42.アラサー令嬢は経営する
「じゃあ、広めちゃおう」
あっさりと、シリウスは宣言した。
「城下で広まってしまえば、貴族は後追いするしかなくなる」
今までも、そういうお菓子や食べ物はあったという。
「たまに、買って来てくれたもんね、シリウス」
「そういえば、ウイザード侯爵邸へ初めて来た時も、下町のお菓子を…元にしたものを、持って来てくれましたね」
「そう、あんな風に材料とか形とか少し変えて、貴族風に仕立てるってわけ」
今回は、逆さになるってことか。
「つまり、城下のお店にレシピを流すってこと?」
「それなんだけど…シャーロット。作り方が分かれば、すぐ作れるのかな。このパン」
出来るまでは苦労したけど、いったん製法が確立してしまえば、パン屋さんなら作れるだろう。
「最初は、難しいかもしれません。でも何度か作れば、パンの職人さんなら大丈夫かと」
安心するかと思ったシリウスは、何か考えているようだった。
「シリウス?」
「…うん。ねぇ、シャーロット。苦労してたよね、このパン作るの」
私は素直にうなずいた。
苦労はしました。厨房の皆の方が多いけど。
「何度か試作を繰り返して、ようやく出来た物です」
「君の発想もそうだけど、製作するのにかかった経費や人力を考えると、簡単に製法を流していいものじゃないと思う」
(あー、それを言われると辛い)
新製品を出すには、通常、様々な経費がかかっている。
商品を販売した後、それらを回収していく訳だけど、半年で回収できる場合もあれば、何年かかっても回収できない場合もある。
今回の場合、初期のアイデア料は0円としても、ウイザーズ邸の優秀な料理人(複数)の時間と、製作工程に関するアイデアが経費に計上される。
(試作に使った材料費、厨房の燃料代なんかも、バカにできないわよね…)
自分がこの屋敷の『お嬢様』だから、それらを無料で使えただけだ。
食べたいから、だけで突っ走ってきたことに、今更ながらチクチク良心が痛んできた。
(いや、でも、皆楽しそうだったし!)
でも、それって『やりがい詐欺』っていうんじゃ…社畜メンタルも、ズキズキ痛んできた。
しかし、彼らに還元すると言っても、『給料はすでにもらってます』、で済んでしまうだろう。
「確かにね。外交にも使えそうな物を、無償で平民に配るのは、どうだろうって僕も思う」
「で、ですが、レシピ料なんて払うパン屋さんがいるとは思えません」
この世界『特許』とか聞いたことないけど、あるのかな?
「…このパンを一度でも食べれば、『是非!』って言うと思うけど、まともに計算すれば、町の一店舗に払える額じゃないよね」
…言われてみると、貴族の厨房でコストを無視して作ったものだ。
特別な材料は使っていないが、厨房の設備も違うだろうし、レシピだけで再現は難しいかもしれない。
この国のフツーのお店の設備を知らないんで、まだ諦める必要はないかもしれないけど。
すぐ決めなくても…
まず調べて…
それでだめだったら…?
(…このままでも、美味しいパンは食べられるし、そのうち厨房でアレンジしたものもできるだろうし…)
あきらめた方が、いいんだろうか…と思った瞬間、
『でも、もし破滅したら?』
という発想が、稲妻のごとく襲い掛かってきた。
(ちょ、ちょっと、待って…シャーロットが破滅して、家が没落したら…)
『もうこのパン、食べられなくなるじゃない!』
修道院に入れられたって、どっかの国に追い出されたって、実家がしっかりしてれば、差し入れくらいしてもらえるかもしれないけど、悪役令嬢の呪いは大抵実家もセットだ…
(せっかく再現できたのに、また食べられなくなるなんて…)
「…シャーロット? あんまり考え込まないで。僕らも考えるし、これからゆっくりと…」
ゆっくりと…? ゆっくりとなんてしてられない!
(ゲームの始まる16歳まで、あと4年もないじゃない!)
魔法学園に入学したら、もうこんなに自由には動ける時間はないだろう。
(今のうちに、下町にこのパンを広げて、できれば他の国にも広げて…)
没落しても、修道女になっても、庶民になっても、死なない限り食べられるようにしたい!
「殿下、シリウスッ!」
「「…はいっ!」」
勢いのまま詰め寄ると、二人は驚いたように硬直した。
「私、絶対このパンを下町に広げたいのです。ご協力ください!」
「「はい!」」
こうして権力と知恵を味方につけて、シャーロットは『下町に結び目パンを広げよう!』プロジェクトを、始めることになったのである。
「やっぱり、僕らでパン屋を経営して、売るのが一番早いと思う」
シリウスはもともと、そう提案するつもりだったらしい。
「ここの厨房で、パン職人を教育すれば、理解も早いだろうし、製法も漏れない」
お店が上手くいって、経費が回収できたと感じたら、少しずつ職人を増やして、他のパン屋に広めていけばいい。
「その際、製法に関する契約を取り交わして、幾ばくかのお金を取れば、お店が増えすぎたり、質の悪い類似商品が出回るのを防げると思う」
私と王子は、尊敬のまなざしでシリウスを見た。
「シリウス、さすがだね。伊達に、ちょくちょくお父上の書斎を漁ってなかったんだね!」
「シリウス、すごいです。ちょくちょく下町に降りていたのは、遊びじゃなかったんですね!」
…二人とも手放しで、賢い親友を褒めたのだが、シリウスは複雑な顔をしていた。
日頃、公爵令息であるはずのシリウス様が、一人で下町に行っていたのを、第一王子殿下と侯爵令嬢が『ずるい』と思っていたなんてことは…多分、少ししかない。
アラサーの知識はプライスレス。そして…食はめっちゃ大事!




