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第48話 電気バスは希望の夢を乗せているか?

 ――――――――――――――――


 残り時間――58分  


 残りデストラップ――2個


 残り生存者――6名     

  

 死亡者――11名   


 重体によるゲーム参加不能者――2名


 ――――――――――――――――



 阿久野は体に張り付くように取り付いた黒い物体から逃れるために、無我夢中で体を動かし続けた。だが黒い物体が阿久野の体を押さえつけてくる力は凄まじく、容易には逃げ切れそうになかった。


 右手に握った銃で撃ち貫いてやりたかったが、照準を合わせることが困難で、発砲が出来る状態ではない。さらに加えて、黒い物体はただ阿久野の体を押さえつけるだけではなく、同時に攻撃もしてきたので、それを防ぐので手一杯だった。


 黒い物体が低い唸りをあげながら、阿久野の顔や首元に何度も牙を向けてくる。一度でも噛み付かれたら、確実に致命傷に至る部分を正確無比に狙ってくる。


「このクソ犬がっ! 警察犬の方がよっぽど利口だぜ!」


 激しく毒づいた。黒い物体の正体が黒い野犬だと気が付いたのは、地面に押さえ込まれた後のことである。そのときにはもう逃げることが出来なくなっていた。


 阿久野は頭を左右に大きく揺らして、野犬の攻撃を何度も避け続けた。耳元を野犬の牙が掠っていく。その度に、耳の奥に野犬の唸り声が木霊する。


「お前の相手をしている暇はねえんだよっ!」


 何度か野犬の攻撃を防御しているうちに、焦っていた心がようやく落ち着いてきた。いつまでもここで野犬の相手をしている場合ではなかった。逃げて行ったあのガキどもを追わなくてはならないのだ。阿久野はつい調子にのって、一連の事件の裏側を全部喋ってしまったのである。警察に通報される前に、あのガキどもの口封じをしないとならなかった。


 その為には、まず目の前にいる、この獰猛な野犬をなんとかする必要がある。



 人間様の方が偉いっていうことを教えてやるぜ!



 阿久野は野犬の牙攻撃を避けつつ、右手に握った銃の感触を確認した。



 大丈夫だ。銃はしっかり手の中にある。あとは銃弾をこのクソ犬の土手っ腹に撃ち込めばいいだけだ。



 冷静になった頭の中で、上手い具合に野犬に発砲出来ないか考えを巡らせる。脳裏に警察犬の訓練を見学したときのシーンが思い浮かんだ。さきほど警察犬と口走ったことが呼び水になったのだろう。


 犯人役の人間の右手にガブリと噛み付き、決して離さない警察犬の姿──。



 よし、ひとつ良い案を思いついたぜ! 嫌な方法だが、今はそれしか手がないからな。へへへ、文字通り『この手』しかないっていうわけだ。



 自分で考え付いていながら、自分で苦笑してしまった。



 チャンスは一度切りだ。二度目はない。こいつの動きを慎重に見極めないとな。



 野犬の口元に注意深く視線を飛ばす。テラテラと涎で光る野犬の牙はすぐ目の前にある。


 野犬が腹の底から唸り声を漏らした。同時に野犬の首筋の筋肉がピクンと動く。



 来るぞっ!



 阿久野は野犬の動きを見逃さなかった。自分の喉に伸びてくる野犬の口先に向けて、左手の前腕部分を自ら差し出した。


 野犬は自分の前に現われた阿久野の前腕に驚いた様子を見せることもなく、逆に獲物にありつけたとばかりに勢い良く喰らい付いてきた。その様はまさしく阿久野が思い出した警察犬の動きとそっくりだった。



 肉を切らせて骨を断つっていうけどな、こんなクソ犬ごときに俺様の肉を一片もやるつもりはねえんだよっ!



 野犬が歯を噛み締めるよりも早く、右手を野犬のがら空きになっている腹の下に高速で動かした。銃口を野犬の腹に強く押し付ける。



 俺が今ここで殺処分してやるぜっ!



 右手の指に掛かった拳銃の引き金を続けざまに三回引いた。


 野犬は最初の一発目こそ何らダメージを感じないように見えたが、二発目、三発目と体に銃弾を撃ち込まれたところで、唐突に体から力を失ったようにだらんと首を下げた。阿久野の左手前腕部分に噛み付いていた口が、ぽろんと外れる。そのまま阿久野の体にずっしりと圧し掛かってくる。そこで野犬の動きは完全に止まった。


「おい、いつまで人間様の体に圧し掛かってるんだよ! さっさとどきやがれっ!」


 阿久野は息絶えた野犬の亡骸を、邪険に自分の体の上から地面に振り落とした。


「分かったか、クソ犬野郎! これが人間様の力なんだよっ!」


 阿久野は立ち上がると、野犬の亡骸にベッと唾を吐きかけた。刑事としての振る舞い以前に、人としての振る舞いに著しく欠ける行動である。


「さてと、少しばかり時間が掛かっちまったが、あのガキどもの後を追うとするか。このクソ犬みたいに、あいつらのことも俺が殺処分してやらねえとな」


 そこで手にした拳銃を確かめる。拳銃は警察で支給されているものではなく、鬼窪から買った外国製の拳銃である。警察に正式採用されている銃に比べて、装弾数は格段に多いが、少し残数が心細くなってきた。


「まさか今夜、こんなに弾を使うとは思わなかったからな」


 拳銃を見つめながら、少しばかり思案する。


「そうだ。確か鬼窪が拳銃を持っていたな。あの銃を貸してもらうとするか。どうせ銃の所有者は死んじまったんだからな」


 自分が鬼窪を殺したことなどもうすっかり忘れてしまったかのように、あっけらかんと口にする阿久野だった。


「まずは銃の回収が先だな。それからあのガキどもの始末だ。──まったく、公務員っていうのは本当に重労働だぜ。これってブラック職場っていうやつだよな」


 誰が聞いても笑えないブラックジョークを平気で口にしながら、阿久野は次の行動に移った。



 ――――――――――――――――



 スオウは肩にイツカの重みを感じながら、園内をひたすら逃げ続けた。もっとも、その歩みは亀のように鈍かったが、今は阿久野から少しでも離れたかった。


 ちょっとでも歩を緩めると背後から銃で撃たれてしまうような恐怖が、ピリピリと背中に張り付いていた。それほどまでに銃口を向けられた恐怖というのは、簡単には消えそうになかった。


 反対に、スオウと同じくイツカを肩で支えている美佳は、一言も弱音を吐くことなく、黙然と体だけを動かし続けている。疲れた様子は微塵も感じられない。



 まったく、この子がいたおかげで本当に助かったよ。



 味方がすぐ傍にいることを改めて思い出して、少しだけ心に余裕が生まれた。


「──なあ、ひょっとして、さっきのあの野犬は君が呼んだのか?」


 あのときは阿久野が手にしていた銃に全神経が奪われて、黒い物体の正体を探る余裕すらなかったが、落ち着いた今ならば冷静に考えることが出来る。あの黒い物体は間違いなく野犬だった。問題は、あの絶体絶命の瞬間に、実にタイミング良く野犬が現われて、しかもスオウではなく阿久野に飛び掛かった点である。


 あの場面でそれが出来るのは、今隣でイツカを一緒に支えている美佳しかいない。


「──そう」


 美佳が一言で簡潔に答える。どうしてそんな行動をとってくれたのかは教えてくれないらしい。


「確か慧登さんがゲームの最初の方で、動物園で野犬に遭遇したとか言っていたけど……」


 迷子センターで慧登と再会したおりに、それまでの経緯を慧登の口から直接教えてもらった。そのときの話の中で、野犬に襲われたことを教えてくれたのを思い出したのである。


 慧登の話では、野犬に襲われてまさに絶体絶命のときに、美佳が指笛を吹いて、野犬の気を逸らしてくれたということだった。


「──わたし、動物好きだから」


 美佳がぼそっとつぶやく。


「つまり犬の扱いに慣れているっていうことか──」


 スオウは言葉数が極端に少ない美佳の返事から、自分なりに頭の中で解釈してみた。


「なんだか君には助けられてばかりだな。さっきの野犬のこともそうだし、痴漢スプレーのこともそうだし、そして今はこうしてイツカを運ぶのを手伝ってもらっているし……」


「――別に」


 別に気にしないで、と美佳は言いたいのだろう。


「――君が危ないときには、おれが絶対に助けるからさ」


 スオウは本心からそう言った。今までは顔の表情が読み取れなくて、いまいち美佳の本性を掴みきれずにいたが、こうして何度も助けてもらっているうちに、美佳に対する信用度が増してきた。あるいは、さきほど見た美佳の美貌も少なからず影響しているかもしれないが。



 まあ、男ってやつは単純なんだよな。こういうときでさえ、そんなことを考えているんだからな……。



 苦笑混じりに、しっかりとそう自覚しているスオウだった。



 いや、別に好きとかそういうのじゃなくて……ていうか、ダメだダメだ。今はイツカのことを第一に考えないと──。



 頭を左右に振って、悩ましき煩悩を振り払う。


「──それでこれからどこに向かうつもりなんだ?」


 スオウは気を引き締めなおして、美佳に尋ねた。


 気を失っているイツカを抱えたままでは、逃げるにも限界がある。現に、なんとかここまで逃げてはきたが、イツカを支えていた肩はもうパンパンになるほど疲れていた。出来れば一旦休憩をしたいところだった。


「特に目的地は決めてない──」


 美佳はそう答えながらも、スオウの疲れを察したのか、その場で足を止めた。すぐ近くのベンチに目を向けると、スオウに目で合図を送る。


「ありがとう。実は疲れがもうピークだったんだよ……」


 スオウは美佳の視線の意味を理解して、ありがたく休息をとることにした。このゲームでは休めるときに体を休ませないと、死に直結する恐れがあるのだ。男だからといって、痩せ我慢をして強がっているときではなかった。


 スオウと美佳は最初にイツカを優しくベンチに寝かせた。すぐに銃で撃たれた傷口を確認する。


「これは……ひどいな……」


 スオウは思わず言葉を漏らした。イツカが制服の下に身につけている白いブラウスは、腹部のあたりが真っ赤に染まっていた。スオウが見ている間にも、血の面積が広がっていく。まだ出血が続いているのだ。


「――はい」


 短い言葉とともに美佳が柄が何も入っていない真っ白いタオルをスオウに差し出してきた。


「あ、うん、ありがとう――」


 スオウはタオルでお腹を強く押さえた。少しでも出血量を減らす為の緊急の処置である。しかし、すぐにタオルの表面が血で滲んでいく。この程度の止血処理では追いつかないほど、大量の出血をしているのだろう。


「ごめんな、イツカ……。今はこれぐらいしか出来ないんだ……」


 スオウは血で染まっていくタオルを険しい表情で見つめながら、無念さを言葉に乗せた。


 イツカの顔色は真っ青で血の気がないが、一方で呼吸の方は浅いがしっかりとしている。今すぐどうこうなることはなさそうである。だが、それも素人の希望的な見立てでしかない。いつ症状が激変するか分からないし、何よりもこのまま出血が続けば、いずれその先に見えてくるのは最悪の結末でしかない。



 今すぐにでも病院に連れて行くのが一番だよな……。



 だが、その為にはまず今夜のゲームが終了するまで待たないとならない。ゲーム中に園内から出ることは禁止されているのだ。



 ヴァニラさんと同じ状況になっちゃったな……。



 ヴァニラもまた、すぐにでも病院に運ばないといけない状態なのだ。



 とにかく少し休息を取りつつ、これからの行動をしっかり考えないといけないよな──。



 焦ってばかりいても良い考えは浮かんでこないので、スオウは一旦体を休めるべく、ベンチに座り込んだ。精神だけではなく、肉体の方も限界に近かった。先ほどから続く命の危機と荒事の連続で、体中が大きな悲鳴をあげていた。足の傷口に目をやると、きつく巻いたタオルの表面にうっすらと血が滲み出ていた。ずっと体を動かし続けていたので、傷口が開いてしまったのだろう。緊張の連続で痛みに気が付かなかったが、こうして実際に肉眼で確認したことで、痛みがぶり返したように感じられた。


「イツカだけじゃなく、おれの方もヤバイかもしれないな……。想像以上に追い詰められている状況かもしれないぞ……」


 自分の傷口を見て、つい弱音が零れ落ちた。


「君は大丈夫なのかい?」


 自分とイツカのことを考えているともっと暗く落ち込みそうな気がしてきたので、美佳に話し掛けた。少しでも気を紛らわせたかったのである。


「──大丈夫」


 返事は一言。美佳の言う通り、美佳は目に見えるところに怪我をしている様子はない。スオウとイツカがいなければ、ひとりで逃げることも出来そうだった。つまり、スオウとイツカがお荷物になってしまっているのだ。


「悪いな……。おれたちのせいで君にまでこうして迷惑をかけちゃってさ……」


 スオウは素直に謝った。


「──平気だから」


 美佳の解答は簡潔にして分かりやすい。礼を言われて照れているわけでもなく、さりとて、冷たくあしらっているわけでもなさそうだった。普段から、こういう感じなのだろう。



 本当に変わった子だよなあ……。



 美佳に対してそんな風にぼんやりと思っていると、不意に、その美佳の横顔に眩しい光が差し込んできた。


「――――!」


 瞬時に、スオウは光源に目を振り向けた。同時に、脳裏では数時間前の光景を思い出していた。


 慧登を追ってきたヤクザが、高級車のヘッドライトでこちらを照らしてきたときのことを――。


 あのときは慧登が自ら囮になって、スオウたちが逃げるのを手助けしてくれたのだ。



 まさか、あの悪徳刑事が車でおれたちのことを追ってきたのか……?



 予想出来る答えはそれしかない。しかし、こちらは走ることはおろか、さらにイツカという重体の人間を抱えている身である。相手が車では、こちらの勝ち目はゼロに近い。



 仕方がない……。こうなったら、イツカのことは美佳さんに頼んで、今度はおれが囮になって──。



 慧登が必死の決断を下したように、スオウもまた傷だらけの体に鞭打って、必死の決断をしかけた。


 そこまで考えたところで、不意に違和感を覚えた。あのときはヘッドライトで照らされた後、すぐに車の低いエンジン音が聞こえてきたのだが、いっかなエンジン音が聞こえてこないのである。



 あれ? ひょっとしておれの勘違いだったのか……? それとも、この光は車のヘッドライトじゃなくて、他の光なのか……?



 スオウが頭に浮かんだ新たな疑問に考えを巡らせていると、光の輪の中から人が姿を現わした。まるで背中に後光を背負ったようにして現われた人間は──。


「――えっ? 春元さん……ですか……?」


 それは間違いなくスオウのよく知る、そして、このゲーム内では誰よりも頼りになる春元だった。後光を背負った姿は、まさに地獄で仏のごとき登場シーンだった。


「スオウ君! 良かった、君だったのか!」


 光の道を春元が走ってきた。


「春元さん! 春元さん!」 


 これ以上ないくらいの心強い味方の登場に、スオウは心の底から安心感がこみ上げてくるのを感じた。


 追い込まれていた状況が一変、希望の灯りが見えてきた気がした。


「イツカ、春元さんが来てくれたよ! 来てくれたんだよ!」


 ベンチで横になっているイツカに大きな声で吉報を伝えた。

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