「ああもう~!」
「まあ、元気の良いこと。そんなに泣いたら可愛いおめめが腫れてしまうわ」
突然割って入ってきたエステラの声に小さな男の子と青年が顔を上げた。
(あら、可愛い)
青年の方のことであるが口には出さない。
濃いブラウンの髪に同色の意志の強そうな瞳のエステラと同年代くらいの青年だ。おそらくココシュカにある騎士学校の制服を着ている。
小さな男の子の方に手を貸して立たせてあげると、エステラはハンカチで涙と鼻水を拭いた。それから露店で買った飴を手渡す。
「はい、どうぞ」
「……ありがと」
「どうかされたのですか?」
「あ、ありがとう。助かったよ。この子、迷子みたいなんだけど泣くばかりで俺だけではどうしようもなくて……」
「そうだったのですね」
男の子はまだ泣きそうな顔をしているが飴をもごもごと口の中で転がしている。
おそらく市場で遊んでいるうちに親とはぐれてしまったのだろう。
そしてこの青年は迷子の子供を見つけて放っておけなくなってしまったのだろう。人の良さそうな子だとエステラは微笑んだ。
「坊や、お名前は?」
「ジョン……」
「そう、ありがとうジョン。おば……私はエステラよ。お母様は何色のお洋服を着てるのかしら」
「えっと、あお……」
「青色の服の女の人か」
ふむ、と青年が周囲を見まわした。
とはいえ人が大勢行き交っている場所なので青い服を着ている人も多い。
「とりあえず市場の案内所へ行きましょうか。きっとお母様もジョンを捜しているはずよ」
「俺が抱っこしますよ」
エステラがジョンを抱き上げようとしたところで、青年が代わってくれた。ついでにとばかりにエステラの荷物までひょいと取られてしまう。
「あらまあ、重いでしょう?」
「大丈夫、これでも鍛えてるんで」
「ああ、騎士学校の生徒さんですものねえ」
「そういうこと!」
ニカっと笑った明るい笑顔にこちらまで気持ちが明るくなるエステラだった。
市場の案内所は街の中心部の広場にあった。
「おかあさん!」
ちょうど案内所に着いたところで青いワンピースを着た女性が行き交う人々の中から走ってきた。ジョンが飛び出していく。
「ジョン! よかった無事で!」
どうやら無事再会できたみたいだ。エステラは二人が抱き合う姿を見て青年と視線を合わせてほっとした。親子とはいいものだなとしんみり思う。自分には無いものだからだろうか。
「よかったわ、すぐ再会できて」
「そうだね。でも君がいなかったらどうなってたか。本当にありがとう。えっと……」
「エステラです。エステラ・アシェル」
「ありがとうエステラ。俺はフェリクス。制服でわかると思うけどココシュカの騎士学校に通っている騎士見習いだ」
そう微笑んでからふと手元の袋をフェリクスが見た。
「それにしても、これ……重いな」
「ちょっと買いすぎたかしら」
あら、とエステラは苦笑した。色々と見て周っていたらいつの間にか買っていたのだ。
「ありがとうございますフェリクス様。こんな重い物を持っていただいて……」
「いいさ、君には助けてもらったのだから」
なんでもないことだ、とフェリクスは言う。
エステルの住む屋敷への帰り道を二人で歩いていた。こんな重い物を女性が持つのは大変だとフェリクスが申し出てくれてありがたく屋敷まで運んでもらっている。
街の中心部からさほど離れていない別荘地だったのでそんなに時間もかからない。
丘の上にエステラの小さな屋敷が見えてきた。
「あそこです」
「いい場所だな。眺めも綺麗だ」
「うふふ、そうでしょう」
そのとき屋敷からミレーヌが出てきた。
「お嬢様ー!」
「侍女のミレーヌよ」
「一人でお出かけになるなんて……あら、えっとそちらは?」
「騎士学校のフェリクス様よ」
「どうも、はじめまして」
「荷物を持っていただいたのよ。何かお礼におみやげを……」
「え、え?」
エステラの元に駆け寄ってきたミレーヌはフェリクスを見て目を丸くしていた。急に見知らぬ男性を連れてきたから驚いたのだろうとエステラは思った。
結局その日はフェリクスに屋敷まで荷物を運んでもらった。
しかし彼が帰った後ミレーヌが怒り出した。
「お嬢様迂闊すぎます!今日会ったばかりの殿方に家を教えるなんて!」
「私もフェリクス様もそんなつもりはないわよ」
「お嬢様はそうでも相手はわかりません。それに……ジュール様との婚約を破棄されたばかりで妙な噂が立ったらどうするのです」
「ああ……そうねえ。そこまで考えてなかったわ」
ジュールなどもう記憶の彼方であったし、フェリクスのこともそんな風に意識していなかったから。確かに貴族令嬢として迂闊だったかと少し反省する。
「ごめんなさい。でも本当に何でもないのよ。ほら、フェリクス様はお若いし……私からしたら孫みたいなものだし?」
「はい?」
「な、なんでもないわ! とにかく本当にただの親切な人だったのよ」
エステラからしたらフェリクスは可愛い男の子、あの迷子の子供と変わらない。ミレーヌにそれを言ってもわかってもらえないのは無理のないことだが。
何よりミレーヌはエステラのことを心配してくれているのだ。これ以上不名誉な噂が出回らないようにと。もう少し世間が落ち着くまで立ち振る舞いには気をつけなくてはとエステラは反省したのだった。
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