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つるぺたすっとんな前世


 雪香の前世は見習い仙女だった。


 日輪を喰らう大鴉を、今の皇帝である劉凌風が倒した。その手助けを、命を賭けてなした功により、仕えていた斗母元君から褒美を賜ることになったのだ。


『瑞雪よ、何を望む?』


 斗母元君にそう問われ、雪香――当時は瑞雪と呼ばれていたが――は、息絶えた体から浮かび上がった幽体で答えた。北斗七星の母君である斗母元君の、その豊かな胸を凝視しながら。


『娘娘、それではその豊かなお胸を持つ女性として生まれかわらせてくださいませ!』

 日輪の化身である斗母元君は、思いも寄らぬ雪香の言葉に絶句し、その後に大笑した。


『そ、そんなことか……そなたが望むならば、見習い仙女から本当の仙女に格上げしてやろうかと思っておったのに』


 貧乳のまま仙女になるか、豊乳となって生まれ変わるか。雪香の答えは一つだけである。朋輩が『拭き掃除する時邪魔なのよね』と胸を押さえながらぼやいていた、その邪魔な肉がほしい。走っても跳ねても揺れない胸はもう嫌だ。


『娘娘、どうしてもその豊かなお胸がほしいのです』

 ひたすら凝視していると、元君がなおも笑った。


『こんなもの、邪魔なだけじゃぞ?』

『邪魔に思いたいのです!』


 胸が重くて肩が凝るわと言いたいのである! 初潮過ぎても真っ平らな胸に失望した親に、『妓楼にさえ売れない』と言わしめた雪香である。胸さえあれば、素敵な恋の一つや二つ、できるかもしれないではないか!


『ならば良いが……他にはないのかえ? もっとほれ、まともな願いが』


 豊乳になりたいという願いをまともじゃないと断じられ、雪香はちょっぴり落ち込んだ。豊乳には分からないのだ、貧乳の深刻な悩みなんて。


『あの……それでは、凌風様に再会したいのです』

 怖ず怖ずとそう願った。


 劉凌風。身分の低い母から生まれた、皇帝の第四皇子。彼の孤独な姿が心配だった。大鴉を討った今となってはそんなことはないと思うが、『私を案じる者など誰もいはしない』と呟いていた、孤独な少年の行く末が心配だった。彼の眼差しから孤独の影が消えていることさえ確認できれば、安心できる。あと、初対面の時に『私より年下の童女に助力を乞うことになろうとは』と言っていた彼に、豊乳になった雪香の姿を見せつけてやりたい気持ちもある。誰が年下だ。見習い仙女になってから年を取らなくなっただけで、その当時だって彼と同じ十三歳だったのに。


『それはちょうど良い。息子があの者から無理難題を乞われて困っておるようじゃ。そなたがその気ならばなんの問題もあるまい。相分かった。都の貴顕の家にそなたを転生させてやろうぞ』


 本当に分かってるのかな、と雪香はこっそり思った。ちなみに斗母元君の子息は北斗七星の化身である北斗星君である。


『あの、それと生まれかわりました暁には再び娘娘にお仕え――』

『願いは聞いた! さぁ、そなたを豊乳な名家の令嬢に生まれかわらせ、劉凌風との再会を果たさせてやろうぞ!』


『にゃ、娘娘、あの、見習い仙女に再び――』

『ではさらばじゃ瑞雪!』


 もっかい見習い仙女として豊乳状態でやり直させてという声が封殺された気がしてならない雪香だったが、さすがに願い事を二つも三つもお願いするのは不躾だったかな、と思う程度の遠慮はあった。きらきらと光る瑞雲に囲まれつつ、仙女になるのは自力で頑張ろうと拳を固め、目を閉じた……。


 ともあれ、こうして雪香は都の貴顕、名家である汪家に転生した。時は大鴉討伐の一年後、未だめでたさで満ちる都に、大きな産声を上げたのである。雪香が生まれた直後に瑞雲が現れ、汪家の庭で神獣が飛び跳ねたらしく、それに喜んだ当主である父が、『この娘は必ずや国母になるに違いなし』と確信してしまったため、蝶よ花よと育てられた。そして別れを惜しむ父によって、ついにお妃選びの本命としてこの後宮にやって来たわけである。取り巻く侍女らは未来の国母の侍女たらんと誇り高い者ばかり。希望を豊かな胸にはちきれんほど抱いて入宮した雪香を待っていたものが、皇帝の幼女趣味であった。


「あ、あんなの嘘ですわぁぁぁっ」


 失神から目覚めた雪香を待っていたのは、乳姉妹の水琴ただ一人だった。残りは皆、早々に雪香の元を去ったらしい。父が揃えてくれた侍女だが、いずれも気位が高く疲れる相手だったので、それはいい。水琴さえいてくれればそれはいいのだが、問題は幼女趣味である。


「一目も? 一度もお目にかかることはかないませんの!?」


 実は雪香、父から散々国母国母と言い聞かされ、それではと父に条件を設けたのである。妃になるべく皇帝に拝謁した娘達は、皇帝に選ばれなかった場合、簪を下賜される。その簪には意味があって、翡翠ならば妃にはせぬが、素晴らしい佳人と世間に知らしめる意図があった。


 真珠ならまぁまぁな佳人、瑪瑙なら佳人(仮)という程度の意味合いだ。簪を賜れない娘もいるが、そんな娘を妃選びに出した家は嘲笑されるのが関の山。


 雪香の夢は再び斗母玄君に仙女としてお仕えすることである。つまり、夢は出家なのだ。せっかく生まれた瑞兆漲る娘を出家などさせたくない父と話し合った結論が、翡翠の簪を下賜されれば出家を認める、ということだったのだ。真珠以下なら別の家に嫁に出すという横暴さ。だが豊乳仙女を目指す雪香としては、負けられない戦いだった。


 あの孤独な少年の目に潜む悲しさが消えていることを見届けたい。そういう綺麗な感情も残ってはいるが、父との真剣勝負の方が比重が大きいのは致し方なかった。


 成長した二十九歳の凌風は美しく年を重ねているに違いない。美しくも頼り甲斐のある彼の幸福を見届けたいとふんわり思っていた雪香に、降って湧いた幼女趣味。たゆんたゆんじゃなくてつるぺたすっとん。命を賭けた褒美が無駄どころか有害にさえなってしまったこの切なさ。いやだがこの関門さえ乗り越え、翡翠の簪さえいただければ俗世からとんずらして立派な豊乳仙女になってみせる。


「信じられませんわ、こんなに美しいお嬢様を胸の大小で選り好みするなんて。お嬢様がお生まれになった時の瑞雲、神獣をなんと心得るのか。お嬢様こそ誰よりも国母に相応しいお方ですのに、趣味嗜好でお嬢様を軽んじるなんて、なんて恐ろしい神々への愚弄ですことか」


 据わった目でまくし立てる水琴に、雪香の頭がちょっぴり冷えた。父の影響で乳姉妹まで国母国母言い始めるようになって、今ではすっかりその気になってしまっている水琴。出家したいって言っても全然聞いてくれないその真っ直ぐな姿勢が時々ちょっと重い。


「こ、こほん。あのね、水琴どうにかして陛下とお会いできないかしら」


 やっぱり人間、謙虚が肝心である。豊乳だから拝謁できて当然という考え方が駄目だったのだ。ここは初心に返るべきである。どんなのでもいいから、とにかく簪を下賜していただく。真珠でも瑪瑙でもいいじゃないか。実家に帰ってから出奔すれば。あんなにほしかった豊乳なのに、その桃まんじゅうを疎ましく思うなど、本末転倒である。


 雪香はたゆんたゆんな胸を持ち上げ、たぽたぽと揺らしてみた。やっぱりこれを否定はできない。幸せな重みである。ずっとほしかった桃まんじゅうなのだ。


「簪さえいただければ、きっと父も諦められると思うのよ」


 あんなに期待していた娘が送り返されてきた。そういう事態になれば、きっと頭に血が上った父も冷静になれると思う。たぶん。


「こんなに健気なお嬢様に対してこの扱い……神々もご照覧あれっ!」

 水琴がカッと目を見開いて叫んだ。本当にやめてほしい。ちょっと恥ずかしくていたたまれない。


「あ、あのね、水琴……」


「あれは十六年前、夫を亡くした母が生活を苦に、赤ん坊のあたしを抱えて入水しようとまで思い詰めていたあの時。汪家にかかる瑞雲に導かれるように邸内に入れば、生まれたばかりのお嬢様は母を見て花のようにお笑い遊ばされました。どんな乳母も泣いて嫌がられたお嬢様が、唯一笑って喜ばれたのがあたしの母。そのおかげであたし達親子は生きながらえ、それどころかお嬢様のお側近くで豊かな暮らしをすることができました。そんなお嬢様を! 神々の愛でられるお嬢様を軽々しく扱われるとは! いかに皇帝陛下にお仕えする方々とはいえ! いかがなものかとっ――ゲホッゲホッ」


 叫びすぎて噎せた水琴の背を撫で、側にあった水差し――当然、水琴が準備したものであろう――から水を注いで手渡した。水琴は器に入った水を飲み干してからうっとりと雪香を見上げた。


「なんて慈悲深くていらっしゃるのでしょう、あたしのお嬢様……」

「あなたが用意したお水よ?」

 苦笑するが、水琴は首を振った。


「お嬢様のお心が嬉しいんです。すみません、あたしったらいつもの癖でつい……」

 いつもの癖でつい絶叫するのが水琴だった。でも後宮ではやめてほしい。


「ここは汪家ではないもの。万が一不敬を咎められたら困るわ。気をつけてちょうだい」


 水琴まで側からいなくなってしまったら心細すぎる。絶叫する癖をやめてくれさえすれば理想的な乳姉妹でもあるのだから、本当に気をつけてほしい。


「はい、お嬢様……」


 しょんぼりと項垂れる水琴は可愛らしい。一緒に豊乳体操をしていたせいか、水琴もかなりの桃まんじゅうを抱えている。いわばまんじゅう仲間でもあった。


「――失礼いたします、汪家のお嬢様」

 扉越しに声が掛けられ、雪香と水琴は慌てて居住まいを正した。


「どなたでしょう」

 水琴が立ち上がり、取り澄ました声で問うた。


「お嬢様のお世話を任じられました小監でございます」


 小監と聞いて雪香は水琴と目を見合わせた。小監は後宮の女主人達それぞれに仕える宦官のことである。捨て置かれるだろうと思われていた雪香にも与えられたとはありがたい。


「――どうぞ、お入りなさい」


 雪香が頷くのを確認してから、水琴は小監を招き入れた。小監は大きな体を素早く動かして入室し、そのまま跪拝した。


「汪家のお嬢様、拝謁の栄に授かり、恐悦至極に存じます。わたくしめは通海つうかいと申します。どうぞご用をなんなりと」

 雪香は座ったまま頷いた。


「汪雪香といいます。よろしくお願いしますね。さぁ、顔をお上げなさいな」


 通海と名乗った宦官は、一度深くお辞儀をしてから顔を上げた。その見知った顔に雪香は鋭く息を呑んだ、が、耐えた。


「雪香お嬢様。麗しき方にお仕えできてこの通海めは幸せ者に存じます」


 通海の言葉に水琴は何度も深く頷き、雪香は前世の兄弟子の戯言にそっと目を逸らしたのだった。


 水琴に用事を言いつけ、二人きりになった瞬間、雪香は通海に走り寄った。


「通海道士様、どうしてこんな場所に? もしかして宮刑に処されるようなことを、何かなさったのですか?」


 通海道士は斗母元君の子息である北斗星君に仕える道士であった。しかも雪香のような見習いと違って本物の仙人だったのだ。それがどうして後宮に、と本気で首を傾げてしまう。後宮にいる男性の使用人は、宮刑という男性機能喪失刑などを経た者でないと勤められない。男性機能――というか、もろにアレ――が無い者を、宦官と呼ぶのである。


「瑞雪、息災そうで何よりである! 宮刑になどならずとも、それがしのような本物の仙人ともなれば、宦官の体を擬すことなど容易いものよ」


 前世の名前を呼ばれて雪香ははにかんだ。とはいえ疑問は残る。


「どうして擬態してまで後宮にいらしたのです?」

 しかも、妃選びの候補にさえあげてもらえそうにない雪香の側に。


「北斗星君の思し召しである。深くは語れぬが、星君と皇帝の間に結ばれた契約を遂行するためであるのだ。しばしそなたに仕えさせてもらうぞ」

「道士様に仕えていただくわけには……」

 兄弟子に雑用をこなしてもらうのは心苦しい。


「なに、それがしの力をもってすれば雑用など雑用というほどの手間もかからぬ。存分に頼るがよい」

「はぁ……」


 むしろこの偉そうな態度の男を使用人として使える自信がない。


「さて、そろそろ可愛らしい侍女が帰ってくるようだぞ? ささ、座った座った」


 促されて再び上座に着席したものの、どこか釈然としない雪香だった。






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