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廟山にて


 馬車ががたん、と止まり、外から通海の

「到着いたしたぞ!」


 という声が響いた。雪香が何かを答える前に、白と黒が

「はい、道士様!」

「お疲れさまでございます、道士様!」


 と言いながら馬車の扉を開け、元気に飛び出ていった。その後ろを少しまごつきながらも降り、辺りを見渡した。


「ここが……廟山」


 馬車はどうやら山腹にある広場に降りたらしい。その広場には幾つものたき火が焚かれ、山肌に大きな入口がぽっかりと開いていた。これだけのたき火があるのに広場には人がいない。であるからには通海が用意したものかと思ったのだが。


「誰ぞが先回りしたようであるな。これだけのたき火を用意したからには、それなりの人数が廟山に入ったと思われる。……やれやれ、なんと罰当たりな」

「通海道士様、いったい、どういう……?」

 兄弟子の言葉に首を傾げると、童子姿の役鬼がぴょんぴょんと跳びながら答えた。


「誰かが先回りしたんですよ。きっと皇太后の手先でしょうね」

「はてさて、罠はどうするつもりなのか」

「皇帝本人でなくとも、御璽さえあれば罠は解除できる手はずとなっておる。……女狐め、ついに御璽さえも盗用したか」


「いい手土産になりますねぇ、道士様」

「ちゃんと証拠押さえましょうねぇ、道士様」

 無邪気に飛び跳ねている役鬼の顔が、揺れる松明に照らされて悪鬼のような表情に見えた。怖い。


「ま、ついでに掃除できるのは良いことであるな。さて、そろそろ参ろうか。大鴉はこちらだ」


 なんの躊躇もなく暗い洞穴に向かって歩いていく通海に、雪香も慌てて後を追った。洞穴を入ると、通海は札を取りだして息をふぅと吹いた。札は燃えて、火の玉のように通海の周りをふわふわと浮き始める。それを五個ほど作って、通海は洞穴の奥へと進み始めた。


 洞穴は土肌がむき出しということはなく、足元は美しい石が敷き詰められ、壁は所々柱が立つ、漆や螺鈿で丁寧に塗られていた。天井さえも灯り用の灯籠が吊された、後宮の通廊と変わらないほどの装飾に満ちていた。その美しい石の床に、幾つもの土に汚れた足跡がついている。あの松明をつけた者らが先行している証拠だろう。


「ふむ……ここで御璽をかざして罠を解除したようであるな。さて、どこまで廟所を穢していることやら」

 再び札をかざした通海は、それに息を吹きかけて何事かを命じた。小さな影が前方の暗闇に飛んでいくのが、じっとその作業を見つめている雪香にも見て取れた。


「なんだか豚の臭いがします、道士様」

「雄豚だね。臭いなぁ」

 嘲るような役鬼の言葉に、通海はふむ、と頷いた。


「豚とな。それはアレか。あの豚か」


 二人は通海の声に頷く。どの豚なんだろう、と首を傾げる雪香を余所に、一行は奥へと足を踏み入れる。回廊は最初は二股に、それから三股に、と幾つもの道が分かれ、それを通海は迷うことなくいずれかの道を選んでいく。


「正しい道を歩まねば奈落に落ちる仕様にしてあるのだ。気をつけた方がいい」


 はっはっはと豪快に笑いながら注意されて、雪香は兄弟子の背中を見失わないよう、ぴったりと後をついて歩いた。


「奈落に落ちても探しに行けますから大丈夫ですよ」

「遺体は絶対に回収できますからね」

 遺体を回収されてどこをどう安心せよというのか。


「さ、次の罠であるな。幻覚の回廊だが、それがしとおれば危険はない」


 それまでと違って木の回廊となったその通路には、両側に庭のような空間があった。その空間には様々なくたびれたがらくたが並んでいるが、よくよく見ればそれらを抱きしめるようにうずくまっている骸骨がそこここにいた。


「あれらは侵入者のなれの果てだ。かろうじて迷路を通り抜けても、ここで宝と思い込まされたがらくたを抱いて死ぬことになる」

「…………っ!」


 やっぱりあの骸骨って本物なんだ! と戦いた雪香は、庭から思いっきり目を逸らして回廊の先を凝視した。


「本人が一番ほしがっている者が見えるので、お嬢様も危ないかもしれません」

「お嬢様の場合……斗母玄君のお姿が見えるのかも?」

「っ!」


 こんな暗がりで斗母玄君のお姿が光り輝いて見えれば、ちょっとうっかり凌風の呪いのことなんてすっ飛んで、足元に跪いて死ぬまで祈祷しそうである。金塊になら耐えられただろう雪香も、玄君の幻には勝てる気がしなかった。


「この先が最後の罠であるな。……それがしは思うのだ。物理こそ最強ではないか、と……」


 長く伸びた回廊のその先には、再び大きな空間が現れた。突き当たりに大きな武神の像があり、その開いた足の間に回廊の続きが伸びている。


 ――ごごご……


 武神の巨大な像が動き始め、先ほどの物理最強説と合わせて雪香がたどり着いた結論は、あの武神像と戦って勝ち残った者しか先に進めないということだった。


「ま、まさか……」

「それがしが作った一級の武神像であるからには、たまには手合わせしたいのだが……致し方ない。今日は時間がないゆえ、またの機会にしよう」


 通海が札を取りだし、ふっと拭いた。その瞬間、巨大な神像は動きを止め、再びもとの位置に戻った。武神像の目が閉じて、光が消える。


「……ん?」

 だが、それで終わりではなかった。武神像の足の間に続く通路から、わらわらと人が出てきたのだ。それも普通の人間には見えない。なんというか、動きがぎこちなく、ぎきしゃくとして見えるのだ。


「これは……屍鬼、か?」


 普通に直立しているのに、どこかゆらゆらと揺れて見える人間の群れは、青ざめた、というのを通り越した土気色をしている。よくよく見れば手足が欠損している個体もいる。だがそれらの全てが無表情に静まりかえり、こちらを濁った目で凝視しているのだ。


「道士様、燃やしましょう」

「道士様、壊しましょう」

 白と黒が勇ましそうに進言し、通海はどこか楽しそうに笑った。


「ふむ、侵入者は邪道士であったか。かような屍鬼風情にこの通海がしてやられると思われたとは、なんとも面映ゆいものだのぅ」


「道士様が手を下されるまでもありません」

「どうか我らにお命じください」

「うむ、手短に頼むぞ。喰うのは後からだ。良いな?」

「はい、道士様」

「確かに承りました、道士様」


 白と黒は嬉しそうにそう返事をして、それから童子の姿のまま駆けだした――と、三歩も行かぬ間に体の形が崩れ、ぐにゃりと歪んで回転し、伸びた。


「まぁ……」


 童子達は、立派な武将に姿を変えて屍鬼に駆けより、片っ端から大刀でなぎ倒していった。屍鬼が噛みつこうと近寄る暇さえない、早業であった。


「……ん?」


 いやでもさっき、喰うとか言ってなかっただろうか。え、屍鬼を食べる、のか……? あれって食べられるもの、なのか……?


 雪香は首を振って己の考えを振り払った。世の中には知らないでいた方がいいこともある。たぶん。


「御璽を無断で使い、この禁域に邪道士を招き入れ、屍鬼で穢した。……ふむ、罪が増えるのぉ」


 通海は満面の笑みを浮かべている。その中に苛立ちが隠されているとかそういうこともない、ただひたすらに楽しげな笑顔である。逆に怖い。


「通海道士様、大鴉の死骸はどちらにありますの?」

 童子改め武将達が屍鬼を始末している隙に、通海に尋ねてみる。


「あの奥に通路が伸びているであろう。あの先が廟所になておって、その隣の小部屋に鴉の頭が置いてあるはずだな」

「頭……っ!」

「この劉家が世を蝕む大鴉を退治したと、神々に証立てるための処置であるな」

「それは……燃やしていい、ものなのでしょうか……?」


 凌風の呪いのためには燃やすべきなのだろうが、神々に誇るための鴉の首級を燃やしてしまうのは、実はかなりの大罪なのではあるまいか。


「神々に証など要らぬよ。全てを神々はご存じである。たとえ末裔がどれほどの功を挙げようと、本人の罪は罪。それをもって罪が軽くなることもなし、まぁただの気休めであるな」

「気休め」


 世を滅ぼさんとした大鴉の首級が、ただの気休め。たぶん冥府で鴉も泣いてると思う。可哀相に。


「――あら? 通海道士様、なんだか煙っておりません……?」


 通路の奥から灰色の煙が漂っている気がする。その煙が武神像の股間に立ち上り、非常にアレなモザイク画像を作り出しているように見えた。


「ん~、それがし、もう帰ってええかのぉ」


 通海が脱力しきった声でそう言った。モザイク武神像に脱力したのか、何が燃えているのか考えるのが億劫なのか、どちらだろう。


「大鴉の死骸は、わたくしが燃やさなければ呪いが解けないのでしょうか?」


 皇太后の推理では雪香が燃やさなければならない風だったが、実際のところ、通海のような専門家はどう判断するのだろう。


「死骸が呪いの源泉であるならば、誰が燃やそうと燃えればそれで消滅するであろうよ。そなたでなければ燃やせぬならば別だが」

「……燃えておりません? 大鴉」

「気のせいだと思いたいのぉ」

「さすがに歴代皇帝陛下のご遺体ではないと思いますのよ」

「人間の遺体を焼いた臭いではないのぉ」


 通海と目を合わせ、雪香は深い深いため息をついた。そこに、屍鬼を無力化した武将達が童子に姿を変えて戻って来た。もう普通の少年のようには思えない。筋骨隆々だったあの姿が目に残りすぎて。


「道士様、奥から生きている人間達が出て参ります」

「道士様、やっちゃっていいですか」


 やっちゃって、が殺しちゃって、と聞こえるのは何故だろうか。やはり本性が筋骨隆々な武将だからだろうか。


「いつまでこの茶番を演じねばなるまいのか……致し方ない。きゃつらの言い分を聞こうではないか」


 ぶつぶつとぼやいた後、通海は通路から出てくる数人を見据えてため息をついた。その中に、丸まると太った顔見知りを見つけて、雪香は息を呑んだ。大監だ。いや、今はもう大監を首になったから元大監か。

 その元大監が一行から一歩進み出て、にこやかに微笑んだ。


「これはこれは、汪家のお嬢様ではありませんか。禁域たるこの廟山に、皇帝陛下のお許しなくお入りになるとは、今度こそ一族誅滅を言い渡されてもおかしくはない大罪ですぞ。おまけに陛下が大切に保管なさっていた、大鴉の首までお焼きになって……はぁ。その麗姿が儚くなると思うと、わたくしめは心が痛んでなりません」


「……燃えたのですか? 大鴉の首は」

「えぇ、えぇ。跡形もなく、灰になって綺麗さっぱり消えてしまいました。驚くほど火の着きもよく、瞬く間のことでしたなぁ」

「そうですか……」


 それでは、凌風の呪いは消えた、ということにならないだろうか。確認したい。今すぐにでも。


「お嬢様。ですが一つだけ、わたくしめにいい考えがございます。そこの小監に誘拐されたことになさればいいのです。そうすればわたくしめがこの件を、綺麗さっぱりもみ消してさしあげますとも」


「――通海道士様、呪いのことを確認しなければなりません。早く帰らねば」

 元大監の声は柔らかく響いて雪香の耳にも届いたが、正直それどころではないのだ。


「これも星君のお言いつけのためならばやむなし……最後までつき合おうではないか」

 通海も同様に元大監の言葉に応えることなく、雪香の懇願に応えた。ものすごく嫌そうだが、北斗星君にいったいどんなことを言いつけられたのだろうか。


「――そなたら! わしを軽んじるのもいい加減にせよっ!」


 ついに怒り心頭になったらしい元大監が叫び、その剣幕に一瞬怯んだ雪香は、だが通海が落ち着き払った顔で札を取り出すのを見て息を整えた。


「そなたらが持つ御璽は無許可のものであろう。この場所を作った者として、捨て置くことはできぬなぁ」

 札をふっと吹き、それが鋭く飛んで元大監の胸元に刺さる。


「っな、なんだこれは!?」

 刺さった場所からぼぉっと火が出て、元大監の上衣を燃やしていく。慌てて服を脱ぎ捨て、火を消し……そして彼は気づいた。御璽を押した紙が、燃えて消えてしまっていることに。


「っぎょ、御璽がっ!?」

 悲鳴のような声が上がり、周りにいた男達が元大監に集まる。どうするのだ、いやどうすれば、と言い交わす一行に背を向けて通海は言った。


「墓所を穢した侵入者に、この場所は甘くないぞ。己が悪行を悔いるがよい」

 そう言ってその場所を去る通海らが回廊に消えていくと同時に、墓所を守っていた武神像の目に再び光が宿った。


「っ、っうわぁぁぁぁっっっっ!」


 叫び声に身を震わせる雪香の耳を、通海の分厚い掌が塞いだ。そのまま、外に出る通路を歩いて行く。いつの間にか掌は外れていたが、廟山の中は変わらず静かだった。


「…………」


 こういう時、雪香はどう感じればいいのか迷う。彼は悪い人間だった。少なくとも雪香にとって。それでも、あの絶叫を聞いて嬉しいとはとても思えない。助ければ良かったのか、見捨てるのが正しかったのかさえ、分からなくなってくる。


「自業自得と、そう言うのだ。雪香よ。己が欲望で自滅した者を憐れむのは構わぬ。が、それ以外に憐れまなければならぬ者が、この世にはもっと多くいるのではあるまいか」


 兄弟子の言葉が、雪香を慰めるように響く。

「そう……ですね……」


 そもそも斗母玄君の元で仙女になりたいと雪香が望むのも、永遠の豊乳でいたいから、というのは些細な欲望に過ぎない。もっと根源に、玄君の元で、玄君の慈悲を行使する、力を持った仙女になって、うち捨てられた弱い者を救いたいという願いがあるのだ。元大監が弱く、うち捨てられた人間である、というには少し無理がある。雪香はもっと、弱く儚い存在のために働きたい。己が欲で周りを傷つけても構わない傲岸な者のためには、少しも働きたくはないのだ。


 だから、憐れには思う。思うけれど、それ以上の心は、もう彼には割かない。それが雪香なりのけじめだった。


「やはり、皇太后様の罠なのでしょうか」

「であろうな」


 廟山に行けと雪香をそそのかした。その廟山には、御璽が押された紙を持った元大監がいた。処罰されたと聞く大監をこの場所にやれたのは、後宮でも限られた人間しかいない。


「どうして、なのでしょう。どうしてわたくしなどを、罠にかけようとされたのでしょう?」

「皇帝の子を、そなたに産まれては困るからではないか?」

「っ!」

 生々しい言葉に息が止まった。


「皇太后の息子は、今の皇帝が即位してすぐに失意の中亡くなったと聞く。ゆえに孫を次代の皇帝にして、再び権勢をふるいたいのであろうよ。欲は限りがない。一度失えば耐えられないほど執着する人間もいるのであろう」


「……悲しい方、ですね」


 息子が死んだのを悲しんだのだろうか。それとも、己の権勢の源になる存在を失ったことを嘆いたのだろうか。どちらでも、悲しいことだと雪香は俯いた。


「殺されかけておいて、呑気なことであるな、雪香」

「通海道士様がいらっしゃいましたから。だから呑気でいられたのです」

 兄弟子のおかげだと笑うと、通海は高らかにはははっと笑った。






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