06
家の中で移動中に軽く踊る事が増えたせいか外でもちょっと踊りそうになってます
「……気は済んだ?」
レアリが運んできたガルムを見下ろしながら、ラストが聞いた。
「お陰様で」
親指の一つも立てたい所だが、生憎とそんな余力もない。
「レアリ様。これまでの非礼をお詫びします」
「今も十分非礼」
「いやご尤も」
寝転がりながらの会話である。
ラストの指摘に、返す言葉もない。
「ですが今しばらくはこのままで、お許し願いたい」
わかってはいるが、起き上がれないのだ。
「構いませんよ」
「そういえばそいつ――いやそちらの二人は?」
聞きそびれていた事を確認する。
「ツカサさんにウノさん。簡単に言うと味方です」
曖昧な物言いは、それで納得しろと言っているようでもあった。
「……詳しく言うと?」
隠されると余計気になるものだ。
「彼がケイモンで結界を壊した方で、彼女が結界の外から入ってきた方です」
「……は?」
答えを期待していなかったせいもあるだろう。
だがその不意打ちを抜きにしても理解が追いつかなかった。
(結界を壊した……?)
そもそも壊せるものなのか。
事実ならとんでもない事だ。
その外から来たという少女にしてもそうだ。
外に何者かが存在していたなどと、初めて知った。
何一つガルムの常識と噛み合わない。
「こんにちは」
まじまじと見ていると、無害そうな少年の挨拶。
「今の人間は、本当に我らの脅威を知らずに生きてるんだな」
少女の方は、有り体に言うと偉そうだった。
この四人に自分が加わる。
「俺、必要あります?」
助力を乞う相手を間違えてはいないか。
ガルムの内にそんな疑問が芽生えた。
「ありますよ」
「でもこの体たらくじゃ」
手加減されてなお手も足も出なかったのだ。
「レアリ相手なら、誰だってああなる」
ラストの言葉に、ガルムは耳を疑った。
見ようによっては慰めとも取れたからだ。
だがラストが気休めを口にするとも思えない。
彼女はトルミレ同様、歯に衣着せぬ物言いで知られている。
良くも悪くも正直なのだ。
となると単純に事実を述べているだけ、という事になる。
仕方ないと思う反面、意表を突けずに終わる不甲斐なさもあった。
「あんた、何でレアリを信じようと思ったの?」
不意にラストが聞いた。
「エアルの隊士なら誰だって信じますよ」
「でも他の隊士みたいな信心、あんたにはないでしょ」
「……まぁ」
苦笑交じりに頷く。
直接話す事は滅多になかった筈だが、大した慧眼である。
「レアリは善意を信じてるけど、巫女二人が侍女でもない変なの連れて私用で会いに来たら怪しむのが普通」
「断言する程でもないと思いますがね」
一理はあるが。
「ブラドの事聞いたんでしょ。だったらこっちのレアリが偽物で裏切ったのがリオネラじゃなくて私の可能性もあるって思わなかったの?」
「可能性で言えば低いかと」
「それはなぜ? 何を根拠に確立を割り出したの?」
「そんないきなり聞かれてもな」
元より考えるのが苦手な性分である。
即座に答えられるほど頭の回転は速くない。
「単純にクレネの鈍すぎる現状を裏付ける情報をレアリ様が持ってたってのが一つ」
二つ目は?
ラストが沈黙で続きを促す。
「お二人は、先週派遣したブラドの捜索隊を覚えてますか?」
「ブラドの潜伏先に向かった、って辺りから連絡が取れなくなってた筈だけど」
「その事ですが、ガルム隊長」
レアリが思い出したように言った。
「私達は指揮に当たっていたキース副隊長とケイモンで会いました」
伝えるのが遅れてすみません、と律儀な謝罪。
「あいつと?」
無事だったのかと驚きながら。
「ただ、その……」
「ブラドの仲間のエルマーって奴に操られてるみたいだった」
言い淀むレアリに代わってラストが答える。
「……そうですか」
死んでないだけまだいいと割り切るべきか。
悩むのは後だと自らに言い聞かせる。
小さく嘆息を漏らしてから、ガルムは続けた。
「話を戻しますが、その調査隊にいたニナって霊装開発局の職員をこちらで保護してまして」
「無事な方が、いたんですね」
驚きと安堵を両立させたレアリの呟きに頷いてから。
「最初は黒衣衆と合わせて何人か。ただ追手が掛かっていたせいで、首都に着く頃には彼女一人になっていたとか」
「首都に? こちらではなく?」
「ええ。数日はそれでもよかったらしいんですが、急な人事で新たに局長に就任した男が件の村にいたエルマーという男だったとかで、取る物も取り敢えず逃げてきたと」
「あんたの所に来た理由は?」
「俺の所というより実家がこっちだったようで、おまけに彼女の兄が俺の部下で、そこを経由して相談を受けました。まぁ、その時点では半信半疑でしたが」
ガルムは判断を保留として、様子を見る事にした。
クレネ側から彼女の捜索を命じられた訳でもないのだ。
何より、身の危険を感じて逃げてきた者を見捨てるのも寝覚めが悪い。
その程度の良心はガルムにもあった。
「レアリ様の話は、この件と符合する点が多かった。俺も馬鹿なりに信ずるに足ると感じた末の判断です」
言い終えてから、改めてラストを見る。
「納得頂けましたか?」
「うん」
冷めた顔で頷く。
(ほんとか……?)
少し不安になる態度だった。
いっそ首を横に振ってくれた方がしっくりくる。
「態度には出ないだけでちゃんと納得しているので大丈夫ですよ」
訝しげなガルムに対し、レアリの補足。
「ならいいんですが――」
言い終えてから、一瞬意識が飛んだ。
そろそろまずいと首を振る。
「すみませんが、少し眠っても構いませんかね」
戦闘の疲労で話の途中からずっと瞼が重かった。
「それは、気付きもせずにすみませんでした。どうぞ」
「あと、目が覚めたら何か食えるものがあると助かります」
「は?」
ラストが露骨に眉を寄せる。
巫女に頼む事かと言いたげに。
だがそんな難色もガルムの目に映る事はなかった。
「眠ってしまいましたね」
後に残ったのは安らかな寝息のみ。
「何、こいつ」
ラストは怒りに震えた。
「買い出しに行きましょうか」
§
「我も一緒に行きたい」
そんな申し出から、買い物はレアリとウノの二人で行く事になった。
人々の暮らしが見たかったらしい。
好き勝手歩き回るかと思いきや、ウノは意外に大人しかった。
ただ気になる物は多いらしく、あちこち物珍しそうに見回している。
旅装という事もあり、これなら遠方の集落からの巡礼者と思われるだけで済む。
「ウノさんが来てくれて助かりました」
「んあ?」
ぼんやりと気の抜けた顔でレアリを見上げて、
「何だ急に?」
「いえ、もしブラドの側に付かれていたら、きっと大変だったろうと」
「何だ」
そんな事かと呟きながら。
「そんなもの、感謝される謂れはない。単純に強い方に付いただけだ。お前だって、だからツカサを連れて逃げたんだろ?」
「勿論それもありますが」
「あれの目の前に落ちた時は、思わず平伏しそうになったよ。生きて中に入れたらやろうと思ってた事が軒並み頭から消し飛んだ。今の転生者はあんな化け物ばかりか?」
「いえ、彼は例外です。そもそも今は転生者が生まれる環境ではないので」
「それを聞いて少し安心した。あんなのがごろごろいたら敵わん。敵対はそれこそ自殺行為だ」
「けれど彼の有り様は万能とは掛け離れています」
委ねられる部分は、あってもかなり限定的だ。
「ツカサに頼るのは本当に最後の手段として、実際どうなん。勝算の方は」
「正直、あちら次第かと」
未だに大半が未知数な相手だ。
ブラドに関しては特に。
それ故に楽観は出来ない。
「神速のレアリが随分と弱気じゃないか」
「元々好戦的な質ではありませんし、強気で戦いに臨んだ事もありませんよ」
「聞いていた話とだいぶ違うな」
「噂なんてそんなものです」
「わからない事ついでに、勝った後の事も聞きたいんだが」
「出来れば負けた後の事も気にして欲しい所ですが」
「負ける時は死ぬ時だ。後はないから気にもしない」
「それは、何というか……懐かしい考え方です」
結界が出来る以前は、まさにそうした虚無で溢れていた。
感情の赴くままに暴れ回り、先の事など考えもしない。
そのせいで何もしなければ全ての命が滅ぶ道さえあった。
「それがお前の逆鱗に触れたんだったな」
「未来を憂えていたのは私だけではありません」
「その心配性なお仲間は?」
「混血という形で子孫は多くいますが、今いる純血種は私達だけです」
虚無の寿命は、本来人ほど長くはない。
より長く生きようとするなら選択肢は二つ。
霊脈の豊かな土地で霊子を取り込むか、他者から奪うかだ。
霊脈の多くを人々や土地を育むために使い、争いをやめた虚無は、だから最初の百年で大半がその天寿を全うした。
「まさに人の世だな」
往来を行き交う人々を見ながら、ウノが言った。
「共存の世です」
「でも異物もまた混じってた訳だ。今まで似たような事は?」
「結界が出来たばかりの頃に一度だけ。主犯はその時の生き残りかと」
それ以降は穏やかなもので、完全に絶えたものと思っていた。
「数百年。随分と我慢強く隠れてたな」
「そういえばウノさんは――」
「ウノでいいよもう」
堅苦しいのはなしだ、と右の口角を吊り上げて。
「ウノは、どうやって今まで外で生きていたんですか?」
これは彼女が落ちてきた時からの疑問だった。
供給源が皆無であろう結界の外で、どうやって生き延びたのかと。
「あー、それな」
別段隠す事でもない、という調子で。
「仮死状態になって消耗を極限まで抑えて凌いでた」
「そんな事が」
可能なのか。
いや、可能だったからここにいるのだが。
「それで助かる保証もなかったけど、他に選択肢もなかったしな」
ウノはその賭けに勝った。
だとしたら。
「他の虚無も、同じ方法で生き残っているんですか?」
ウノ以外の侵入者もいる。
その可能性が現実味を帯びてくる。
これは下手をすればブラド以上の脅威にもなりかねない。
「さあ」
肩を竦めてから。
「ずっと寝ているのと変わらなかったし、少なくとも同じタイミングで入って来る奴は見なかったな」
「そうですか……」
惚けているようにも見えない。
だがいくつかの疑念も拭えずにいた。
「じゃなくて、勝った後の事だ」
どうしたものかと思案に暮れるレアリに、ウノが言った。
そういえばそんな話の途中だった事を思い出す。
「あ、はい。何でしょう」
「お前はツカサをどうするつもりでいるんだ?」
「どう、と言われましても」
どうするつもりもない。
レアリには問いの意図が掴めなかった。
「封印とか考えてたりしないのか?」
「いえ」
考えた事もないという顔で。
「そんな事が出来る相手でもありませんし、終わった後の事でしたら既に彼とは約束がありますから」
「約束?」
「この件が片付いたら、彼のものになってもいいと」
「は?」
言葉の意味が理解出来ず、ウノは数瞬固まった。
構わず歩き続けるレアリに慌てて追いついてから。
「え、冗談?」
「本気ですよ」
真顔の返答。
「そんな事言って、自分用の霊脈代わりに使うとかじゃなくて?」
これは半ばウノが考えていた事だ。
ツカサの有する霊子は脅威ではあるが、同時に尽きる事のないご馳走でもある。
彼と比べれば他の転生者など残飯以下と思える程に。
「約束を反故にするような真似はしません」
レアリにしては珍しく、呆れた顔で言う。
「何で?」
だとしたら尚更納得出来なかった。
「厚意に対して恩義を感じてはいけませんか?」
「いやいけなくはないけど」
自身を差し出すというのは……。
「いくら何でも行き過ぎじゃないか?」
「かもしれません」
「自覚はあるんだな」
あっさり認められて、ウノは眉を寄せた。
過剰ともいえる献身の理由が掴めずに。
「何だ。ツカサに惚れでもしたか?」
半笑いで聞く。
他に見当も付かなかったので、軽口程度の問いだった。
「そうかもしれません」
レアリの肯定に、ウノが二度目の硬直。
あまりにもそれが長かったため、今度は離れすぎたレアリが戻ってきた。
「どうしました?」
「いや……」
文字通り開いた口が塞がらないという顔で。
「え、冗談?」
「本気ですよ」
同じやりとり。
けれどウノの動揺は先程の比ではなかった。
「自分でもまだ実感は持てずにいるのですが」
「何で?」
純粋な好奇心から、ウノは聞いた。
「あんな戦力としては使い所がないどころか足枷になりかねない、従順なだけが取り柄で影が薄くて気も弱い負け犬代表みたいな奴なのに」
「あの、本人がいないとはいえ流石に言い過ぎですよ」
レアリが否定出来ない事を気まずそうに窘めた。
「あぁ、すまん」
そこまで言うつもりもなかったが、途中から興が乗ってしまった。
「……でも本当に、何ででしょうね」
頬に手を添えながら思案げに。
答えを濁すというより、自身まだ見付け倦ねている様子だ。
「ただ、あんなにも打ちひしがれている方を見たのは初めてで、可哀想で、それでいて可愛らしくて、支えてあげたいと思ったのです」
「そんな事ある?」
どういった配分の元に成立している感情なのか、心底理解できなかった。
「何分私も初めての体験なので、断言は出来ないのですが」
「同情じゃないのか?」
「それも少なからずありますけど、これまで感じてきた哀れみと違う事くらいはわかりますよ」
「んー……」
哀れみで結界を作った女の言葉である。
今更混同もないかとウノは黙る。
「ウノは、こんな経験ありませんか?」
「ありませんね」
確信に満ちた即答。
「ですよね」
わかってはいたと言う風に頷く。
虚無は基本的に闘争本能が強く、そうした感情に疎い者が多いからだ。
だから人との共存を望みレアリ達の側に付いた虚無は、当時全体から見れば圧倒的に少数派だった。
「私としてはそういう事ですので――」
釈然としないままのウノに向けて、レアリは言った。
「ツカサさんに対してあまり邪な考えを抱かないようにお願いします」
穏やかな口調ながら、それは警告だった。
破ればただでは済むまい。
「わかったわかった」
二つの意味での了解。
表向きは軽く、けれど肝に銘じて頷いた。
気を付けたい