39.熟年執事は勤務中
静かな、気持ちの良い午後です。
旦那様の部屋の窓からも、色付いている木々の様子が見え、そこから柔らかな日差しが差し込んでいます。
先ほどお渡しした報告書の束を、脇机に置かれると、旦那様は椅子の背もたれに体を預けました。
「ロイド、茶を頼む」
「はい、旦那様」
ベルを揺らすと、ほどなくしてノックがあり、茶器とポット、お茶請けの焼き菓子等が、ワゴンで運ばれてきました。
私は、ポットの側に置かれた砂時計が落ちきるのを待ち、お茶を淹れると、旦那様にお出ししました。
いつもお忙しい旦那様ですが、本日は外出の予定がありません。
その為か、いつもより、ゆったりとなさっておられるように見えます。
お茶を一口お飲みになった旦那様は、カップをソーサーに置き、お尋ねになりました。
「ロイド、子供達はどうしている?」
旦那様のお子様は、お二人いらっしゃいます。
どちらも、大変お美しいお嬢様です。
「アマレット様は、ペニントン伯爵令嬢のお茶会に、出席なされております」
「またか」
旦那様の眉間に、僅かですがしわが寄りました。
「アレは、あちこちの茶会にふわふわと…」
「…社交的であられるのでしょう」
「社交が悪いとは言わないが、少々度が過ぎている」
アマレット様は、ほぼ週に一度、どこかのお茶会に出ています。
その都度、ドレスを新調なさろうとするのが、旦那様のお悩みの種かもしれません。
幸い、ウイザーズ侯爵家はそのくらいの出費では揺るぎませんが、何事にも節度というものが必要なのは分かります。
(いえ、アマレット様の場合、他にも節度を持っていただきたいことがありますね…)
アマレット様はお茶会へ行かれ、将来有望な貴族の殿方を見つけられると、『運命』を感じられます。
(側付きの侍女に、何度か確認しました。『運命』だそうです)
何度目であろうとも。
…次の日には、お手紙を私共に言付けるので、『運命』の方は旦那様の知るところとなり、頭を抱える案件となります。
アマレット様には、まだご婚約者がおられません。
貴族の子女は、16歳でご入学される学園で、お相手を見つけられることが多いので、珍しいことではありません。
ですが、お妹様のご婚約が決定しているので、少し焦る気持ちがあるのでしょう。
それは分かります。
(…分かりますが、もう少し落ち着いて、お相手を探していただきたいものです)
同じ事に思い当たったのか、深いため息を吐かれた旦那様は、気分を変えるように焼き菓子を手にされました。
一口かじられ、目をやや大きく開かれます。
そして、よく味わうように食されますと、もう一枚を、手に取られました。
お口にあったようで、何よりです。
「これはまた…新しい味だな」
「はい。シャーロット様ご提案の、『紅茶の葉』を入れた物が、ようやく旦那様にお出しできる出来栄えになりました」
「またあの子の発想か…」
予想されていたのか、旦那様は淡々とつぶやかれました。
旦那様のもう一人のお子様。
シャーロット様には、お菓子やパン、飲み物などに、新しい視点から手を加える才能がおありです。
最初は、侍女に命じて、コックに作らせていましたが、今では自らコック長とあれこれ話し合っておられます。
屋敷の者は、次はどのような美味なる物が出て来るのか、待ち遠しい者も多くいます。
かくいう私も、その一人なのですが、旦那様としては、貴族令嬢としてはいささか特異な才能を、褒めるべきか窘めるべきかお悩みかもしれません。
「シャーロット様は、午前ですが、書庫におられた所を、お見掛けしました」
今は、お部屋にいられると思います――と付け加えると、旦那様は『そうか』と、つぶやくようにおっしゃられました。
「あの子は、あの子で、あまり茶会にも出ず、部屋で本を読むことが多いようだな」
アマレット様とは正反対に、シャーロット様はお茶会に行かれることも稀で、ドレスを新調されることもあまりなさいません。
精霊のような美しさを持つ、シャーロット様を飾り立てる機会が少ないと、侍女たちは嘆いています。
(ただし、ドレスを作ると決めると、自ら率先して、形や生地を選んでおられるようです)
新進気鋭のデザイナーと、対等に話されるご様子に、感心することしきりです。
机に向かっていることが多いお嬢様の、こうした時、垣間見える女性らしさは、とても微笑ましいものです。
「シャーロット様は、見識の優れた方で、いらっしゃいますので…」
「まぁな。あの子の立場上、うかつに外へは行けないだろう」
シャーロット様は、我が国の、第一王子のご婚約者でございます。
お美しさも、ご聡明さも申し分なく、誠にふさわしいお役目と、私共には思えるのですが、残念ながら、すべての者がそう考えている訳ではありません。
中でも、王家に次ぐ四大公爵家のお一人、一昨年お孫様が生まれたハーロゥ公爵が、シャーロットお嬢様が、次の王妃にふさわしくないと、公言されているそうです。
「2つ、3つの幼児を、シャーロットと比較するなんておかしいわよ!」
アマレット様は、夕食の席で、怒ったように仰せになりました。
まことに妹思いの、お優しいお姉様です。
ただ…
「10も年下が王子の婚約者になれるなら、2つ上の私の方が、よほどふさわしいじゃない!」
…続けられた言葉が、少し残念でしたが。
安定の『アマレット姉様』落ち。




