12 フェリクスの正体
「……それで、結局そちらの客人というのは何者なんです」
「ジュール様! 大丈夫ですか?」
よろよろとふらつきながら立ち上がったジュールを慌ててエミリーが支えた。これだけ醜態を見せられてもなお支えようとするのだから本気で彼が好きなのだろう。
そういえば、とエステラもフェリクスを見つめた。一体全体どうして彼はここにいるのだろう。
「ジュール、口を慎め。こちらはグレーデン王国の王子殿下だぞ」
「……え?」
ヴィレット卿の言葉にエステラはつい間の抜けた声を漏らしてしまった。聞き間違いだろうか? フェリクスはシュトラウス侯爵家の子息だったはずでは。ミレーヌと一緒に目を丸くしているとフェリクスが困ったように苦笑した。
「私はグレーデン王国第三王子フェリクス・グレーデンです。今回はシュトラウス侯爵の名代で参りました。いずれは私がシュトラウス家の養子となる予定ですので」
すっとフェリクスが一歩前へ出た。
エステラの知っている少し頼りない雰囲気はどこにもない。
「……色々と相談したいことがあったのです。エステラ、君のことも」
「私のことを……ですか?」
フェリクスが一体どうしてそんなことをするのだろう。ただでさえフェリクスが王子だと聞いて混乱しているのに、とエステラは戸惑った。
「どうして君がココシュカに来たのか、本当は調べていたんだ。勝手にこんなことをしてごめん」
「それはかまいません。嘘をついてもしかたのないことなので……」
「そして君が不遇な扱いを受けていることを知ったんだ。そんな時、ミレーヌから君がマルタンに戻ると連絡を貰って」
「ミレーヌから?」
驚いて振り返るとずっと黙っていたミレーヌが頭を下げた。
「お嬢様申し訳ございません。私が同行するとは言ってもとても不安で」
「私に手紙を託してくださいました。エステラ嬢を心配するゆえです」
ミレーヌの隣にオリバーが立った。
別に叱るつもりはないが、ミレーヌとオリバーもずいぶん仲良くなったのだなエステラは密かに思った。
ごほん、とヴィレット卿が咳払いした。
「国境のライン川を挟んでラコスト王国側の領地を治めるのは我がヴィレット家、そしてグレーデン王国側の領地を治めているのはシュトラウス家だ。そのため代々両家は交流が続いている。今回は急な訪問で少々驚いたが、まあそういうことだ」
「……た、大変失礼をいたしました」
すっかり弱々しくなったジュールが悔しそうに頭を下げる。
その後エミリーに支えられて無言で退室していった。続けてヴィレット卿も席を立った。
「私もジュールと少し話をしてまいります。ごゆるりとお過ごしください。エステラ嬢も」
扉が閉まって部屋が静かになる。
呆気に取られていたエステラはゆっくりとフェリクスへ視線を向けた。
「あ、あの王子殿下……?」
「うん、黙っていてごめん。……その、ふ、くく」
「フェリクス様?」
気まずそうに俯いたフェリクスがくるりと背を向けた。わずかに震えている背中にエステラはどうしたのだろうと首を傾げた。すると背後にいたオリバーも視線を外して震えている。一体どうしたのだろう。失礼かと思ったが前へ回り込んでみた。
「あら、笑ってらっしゃるのですか?」
「だ、だって……エステラ、君、人のお尻を……ふふ、べちーん! ってあははは」
「やめてくださいフェリクス様。ふっ……」
「あれは爽快でしたね」
「あはははは」
フェリクスもオリバーも笑っていたのだ。ミレーヌの呟きでついにこらえきれなくなったのかお腹をかかえて笑い出した。咄嗟にやったこととはいえエステラは少々恥ずかしくなってきた。両手で頬を挟んだら顔が熱くなっていた。きっと赤くなっているのだろう。
「は、はしたない真似をしてしまいましたね」
「はは……エステラ。やっぱり君は不思議な女の子だね」
笑いすぎて涙目になったフェリクスの笑顔にエステラも釣られて笑ってしまったのだった。
その後エステラとフェリクスはミレーヌとオリバーを部屋に残し庭へ出た。
二人で話をするためだ。ヴィレット家の庭園は広くどこも綺麗に管理されているようだった。小さな四阿を見つけてそこに二人並んで腰かけた。
「フェリクス様、今日は私を庇っていただきありがとうございました」
「いや、俺は何もしてないよ。君はとっても強かったしね」
「あのことはお忘れください……」
思い出してまた顔が赤くなりそうになる。いくら心はおばあちゃんとはいってもやりすぎたと反省していたのだ。それに久しぶりにフェリクスと会って、しかも今は二人きりなのだ。嫌でも緊張してしまう。
「エステラ、俺のことずっと黙っていてごめん。ココシュカの騎士学校でも知っている者の方が少ないんだ」
「仕方ありません。知られれば危険なこともあるでしょうし」
驚きはしたが、立場上簡単に身分を明かせないこともエステラは理解していた。それにしても、もっと遠い人になってしまったなと思う。エステラにとっては手の届かない人だ。なにせ王子様だ。少しそれが寂しいけれど。
フェリクスはグレーデン王国の第三王子だ。国を継ぐ必要はないので王都にある騎士学校へ通っていた。しかし現在の国王へ不満を持つ者も少ないながらいるらしい。後継者は第一王子に決まっていたし、第二王子はすでに別の公爵家を継いでいる。そんなわけで残った年若い第三王子であるフェリクスを担ぎ上げようと画策する者達がいたらしい。
「神輿にするにはちょうどいいと思われたんだろうなあ」
唇を尖らせてフェリクスが不満気に言う。
もちろんフェリクスにそんな気は全くなかった。国王である父のことは尊敬しているし将来的には兄を支えていくつもりだったのだ。不穏な気配を察知した国王とフェリクスは相談をして、王都から離れた国境沿いのココシュカの学校に転校することになったのだという。
シュトラウス侯爵家には子供がいないので、将来的にフェリクスが養子となって跡を継ぐことは内々に決まっていたし、ちょうどよかったのもある。周囲にはシュトラウス家の遠い親戚の子供、ということで通していたらしい。
「それで私のことを調べたというのはどうして……」
「えっとそれは……本当にごめん! 君が何か理由があって王都からココシュカに来ているんだろうっていうのは予想がついてたんだけど」
「はあ、まあその通りですね。……では言いにくそうなので私の方の事情を先に話しましょうか」
急にもごもごと歯切れの悪くなったフェリクスにエステラは自分のことを話すことにした。自分の本来は無いはずの記憶のこともだ。信じてもらえなくても構わない。フェリクスになら話してみたいと思ったのだ。
早くに亡くなった母のこと。ココシュカで祖母に育てられたこと。祖母が亡くなって父に引き取られたが家族として扱ってもらえなかったこと。そしてジュールとの婚約。卒業パーティー直前で急に思い出した記憶のこと。
フェリクスは大きな目を丸くしてエステラを見つめていた。
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