ゆうげの匂い
どうも、とある団地妻です。嫁としてご飯の準備をするのは当たり前なんですが、私は料理は不得手でして、夫もいつも苦笑い。
息子の裕太も出来て、育ち盛りの5歳児なのに美味しい料理を作れないなんて、私は主婦失格かもしれません。
「うぅ。」
涙が出ます。玉ねぎ切ってるから。今は晩御飯の準備中。
「お母さん、今日のご飯まだ〜。」
「も、もう少し出来るから、今日はカレーよ。」
「やったー♪カレー大好き♪」
息子はカレーが好きな様だが、それは他の料理と比べると大分マシな方だからだろう。
大きなジャガイモが入ってても「わーい♪大きいー♪」と喜んでくれるのは嬉しいが心苦しい。
せめて少しでも美味しく作らなくっちゃ。
"ピンポーン"
家のチャイムが鳴る。この晩飯の時間帯に訪ねて来るとは一体誰だろう?
「はーい」
私が玄関のドアを開けると、そこにはオカッパ三白眼の小柄な女子高校生が仁王立ちで立っていた。
多分、隣に越してきた大宮さんの娘さんね。しかし、何で大宮さんの娘が私の家を訪ねてくるんだろう?
「田中さん、夕飯の準備中に突然訪ねてしまい、申し訳ありません。」
「あ、はい。」
どうやら礼儀を重んじるタイプの娘さんらしい。
「そ、それで私に何か用かしら?」
「えぇ、それでは言わせてもらいます。少し言いづらいことですが。」
やだなぁ、少し言いづらいことを言われるの。私はメンタルが弱いんだから。
「この家から出てくるゆうげの匂いが酷いんです!!ハッキリ言いますが、奥さん!!料理下手ですね!!」
「きゃああああ!!」
思わず悲鳴を上げる私。本当に言いづらいことをスバスバと言われてしまった。足がガクガクする。
「私、家から漏れる、ゆうげの匂いが大好きなんです。匂いを嗅ぎながら、その家の夕飯を想像して、お腹を空かせて家に帰る。それが私のルーティンなんですよ。それなのに肝心のお隣さんから匂うのが生ゴミみたいな臭いとか、あんまりですよ!!」
「な、生ゴミ・・・。」
私はとうとう両膝を突いてしまった。一生懸命作ってるのに生ゴミはあんまりだ。
「ちなみに今日は何を作ってたんですか?」
「い、一応カレーを。」
「カレー!?こんな生ゴミみたいな臭いがするのに!!」
生ゴミ生ゴミって大きな声で言わないでほしい。他の団地の住人に聞かれちゃう。
「確認します。ちょっとお邪魔しますね。」
「えっ?あの・・・待って。」
「お邪魔しまーす。」
靴を脱いで、脱いだ靴を整えてから我が家に入ってくる大宮さんの娘さん。強引な割に礼儀は完璧だわ。
「お母さんその人誰?」
騒ぎを聞きつけて裕太がやって来ました。誰って言われても隣の家の娘さんとしか言いようが無い。
そうしてカレーの鍋を見るなり驚愕の表情を浮かべる大宮さんの娘さん。見かけはそんなに悪く無いは・・・。
「なんですか!?この紫色の物体は!?これがカレーだなんて、インド人に謝ってください!!」
めっちゃ言うし!!確かに紫がかってることは否めない!!
「わ、私だって、美味しく作りたい!!でもどれだけレシピ通り頑張って作ってもこんなのになっちゃうのよ!!うぇえええええん!!」
とうとう私は泣いちゃった。だからメンタル弱いって言ってるのに。
「お母さんをいじめないでぇええええ!!びぇええええん!!」
裕太も泣き出した。もう状況がカオス過ぎる。
「泣いてたって、アナタの料理が下手なのは変わらない事実ですよ。だから前を向きましょう。私が料理を教えますから。」
胸を右手でドーンと叩く、大宮さんの娘さん。この子が私に料理を教えてくれるですって?・・・フッ、舐められたものね。
「どうぞ宜しくお願いします。」
「け、決断早いですね。でもその活きや良し。」
自分でも壊滅的だと思ってる料理の腕の私。ぶっちゃけ藁にもすがりたい気持ちだったので、女子高校生といえどもありがたい。
「じゃあ、この紫カレーを頑張って持ち直すので、少々お待ちを。」
「えっ?持ち直す?コレを?」
「はい、これぐらいやってのけないと、ゆうげの匂いに文句言う資格はありません。まぁ、見ててください。」
そう言うと、調味料やら何やら鍋にぶっ込み始めた大宮さんの娘さん。本当にそんなので、紫カレーがどうにかなるものか。これは見ものである。
「ふぅ、これで大分マシになりました。」
なったーーー!!まさしくこれぞカレーって色になってるし、良い匂いもするし。
「うわぁ、おいしそう!!早く食べたい!!」
裕太のテンションめちゃくちゃ上がってるし、やっぱり今まで無理させてたのね。ごめんね、裕太。
それではカレーをご飯にかけて、いただきますして、いざ実食。
スプーンですくって、パクリと一口食べてみた。鼻を抜ける芳醇な香り、そして口に広がる豊かな味。これぞ久しく食べてない美味しい家カレーだわ。
「美味しいね♪お母さん♪」
「そうね。私のよりずっと。」
敗北感よりも何だか満たされる、何だか清々しい気分だ。
「満足して頂けましたか?」
ニコリと笑う大宮さんの娘さん。大宮さんは早くに妻を亡くして、それから父子家庭で彼女を育てたという、その関係で娘さんの料理の腕前がメキメキと上達したということだろう。
「大満足です。私もアナタみたいに美味しい料理が作れるようになりたいわ。」
「成れますよ!!私が教えますから!!」
「し、師匠。」
おっと、思わず師匠と呼んでしまった。でもこれから料理を習うわけだから、この呼び名は間違いではない。
「し、師匠ですか・・・悪くない響きですねぇ♪」
嬉しそうだ、どうやら本人も満更じゃないみたい。
「お姉ちゃん、お料理上手だね♪」
裕太はカレーで餌付けされたらしく、彼女の右足にギュッと抱き着いた。
「きゃっ、ど、どうしたのボク?」
「えへへ♪お姉ちゃん大好き♪大きくなったら結婚してあげる♪」
「な、何言ってるのよ!!」
顔を赤らめる師匠。私の息子と歳にして10は違うだろうか?そんな息子相手にタジタジになっている姿は中々に滑稽である。
〜12年後〜
今日は息子の結婚式。19歳で結婚するのは早いと思うが、相手の歳を考えると妥当かもしれない。
12年前の私の料理の腕前は壊滅的なものだったが、師匠の元で血の滲むような特訓をして、メキメキと上達、遂には料理研究家になり料理本を出すまでに至った。
「母さん。」
控室で息子声を掛けられた私。背格好も大きくなり頼もしくなったけど、くりっとした目は幼い日のあの頃のままである。
「あら裕太、タキシード似合ってるわよ。」
「ありがとう、美紀さんの花嫁衣装も見てあげてよ。」
息子に言われ、傍らの花嫁に目を向ける。純白のウェディングドレスがよく似合っていて、見惚れるぐらいに綺麗だった。彼女は目を潤ませて私を見つめている。
「義母様・・・私今日、とても幸せです。」
彼女は私にとって、本当の娘のような存在。だから二人の子供の晴れ舞台を見ている気分である。
「師匠・・・お幸せに。」
きっと二人の家からは、良いゆうげの匂いがするのだろう。