46.アラサー令嬢は即決する
お父様の了解が出た次の日、料理長に『結び目パン』について相談し、コストを下げるための工夫で大体3か月かかった。
「うん。これなら大丈夫じゃない?」
「普通に美味しいしね」
試食したシリウスと王子様は、満足げに頷いた。
「こっちは街で売って、最初のレシピは金持ちや貴族への裏メニューとして、付加価値をつけるのはどうだろう?」
「あぁ、美味しい物を食べて、実はもっと美味しい物が…というのはそそられるね」
こんなに美味しいものを食べたからもういいとはならない。
(人の欲は果てしないなー)
前世の嗜好品生み出した人間が、言えるセリフではないですが。
何かの記念とか…贈答用とかなら、1000Ran(円)出せる人も出てくるかもなー。
「いいと思います。殿下、シリウス」
私はなるべく優雅に見える様に微笑んだ(只今練習中)。
店を開くのに必要なノウハウを素早く整えてきてくれた二人だが(ヒマなの!?)、実務は有能執事のロイドが、ほぼほぼやってくれることになった。
また、これがないと城下でお店が開けないという、商業組合からの『商業許可』は、家の商業担当さん(ジェスパーさんとおっしゃった)が採ってくれた。
香草紅茶への期待もあって、私の出店に興味があるらしい。
「火を扱う店舗の許可には、時間がかかると聞いていたのですが、さすが専門家は早いですね」
火事はいつの時代も減らない、厄介な災害だ。
(この国には、水の精霊の加護を持つ人間による消火隊があるらしい…少し見てみたい。もちろん訓練で!)
それでも万能ではないだろうし、下町は住宅が密集して火の周りが早い。火元は少ないにこしたことはないのだ。
「ご要望があれば、他にも何なりと揃えるそうです」
「忙しいのではなくて? こちらに手をかけて大丈夫?」
「香草はまだ数が揃わないから、大々的には売れませんからね。その間、こちらを手伝いたいとのことです」
なるほど。そういうことなら手伝ってもらおう。
(こっちはまるっきり素人だから、プロの助言は幾らあっても足りないのだ)
ロイドの報告を聞きながら、店舗をどのあたりにするか?というところで、シリウスが『心当たりがある』と言い出した。
「半年くらい前かな。ドアに板を打ち付けたお店を見たことがあって、周りに聞いたら『潰れた』んだって言ってた」
「ふーん」
「しかも食べ物屋だって言ってたから、ちょうどいいと思う」
「食べ物を作っていたなら、かまどがあるかもしれませんね…!」
私は食いついた。
ロイドも目を光らせた。
「どの辺りでしょう? シリウス様」
店の話は、ロイドからジェスパーに伝えられた。
調理設備の確認のために副料理長を伴い、物件を検分したジェスパーは、その日の内に屋敷に来て、ロイドと私に報告した。
「かまどは使えるそうです」
「それは良かった」
と笑顔のロイド。対照的にジェスパーは少し複雑な表情になった。
「…っていいますか、元々はパン屋だったそうです」
「え…?」
「順番としては、最初は小間物屋だったそうです。その次にパン屋。次が食事処で、現在空き家になってました」
単純に喜んでいいのか分からなくなって、私は少し首を傾げた。
「かまどが使える状態で残っているのは、とても幸運だと思うのですが…それは、入るお店が次々につぶれたということですか?」
同じ疑問に達したロイドの質問に、ジェスパーが頷く。
「そのようですね。というのも、町の中心にある大通りから、少し外れているのです」
「どれくらいですか?」
「大通りを一本隔てた通りの、角地です」
ふむ、と顎に手を当てたロイドに代わり、おっとりと口を挟んでみた。
「町のお店は、大通りにないと続けていくのが難しいのですか?」
確かにメインストリートが商業の中心なのは当然だ。
でも、仮にも王都の城下町。
(一本くらい外れた場所でも、にぎわってそうだけど…)
ジェスパーは少し姿勢を正して、こちらを向いた。
「店の商品にもよると思いますが。町には大通りの他に、そちらから伸びている道が幾つかあります」
頭の中で串とか、T字路を想像してみる。
「そちらから大通りに行ったり、大通りからそちらに行ったりできる様になっているのですが」
第一商店街、第二商店街みたいなもんかな。
「目的の店は、そちらの道にも面していないのです」
なるほどなー。それは不利だ。
私は理解した印に、大きく頷いた。
「以前は近くに大きな商会があって、そちらから客がいたようですが、商会が場所を移ったことで、店も閉じたそうです」
おぉ。似たような話は、現代でも聞いたな。
『テレビ局が本拠地を移してさー、その最寄り駅から町にあったお店、特に飲食関係ことごとく潰れたんだよねー』
その話をしたのは同僚だったが、自分も、大学の移転で似たようなことがあったのを思い出していた。
大きい所帯の移動の影響は、直接利害関係にない周囲にも及ぶ。
「どうされますか、シャーロット様。別の場所を探しますか?」
ロイドに問いかけられ、少し考え、ジェスパーに尋ねる。
「ジェスパーから見て、そのお店の周囲の様子はどうでした? 人通りとかは、全然なかった?」
「そうですね…買い物に来たような人間は、あまり見ませんでしたが、普通に歩いている人はいましたよ。他に店舗はなくても、民家や工場は近くにありますからね」
寂れたという感じではないです、と彼はしめくくった。
よし、決めた。
「分かりました、ジェスパー。そのお店に決めます」
「よろしいのですか?」
とロイド。
「はい。周りに、他のお店がないのは、むしろ都合がいいかもしれません」
「それは、競合店がいないという意味ですか?」
どこか揶揄うようにジェスパーが聞く。
(まーお嬢様だしね。子供だしね、仕方ない)
「それも少しはありますが…もし、お店の前に人だかりができても、他所様にご迷惑をおかけしないで済むでしょう?」
角地なら、行列も上手くできそうだ。
こちらの自信たっぷりの態度に、ジェスパーはやや引き気味だが、ロイドはいつものように微笑んでいる。
「…失礼ですが、お嬢様。商売と言うのは、お店を出せば、簡単に物が売れるという物ではないのですよ?」
知ってます。
これでも生き馬の目を抜く社会で、アラサーとして働いていましたから。
「そうでしょうね…」
と大人しく答えて、私はにこやかに微笑んで、ジェスパーを見た。
「…ところで、ジェスパーは、私が売り出そうとしているパンを、口にしたことがありまして?」
「いえ、まだですが…」
私もロイドも、口元の笑みがとても深くなった。




