10 父との決別
数日後、王都マルタンへ戻ったエステラはアシェル家の屋敷にいた。
ジュールとの婚約を解消するためだ。いつまでも中途半端なままでは先のことも考えられない。フェリクスの気持ちにもどう応えていいのかまだわからないけれど、エステラはもう逃げるのはやめようと決めていた。
応接間のソファに座っていると、父であるアシェル卿が不機嫌そうな顔で入ってきた。深くため息をついてエステラの正面に座る。
「……お前は、どれだけ私に迷惑をかけたと思っている。一体なんのつもりなのだ」
「突然勝手な真似をして申し訳ありませんでした。そのことについては謝罪いたします」
「なぜ突然ココシュカに逃げたかは聞かん。興味が無いからな。明日にでもヴィレット卿とジュール殿に謝罪に……」
「それはできませんわ」
「は?」
アシェル卿はエステラにはとことん興味が無い。だからとりあえずエステラが王都に戻りアシェル伯爵家とヴィレット侯爵家の婚約が無くならなければそれでいいのだろう。わかっていたこととはいえ実際にこんな態度をとられると残念な気持ちになる。
「私がマルタンへ戻ってきた理由はジュール様との婚約を正式に解消したいからです」
「馬鹿なことを」
「いいえ、本当です。私が逃げたせいで事が長引いてしまったことは謝ります。でも、私はジュール様とは結婚できません」
「勘違いをするな。おまえの意見は聞いていない。これは家と家とを繋ぐための契約なのだ。……まったく、生意気なことを。一体誰に似たのか」
話にならないとばかりにアシェル卿が立ち上がった。蔑むような視線に怯むことなくエステラも立ち上がる。きっと以前のエステラだったら何も言えなかっただろう。けれど今のエステラは100回の人生の時間を生きた記憶を持っているのだ。
「貴族の結婚は家と家との契約。その割にはお父様はお母様も私のことも大切にはしてくださりませんでしたねえ」
「なんだいきなり」
「政略結婚であっても、相手を大切にする心を持とうと思えば持てたはずです。家族になるのですから。なのにお父様はそうしなかった。おばあ様が亡くなるまで私のことだって引き取ろうとすらなさらなかったと聞いています」
「い、今さら何を昔のことを。結局はあの女が死んだ後お前を引き取って育てたのだから問題ないだろう」
少しは後ろめたい気持ちがあるのかアシェル卿が視線を逸らした。確かにアシェル卿は身寄りのなくなったエステラを渋々引き取ったが家族としては扱ってくれなかった。すでに今の夫人と結婚していたからだ。
エステラはふう、と溜息を一つこぼした。
「そのことについては感謝しますけど、あのねえ。お金さえ出せばいいってものではないですよ。あなたは父親の自覚はおありですか?」
「な!? エステラ貴様……!!」
「会話もせず食事も一緒に摂らず、教育は学校と使用人に丸投げ。都合の良いときだけ娘扱いなんてあんまりじゃありませんか」
まったく、とエステラは腕を組んでため息をついた。
今更ながら過去のことを思い出すと酷い扱いを受けていたと思う。しかもエステラにとっては何度も何度もだ。いつも大人しく何も言い返してこなかったエステラの変化にアシェル卿は戸惑っているようだった。
変わりもする、とエステラは苦笑した。エステラはアシェル卿よりずっと長い時間を生きたのだから。
「私にだって父親は必要だったと思いますよ? まあ、今更ですけどね」
「わ、私は貴様の父親だぞ」
「いいえ、私はあなたを父だとは思っておりません」
「な……!?」
「家と家との契約ならばちゃんと【ご家族】でされた方がいいかと。私はアシェル家の【家族】ではなかったようなので」
きっぱりと宣言したエステラにアシェル卿が絶句する。
今更そんな驚くことでもないと思うのだが。
「私はもうここを出て行きます。今まで育てていただきありがとうございました。どうぞご家族でお幸せに過ごしてください」
ひらりとスカートを翻しエステラはゆっくりとほほ笑んだ。青い顔をしたアシェル卿は何か告げようとして、けれど何も言葉にできないようだった。
「お嬢様があんなに気が強いところがあるなんて知りませんでした」
「私もよ。まあ年の功ねえ」
「また老婦人みたいなこと言って……ところで本当にこのままヴィレット邸へ行くのですか?」
父と決別しアシェル家を出たエステラはミレーヌと共に馬車に乗っていた。王都に戻るのならばとミレーヌもココシュカからついてきてくれたのだ。アシェル卿との会話は部屋の外に待機していた彼女にも聞こえていたようだ。父には強気で対応できたけれど、やっぱり傷ついてないわけではない。ミレーヌがいてくれて良かったとエステラは感謝していた。
エステラの隣に座ったミレーヌは不安そうだ。今から向かうのがジュールの住むヴィレット家の屋敷だからだろう。
「ええ、もちろんよ。話し合いのために手紙も送ってあるのだし」
ココシュカを出る前にジュールには訪問する旨を先に手紙を送って伝えてあったのだ。エステラとしては早く婚約を解消してココシュカに戻りたいのでできることはあらかじめやっておいたのだ。
呆れた様子のミレーヌが首を横に振る。
「お嬢様は普段のんびりされてるのに一度決めるとこちらが驚くほど行動力がありますよね」
「まあ褒められてるのかしら」
「褒めてません!」
馬車に揺られながら戯れにそんな話をしているうちに貴族街の中でも大きな屋敷の前に出た。ヴィレット侯爵家の屋敷だ。
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