11 ジュールとの対峙
「エステラ! ようやく来たな。待ちかねたぞ」
「ジュール様……エミリー様も」
到着したヴィレット邸の応接間で待っているとジュールがずかずかと部屋に入ってきた。その隣に並ぶのは恋人のエミリーだ。
「まったく手間をかけさせられた。お前のようなつまらない女が俺と結婚できるのだからありがたく思え」
ふんぞり返って正面のソファに座ったジュールを見てエステラは首を傾げた。
「何か勘違いされておられるようですね。私は正式に婚約の解消をするために来たのですよ。ねえミレーヌ」
「その通りでございます」
「なんだと?」
ジュールが忌々しそうにエステラを睨む。以前はその眼差しを向けられると怯んでしまっていたが、不思議と怖くはなかった。人生をループしすぎて見慣れてしまったのかもしれない。それよりもエミリーからの敵意のこもった視線の方が怖い。
足を組みなおしてジュールがこちらを睨む。
「お前手紙を読まなかったのか? 父上の許可が下りない限り婚約は破棄できない。だからしかたなくお前を迎えてやろうと言っているんだ。だがそれは名目上だけの話だ。俺の愛するエミリーこそが真の妻になる」
「ジュール様……!」
じっとりとこちらを睨んでいたエミリーがジュールの言葉に表情を緩めてうっとりとした。そんなことのために巻き込まないでほしい。
「その条件で喜んで婚約する者はいないと思うのですけど……」
「俺の正妻になれるのだぞ。喜ぶのが普通だろ!」
「ナルシストにもほどがありますね」
後ろに控えたミレーヌがドン引きしている。
下手に見目が良く成績も優秀だったため周囲にも持ち上げられてとんでもない自信家というかナルシストになってしまったなあとエステラは遠い目をして呆れた。
「なによ! 侍女風情が口を挟まないでちょうだい! ジュール様が素晴らしいのは本当のことよ!!」
「も、もうしわけございません」
うっとりと夢見心地でジュールを見つめていたエミリーが耳ざとくミレーヌにギャンっと噛みついた。慌ててミレーヌが頭を下げる。
まあ、とエステラは感心してしまった。
「と、いいますか私も先日出した手紙には婚約解消の話し合いをしたいと書いたのですがお読みになってないのですか?」
「そんなもの、適当に流し読みして捨ててしまった」
「なんとまあ……」
しなだれかかるエミリーの腰を抱きふんとジュールが鼻で笑う。なんとなく予想していたことだがしかたがないかとエステラはが王立学院に通っていた頃を思い出していた。
エステラの話など碌に聞かずいつもエミリーや取り巻きを侍らしていた頃とジュールは何も変わっていないようだ。
「でしたらあらためてお願いいたします。私との婚約を解消してほしいのです。ジュール様も王立学院の卒業パーティーで私との婚約を破棄するおつもりだったのでしょう?」
「な、なぜそれを……! しかしあの時とは状況が変わったのだ。そもそも貴様が逃げたりしなければこんなことにはならなかったというのに」
それはそうかもしれないと今更ながらエステラは思う。
あのとき、公衆の面前でジュールから婚約を破棄されていればヴィレット卿も周囲の目や噂があるゆえにもうエステラを婚約者のままにしておくことはしなかったかもしれない。とはいえエステラにもプライドというものがある。自分だけが一方的に悪いと糾弾されるなんて御免だ。
「そりゃあその方がスムーズでしたでしょうけど……私ばかり恥をかかされては割に合いませんわ。それに婚約者であった女性に恥をかかせるなんてジュール様も良く思われないでしょうし。……まあもともとエミリー様と取り巻きの方たち以外の評判はあまりよろしくありませんでしたし」
「なんだと!?」
つい口が滑って余計なことを言ってしまった。ジュールが激高して立ち上がったときだった。それより早くエミリーが立ち上がりエステラにグラスの水をひっかけた。
「お嬢様!!」
「ジュール様に生意気な口を利くな! なによ、あんたなんて暗くて地味でなんの取り柄もない家族にも愛されていないくせに。それなのに……!」
エミリーが憎しみのこもった目でエステラを睨んでいた。庇おうと前に出ようとしたミレーヌを手で制してエステラはじっとエミリーを見つめた。きっとジュールの第二夫人になることを本当は納得してないのだろう。エステラのことが悔しくて憎くて仕方がないのだ。
「エミリー……! くそ、貴様のせいで。貴様なんかがいるから」
「ジュール様! 私やっぱり耐えられません。第二夫人なんて」
エミリーがわっと泣き出しジュールがなだめるように抱きしめた。エステラはミレーヌから受け取ったハンカチで髪を拭いてそっと話しかけた。
「私は確かに暗くて地味でなんの取り柄もない、家族からも愛されていない娘です。あなたたちにとっても邪魔者です。だからすべてが嫌になって逃げました……ですが、それももうやめようと思うのです」
何か言いたそうなミレーヌに苦笑して返してエステラはジュールとエミリーを見た。
「自分の未来は自分で作りたいのです。ジュール様もそうではありませんか? エミリー様を正妻にしてさしあげてください。あなたの力で」
「……しかし、そんなことできるはずがない。父上に反対されているんだぞ!」
ジュールは誰に対しても横柄ではあったが父親に反抗した姿は見たことがない。ヴィレット卿はラコスト王国では力のある貴族であるし優秀なジュールの兄である長男がいつも付き従っている。昔から彼らには何も言えないのだ。
ソファから立ち上がったジュールがエステラの腕を乱暴に掴んで無理やり立たせた。
「お嬢様! おやめくださいジュール様!! ……っきゃあ!?」
「ミレーヌ!!」
「形だけでも貴様と結婚するしか俺に道は無いんだ! 来い、今から父上に謝罪する機会を与えてやる」
「その手を離せジュール。他家の令嬢や侍女にそのような真似をするような教育はしていないはずだが」
エステラを強引に連れて行こうとしたジュールをミレーヌが止めようとして突き飛ばされた。そのとき部屋の扉が開いて一人の男性が入ってきた。
「ち、父上……!?」
「え……?」
ジュールの父、ヴィレット卿だ。そしてその後ろからもう一人青年が入ってきた。
ジュールが怯んで手の力が抜けているうちにエステラと引き離し間に入ったのはフェリクスだった。
「大丈夫か?」
「フェリクス様!? 一体どうして……」
どうしてここにフェリクスがいるのだろう。戸惑いながらもひさしぶりに見た優しい瞳になんだか心臓の鼓動が早くなってしまう。ジュールに腕を掴まれた時も緊張したがまたそれとは違う感じがした。
いたずらっぽく笑ったフェリクスがこっそりと囁く。
「今日は一応名目上は仕事でね」
「お仕事……?」
いつの間に入ってきたのかオリバーがミレーヌを助け起こしている。
そのそばで青くなったジュールが立ち尽くしていた。
「婚約者であるエステラ嬢の前で他家の令嬢を連れて一体何をやっているんだ?」
「ち、父上! 俺は……エステラを説得するために」
「色々と話は聞かせてもらったぞ。お前が王立学院時代からエステラ嬢をどう扱い、卒業パーティーで何をしようとしていたのかも」
「な……!?」
ヴィレット卿の冷ややかな視線がジュールへと向けられた。
「以前からお前の良い噂は聞かなかったが、エステラ嬢が王都からいなくなったと聞いてから調査をさせていたのだ。ヴィレット家に泥を塗りおって……お前には色々と話すことがある」
「そんな……! 悪いのはエステラです! 身の程知らずにも俺と婚約しようなどと強引にアシェル家が頼み込んでこなければこんなことにはならなかったんだ!」
「なんだ、お前は私の判断が不服か?」
涙目になったジュールが地団太を踏む。この婚約はヴィレット家とアシェル家双方の当主が利益になると判断したから決まったことだ。そんなことはジュールだってわかっているはずなのに、きっとパニックになっているのだろう。
ヴィレット卿の言葉にジュールは何も言えず黙り込んでしまった。
けれどやはり腹の虫がおさまらなかったのかキッとエステラを睨む。
「お前のせいで……!!」
「ジュール様……」
こちらへ突進してきそうな勢いのジュールから庇うようにフェリクスが前へ出た。そこで初めてフェリクス達の存在に気がついたようで訝し気な顔をした。
「なんだ貴様らは……」
「下がれジュール。この方は私の客人だ。そしてエステラ嬢のご友人だそうだ」
「エステラの?」
ぴしゃりとヴィレット卿に叱られてジュールが怯む。しかしその後ろで控えていたエミリーが騒ぎ出した。
「ああそういうことね! ジュール様という婚約者がありながら男ができたからココシュカへ逃げたというわけなのね!」
「ええ!? それは違います!!」
「お、俺とエステラはまだ付き合ってない!」
とんでもない誤解をされてしまった。慌ててエステラは否定したけれどフェリクスまで赤くなって余計なことを言っている。オリバーが後ろでため息をついていた。
「ふん、結局は貴様も同じ穴の狢ではないか。俺という婚約者がいながら他の男に走ったんだろう」
「違う、エステラ嬢はそんな人ではない。俺は一回交際を申し込んで断られた!」
「ふぇ、フェリクス様……!」
「フェリクス様そこまで言う必要はありません」
「やっぱりそういうことでしたか……」
背後に控えたオリバーが突っ込みミレーヌが静かに納得している。エステラは気まずくてしかたないが、とりあえず庇ってくれていたフェリクスの隣に立った。以前はジュールに睨まれるとすぐ委縮してしまっていたが、今日は隣にフェリクスがいるのもあって怖くはなかった。
「ジュール様、いくら私を責めたところでエミリー様との婚約は叶いませんよ。あなたがすべきことはもっと他にあるのではないですか?」
「何を生意気な……!」
対峙すべき相手はエステラではないはずだ。彼がずっと鬱屈した気持ちを抱えているのは気づいていた。けれどそれはエステラではどうにもできない問題だ。ジュールは顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「う、煩い煩い煩い!! 貴様に何がわかる! 貴様のような親に見捨てられた女が」
「いい加減にしないかジュール!!」
「ですが父上!!」
半狂乱のジュールを見かねたヴィレット卿が止めようとしたときだった。
「いい加減になさい!!」
べちーん!! と音が鳴ってジュールが床に這いつくばった。
エステラがジュールの尻を叩いたのだ。
「な……な……?」
「いつまで子供のように駄々をこねているのです! 皆の前でそのような情けない姿を晒して恥ずかしくないのですか? しっかりなさいませ!!」
唖然としている人々の前でエステラは倒れ込んだジュールのそばに寄った。
「エミリー様と結婚したいのでしょう? だったら全力でお父上を説得してください。そのために努力してください」
「あ、ああ……」
尻を叩かれた衝撃で大人しくなったのかジュールは涙目で何度か頷いた。それを見てにっこりとほほ笑んだエステラは立ち上がりヴィレット卿に向き直った。
「ヴィレット卿、ジュール様への御無礼大変失礼をいたしました。私は彼の相手にはふさわしくありません。婚約を解消していただけないでしょうか」
「ふっ……はははは。まさかアシェル家の令嬢がこのような方だったとは」
「ヴィレット卿?」
「こうなっては仕方ない。うちの息子のあなたへの数々の無礼なふるまいを報告されている。こちらこそ、ジュールはあなたにはふさわしくないのだろう」
急に笑い出したヴィレット卿は残念そうにそう呟いた。
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