05
「まぁ、あの生き物が言葉を?」
ステアの報告に、レアリに化けたブラドは目を丸くした。
驚きに開かれた口元を手で覆っている。
「私の、聞き違いかもしれないのですが」
寧ろそうであって欲しいという顔。
その声がトルミレに酷似していた、という所感は伏せていた。
とても言い出せる事ではない。
「私は気付きませんでしたが、直接戦ったトットちゃんは、何か聞いていませんか?」
後ろに控えていた侍女へ問う。
「いえ、私は何も」
短い答えに迷いはない。
聞いたのが自分だけとわかり、ステアは悄然と肩を落とす。
やはり聞き違いなのか。
そうなると今度は自分の正気が疑われはしないかという懸念が生じる。
ステアにとって自分がどう感じたかはさして重要ではない。
レアリにどう思われるか。
大事なのはそれだけだ。
「ですが他ならぬステアの言葉です。何かあるのかもしれませんね。エルマーにも伝えておきましょう」
信じてくれた。
「ありがとうございます」
それだけでステアの心は救われてしまう。
「それにしても、あの獣は何だったのでしょう……?」
気の緩みから、秘めた疑問を口にする。
「気になりますか?」
レアリの流し目に、いくつかの答えが頭に過ぎる。
「少しだけ」
あまり踏み込んでいい話題ではない。
そんな直感から、比較的当たり障りのないものを選ぶ。
「心配しなくても、知った所で罰はありませんよ」
見抜かれていた事に、内心ひやりとさせられる。
「結界が出来る前は、ああした生き物が多く存在していたのです」
レアリの言葉に、思わず目を見開く。
初耳という訳でもないが。
「それ、本当だったんですね。てっきり御伽噺の類かと」
「事実ですよ」
現代に存在しないのだ。
疑いたくなる気持ちもわかる、とレアリは頷く。
「ケイモンでの戦いで結界に穴が空いたので、そこから入ったのかもしれません」
「ではまだ、結界の外にはあんな生き物が沢山?」
誰しも外の世界を思い描く事はある。
そこに何があるのだろうか、と。
だがそれでは地獄だ。
自分達は結界なしでは生きていけない。
「いるかもしれませんね。穴から入り込んだのがあれだけとも限りませんし」
さらりと恐ろしい可能性を口にする。
「まぁいくら来た所でトットちゃんが全部やっつけてくれますよ。ね?」
「全部は荷が重いかと」
言う割に冷静だ。
落ち着いていられるのは、自身の実力故か。
どうやってあれ程の力を……。
「トットさんは、今までどちらに所属していたのでしょう?」
疑問から、嫉妬も忘れて問い掛ける。
あの獣との闘いは、ステアも途中から見ていた。
だからこそわかる。
トットという侍女はこれまで見て来た誰よりも強い。
下手をすれば霊峰の隊長などよりもずっと。
それ程の実力者がよく今まで噂にもならずにいたものだ。
「どこという訳ではありませんが、永らくエルマーに預けていました。彼はあれで人を育てる能力に長けていますから」
「そうですか……あの方に」
思いつめた様子で頷く。
それ以降も会話は続いたが、心ここにあらずといった様子のまま終わった。
ステアの退室。
扉が閉まるのを待ってから、
「……え、トットってそうなのか?」
それまで横から見ているだけだったリオネラが聞いた。
つまりは、キースのように彼の手を加えられた戦士なのかと。
「違います」
「私が育てたとも言えませんし」
仮にレアリが育てていたなら御側付きのステアが知らないのはおかしい。
エルマーは体のいい代役だ。
「今の真に受けたステアがエルマー頼っちゃったらどうするんだ?」
「でもエルマーですよ?」
ありえぬとばかりに。
「どれだけ困窮していてもあれに身を任す程軽率ではないでしょう」
「それもそうだな」
共犯者に対して散々な言い様だが、誰も擁護しなかった。
§
霊装開発局。
入口にそう書かれた扉を、ステアはゆっくりと叩く。
地下の中でも初めて訪れる区画である。
あまり人の出入りがないのか、道中では誰とも会わなかった。
いくら待っても返事はない。
(誰もいないのかな)
ここはそれなりの職員を抱えていた筈だが。
「何か御用ですか?」
出直そうか考えていると、遠くから声が掛かった。
「あ……」
長い廊下の向こうから歩いてくるのは、探していたエルマーその人だ。
「確かあなたは、レアリ様の侍女の……」
「ステアです」
何度か顔を合わせる事はあったが、直接話すのはこれが初めてである。
「失礼。先程の獣の処理に人が出払っていて、今は誰も中にいないのですよ」
「そうでしたか」
「どなたかに御用で?」
「えぇ、それが、エルマーさんに」
「私に……?」
細い瞳を意外そうに見開いて。
「レアリ様がお呼びですか?」
「いえ、私個人の用です」
「なるほど」
思案げに一度頷いてから、
「何やら込み入った事情がありそうだ。立ち話も何ですから、よろしければ中へどうぞ」
促されるまま部屋に入るエルマーの後に続く。
室内は廊下よりも薄暗かった。
試作品と思しき霊装の数々。
そしてそれらを作るための装置が、所狭しと並べられている。
「散らかっていてすみませんね。足元にお気を付けください」
「はい」
「こちらに来たという事は、何か専用の霊装をお求めですか?」
「いえ、それもあるのですが、トットさんを育てたのは、エルマーさんと伺って」
「それは……」
前を歩くエルマーが立ち止まり、ステアも横に並ぶ形で止まる。
「そうですね。彼女は自慢の弟子ですから」
言い淀む素振りからの肯定。
ステアはそこに疑問を持たなかった。
力を得る。
そのための鍵がここにある。
それだけで十分だった。
「私も彼女と同じくらい、いえ、もっと強くなれるでしょうか?」
目付きや表情が変わった訳ではない。
だがその問いで、エルマーの纏う空気が変わった……気がした。
沈黙。
ステアを見据えて、値踏みするような。
「現状では何とも」
やがてエルマーは言った。
「あなたがどの程度耐えられるか。全てそれ次第です」
けして楽な道ではない。
それでなお進む覚悟はあるのかと、男は聞いていた。
トットの顔が浮かぶ。
自分の居場所を奪った侍女の顔が。
彼女がレアリの傍にいる。
自分ではない者が。
そう思うだけで叫びそうになる。
この先に何が待っていようと、それよりはましだ。
「どんな事でも、耐えてみせます」
再びあそこに立てるなら。
そう、決然と頷く。
「結構」
エルマーは満足そうに笑う。
「それでは奥へどうぞ」
§
ケイモンが襲撃を受けた日から、既に一週間が経過していた。
霊峰はどこも厳戒態勢。
それはこのエアルも例外ではない。
復興支援のためケイモンへ派遣した隊士の話では、現地は酷い有り様らしい。
一時的に結界に穴が開いたという話もある。
関連性は不明だが、二日前にクレネで巨大な獣の出現が確認された。
こちらも既に駆除は済んだらしいが、どこも気の抜けない状況だ。
しかし隊長であるガルムは、どうにも身が入らずにいた。
これは何も起きぬまま過ぎた日数のせいもある。
だがそれ以上に、自分達に降りてくる情報が不透明すぎた。
何か起きている。
それは確実なのだ。
だというのに元老院の老師達は沈黙を続けている。
非常時であればもう少し積極的な動きを見せてもいい筈なのに、だ。
まるで静観を決め込んでいるような節さえある。
そんな中で士気を保てというのは難しい。
(どうしたもんかね)
主都の内情を探るにしても、ガルムはそれを任せられる人間を知らない。
そうした事は先代の副長であるマヌエルに任せっぱなしだったからだ。
おまけに現在の副長であるキースは襲撃者の追跡に出たまま行方不明。
調査は継続中という話だが、これに関しても続報はない。
考えながら、人通りの少ない道で振り返る。
「……おーい、もう家着いちまうぞ。いつまで尾けて来てんだー?」
山を降りてから、ずっと気配を感じていた。
付かず離れず。それでいて正確な位置は掴めない。
恐らくは意図的に発せられたものだ。
敵意がない事を示すためだろう。
すぐに声を掛けてくるものと放っておいたが、流石に遅すぎた。
根負けだ。
とはいえ言って出てくる保証もないのだが。
「お」
駄目元の呼び掛けに、けれど相手は姿を見せた。
建物の上にいたらしく、少し離れた位置にふわりと降り立つ。
気配の時点でわかっていたが身のこなしも中々のものだ。
白いフード付きの外套を纏っており、顔はよく見えない。
霊峰の巡礼に信徒が使う、一般的な旅装だ。
上着越しにもわかる細身。
少なくとも男の体格ではない。
「誰だ。何か用か?」
「警戒させてしまったのでしたら謝罪します」
「……あ?」
聞き間違いか。
疑念を覚えたのはその言葉にではない。
彼女の発した声の方である。
だがありえない。
こんな場所にいる筈のない相手だ。
それも、護衛も付けずに単身で。
「ですが私も、表立って会う訳にもいかないので」
言いながら被っていたフードを取る。
「こりゃたまげた」
半ば愕然と呟く。
こうなるともう錯覚では済まされない。
ガルムもよく知る巫女の一人。
レアリの姿がそこにあった。
単身での来訪。
いかにも訳ありだ。
何より巫女相手に立ち話もなかろうと、ガルムの自宅に入る事にした。
「狭い所で悪いんですがね」
霊峰の隊長ともなれば住居の待遇もそれなりにいい。
だがそれも、相手が信仰の要とも言える巫女となると話は別だ。
彼女達から見ればどれも一様に庶民の域を出ない。
「いえ」
幸いと言うべきか、レアリは気にした風もなく上がり込む。
「何か飲みます?」
とはいえろくに客を招く事のない独り身の家だ。
出せるものなどあまりない。
「お気遣いなく」
本来許される対応ではないが、本人が言うならよかろうと厚意に甘えた。
居間で互いに向き合った状態で座る。
ガルムとしても聞きたい事は山ほどあった。
「それで、何の御用です?」
それも一人で、という点は殊更強調するまでもない。
「急にこんな事を言って、信じて頂けないかもしれないのですが」
レアリの前置きに、ガルムは軽く頭を掻いた。
信じる保証はないものの、信じぬ保証もまたない。
「まあ、内容次第ですな」
巫女姫様のお言葉を疑うとは何事か。
そんな老師の声が聞こえてくるようだった。
だが生憎と、ガルムは彼ら程の信仰心は持ち合わせていないのだ。
「そうですね」
小さく頷くと、レアリはこれまでの経緯を話し始めた。
まずはケイモンの襲撃から。
先の戦いで老師のノーランとレオは死亡。
敵と内通していたリオネラの裏切り。
そこに敵の援軍も加わり、レアリとラストは堪らず撤退。
そして二人が身を隠している間にリオネラを含む襲撃者はクレネを占拠。
主犯と目されるブラドは姿を自在に変えられるらしい。
「それはまた、厄介な話ですな」
あくまでもそれが本当であればだが。
「信じて頂けますか?」
「まあ、一応は」
正直な所、不審な点よりも解消出来た疑問の方が多い。
クレネ側の消極的な反応などがまさにそれだ。
実の所、あちら側に敵が潜入している事は知っていた。
しかしまさか、その中に巫女が含まれているとは。
まさに厄介な話である。
「それで、俺なんかの所に来たって事は――」
まさか匿ってくれという話でもあるまい。
そこに関してガルムは確信があった。
なぜなら彼女は、自分などより強いからだ。
「クレネを占拠してる連中と戦うために?」
「ええ」
どれだけ強かろうと単身では限界がある。
相応の戦力は必要だろう。
「わかりました」
事戦いに関しては望む所である。
信仰の象徴である巫女たっての頼みとあれば尚更。
というか断って今後の関係に影を落としてもつまらない。
「ありがとう――」
「ただ一つ、条件があります」
感謝の言葉を、片手で止める。
素直に引き受けるだけでは面白くない。
巫女を相手に交渉出来る機会などそうないのだ。
「何でしょう?」
少し意外そうな顔。
何か要求されるとは思っていなかったのだろう。
けれど尋ねる瞳に警戒の色はない。
またとない機会に、思わず笑みが零れた。
人差し指を立てて告げる。
「一つ、手合わせ願いたい」
「――それで、そんな要求を呑んだの?」
戻って来たレアリから事情を聞いたラストが、呆れた顔で聞いた。
「はい。悪くないかと思って」
「悪い」
即答してからガルムを睨む。
「あんたも。巫女を何だと思ってるの?」
「あー……」
敬う気持ちの微塵も感じられぬ顔で。
「信仰の象徴」
「何でそんな相手と戦いたがるの」
「強いから」
咎めるようなラストに端的な答えで返す。
初めて巫女の前に立った時の事は、今でも鮮明に覚えている。
――人ではない。
ガルムの目には、美しい少女達が得体の知れない生き物として映った。
自分達は巫女を守る為に存在する。
隊士であれば誰しもそう言われて育つものだ。
何と馬鹿げた教えだろう。
彼女達はそれ程頼りない存在ではない。
どころか自分達などよりずっと……。
それが、ようやく確かめられる。
「あの、私は別に構いませんから」
「こんな前例許したら、後々面倒な事になる」
「その後々が丸ごとなくなるかもしれない事態ですし、今はなりふり構っていられないかと」
「別に敵とやり合う前じゃなくても構いませんがね」
ガルムとしては約束を守って貰えれば全て済んだ後でもいい。
「いえ、大丈夫ですよ」
お前相手に怪我はない。
穏やかな笑みで、言外にそう告げているような。
挑発的な言葉に戦意が漲る。
「んじゃ、やりますか」
ここは霊峰の裏側にある、隊士の訓練所である。
一対一の模擬戦程度なら広過ぎる程だ。
ガルムが選んだ場所ではない。
この時期は使われる事がないせいか、レアリ達が潜伏先にしていたのだ。
ちなみに待っていたのはラストだけではなかった。
ラストよりも幼い外見の少女に、十代後半の少年。
少年の方はわからないが、少女の方は気配が巫女に似ていた。
巫女二人と一緒にいる時点で只者ではないのだろう。
ともあれ、今は目の前の戦いに集中だ。
刀を抜く。
細身の刀身が、鞘から抜けるとその数倍もの大剣へと変わった。
ガルム専用の霊装である。
対するレアリは空手のまま。
「姫さん、武器は?」
何も聞かずに斬りかかるのも気が引けた。
「ありませんよ」
「こっちで何か用意しましょうか?」
いくらなんでも素手はなかろう。
「お構いなく」
けれどレアリは軽く微笑むのみ。
本人がいうのであれば是非もない。
あまりの余裕に、せめて一泡吹かせたくなる。
「ガルム隊長、あなたも準備を」
「は?」
準備は出来ている。
そう思った直後、それは来た。
「――歯を食いしばりなさい」
別人のように冷ややかな声音に、全身が粟立つ。
「っ!」
殆ど本能的に大剣を構える。盾のように。
その向こうから、とても支えきれぬ衝撃が来た。
自らを守る剣が大槌へと変わる。
呼吸もままならず、そのまま押し潰されるかとさえ思った。
負荷が抜けると浮遊感。
それもその筈。
「うお」
いつの間にか空にいた。
「驚いている暇はありませんよ」
背後からの声。
身動きの取れぬ空中で、それでも強引に体を捻る。
防御こそ間に合ったが、今度は空から地面へ。
落下の衝撃で意識が飛びかけた。
これでは終われない。
こんな、弄ばれるばかりでは。
その一心で起き上がる。
足に力が入らず、元に戻った細身の刀を杖代わりに立つ。
そこに、レアリが舞い降りてきた。
「へへっ」
とても戦闘中とは思えぬ優雅さに、笑うしかない。
「まだやりますか?」
攻撃は防いでいる筈なのに、まるで無防備に受けているようだ。
勝てる気がしない。
大人と子供、下手をすれば赤子ほどの差がある。
それがわかってなお、ガルムの戦意は些かも衰えていなかった。
「今ので降参する程、やわな鍛え方はしてないんでね」
虚勢もいいところだった。
「そうですか」
自分も少しはやるものだろうと、そう思わせたくて。
「ではもう少し強めに行きましょう」
「冗談――」
引き攣った笑みのまま、為す術もなく吹き飛ばされる。
ガルムの心に、後悔の文字が瞬いた。