桃まんじゅう
銀の簪が揺れる。名香を焚いた披帛が優雅に揺れ、彼女の豊かな胸元をふわふわと彩っていた。
「こちらです、汪家のお嬢様」
後宮の女官に案内されながらも、雪香はこっそりと首を傾げていた。入宮してからどれほど歩いたことか。確かに途中までは輿に乗せられていたが、輿から下ろされてからもまだ歩いている。雅やかな庭園を眺めながら散策する体なのは構わないが、まだ雪香に与えられる部屋には着かないのだろうか。
「もし、お嬢様はお疲れでございます。まだ歩くことになりましょうか?」
乳姉妹の水琴が先ほどから何度か繰り返した問答を、またも口にした。
「もう少しでございますわ。ほら、あちらでございます」
違ったのは返答で、その返答に雪香らは絶句した。
「……あちら、とは……あのように小さな離宮でございますか? 汪家に対しまして?」
固い口調に抗議の意を混ぜるのは、汪家から付き従ってきた侍女だった。
「はい。……事情はあちらでお話し致しましょう」
女官はそう言ったきり、足を進め始めた。雪香らも戸惑いと怒りを隠しきれぬままに歩を進める。名家と名高い汪家の、その令嬢を妃選びのために住まわせるには、あまりに小さく粗末な離宮。そこへ一行は進んだ。
「……それでは、事情をお聞かせ願いましょう」
きつく女官を睨めつけるように声を発したのは、やはり汪家から伴ってきた七人のうちの一人だった。雪香としては気が気でない。卑しくもあちらは後宮に仕える女官である。一貴族でしかない汪家がそう大きな態度で出ても良いものだろうか。
「お聞かせ致します。汪雪香様。汪家のご令嬢として、妃選びのためにいらっしゃいましたことを、まずは心より歓迎致します。しかしながら雪香様。陛下はお嬢様のような豊満なお体を好まれないのでございます」
「え……」
え、と思わず声を上げたのは他ならない雪香である。
「どういうことでございますか? 雪香様は理想的な体型をしていらっしゃいます。細い腰に豊かな胸元。臀部も張って安産型であること間違いございませんわ」
侍女の言葉に、雪香は身を縮める。胸が豊かなのは自慢だが、安産型とか生々しい形容はやめて欲しい。
「もちろん、世の流行は存じております。雪香様のような佳人が輿入れ遊ばされれば、どれほど高貴な家だろうと手厚く遇すことは間違いございませんでしょう。ですが……その、陛下のお好みは違うのでございます」
雪香は一人座ったまま途方に暮れた。好みが違う、とはどういうことなのだろうか。そんな雪香の疑問を代弁するように、水琴が声を発した。
「どういうことでございますか? もしや陛下は細く華奢な方がお好みということでございますか?」
細く華奢。雪香は真剣に女官を見上げた。
「えぇ、あの、はい。そうでございますね。細く華奢であることは重要でございます。それ以上に重要なのが、女性らしさを感じさせない容姿であることなのです」
雪香らの頭に疑問符が浮かんだ。女性らしくない、ということは、つまり男性らしいということだろうか? 雪香らの疑問を感じ取った女官は、自棄のように叫んだ。
「つまり、陛下は稚い幼児のような体型を好まれるのでございますわ!」
稚い幼児、が好み。
小さく粗末な離宮に沈黙が落ちた。その沈黙を、雪香の唇を意識なく転がり落ちた言葉が破る。
「……つまり、幼女趣味……?」
息遣いさえ止まったような静寂の中、幼女趣味という言葉は大きく響いた。
「ま、まさかっ」
「そうなのです」
打ち消そうとした侍女の言葉を、女官が遮った。
「陛下は、幼女趣味でいらっしゃるのです。従って雪香様、貴女様に妃となる可能性は僅かもございません。よってこの離宮をご用意したのです。わたくし共の非礼をお怒りになり、後宮を出られるというのならば止めはいたしません。その美貌と体型を好まれる方は山といらっしゃるはず。どうか花の時期を大切にお過ごしくださいませ」
聞きようによっては雪香のためを思ってなされた離宮選定である。だが雪香はその配慮をありがたく思う余裕など皆無だった。雪香は深衣の襟から覗いた豊満な胸を両手で持ち上げる。
「そ、そんな……こんなにたぷたぷしておりますのよ? たゆんたゆんでございますのよ?」
両手で持ち上げ、寄せてみたり掌の上で弾ませたりしてみせる。
「お、お嬢様、お気を確かに……っ」
水琴のたしなめる声も届かない。
「柔らかくって蒸かしたての桃まんじゅうのようだと姉に褒められましたのよ? ほら、こんなにたるんたるん揺れますのよっ?」
寄せて上げた胸をお互いにぶつけてみせる。そんな雪香の姿に、女官は僅かに頬を染めた。
「それは、もちろん……同性ながら羨ましいお胸でございます。わたくしが殿方だったなら今すぐ攫いたいと思いもしましたでしょう。ですが、陛下の趣味は確かなのでございます。陛下はつるぺたすっとんなお胸がお好きなのでございます。陛下がこれまで拝謁を許されたのは、いずれもつるぺたすっとんばかり。そんな桃まんじゅうなお胸では、まず呼ばれることさえないかと……」
「そんな……」
雪香の意識が霞み始めた。
生命を賭した使命の褒美に手に入れた、桃まんじゅう。それがまさか再会に際して、一番の障害になるなんて。
「お、お嬢様っ、お気を確かにっ」
水琴の声を遠くから聞きつつ、雪香はつるぺたすっとんの呪いを走馬燈のように思い出していた。