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涼風と凌風


 ふわふわと曖昧な覚醒を繰り返し、再び悪夢に潜る。魘されて、誰かになだめるように頭を撫でられ、水を与えられてまた眠る。繰り返すうちに、意識の覚醒ははっきりとした輪郭を持つようになった。


「――……りょうふう、さま……?」


 ぽっかりと浮上した意識で周りを見渡せば、寝台に横たわる己の手を握って体を寝台に倒し、うたた寝をしている果王涼風の姿が見えた。


「……んん……」

 僅かに呻いた涼風は、すぐにはっと目を見開いた。


「雪香……!」

「はい。どうして、ここに……」


 嗄れて痛んだ喉に眉をしかめると、すぐに涼風が水を注いで湯飲みから飲ませてくれた。自分より年若い少年に看病してもらっていることに忸怩たる思いだが、それよりもっと危機的な状況を思い出す。


「いけません、涼風様。わたくしの部屋にいらしては……」

「陛下から許しは得ている。私との仲を誤解されて、そのように風邪を引いてしまったのだから、私が看病すべきだと」

「まぁ……」


 涼風の言葉にいちおう頷きつつ、それでも雪香はどこか納得がいかなかった。確かに涼風は少年である。まだ子を成すには差し障りのある年齢だろう。だが、不可能ではないだろうし、甥と妃候補がこれほど仲睦まじいというのは、皇帝にとってどうなのだろう。気にならないのか、分かっていて不愉快を隠しているのか。


「大監は勅書の偽造が疑われて、蟄居している。そなたを脅かす者はもういないのだ。そなたと私の仲を誤解した、あの侍女も」

「殿下……?」

 侍女の下りで、雪香は不安に思って身じろいだ。


「処罰はしていない。ただ、簪を下賜して後宮から下がる容花淑と共に、容家へ向かうことになっただけだ」

「花淑、様が……」

 どうしていきなり。首を傾げる雪香の頬を涼風はゆっくりと撫で、囁いた。


「もう、寝るがいい。私がそなたを守っているから」

 皇帝と、皇帝の甥。彼らは似ているが、違う。絶対的に立場が違う。なのに、どうして涼風はこんなに自信に満ちて雪香の看病ができるのだろう。


「目を閉じて。もう何も怖いことは、起きないから」

 涼風の掌が、雪香の瞼を覆う。聞きたいことはたくさんあるはずなのに、何を聞きたいのか分からなくなってくる。ただ不安が、うっすらと雪香を覆っているのが分かるだけで。


 なだめられて、寝かしつけられて。病に弱っていた体は、容易く涼風の企みに従っていった。


 またふ、と意識が浮上して、うっすら目を開ける。部屋は未だ暗い。まだ夜なのだろう。灯りがうっすら照らす、暗い室内に、先ほどとはまた違った姿勢でうたた寝をする果王涼風の姿が目に入った。彼の肩に毛布が掛けられていて、それでこの部屋の外にも誰かがいて、涼風の体を案じているのが知れた。


 どこか遠くで鶏の鳴く声がした。もうすぐ夜明けなのだと知れる。窓を見ると、玻璃の板の向こうで、うっすらと空が黒から藍色に変わっていくのが見えた。


 目を涼風に戻す。肩からずり落ちかけている毛布を直そうと体を起こし、手を伸ばし――止まった。


 くにゃりと、涼風の体が歪んでいる。玻璃を通して歪んだ景色を見るみたいに、彼の体の輪郭が大きく歪み、伸びてたわんだ。


「――っ!?」


 ずず、と涼風の体が太く大きく変わる。少年らしいしなやかな腕は、固く逞しい青年のものへと変わる。肩の分厚さも異なり、綺麗に結い上げていた黒髪がばらりと長く解け、一瞬のうちに白銀へと変わる。


「……ん……」


 微かに呻く声さえ、少年のものとは違い、低く滑らかに響いた。目眩を感じて体を支え、それから涼風だったものから遠ざかろうと、体を動かす。


「……せつ、きょう?」


 その動きが、他ならないその人を起こす手伝いになってしまったらしい。呼ばれた名前にびくりと肩を震わせる。目を逸らし、それでもまた見つめてしまう。どう見てもその顔は、その人に見えた。


「……あぁ、とうとうばれてしまったな」


 自分の顔を確かめるように撫でたその人は、秘密だっただろうそれが暴露されて悔しがる風でもなく、むしろどこか楽しげに呟いた。


「……へい、か……」

 劉凌風。現皇帝。瑞雪だった時に気に掛けていた少年。


「あぁ。おはよう、雪香。調子はどうだ?」

 凌風の一挙手一投足に戦く雪香に素知らぬ風で、凌風は掌を雪香の額に当てて体温を確かめた。


「まだ少し熱いな。……あぁ、夜明けか。朝議に参らねば。また後で来る。それまで大事に過ごすように」

 看病する間に寝乱れた衣服を、青年にしては丈の短い衣服を素早く直し、皇帝は微笑った。


「陛下……」

 見送りの挨拶をしなければ、と焦る心と、疑問を叫ぶ心が合わさって、不明瞭な音を奏でた。


「大事にせよ」

 そんな雪香の心の乱れを見透かしたように、凌風はそう言い置いて去っていった。


「――どういう、こと……?」

 ただ途方に暮れた声が、ひっそりと部屋にこだました。






 凌風は夕方、皇帝の姿で雪香の部屋を訪れ、そのまま看病と言って居座ったらしい。皇帝の用を足すのは身近な宦官だけで、水琴や通海らは遠ざけられていたようだ。朝になって皇帝の姿で出て行った凌風を見届けたらしい水琴は、涙ぐんで雪香の部屋に現れた。


「お嬢様……本当にようございました。皇帝陛下にはたまたま行幸を早めに終えられ、帰還されてすぐに果王殿下が奏上なさったらしく、それですぐにお嬢様をお助けくださったのです。大監はこともあろうに陛下の勅書の紙を無断で使用したそうで、今は処断を待っているのですって。もう大丈夫でございます、お嬢様。陛下はお嬢様の看病までなさるほどのご寵愛ぶり。きっと旦那様が期待される結果になりますでしょうとも」


「水琴……」


 どう、言い表せばいいのか分からない。誤解が解けたのなら良かった。けれどあれは、誤解というよりも二人が同一人物だったということにはならないだろうか。二人と仲良くしているつもりで、本当はたった一人とお喋りしていたというわけだ。


「……つまり、どういうことなの……?」


 つまり、果王涼風に話していた事柄が、皇帝凌風には筒抜けということになりはしないだろうか。何か変なことを言わなかっただろうか。思い出そうにも、どちらに何を言っていたか混乱している。恐らく悪口めいたものは言っていなかったと思う。思うけれど、それも絶対に確かかと言われれば自信はない。


「お嬢様、ささ、こちらの薬湯をどうぞ。陛下直属の宦官に昨夜はお二方のお世話を一任しておりましたが、いかに彼らもわたくしめの薬湯に敵いはしなかったようですな。昨日よりも格段に顔色が良くていらっしゃる」


 通海に椀に入った薬湯を勧められ、受け取る。そして昨日、皇帝が言っていたことを思いだした。


「……通海殿。あなたが陛下にこのことを知らせてくれたのですね? 礼を言います。それに、白と黒のことも」

「あれらは、お役に立ちましたでしょうか」


「はい、とても。あの子達がいなければ、こんな風に起き上がるほど軽症ではいられなかったと思いますから」

「それはよろしゅうございました」


 にっと通海が笑い、それから薬湯を持ったままの雪香に、早く飲めと視線で促してきた。別に苦いのが嫌で話しかけたわけではないのだが、と苦笑しつつ、薬湯を呷る。かつて見習い仙女だった経験上、薬湯とは苦いもので、なおかつ失敗作はもっとひどい味がしたのを覚えているのだ。些細な抵抗をするつもりは全くなかった。


「お嬢様、通海殿が、何か? それに、白と黒って?」

 水琴が聞き咎めてそう尋ねてくる。それに曖昧に微笑うと、通海が代わりに返事をしてくれた。


「なに、宦官には宦官なりの伝手がございます。陛下にお早く還御なさるよう根回しをしたのがわたくしめで、白と黒には影ながら冷宮に出入りして、お心を励ますよう申しつけたのですわい」

「まぁ、通海殿……!」


 水琴が尊敬の眼差しで通海の、その宦官にしては稀なほどの巨躯を見上げている。まぁ宦官じゃないからだけど。


「あの、通海殿。あなたは知っていたのですか? その、陛下のことを……」

 水琴には言えないことを、通海にそれとなく尋ねてみるが、通海は笑顔のまま首を傾げた。それが本当に知らないのか、知らないふりをして誤魔化しているだけなのかが分からない。


「お嬢様、まだ本当には治っていないのですから、もう横になってください」


 そんな雪香を水琴が急かして、空になった薬椀を受け取ってから横にならせる。もう少し情報を集めたいと思うのに、温かい寝台に横たわっていると、すぐに睡魔が雪香を飲み込んでいった。






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