大逆罪、駄目、絶対
戻って来た水琴を交え、宦官のふりをした通海がこの後宮の情報を教えてくれる。
「さて、このお妃選びですが。ご存じの通り今上陛下におかれましては、長らく妃嬪がおりませなんだ。当然、後継者も不在。無論、傍系の皇族方はおられますし、我こそは養子に相応しいと宮城で寝起きされる方もおられますが、やはり直系の後継者が望ましいのは言うまでもこざいませぬ。そこで、重臣方がこのお妃選びを始めたのです。名家の令嬢方と陛下と面談させ、お心に添う方を妃として留め置き、それ以外の方はお帰りいただく仕組みでございます。ところが、今に至るまで陛下はどなたもお選びになっていないのです」
「まぁ」
雪香は水琴と目を見交わした。幼女妃も幼女嬪もまだいないらしい。
「そして選ばれなかった令嬢方に帰れとそれとなく申し上げても、言を左右にして居座られるばかり。望み薄なのを承知で陛下の閨に乱入なされ、ご不興を買う方もいらっしゃる始末。新しくお招きした令嬢方はこのように離宮に逗留していただく他ない有様でございます」
雪香は首を傾げた。
「まぁ……ですが、わたくしがここにおりますのは、陛下のお好みに添わない体つきをしているからと教えられました。陛下はその、幼げな体つきの女性を好まれると……」
「これまで陛下が一言でも言葉を交わされた方が皆様、平らな胸をお持ちだったのは確かでございます」
雪香はそっと胸に手を当てた。今でこそたゆんたゆんだが、かつてはつるぺたすっとんだった身からすると、通海の言葉が痛い。
「しかしながらそんな平らな胸の令嬢方を選ばれることも、またなかったのでございます。多少言葉を交わされましても、妃に任じることも、夜伽を命じられることもございませんでした。が、言葉を交わしたという自信を持たれた令嬢方が帰ることを拒否され、居座られ、そして後宮内に陛下の趣味が知れ渡ることになったのでございます。すなわち、陛下は幼女趣味であると」
なるほど、と雪香は頷いた。つまり事態はあんまり変わらないのではなかろうか。
「では、もしや陛下はお嬢様を一目でもご覧になれば、お考えを変えられる可能性もあるのではございませんか!?」
だが水琴の考えは違ったようだ。水琴は興奮したようにそう叫んだ。
「はい、わたくしめもそう考えておりまする。陛下は女性にあまり関心をお持ちではなく、従って軽い気持ちで言葉を交わしただけのつるぺたすっとんが勘違いをしただけだと思うのです」
「……通海と申しましたね。後宮にもそなたのように見る目を持つ者がいるとは……」
重々しく頷く水琴の目には涙が滲んでいた。
「雪香お嬢様の豊満さは宝です。つるぺたすっとんの戯言に騙されてはなりません」
同様に重々しく頷く通海。つるぺたすっとん族だった身からすると耳が痛い。というか、通海はその時代の雪香を知っているのだから――通海がちらっと雪香を見て笑った。あれは知っていてやっている。雪香は兄弟子の分かりにくい嫌がらせに拳を震わせた。胸の大小を論じる男なんて滅んでしまえばいい。豊乳を願った己を棚に置いて、雪香は世の男性への恨みに変えた。
「ですので、雪香お嬢様には充分に勝ち目があるのでございます。ですが問題は陛下に仕える大監でございます。陛下に面会する令嬢方の順番を決めているのは大監なのでございます。その大監はつるぺたすっとんの戯言に惑わされ、つるぺたすっとんしか面会の名簿に載せようとはしないのでございます。ですので、方法は二つでございます」
「なんでしょう!?」
水琴は身を乗り出した。目がぎらぎらと輝いている。雪香は先ほどからつるぺたすっとんという言葉を聞く度に胸が痛んでしょうがない。いいじゃないか、飛んで跳ねても邪魔にならないんだから。
「一つは大監を大逆罪で処分する方法でございますな。首を刎ねるだけですので手間がかかりません。もう一つは大監が認めうるだけの胸の平らさを誇示することでございます。しかしながら雪香お嬢様の胸を押しつぶすなど、天下の損失でございますので、お勧めはいたしかねます」
「――じゃあ大逆罪で――」
「――潰しますわ!」
大逆罪、駄目、絶対。
大逆罪でいこうと主張する水琴をなだめる。
「人一人の命よりも胸を潰した方がましですわ」
「そんな……お嬢様……っ」
悲壮な顔で水琴が首を振った。
「その豊かな胸を潰そうと思いましたら、布を巻くだけでは足りませぬぞ? 恐らくは食事制限をして体重もかなり落とさなければならないかと存じますが……」
脅すような口ぶりの通海をきっと見つめる。
「大逆罪よりはましですわっ」
通海と水琴が、そうかなぁ? という顔で首を傾げている。駄目だ、この二人。
「明日から食事を控えますわ。よろしくお願いしますね?」
毅然としてそう言い張ると、二人は渋々と頷いた。大逆罪より食事制限。その夜は水だけを口にして早々に床についた雪香だったが、くぅくぅと鳴るお腹に早速悩まされることになったのだった。
雪香が与えられた離宮は、かつて雪香が仕えていた斗母元君廟ほどの大きさを持つ離宮だった。大人が十人ほど余裕で寝起きできる広さだ。だが後宮という場所にある離宮という目で見れば、粗末で荒んだ離宮にも見えるのかもしれない。雪香にとっては広すぎず狭すぎずちょうど良い離宮なのだが。目の前に広がる桃園も見事だし。
雪香はその中の一室を斗母元君のための廟室にした。正面に実家から携えてきた斗母元君の像を置き、朝晩拝むことにしたのだ。結果的には逆効果になったけれども、つるぺたすっとんから桃まんじゅうにしてもらった恩を忘れてはいない。
後宮に入宮した三日後の朝も、雪香は廟室で祈りを捧げていた。香を焚き、跪拝して感謝を捧げる。桃まんじゅうの感謝と考えていると、食事制限をしている腹が不満を訴えた。腹回りは見事に痩せたのに、胸だけが減らない不思議。最近では頬さえこけてきたのに、胸だけが減らない。嬉しいのに悲しいこの不思議。
「お嬢様、朝食の支度ができました!」
祈りを終えた頃合いに、水琴が呼びに来た。雪香はため息をついて身構えた。今朝の朝食はどのようなものかと。
「今日こそちゃんと減らしてくれているのでしょうね?」
立ち上がってちらりと睨むと、水琴がはにかんで笑った。可愛らしいが疑惑は晴れない。食事の部屋に足を運ぶと、漂ってくる脂と肉の匂い。
「……水琴……」
扉を開く前から分かる、高栄養食の匂い。
「ほら、お嬢様、冷めますわぁ!」
開かれた扉の向こうに、豪華な朝食が並んでいた。お粥や点心まではいいだろう。だがほろほろに崩れるほど煮込まれた豚肉や、腹の中に薬味を詰め込まれた鶏の丸焼きは絶対に要らないと思う。そもそも食事制限していなくても要らないと思う。量が多すぎて。
だが雪香の感慨に反して、雪香のお腹はきゅるるるるぅぅぅ、と鳴いた。二日ちょっとに及ぶ摂食で、雪香のお腹はこらえ性がなくなっていた。
「……今日ぐらいよろしいんじゃありません……?」
そっと耳元で水琴が囁いた。
「大丈夫、斬首は一瞬ですからな、痛くない痛くない」
反対側の耳元で通海も囁いた。
「――っっっ耐えてみせますわこれくらいっっっ!」
大逆罪、駄目、絶対。
桃まんじゅうを惜しむ獅子身中の虫達の妨害にも負けず、今朝も雪香はお粥だけを流し込んだ。