40.熟年執事は考慮中
思ったより長くなってしまい、更新遅れてしまいました。何はともあれ、今年もよろしくお願いします<(_ _)>
書状を幾つかお預かりして、旦那様のお部屋を後にしました。
角を曲がるたび、磨き残しがないか、廊下を見渡します。
(大丈夫なようですね)
皆、真面目に勤めているようで何よりです。
私、ロイド・ミラーは、先々代のウイザーズ侯がまだご存命の頃に、こちらのお屋敷に『見習い』として入りました。
当時の執事長はすでにご高齢でしたが、いつでも背筋をピンっと伸ばし、屋敷のあらゆる場所に目と手を届かせていました。
先々代が、家督を先代にお譲りなさる時に、共に引退なさいましたが、今でも私のお手本はあの方です。
書状を、伝令係の侍従に言付け、次は屋敷の外回りの点検を…と思ったところに、
「美味しいです!これ美味しいですよ、お嬢様!!」
…高位貴族邸の緊張感が、一瞬で崩れるような声が聞こえてまいりました。
ウイザーズ侯爵家は、四大公爵家に継ぐご家系。
旦那様が学生の頃も、今の国王陛下が遊びに来られる時がございましたが、今では、ひと月と時を空けず、第一王子殿下がシャーロット様を訪ねてお出でになります。
少しの気も抜けない、仕事場です。
声のした方角には、厨房があります。
(おそらくあの声は副料理長…)
しかし厨房から、ここまでは結構な距離があります。
(厳重な注意が必要のようですね)
「…でも、まだ足りないのよ」
「…分かります。これは、美味しいパンに美味しいバターを挟んでも味わえますから…」
近づくにつれ、シャーロット様と料理長の声も聞こえてまいりました。
「でも、でも、すんごく美味しいのに…」
やはり、先ほどの大声は副料理長のようです。
涙声ですね。どうりでくぐもったおかしな声だと思いました。
「やはり、生地でしょう」
「そうね。私もそう思うわ」
「この前、菓子用の小麦粉で、試しましたよね…?」
「あの時は全体的に固くなったから…今度は粗い粒と、細かい粒の小麦粉を、混ぜ合わせてみてはどうかしら?」
料理長は、少し考えているようです。
「…比率を変えて、何回か試してみましょう」
「お願いします。後はバターを、もう少し薄くできるかしら?」
「可能ですが…」
そこで、副料理長の情けない声が入りました。
「あまり薄くすると、焼く前に溶けて流れてしまいますぅ…」
「そうよね…」
シャーロット様が静かにあきらめかけた時、料理長が口を挟みました。
「いえ、むしろそれでいいのかもしれません」
「え」
「今回のように、バターをバターとして感じさせると、ただのバターを挟んだパンになっていまします。ですから…」
「生地にバターが溶け込む…。ええそうね、馴染ませるくらいで、いいのかも」
「薄い生地の上に薄いバター、その上にまた薄い生地をのせて、一枚にする感じで」
「あぁ、それなら分かる気がします!」
興奮した副料理長の声の後、
「お願いしますね。火加減が一番大事なのですから」
苦笑が見えるような、シャーロット様のお声がしました。
「は、はい!命を懸けて火を見ます!!」
「…命はかけなくて、よろしくてよ」
新しいパンの、製作が決まったようです。
おそらく、ウイザーズ侯爵邸の食事は、また美味しくなるでしょう。
(本来、お嬢様は、厨房などには、足を運んではいけない、ご身分なのですが…)
シャーロット様の声は、生き生きとしておいででした。
…厨房へ入るのは止めて、私は手近のドアから庭へ出ることにしました。
「よお」
温室の前で土を積んでいた、庭師頭のジェフリーが声をかけてきました。
「シャーロット様の温室は、いかがですか?」
「順調だな。この間、領地から届いた香草が、図鑑に載っていた薬草と同じだって喜んでいたぞ」
最初は、料理の香りづけに使っていた香草に、興味を持たれたようでした。
その後、シャーロット様は、お城にあったという本で、香草が体に良いことや、お茶にして飲めば効力が高まることを知って、様々な植物を集め始めました。
「向こうの連中も、新しい収入源になるかもしれないって喜んでるよ」
シャーロット様がお茶用に選んだ香草は、どれも生命力が強く、温室以外でもすくすく育つものです。
「香草なんていっても、雑草みたいなものだからな。麦の収穫の終わった痩せた畑でも作れる」
今はまだ試作段階ですが、質を向上させ、量産できるようになれば、新しいブランドのお茶として、ウイザーズ侯爵領の新しい商品になるでしょう。
「どうした? お家が今以上に、栄えるかもしれんってのに、あまり嬉しそうじゃないな?」
「…シャーロット様の、新しいパンが出来そうです」
「お、またか!今度はどんな味なんだろうな」
ま、美味しいに決まってるがな――と断言する、この方は以前、シャーロット様がお庭で怪我をされた責任を取って、辞任する予定でした。
「お屋敷に留まって良かったですね」
つぶやくと、ジェフリーは目を丸くしてこちらを見ました。
「次々に、美味しい物を食べられて」
「違いない!」
ジェフリーは、日焼けした浅黒い顔で豪快に笑った後、私の目を見てはっきり言いました。
「大丈夫だよ、シャーロットのお嬢ちゃんは」
「…何がです」
「屋敷では、お前やサリーが目を光らせてるし、厨房の連中は皆あの子の信奉者だ」
「そうですね。庭ではあなたが見ていますしね…このお屋敷内では、私も心配していません」
「なんだ、そっちの話か」
「そっちの話です」
シャーロット様は、この先、貴族の子女の集まる学園にお入りになり、いずれは、この国の王子に嫁がれる方です。
貴族や王族の中で、お菓子やパン、お茶を作ることは…控えめに言っても、標準的ではありません。
「まぁ、そっちも大丈夫だろう」
私は安請け合いをするジェフリーを、軽くにらみました。
「そりゃあ、俺やお前には何もできんかもしれんが、代わりにいるだろう? お嬢ちゃんを守る騎士様が」
言われて思い当たるのは、美しい金の髪と温かい碧の面差しを持つ第一王子と、端正で厳しい雰囲気の宰相様のご子息です。
お二人とも、シャーロット様を見つめる瞳には、とても温かいものがあります。
「…いましたね。お二人も」
「あぁ。あの二人なら、これからもシャーロットの嬢ちゃんを守ってくれるだろうよ」
幼い時から一緒にいた、あの御三方には、確かに他が入り込めない強い絆を感じます。
『シャーロットのかみの色、おかあさまともおとうさまともちがうの』
『お嬢様、お髪の色は、必ずしもご両親と同じにはならないものですよ』
『でも!おねえさまは、おかあさま、おとうさまとにてる! シャーロットだけ、ちがうの…』
本当にお小さい時は、ご自分に自信が持てず、下を向いてばかりいたお嬢様だった。
(まだ若かったが、しっかり者のサリーをお側に付けて、ご様子をうかがっていたのだが…)
王子殿下のご婚約者に選ばれたことで、周囲に煽られ、上を向こう上を向こうとして……危うく転ばれる前に、足元を見直された。
「お嬢様も、お強くなられたことですしね…」
「おう!お前も分かってるじゃないか」
嬉しそうに笑うジェフリーに、私も笑みを返す。
『…ロイドのかみの色は、おんなじね』
違うんです、シャーロット様。私は歳をとったからで…と答えようとして、答えられなかった。
『はい。ロイドは、おそれおおいことに、シャーロットお嬢様と同じですね』
ほっとして、泣きそうな顔で笑った、主人の二番目のお嬢様。
(あんな弱い笑顔は、ロイドはもう見たくないですよ。お嬢様…)
「ジェフリー! ロイドもここにいたの?」
声の先には、サリーを従えたシャーロット様が手を振っていた。
「噂をすれば、だ」
嬉しそうに言って、ジェフリーは土の付いた服を払う。
私も居住まいを正し、ゆっくりとお嬢様に向かって歩き出します。
柔らかな日差しを浴びた銀色の髪は、風になびくときらきらと光り、お美しいお姿を幻想的なまでに高めています。
金や銀の光に包まれて、お嬢様は誇らしそうに笑っておられます。
「厨房で、お菓子を作ってもらったのよ。食べたら、感想を聞かせてね」
はい、シャーロットお嬢様。
すべては貴女の、仰せのままに。
私は胸に手を当て、ゆっくりと頭を下げた。
…シャーロットの作ろうとしているのは、クロワッサンです。苦戦してます。
…邸内の一部では、『シリウス様のお立場が不憫すぎる!』『叶わぬ恋こそまことなのよ!』『なんて罪作りなお嬢様!』と熱烈に囁かれております。3対7でシリウス派が王子派を圧倒しています。




