第42話 悪者たちの悪巧みと悪足掻き
――――――――――――――――
残り時間――1時間35分
残りデストラップ――2個
残り生存者――9名
死亡者――8名
重体によるゲーム参加不能者――2名
――――――――――――――――
スオウは鮮血が滴り落ちる右足を庇いながら、色とりどりのカラフルなパラソルが開いた休憩スペースまで歩いてきた。パラソルの下に設置されているテーブルチェアに、全身を投げ出すようにして座り込む。
さっそく最前から気になっていた、太ももの傷口を確認する。長さにして二十センチほど、きれいに横に裂けていた。しかし傷じたいは浅く、幸いにして出血はもう止まっていた。今はズキズキとした痛みだけが残っている。
「出血が止まったのはいいけど、足をやられたのはマズッたかもしれないな……」
悔しげに口元を歪める。いざというときに咄嗟に行動に移れないのは、このゲーム内では致命傷になりうるのだ。デストラップは残り2個。そのデストラップが発動したとき、果たしてこの足で避けることが出来るかどうか、そこをしっかりと見極めないとならない。もしもそれが出来なければ、待っているのは死でしかない。
「まあ、自分の足のことも大事だけど、今はあの男のことを念頭に考えないとな。あの様子じゃ、すぐには追ってこられないと思うけど……」
スオウはバイキングのアトラクションがある方に視線を振り向けた。
そのとき、もはや耳馴染みとなったメール着信音が鳴り響いた。
「おっと、また紫人からのメールか──」
さきほどバイキングでメールを受信したときと違い、今度は余裕をもってスマホを操作する。じっくりとメールの中身を読んでいく。メールの文末まで読む前に、思わず声を漏らしていた。
「やった! あの男、ゲームから退場したみたいだ。でも、いったい何があったんだ……?」
『 ゲーム退場者――1名 矢幡
残り時間――1時間34分
残りデストラップ――2個
残り生存者――8名
死亡者――9名
重体によるゲーム参加不能者――2名 』
メールにはそう書かれていた。デストラップの数はさきほどと同じなので、新しいデストラップが発動したわけではなさそうである。
「――まあ、とりあえず、これであの男が金輪際追ってこないことだけ確かだな。ちょうどいい。ここで少しだけ休息を取ることにしよう」
スオウは目を閉じて体を休ませる。ずっと張り詰めていた神経が、ようやく緩和していく。
まさか矢幡の死に自分の流した血が関係していたことなど知る由もないスオウは、束の間の安眠を貪るのだった。
――――――――――――――――
悪運という言葉がある。もしかしたら、その言葉は今の自分の為にある言葉なんじゃないかと思った。ジェットコースターごと二十メートル近い高さから落下したにも関わらず、鬼窪は奇跡的にも生き長らえたのだ。
むろん、その代償はタダというわけにはいかなかった。
全身に激痛が生じており、少しでも体を動かそうものなら、脳を揺さぶるほどの痛みが走り抜ける。体のどこをどのように怪我しているのか分からないほど、全身にくまなく痛みがあった。意識を集中していないと、すぐに暗闇に落ちていきそうになる。あるいは体から出血をしていて、意識レベルが低い状態なのかもしれない。
しかし、例え、そうだったとしても──生きていることに変わりはない。
お、お、俺の悪運も……こ、こ、これまでかと……思ったが……まだまだ……い、い、いけそうだな……。
鬼窪はこれ以上ないほど顔を歪めながらも、自分の身に起きた奇跡に感謝した。
も、も、問題は……これから……ど、ど、どうするか……だな……。
頭部は固定したまま、視線だけを使って周辺を調べ始める。最初に視界に入ってきたのは、自分の体の上に重くのしかかった、ジェットコースターの残骸だった。座席は大きく曲がりくねっており、もはや原形を留めていない。次に、脇腹のあたりから空に向かって伸びる銀色の物体が見えた。目を凝らして見ると、それが安全バーであると分かった。安全バーの根元は、鬼窪の脇腹にしっかりと喰い込んでいる。どうやら、これが激痛の大元だったらしい。さらにジェットコースターの上には、機械恐竜の背骨のようなレールが何十にも折り重なっており、鬼窪の体がぺしゃんこに潰されなかったのは、奇跡のような状況だった。
なるほどな……。ど、ど、どうりで……体が……い、い、痛え、はずだ……よな……。
これでは到底体を移動させようにも、動かしようにもなかった。もっとも、体を動かすだけの体力が残っているのかも甚だ怪しかったが。
頭がふらっと揺れる。意識レベルが低下しているサインだ。
こ、こ、こんな、ところで……くたばって……た、た、たまるかよ……。まだ、死ぬわけには……いかねえんだよ……。か、か、金を……金を……取り、戻すま……では……。
胸中で強い恨み言を発して、なんとか意識を保とうと試みる。
そのとき、無意識下で動かしていた右手の指先に硬い感触が走った。全神経を指先に生じたわずかな感触に集中させる。激痛に耐えながら、五本の指を細かく動かす。
小指の爪がカツンと何かに当たった。
へへへ……やっぱり、俺は、あ、あ、悪運の……持ち、主だった……み、み、みたいだ、な……。
鬼窪は口の端をくいっと持ち上げた。こんな状態でも出てしまう鬼窪の悪い癖だった。
指先だけを丁寧に使って手元に『ソレ』を手繰り寄せると、苦痛に歯を食い縛りつつ、右手のひらでぎゅっと握り締めた。
ま、ま、まだ、やれ、るぜ……。こ、こ、これさえ、あ、れば……や、や、やれる……。
鬼窪が『ソレ』に自らの運命を託したそのとき、こちらに向かって来る人の気配を感じた。
――――――――――――――――
夏祭りの屋台で売っているような愛らしいキャラクターのお面を顔に付けて、しかし、右手にはそのお面とは不釣合いの凶悪な凶器を持った男の姿が『アトラクション乗り場』にあった。さきほどまで拳銃は脇に吊るしたホルスターにしまっておいたが、いつでも発砲出来るようにと手に持ち替えていたのだ。
お面男はヤクザの鬼窪の後をこっそりと付けていた。『職業柄』、尾行は得意だったので、鬼窪に気付かれることはなかった。もっとも、鬼窪は自分のことで手一杯だったみたいで、後方に注意を向けることは一切なかった。
お面男にとっては最適な状況だと思われたが、それも長くは続かなかった。
ジェットコースターの搭乗口の階段を登っていった鬼窪の姿が、それっきり見えなくなってしまったのだ。しばらく待っても鬼口はいっこうに戻ってこないので、てっきりジェットコースター乗り場に従業員用の別の出入り口でもあって、そこから降りてしまったのではないかと考えた。身を晒す覚悟で搭乗口に向かおうとしたとき、止まっていたジェットコースターが動き出す音が聞こえてきた。
そして、十数秒後──。
上空から鬼窪のこれ以上ないほどの怒りに満ちた壮絶な声が降ってきた。どうしてそうなったのかはまるで見当が付かなかったが、どうやら鬼窪は何がしかの理由でジェットコースターに乗りこんだということだけは分かった。
「おいおい、いつからヤクザ者が絶叫マシーンなんかに乗るようになったんだよ。それとも元から絶叫マシーン好きだったのか?」
忌々しげに吐き捨て、とりあえずジェットコースターがコースを一周して戻ってくるを待つことにしたのだが──。
一分も立たないうちに、少し離れた場所から、重いものが連続して地面に落下していく凄まじい音が聞こえてきた。咄嗟に視線を音のした方に向けると、外灯に照らし出されたジェットコースターのコースが、スローモーションで徐々に崩れ落ちてく様が、遠目にもはっきりと見てとれた。
「クソがっ! まさかジェットコースターが事故ったのか?」
前に出しかけていた二歩目の足が、知らぬうちに空中で停止していた。予期せぬ大惨事を目の前にして、文字通り、二の足を踏んでしまったのだ。
事故の規模からいって、これから急いで駆けつけたとしても、乗員を助けられる可能性があるとは思えなかった。そもそも乗員の鬼窪が死んだところで、お面男としては痛くも痒くもない。いや、むしろこれで死んでくれた方が、自分の手を汚さずに厄介払いが出来るという思いもあった。
しかし──。
「あの男の悪運もこれで尽きたかもしれないが、一応、生死の確認だけはしておかないとな。あとから出てこられても困るからな。女の捜索は後回しにして、先に鬼窪の死顔を拝みに行くとするか」
お面男は行き先をジェットコースターの落下地点に変えて、歩を進めていく。
頭上には落下と崩壊を免れたジェットコースターのコースの一部がまだ残っていたが、いつ落ちてくるかの分からないので、なるべくコースの下を通らないように、安全な道を選んで進む。
しばらく歩くと、ジェットコースターの残骸と、その上に積み重なったコースを形成していた金属のレールの山が見えてきた。高さにして五メートル近くある。仮にこの下に人が埋まっていたとしたら、生きている可能性は限りなくゼロに近いだろう。
それでも、見に染み付いている『職業上の癖』のせいか、突発的なアクシデントに備えて、拳銃をしっかりと構えつつ、惨劇の場にゆっくりと近付いていく。
近くにちょうど外灯が設置されていたおかげで、周囲の様子はしっかりと見て取れた。
グシャグシャに潰れて、原形を失ったジェットコースター。その残骸の端から、長細い物体が見えた。切れ切れになったスーツを纏わり付かせた人の脚である。
お面男は脚の全体像が見える位置まで、用心しながら移動していく。瓦礫を回り込んだその先に見えてきたものは──脇腹を銀色の安全バーで貫かれた鬼窪の壮絶な死亡現場だった。
「──ふんっ。ここがキサマの死に場所ってわけか。ヤクザ者にはぴったりの死に場所だな」
その口調には悲しみも哀れみもない。ただ、事実だけを淡々と述べているにすぎない。お面男にとって死んでしまった人間というのは、始めからいないのも同然なのだった。
「……が、が、がんづがい……ずるごが……はばいぜ……」
ピクリともしなかった鬼窪の口元が細かく震えながら動いた。勘違いするのが早いぜ、と言ったらしい。
「ほおー」
お面男の声に感情が生まれた。感嘆の響きである。
「さすが組織でナンバー2まで上り詰めた男だけのことはあるな。それだけの怪我を負っていながら、まだ声が出せるとは」
「……だ、だ、だだりまべだ……」
当たり前だ、と言っているらしい。
「それとも、死にたくとも死に切れなかっただけか?」
「……が、が、がげ……。ご、ご、ごれの……がげは…」
「がげ……? ああ、俺の金って、言ってるのか。瀕死の人間の声は聞き取りづらくてしょうがねえな」
「……おげの……がね、は……」
「そうして辛そうに何度も俺の金って言ってるが、もうその金はねえんだよ」
お面男は鬼窪の金への執着をばっさりと切り捨てた。
死相すら浮いていた鬼窪の顔が、驚きの色に取って変わる。
「そうだな、ちょうどいいや。見たところ、お前は先が長そうにねえからな、ここでちゃんと俺が説明してやるよ。その説明を聞けば、お前も悔いを残すことなく旅立てるだろうからな」
お面男はそう話を切り出すと、さっそく事の経緯の説明を始めた。
「俺とお前とで、もう5年くらい一緒に『仕事』をしてきたよな。お前がオレオレ詐欺を主導して、俺がその『捜査状況の情報』をお前に流す。お前が危険な仕事を請けることになるから、金の取り分はお前が6で、俺が4って取り決めだったよな?」
鬼窪が辛そうに顎を動かした。了解を意味して頷いたサインらしい。
「でもな、ここ最近のオレオレ詐欺を含む特殊詐欺の情勢は、お前だって知っているだろう? もう『仕事』としては、潮時だったんだよ。このまま続けていれば、いずれそう遠くない未来に捕まることは目に見えていたからな。お前はいいかもしれねえよな。危ないことは全部、下の連中に任せていたからな。でも、俺はそういう訳にはいかねえからな。『仕事』がバレたら、即逮捕されちまう。だから、最後に一芝居打つことにしたんだよ」
お面男はそこで一旦言葉を切った。
「あの二千五百万のオレオレ詐欺に引っ掛かったジジイだけどな、実は同時に美人局詐欺にも引っ掛かっていたんだよ。だから、それを上手く使わせてもらうことにしたのさ。あのジジイにはオレオレ詐欺に騙された振りをしてもらって、お前たち詐欺グループを一網打尽に捕まえるつもりだったのさ。もちろん、俺は安全な外野で見物させてもらうつもりだったがな」
「……ぎ、ぎ、ぎがま……」
キサマ、と鬼窪が怒りの声を漏らす。
「お前たちが受け取るはずだった二千五百万円の金は、ジジイに言って、美人局詐欺の方に持って行かせた。だから、お前が受け取るはずだったバックには、始めから金なんて一円も入っていなかったんだよ。ジジイには美人局に騙された振りをしてもらって、二千五百万円をその女詐欺師に渡すように伝えておいた。その後に俺が女詐欺師を捕まえて、金を全額奪い取るつもりだったんだが、その女にしてやられちまってな。結局、金はホテルの前でバラ撒かれて、それで終わりさ。だから、もう二千五百万円の大金はどこにもねえんだよ」
「……ぐげがががぐぐ……」
鬼窪の蒼白かった顔が、見る見るうちに怒りの為か赤く染まっていく。単語にならない呻き声を漏らす。
「さて、二千五百万円はなくなっちまったが、ここで問題が二つ生じた。ひとつは、俺の正体に勘付いたかもしれない女詐欺師を取り逃がしちまったこと。もうひとつは、お前も知っての通り、お前がオレオレ詐欺に使っていた下っ端の男が、金が入ったバックを持ち逃げしちまったこと。もっとも、今言ったみたいに、そのバックに金は入ってなかったけどな。あのとき、あのジジイの家の周囲には、警察が何人も待機していたんだぜ。金の受け取り役がバックを持って家から出てきたところで、逮捕する手筈になっていたのさ。それが出来なくなっちまったから、俺も正直焦ったけどな。もしかしたら、俺が裏切ったことがお前にバレたんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていたら、あの惚けた男から連絡が入った。紫人とかぬかしやがった男さ。どうせ、お前のところにも連絡はいったんだろう? 渡りに船とはこのことを言うんだろうな。俺はすぐに紫人の話に乗った。上手い具合にあの女とお前をなんとか出来るかもしれないと思ったからな。そこから先は、俺の予想していた通りに上手く事は運んでいった。──そして今、こうしてお前の前に俺が立っているっていうわけさ」
お面男は長い説明を終えた。怒り心頭といった鬼窪は、鬼の形相でお面男を睨み続けている。
「さて、この後どうしたいいと思う? こういうとき映画なんかだと、死ぬまでの苦痛を少しでも減らす為に、撃ち殺すっていうのが定番だよな。でも、お前にそこまで義理立てする必要もねえし――」
お面男がしゃべっている途中で、鬼窪の首が力を無くしたようにこくっと折れ曲がった。
「なんだよ。俺が殺すまでもなかったな。天国でも地獄でも、好きな方に行っちまったみた──」
そこでお面男は鋭い目で、鬼窪の口元に焦点を合わせた。死んだと思われた鬼窪の口の端が、上方にくいっと持ち上がったのだ。
お面男の手が電光石火の速さで動く。まさに今瓦礫の下から現れた鬼窪の右腕に、なんら躊躇することなく銃弾を撃ち込む。
「ぐぎゃあっ!」
死んだと思われていた鬼窪の口から叫び声があがる。鬼窪の右手から、握り締めていた拳銃が地面に滑り落ちる。鬼窪はまだ死んでいなかったのだ。死んだ振りをして、お面男に一発喰らわせようと策謀していたのである。しかし、その策の結果が伴うことはなかった。
「まったく、ヤクザ者はこれだから信用出来ねえんだよな。──いいか、死んでいくお前にひとつ、忠告しておいてやるよ。お前が悪巧みをするときにする、その唇を上げる癖は治した方がいいぜ。命取りになるからな」
お面男はそう言うと、銃口を再度鬼窪の体に向けた。そして、続けざまに銃弾を撃ち込んでいく。
爆竹を鳴らしたような乾いた音が空間に何度も木霊する。
拳銃から発射された弾は、鬼窪の耳、肩、腕といった、致命傷にならない箇所に正確に撃ち込まれた。
「俺からの最後のプレゼントだ。そうやって死ぬまでもがき苦しみ続けるんだな」
お面男は死に往く鬼窪に対して、さらに追い討ちを掛けるように死なない程度に銃弾を体に撃ち込んだのだった。
「ぐぼふっ……ぐご……ぐぐ……」
鬼窪は激痛が増した肉体に、憎悪が増した精神を宿したまま、地獄の中で悶え続けること数分──。
ようやく死出の旅に向かった。
その間、お面男はじっと鬼窪の様子を冷たい目で見つめ続けていた。




