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直線距離


 たまたまその日は都合が悪かったらしく、桐美殿で平穏な昼食をとった雪香は、午後から作戦会議に移った。


「わたくしめ個人としては、お嬢様が廟山に参られるのは反対でございます。廟山は許可なき入山に対して、それはそれは厳しい罠を用意しております。それに許可なく入山された件を咎められれば、いかにお嬢様とてご実家を巻き添えにしたおとがめを受けずにはいられますまい。……とまぁ、これが常識的なお返事でございますな」


 非常識な兄弟子が常識を語ったことに感動しつつ、雪香は水琴を見た。


「あたし……あたしは、感動しました。だってお嬢様が愛の力で皇帝陛下の呪いを解いて、お二人は絵物語のように仲睦まじいご夫婦になり、いずれお嬢様は国母になられるという未来が既定路線になるわけじゃないですか……! 汪家の皆様もご出世なさることは間違いなく。あたしはいずれ皇后様となられるお嬢様の乳姉妹……あの門前で泣いていたこのあたしが、なんたる立身出世……っ!」


 乳姉妹は、成功に目が眩んでいた。


「皇太后の罠かもしれぬぞ?」

 通海の言葉にも、水琴は、

「こういうのは罠の力を突破した先に幸せな結末が待ってるって決まってるんです!」


 と答える。目にはふわふわした夢物語よりも、ぎらつく出世欲が宿っていた。……思えば水琴はこれまで人一倍雪香の世話を焼いてくれた。ずっと雪香のために頑張ってきてくれた。身分が低いからと他の侍女達に馬鹿にされても、ずっと雪香を裏切らずに誠実でいてくれた。ちょっと今は出世欲に目が眩んでいて怖い表情をしているが、そういうちょっとぶっ飛んだところも込みで水琴のことが好きだ。


「水琴、ありがとう。どうなるか分からないけれど、水琴に美味しいご飯を食べさせてあげるために、わたくし頑張るわね」

「お嬢様……あたし……あたしぃっ」


 ひしっと抱きしめ合って、号泣する水琴を慰める。離宮を賜ったり、冷宮に投獄されたりしてこれまで水琴には心労が多かった。少しでも未来への野望を胸に、強く生きてほしい。


「いい話……なのか……?」

「力ずくでいい話に持ってこうとしてる気配濃厚」

「健全な欲望は健全な成長を促す。お嬢様がいらっしゃれば、そう曲がった方にも進むまいよ」


 白と黒が囁きあい、通海がそれに答えているが、聞こえない。美味しいものを見ると目を輝かせる水琴が可愛いから、それでいいじゃないか。ちょっとぐらい目がぎらついていても。


「ごほん、それで、ですな。常識的ではない方のご提案をしようと思いますが」

 通海の咳払いよりも、通海の言おうとする解決策に気づいたらしい水琴が正気に返った。


「あらあたしったら。お話を邪魔をしてしまいました。お嬢様、あたしのことはお気遣いなく」

 ささっと涙を拭いて、何事もなかったように淑やかに側に控える乳姉妹。切り替えが早いのも彼女の美点である。


「はい、きっとそれはそれは非常識なお考えがあるのでしょう?」

 期待に満ちた目で通海を見やると、通海が苦り切った顔をした。


「非常識……っ」

「何も言えない……っ」


 白と黒が必死に笑いをこらえているが、なにかおかしなことを口走っただろうか。ごくごく真っ当なことしか言ってないと思うのだが。


「……そうですな。廟山の罠に関してはこの通海の力で無力化できると存じます」

「まぁ……やっぱり非常識だわ……!」


 さすがは北斗星君にお仕えする仙人である。恐らくは人の身でできる最大限の術を用いた罠があると思われるのに、それを簡単に無力化できると兄弟子は言う。やはり見習い仙女だった瑞雪とは次元が違う。


「褒め言葉ですな、それ? そうと受け取っておりますからな? ……えぇと、それで。あの女狐めの言うことには、どうやらバレなきゃいいっていう気配を感じ取りました。であるからには、皇帝陛下にバレないよう、さっさと行ってさっさと燃やし、さっさと帰還することが肝要かと思われまする。馬車もわたくしめの秘術によって速度を上げることができますでしょうし、登山などお嬢様のひ弱な足でなさる必要もありますまい。それもわたくしめの術でお運びし、鴉の死骸もそれがしの火術で燃やせば……まぁ何事もなく終わるのではないでしょうかな……」


 通海のやや投げやりでざっくばらんな計画に、水琴が目を見張って首を傾げている。


「まぁ……なんて非常識なのでしょう。それに秘術? 通海殿って何者ですの……?」

 彼を仙人と知らない乳姉妹は、なんかすごい変な人、という括りに通海を入れたらしく、目を逸らした。

「そうすれば陛下の呪いは解けるのね?」


 北斗星君とやり取りをしただろう通海を凝視してそう尋ねる。これだけのことをするのだ。凌風の呪いが解けることは絶対である。


「はぁ……まぁ、そんな大した呪いじゃございませんからなぁ……」


 目を逸らしつつそう答えた通海に一抹の疑問を感じたものの、雪香はそれならば、と覚悟を決めた。それならば、凌風のために頑張ろう。誰かの身代わりかもしれないし、いつか誰かに奪われる立場だとしても、今は凌風のために。未来の凌風のために、頑張ろう、と。






 三日後の新月の夜。


 たいてい毎晩、少年姿の凌風が訪問してくるため遅くなったが、深夜に近い時間帯、後宮の扉が小さく鳴って開いた。僅かな囁き声を交わし、そうして後宮から出てきた大中小の影は、すぐ側に用意されていた馬車に乗り、大きな影が手綱を握って出発した。門番二人はそれらを見送り、やがて一人が後宮に入っていった。


 その大中小の影というのはもちろん雪香らである。大が通海で中が雪香、小が白と黒だ。水琴は皇帝からの昼餐を断るために留守番をしてもらっている。通海がどの程度早く馬車を操れるか分からないが、居留守が使えるに越したことはないからだ。


「道士様のお力を持ってすれば、一時間ほどで廟山にまで達することができますね」

 白が胸を張った。


「まぁ、本当なら半日の旅程なのに、さすがは通海道士様だわ」


 見習い仙女だった頃も、通海ほど神通力のある仙人は見たことがなかった。何代か前の皇帝に仕えていたとか、前王朝は通海道士が見放したせいで滅びの道をひた走ったとか、そういう逸話に事欠かない人物なのだ。女性遍歴の有名な仙人なので、ごく一部の方面ではそういう方向で慕われてもいるらしい。ほら、房中術とかそういうやつである。くれぐれも凌風には何も教えないでもらいたいものである。


「道士様ほどの方ならばいかなる罠でも無効化できるでしょうけれど……これはお嬢様の運がお強い。そもそもあの廟山の罠は道士様が、数代前の皇帝に依頼されてお作りになったものなのです。つまり、知り尽くされている、という」

「まぁ……」


 それでは通海に任せていれば何も心配はないのではないだろうか。後は大鴉の死骸を燃やすだけだ。そうすれば凌風の呪いが解ける……かも、しれない。呪いが解ければ、凌風の興味は真実を知る雪香以外に向くかもしれない、と考えかけて、さすがに己の思考の後ろ向き具合に苦笑した。今はそんなこと、どうでもいいではないか。彼を呪いから解放してあげたい気持ちが今あれば、もうそれだけで。


「……それにしても、ずいぶん静かに走る馬車だこと」

 どうせ暗闇でなにも見えないだろうが、風の様子だけでも感じようとして窓を開いた。


 ――ごぉぉぉっ!


「――……え?」


 風の音が変である。あと、新月で何も見えないが、どうして馬車の遥か下に灯りがぽつぽつと見えるのか。それすらも恐ろしい速さで過ぎて見えなくなる。


「飛んでますからねぇ」

「これぞまさしく直線距離」


 それ面白いね黒! いやぁちょっと今回はうまくはまったよね、白! と楽しげに語らう二人の役鬼。だがちょっと待ってほしい。直線、距離? え、空を飛んで真っ直ぐに廟山に向かってるってこと? 馬車で?


「ど、どどどどういうことなの!?」

「ほら、この馬車に札を貼って、空を飛ぶよう命じてるんですよ、道士様が。で、道士様が馬を変化させた巨鳥を操って、飛ばしてるんですよ」

「直線で」

 まだ直線と言い足りないのか、その言葉だけを黒が足した。正直要らないと思う。


「なんて……なんて非常識なの、通海道士様……!」


 やっぱり非常識じゃん! と、常識人ぶった脳裏の通海に全力で突っ込む。いきなり鳥に変えられて馬車を曳かされている馬に、心から哀悼の意を表したい。


「もうそろそろ着くんじゃないですかね。お嬢様は今のうちに山登りの支度でもしといてください」

「お衣装はこちら、靴はこちらですからね」


 白と黒に飾り気のない頑丈な衣服を取り出され、雪香は黙々と着替えに専念した。後宮の下女が着るような服でも、さすがは後宮なのである。とても平民の娘が着るような素朴さもなければ、生活に耐えるだけの頑丈さもない。さらにはそこそこ肌が出ているので、とても山登りには向かないのだ。


 着替え終えて、乱れた髪を解いてぎゅっと一つに縛る。こういう風に服装を変えてみて初めて、己は瑞雪と同じ人間なのだという実感を、身に迫って感じた。雪香として恵まれて育った時間はあまりに真綿でくるまれたようで、生まれかわった実感がどことなく遠かったのだ。それが瑞雪が着ていたような服を着ることでようやく、あの時死んで、今再びこの世界を生きているという感慨が湧いてきた。十八年も生きて、ようやく今さら。


「楽しそうですね、お嬢様」

「粗末な服なのに、活き活きしたお顔ですよ」


「そうなの。なんだかこちらの方がわたくしらしい気がするの。やっぱり後宮なんて似合わないわ。早く出家して、斗母娘娘にお仕えしたい」


 斗母娘娘からいただいた豊乳を携えて、今度こそ仙女目指して真摯にお仕えしてみせる。そりゃ確かに、凌風の今後を案じていないといえば違うが、呪いが解ければ彼はどんな女性でも寵愛できるのだ。雪香のような大した取り柄のない女などすぐに忘れてしまうだろう。そうなったら出家して、今度こそ斗母玄君にお仕えするのだ。


「――……無理じゃない?」

「絶対無理だろ」


 白と黒が囁きあっているが、それらの声を丸っきり無視して雪香は頷いた。早く掃除で胸が邪魔って言いたい。肩凝るわぁって言いたい。己の未来を思い、くふふと笑いつつ、そこに一抹の寂しさがあるのを、雪香は不思議に思いながら飲み下していた。






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