04
「凄いですトットちゃん。まさか虚無に勝てるなんて」
レアリに化けたブラドが手を叩いて褒める。
「ですが霊装は壊れてしまいました」
言いながら歪みや刃毀れの激しい戦斧を持ち上げる。
「それに、やはりこの大きさは私には不向きかと」
「すぐエルマーに別の物を造らせましょう」
「レアリ様……」
「あらステア」
騒ぎを聞きつけて出てきたのだろう。
見れば他にもそういう人間は大勢いた。
短時間であれ場所が場所だ。
とても隠し通せるものではない。
「あの、大きな獣は、一体」
半ば呆然としたまま倒れたトルミレを眺めている。
「恐らく敵の刺客でしょうが、早急に調べなくてはなりません。まだ動くかもしれないので、エルマーが来るまで誰も近づけさせないように」
「わかりました」
釈然としない顔で頷く。
そこに、リオネラが空から降りてきた。
「いやー参った参った」
「逃げられました?」
「ちょっとからかっただけで慌てて、可愛い奴だよほんと」
「困った子ですね」
話しながら、二人はトットを伴って建物へ向かう。
背を向けたまま、最後まで振り返る事なかった。
「…………」
残されたステアからは完全に表情が消えている。
(これ、私がやるの?)
衛兵の領分ではないのか。
自分を置いて、なぜトットを引き連れていくのか。
彼女が来てからこればかりだ。
(やっぱり邪魔だな、あの子)
しかしレアリに命じられた以上、従う他ない。
仕方なしに近くの衛兵から指示を出して回った。
結局あれこれ手伝いながら、改めて倒れた獣を見る。
大きい。
驚く、というよりは呆れる程に。
ここまで大きなものを見たのは初めてだ。
そこで、ふと疑問が浮かぶ。
(この生き物はどこから来たの?)
森を抜けてきたのなら街の方も大騒ぎだ。
しかしそれらしい話は聞いていない。
この外見で空からはなかろう。
周囲を見る限り、足跡もこの一帯に留まっている。
戦闘の後とあって綺麗に整備されていた芝地がめちゃくちゃだ。
その中に、一際大きな穴が空いていた。
それは、丁度この獣が通れる程の。
(まさかここから?)
落ちないよう注意しつつ恐る恐る中を窺う。
暗すぎて奥までは見通せないが、それだけの深さという事でもある。
一応報告しておくべきか。
(あれ……?)
迷った所で別の疑問が浮き上がった。
ここは言うまでもなくクレネの敷地内である。
その地下には、多くの部屋が存在する。
巫女が使う部屋などほんの一部だ。
全容は知らないが、その規模は地上より遥かに大きいと聞いている。
この獣は、そのいずれかから出てきたのではないだろうか。
確証はないが、身内の失態であれば自分は追及する立場にない。
どちらにしても報告はしなくては。
レアリに危険が迫ってからでは遅い。
彼女にとってはそれが全てだった。
そう結論付けた時だ。
「ス、テア」
聞き覚えのある声は獣から。
「――え?」
思わず耳を疑った。
喋るのか。
(それよりも……)
今のは幻聴か。
自分を呼ぶ声には、聞き覚えがあった。
(トルミレ様……?)
真っ先に浮かんだ顔がそれだ。
慌てて周囲を見回す。
その声に誰かが気付いた様子はない。
獣が現れたのは地下。
そして彼女もまた、反逆の容疑で地下に幽閉されていた。
(まさか)
ステアの中で、断片的な情報が繋がっていく。
巫女は永遠を生きる、神が遣わした存在である。
少なくともステアの知る上では。
だが本来の姿がこれだとすると、レアリも……。
考えすぎだと首を振る。
それ以降、再び声が聞こえる事はなかった。
§
「何、してるの?」
命辛々逃げ帰って来たラストが、冷めた目で聞いた。
ツカサを挟んで揉み合う二人。
それが、真っ先に目に入った光景だった。
「あ、これは、その」
何やら向きになっていたらしい。
第三者からの指摘で我に返ったレアリが、恥ずかしげに口籠る。
珍しく頬も仄かに染め上げて。
「二人が少し密着しすぎている気がして、指摘している内に、こんな事に……」
言いながら、少しずつツカサから離れていく。
「そう」
別に咎めている訳ではないので軽く流す。
「それより、私も少し休んでいい?」
「え、はい。あっ」
そこで、ようやくラストの状態に気付いた。
傷は塞がっているが、服の損傷までは直せない。
首都で戦闘があった事は明白だった。
「大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄って来るのを、片手で制する。
「平気」
と言う程でもないが、重傷という訳でもない。
泉に入ってツカサの隣へ。
今は少しでも回復を優先したかった。
やや意外そうな顔をされる。
「何?」
「いや、何でもない、です」
たじろぐ少年を横目に、小さな嘆息を漏らす。
なぜこんなにも弱気なのかと。
相応の力はあるのだからもっと自信を持てばいいのに。
「ここは、首都からそう遠くない」
わかった事から話していく。
「徒歩でも一日あれば着く。近くに村はない」
「それで、あちらの状況は……」
ラストがこんな状態で戻ってきたのだ。
凡その見当は付いた顔でレアリが聞く。
「教団にはもうあいつらが入り込んでる。レアリの姿で。トルミレは気付いたみたいだけど、あのトットって混血に負けた」
トルミレなりに街への被害を考慮した戦い方ではあったろう。
だがそれを差し引いても、虚無と渡り合える時点で尋常ではない。
「ヘリオスとダムドは、上からは見当たらなかった」
「そう、ですか」
それを聞いたレアリの表情が曇る。
祈祷という役割のある巫女に比べ、転生者である老師の利用価値は低い。
帰順の意志がなければ邪魔なだけだ。
潜在的な敵性因子は予め摘んでおくに限る。
今回の件でラストの生存は知られた。
だとしたら尚更生かしておく理由はない。
「よく戻って来てくれました」
少なくともそこだけは喜ばしいと、気丈に微笑む。
「ん」
労いの言葉に短く応じてから。
「どうするの。あいつら思ったより強いよ」
リオネラは自分が相手をする。
勝てずとも、受けに回れば負けもない。
その間にレアリがブラドを討てばいいと、そう思っていた。
トットの強さは完全な誤算だ。
それに、キースという操られた隊士の例もある。
まだ何か隠していてもおかしくはない。
「我に任せておけ。全部一捻りだ」
「…………」
得意げに謳うウノに、ラストは冷ややかな視線を送る。
「ウノさんも一応協力して下さるそうで」
「そう」
自分の不在時に話し合ったのだろう、と軽い相槌。
「その顔、まるで信じてないな」
不服そうなウノの指摘。
昨日今日知り合った相手だ。
警戒するなという方が難しい。
「見てろ。今に吠え面かかせてやるから」
「遊びじゃないんだけど」
「わかってるわそれくら――」
「わかってないっ!」
ツカサを押しのけてウノの胸倉を掴む。
「わかってない……お前は、私達がどんな気持ちで戦ってるのか!」
ラストの中で、ここまで抑えていたものが溢れた。
本当は戦いたくなどないのだ。
ラストは冷淡に見えて情に厚い。
リオネラの裏切りに対して抱えているのは悲しみだけだ。
怒りも憎しみもない。
「私が、どんな思いでリオネラから逃げてきたか……」
言ってる傍から涙が零れた。
自分と違い、一切の躊躇なく襲い掛かる姿を思い出して。
こんな事ではリオネラを止められない。
自分達がやるしかないのに。
焦りは募る一方だった。
「ラスト……」
仲裁に入ろうと立ち上がったレアリが、その心中を察して止まる。
「そんなもの、知る訳ないだろ」
ウノが突き放した口調で言った。
「お前がこっちの気持ちを知らないようにな。お前、我がどんな思いで結界の外にいたか考えた事あるか? ないだろ。ずっと敵を見る目だもんな」
肩を竦めて。
「まぁ、別にそれは良いよ。他人事に我が事ほどの重みなし、だ。でもな、それならそれで相手の無理解に腹を立てるのもなしだ。言ってる事、わかるか?」
幼い見た目とは裏腹に、整然と道理を語る。
「っ」
ラストが突き飛ばすように手を放す。
しかしウノはそのまま倒れなかった。
後頭部が水面に付く直前に止まり、体を起こして元通り。
「こいつ嫌い」
未だ激情冷めやらぬ顔で言うと、ラストはゆっくりと泉に潜った。
「ヘソを曲げたらこれか。随分と可愛らしいな」
再び肩を竦める。
虚無が溺れる事はない。
しばらくは潜ったままだろう。
そんな予想に反して、ラストは水面から顔を出して言った。
「どんな気持ちでいたの?」
「は?」
「興味持てばいいんでしょ。教えて。あんたの事」
余程意外だったのだろう。
ウノは数秒ぽかんとしたまま固まった。
「……いや、そういう事じゃ」
「そういう事でしょ、今の」
今度はウノが言葉に詰まる。
「対等な関係を築く気がない相手の都合なんか知らないって、そういう話じゃなかったの?」
その解釈で間違っていなかったから。
たじろぐウノが、助力を乞う目をレアリに向ける。
「…………」
しかし返ってきたのは穏やかな笑み。
良い子でしょうと言いたげな。
ウノは観念したように嘆息を漏らす。
「わかったわかった」
両手を上げて降参の構え。
敵視している相手からの言葉だ。
それをこれ程あっさり受け入れるとは思っていなかった。
予期せぬ反撃に、しかし口には笑みを浮かべて。
「そういう話だ。悪かっ――」
言い終わる直前、何かに気付いたらしいウノがついと顔を上げた。
「誰か来るぞ」
近くに村はない、筈である。
であれば偶然迷い込んだ旅人か、あるいは。
足音と共に茂みが揺れる。
やがて現れたのは一人。
黒い法衣は、教団に属する二人は勿論、ツカサにも見覚えがあった。
ブラドの家に来た男達がそうだ。
けれど彼らになかったものが一つ。
それは自身の顔を隠す仮面の有無だ。
心なしか、ケイモンでキースが付けていた物と似ている。
「レアリ様、ラスト様、よくぞご無事で」
「…………」
それ故に二人は答えなかった。
ラストの帰還に合わせるように現れた男を警戒している。
「お前、尾けられたのか?」
平然としたウノがラストへ問う。
「無警戒に戻る程馬鹿じゃない」
「首都から近いのなら、たまたま捜索の網に掛かったと見るべきでしょう」
巫女の、というより虚無の隠れ場所として、ここはあからさま過ぎた。
ラストが戻った時点で早々に離れるべきだったのだ。
「あちらに飛竜の用意があります。共にクレネに戻りましょう」
「いえ、折角ですが、今は戻れません」
レアリが律儀に答える。
交渉の余地があるか探っているのだ。
「残念です」
言いながら、黒衣の隊士は刀を抜いた。
「お二人を無事に連れ戻すためなら、殺しても構わぬと言付かっておりますので」
「こいつ言ってる事おかしいぞ」
半笑いのウノを置いて、レアリとラストが泉から上がる。
「どうやら話し合いは無理のようですね」
レアリが諦めたように呟く。
「我がやるか?」
「周囲に被害を出さずに出来ますか?」
戦闘の形跡を残したくないのだ。
「……任せた」
それは無理だと意外にも、ウノは素直に引き下がる。
「レアリ、平気?」
ラストが止めないのは、自身も条件を満たせぬと思ってか。
「彼一人くらいでしたら――」
レアリがラストへと顔を向ける。
その瞬間を、黒衣の隊士は見逃さなかった。
僅かに体が沈む。
「あ」
危ない。
ツカサはそう言おうとした。
だが口を開いた時点で、既にレアリは彼の背後にいた。
「え?」
遅れて風が吹き荒ぶ。
思わず目を瞑る直前、レアリが男の頭部を片手で掴んで上下に振り回すのが見えた。
それこそ布切れのような軽やかさで、ばさりと。
再び目を開くと、男は頭部を掴まれた状態のまま弛緩しきっていた。
よく見れば、その首が不自然な伸び方をしている。
加えて少なくとも数回捻じれたような螺旋状の皺。
「流石は神速のレアリ。手際に加えてやり口がえげつない」
レアリは隊士の体を丁重に横たえてから顔を上げた。
「懐かしい呼び名です。気付いていたんですね」
「しばらくしてからな。竜族の姫君だ、そう簡単に忘れないよ」
ウノの言葉に曖昧な笑みで返してから、
「まずはここを離れましょう。彼の飛竜に四人は乗れませんし、追手の目もありますから陸路ですね。時間は掛かってしまいますが」
「どこに行くの?」
そもそも当てはあるのか。
ラストの疑問に、レアリは軽く片目を閉じて言った。
「戦力の補充も兼ねてエアルへ」