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【番外編】おばあ様のおまじない

電子書籍配信記念の番外編になります。この度は本当にありがとうございました!

エステラとフェリクスが一緒に食事をするようになったあたりの話です。

「エステラは伯爵家の令嬢だっていうのに何でも自分でやるんだな」

「いえ、そんなことありません。家事を手伝うようになったのはこちらに来てからなんです」



 夕食の後、片付けのため並んでキッチンに立っていたフェリクスの言葉にエステラは水をきった皿を渡しながら答えた。

 本来であれば貴族の令嬢には彼女を世話するために複数の使用人がいる。しかし特殊な事情で突発的に飛び出してきてしまったエステラの侍女はミレーヌ一人だけだ。彼女一人では当然エステラの生活含め屋敷の家事全てをこなすことは難しい。そのため必然的にエステラも家事をするようになったのだ。


「ミレーヌに教わりながらですが結構楽しいですよ。……それにフェリクス様の方が手慣れていらっしゃるように見えます」

「騎士学校で一通りのことは自分でできるように習うからな」


 フェリクスとオリバーが時おり来るようになってから、夕食の支度と洗い物は交代でこなすようになっていた。基本的には侍女のミレーヌと従者のオリバーが担当していたのだが、どうせ四人しかいないのに二人にばかりやらせるのも心苦しいとエステラが提案したのだ。

 そんなわけで今日はエステラとフェリクスの二人が洗い物当番をしていた。

 食事をする居間からキッチンは良く見える。ミレーヌとオリバーは食後のお茶を飲みながらもこちらをチラチラと伺っていた。本来主人の世話をするのが仕事なので落ち着かないのかもしれない。


「二人とも心配性だなあ」

「フェリクス様が食器を割らないか気にしているんですよ」

「うるさいオリバー!」

「ふふ」


 オリバーの軽口にフェリクスがむすっとした顔をする。エステラにはあまり見せない顔なので新鮮だ。なによりこうやって並んで家事をしていると、まるで孫にお手伝いしてもらっているようで微笑ましい気持ちになる。

 年相応に男の子っぽいところもあるのね、なんて気分はおばあちゃんだ。


「私が言い出したことなのに、手伝ってくださって嬉しいですよ。ありがとうございます……あら?」

「ん? どうかした」

「指先に傷が」

「ああ、訓練中にやったのかな」


 今気がついたらしいフェリクスがなんでもないことのように言う。

 幸いフェリクスは洗い物を拭く係だったので沁みることもなかったのだろう。

 騎士学校は実技の時間も多いと聞く。これくらいの傷は日常茶飯事なのだろう。しかしフェリクスの身に小さいながら傷がついているのはエステラとしては気になってしまう。

 血は止まっているがまだ新しい傷を見て眉をひそめた。


「フェリクス様、ちょっとこちらへ」

「え? だ、大丈夫だよ」

「いいえ、傷に菌が入って悪化したら大変ですから」


 すべての洗い物を終えたエステラはフェリクスを居間のソファに座らせた。落ち着かない様子のフェリクスの前に薬箱を出す。


「傷薬の軟膏でしたらこちらですよ」

「ありがとうミレーヌ。……ではフェリクス様、失礼しますね」

「これくらい平気なのに……」

「いいえ、小さな傷でもちゃんと手当てしないといけませんよ」


 恥ずかしそうに手を出すフェリクスにエステラは言い含めた。

 祖母のパウラもよく言っていた。小さな傷を甘く見てはいけないと。小さな傷でも菌が入れば化膿してしまうことがあるのだ。


「確かに利き手の指に傷があれば剣を持つとき支障が出ることもありますからね。大人しく手当してもらいなさい」

「まあでも、これくらいなら数日で良くなるんじゃないですか?」


 オリバーとミレーヌの言葉を聞きながらエステラはそっとフェリクスの指に触れた。ぴくりと震える手を取って軟膏を塗りガーゼを巻いてテープで止める。フェリクスの手は思っていたより大きくしっかりとしていて、そして温かかった。


(……なんだかつい心配で強引に初めてしまったけれど、少し恥ずかしくなってきたわ)


 エステラの手より少し大きなフェリクスの手に触れながら内心少し焦っていた。フェリクスは自分にとっては孫のようなものだ。年頃のお嬢さんじゃあるまいし、と動揺を悟られないように口を開く。


「私も昔、庭で転んで擦りむいたときに祖母にこの軟膏を塗ってもらっていたのですよ」

「エステラにもそんなお転婆な頃があったんだな」

「ふふ、そうですね」


 丁寧に巻いたガーゼが取れないようにテープで止めて治療は終わりだ。

 ふとその時、パウラとの記憶が蘇った。

 それは幼い頃の温かな記憶だ。

 パウラは傷の手当てが終わると、そっと両手で傷を包んで――……。


「早く良くなりますように」

「――!!」


 怪我をした場所を両手で包んでそっと呟く。それは幼い頃エステラもパウラからしてもらったおまじないのようなものだった。

 なんだか本当におばあちゃんになったような気持ちで顔を上げると……目の前のフェリクスが真っ赤になっていた。


「フェリクス様?」

「あ、いや、その! ありがとうエステラ!!」


 ばっと手を勢いよく引っ込めたフェリクスが立ち上がる。

 しまった、さすがに馴れ馴れしすぎただろうかとエステラは不安になってオロオロしてしまう。


「ご、ごめんなさい急に。びっくりさせてしまって」

「そんなことないよ!」


 気がつけばエステラの頬まで少々赤く染まっている。

 そんな二人の様子を唖然と眺めていたオリバーはいち早く我に返ってコホンと咳払いをした。


「フェリクス様、少し落ち着いてください」

「……わかってるよ」

「お嬢様もですよ」

「ごめんなさい……」


 従者と侍女に注意されて二人は恥ずかしくなって俯いてしまった。

 その日はなんだか妙な雰囲気になったままフェリクスとオリバーは帰って行った。



「どうしてあんなことなさったんですか?」

「え?」

「フェリクス様にですよ! 殿方相手にあのような……」

「ああ、あれはね……おばあ様のことを思い出していたの。ほら、怪我した小さな子にやってあげるおまじない」

「あのですねえ……お嬢様はうら若き乙女ですし、フェリクス様は小さなお子様じゃありません!」


 その日の夜、エステラはミレーヌから少々お説教をされてしまった。

 エステラ自身は100回同じ人生を生きた記憶を持っているのですっかり心はおばあちゃんなのだが、ミレーヌはそんなことは知らないのだから仕方ない。

 ただ……フェリクスの手に触れた時に感じた落ち着かなさや、真っ赤な彼の顔を見た時の恥ずかしさを思い出すとエステラまでまた頬が熱くなってきてしまう。


(いけないいけない。あんな可愛らしい男の子相手に私ったら。私はおばあちゃんなんだから!)


 ぺちん! と両頬を挟むように叩いてエステラは反省した。

 それでも少しだけ早くなった胸の鼓動はなかなか落ち着いてくれなかったけれど。

 とりあえず、次にフェリクスが来てくれた時にどんな顔をして出迎えればいいだろうか。他にも祖母のパウラから教わったおまじないや話はあるからそれを披露してみようか。

 王都にいた頃よりもよく見える夜空の星を眺めながら、そんなことを考えているエステラは自分がフェリクスの訪問を待ち遠しく思っていることにまだ気がついていないのだった。


ここまで読んでいただきありがとうございました!

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