43.アラサー令嬢は腹をくくる
この計画の一番の難題は、ウイザーズ侯爵だ。
仮にも侯爵令嬢が、下町でパン屋をやりたいと言って、簡単に頷く親がいるわけない。
とりあえず、シリウスと王子には、下町でお店を出すために必要なモノや手間(書類や許可証等)を調べてもらうことにした。
「分かった。本物の商店経営…これは、勉強になるなぁ」
好奇心がくすぐられるらしく、うきうきした様子が隠せないシリウス。
(ある意味、年相応。通常、あんまり表情変わらないからなー)
シリウスは、同年代の貴族女子の間では『氷の貴公子様』とか、呼ばれているらしい(笑)。
教えてくれたお姉様が、『ちょっとセンスないわよね』とか言ってたが、お姉様の『運命の人』シリーズといい勝負だと思う(最新作は『暁の騎士様』。どっかの伯爵子息らしい)。
「うん!知っておいて損はないよね」
賛同する王子様の白皙の頬は、バラ色に染まってる。
王子は王子で、巷では『完璧様』と謳われている。
(まあ、頭脳明晰で容姿端麗。人当たりも鷹揚で、何をやらせても上手だからね)
そこだけ見ると確かに『そんなもんかな』と思うけど、自分やシリウスから見れば、大らかすぎる気がする。ウチの王子様。
(…『下町のお店の成り立ち』なんて、宰相様は知っているかもだけど、国王様は知らないんじゃないかなぁ)
どことなく浮足立ってる二人を見送って、執事長に、お父様へのアポイントを取ってもらった。
「旦那様は、夕刻前ならお部屋におられるそうです」
「分かったわ。有難う……ねぇ、ロイド」
「はい、何でしょうか?」
「下町には、よく行く?」
「買い物は他の者の仕事ですので、あまり機会はありませんが…私は、市場の価格などを調べに、月に一、二度は降りるようにしています」
「そう。あの…」
「はい」
「パ…パンを、売るお店はどのくらいあるかしら?」
「そうですね…二、三軒ほどでしょうか」
「…あら。少ないのね」
下町の規模が分からないけど、5軒くらいは余裕であると思っていた。
「パンは主食ですので、各家で焼いてますし、修道院や施療院でも焼いています」
あ、そっか。こっちだとパンが主食なんだ。
日本だって、お米屋さんはあったけど、炊いたゴハンだけを売っている店なんてないもんね。
(おにぎりとか、お弁当屋さんはあっても…)
……あー、お米食べたい。
しかし此処には、麦はあっても米はない。
(うー、大好きだったクロワッサンが出来ただけでも、ラッキーだと思わないと!)
広めれば、もっと色々食べれる可能性が上がるし!
「そうね、家でも厨房で作っているものね」
「はい。…ですが、お嬢様?」
「はい!」
思わず背筋を伸ばしてしまった私に、ロイドは優しく笑って話してくれた。
「お嬢様のご提案されたような味のあるパンは、むしろパイや焼き菓子を売る店に、置かれるものかもしれません」
生活必需品でなく、贅沢品ということか。
「そのような菓子を扱うお店で、『結び目パン』みたいな商品を見たことはあって?」
「いえ。お嬢様の作ったパンは、今まで、どこでも見たことのなかったものです」
あっさり否定されてしまった。
カヌレを見た時は、同じような世界から来た人がいるかも、と思ったんだけど。
(パイがあるんだから、『デニッシュ』のようなパンもありそうなものだけど)
道具や武器の成り立ちには積み重ねがあり、一足飛びに新しい技術はできないというのを、前世で聞いたことがあった。
残念ながら、パンやケーキの進化の歴史なんて、学校でも社会でも学ぶ機会はなかったので、この世界が、今どの程度の水準かは分からない。
(まーここが『なんちゃって中世』で、何の法則もないかもしれないけど…)
何より魔法や、精霊は元いた場所にはなかった要素だ。
結局、確かなことは、
(『結び目パン』は、自分で普及させねばならないらしい…)
ことだ。
「分かったわ。有難う」
お礼を言うと、ロイドは胸に手を当て、恭しく頭を下げた。
王城の侍従に負けていない優雅さである。
見習わなければと思った。
サリーに開けてもらった書斎のドアを通ると、重厚なデスクに向かっていたお父様が顔を上げるのが見えた。
「お父様、お忙しいところを申し訳ありません」
「いや、お前の話より優先する仕事はないよ。私のシャーロット」
ウイザーズ侯爵閣下は、機嫌が良さそうだった。
悪いよりは当然マシだけど、この上機嫌を凍らせてしまいそうで心が痛む。
「今日はどうしたんだい? アマレットだったら、ドレスのおねだりかとかと思うが、シャーロットなら本かな?」
(本も欲しいのだけれど…)
大抵の本は、王子かシリウスから借りられるからいいです、とは言いづらい。
そういえば、お姉様のロマンス小説はどこから…いや、今はそうじゃなくて。
「あの…」
「うん?」
「…私が考案したパンやお菓子を、厨房で作らせているのは、ご存じかと思います」
「…あぁ、聞いているよ」
お父様の笑顔が、微妙なものとなる。
厨房に出入りするだけで、侯爵令嬢としてはナイから仕方ない。
「お父様、率直にお伺いしますが…私が、下町で、あれらのパンを売るお店を出したいと言ったら可能でしょうか?」
率直過ぎたのか、お父様は固まってしまった。
シャーロットお嬢様は、ご自分が社交界でなんと呼ばれているかはご存じありません…




