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第41話 堕ちる者 第十一の犠牲者

 ――――――――――――――――


 残り時間――1時間48分  


 残りデストラップ――3個


 残り生存者――10名     

  

 死亡者――8名         


 重体によるゲーム参加不能者――1名


 ――――――――――――――――



 バイキングの揺れがさらに大きくなっていく。スオウは両手で座席をしっかり掴み体勢を維持しながらも、同じような体勢をとっている矢幡の動きに注視していた。


 矢幡もまたバイキングが動いている状態では攻撃が出来ないらしく、血走った目をスオウに向けるのみで、近付いてくる気配はなかった。



 このまま『船』が『転覆』するまで付き合うしかないのか……。



 スオウは出来る範囲で自分が助かる方法を模索し始めた。このバイキングは一回転するタイプではなく、地面と平行に近い場所まで傾いた後は、また徐々に揺れ幅が収まっていくタイプであった。もしもデストラップが発動するとしたら、船が一番傾いたときしかない。そのとき、いかに身を守るかが大事になってくる。


 さらに気になることがあった。さきほどから『船』を固定する支柱から、ギゴギゴという軋み音が絶え間なく聞こえてくる。いよいよ、そのときが近付いているのかもしれない。



 こうなったら、出たとこ勝負でいくしかないか……。



 スオウが捨て身の覚悟を決めたとき、少し離れた場所から、今まで聞いたこともないような爆発的な破壊音が聞こえてきた。


 音の聞こえてきた方に、咄嗟に視線を飛ばす。しかし、照明が灯っているとはいえ、夜の広大な園内を見渡すことは出来ず、音の発生箇所は分からなかった。ただ、何かが起きたことだけは確実である。このゲーム内で何度も危険を経験してきたスオウだからこそ、そう確信が持てた。



 まさか、他の場所でもデストラップが発動したんじゃ……。



 すぐにイツカと春元のことを考えた。自らオトリになったのに、2人がデストラップに巻き込まれたとなったら、スオウの行動はまったくの無駄だったということになってしまう。


 そのとき──。大きく揺れるバイキングに、軽快な音が流れた。スマホのメール着信音である。


 両足の裏を床にしっかり付けて踏ん張りつつ、左手で器用にスマホを操作する。むろん、矢幡の動きにも注意を向け続ける。



 頼むから、イツカと春元さんの名前は出てこないでくれよな。


 

 胸中に起こる不安を無理やり押し込んで、メールを開き、文面を黙読した。そこに書かれていたのは──。



『 ゲーム退場者――1名 鬼窪


  

  残り時間――1時間47分  


  残りデストラップ――2個


  残り生存者――9名     

  

  死亡者――8名   


  重体によるゲーム参加不能者――2名      』



「はあ……?」


 激しく揺れ続けるバイキングの上で、妙に間の抜けた声を漏らしてしまった。メールは確かに紫人からのものだったが、そこに書かれているゲーム退場者の名前にまったく聞き覚えがなかったのだ。


「オニ、クボって読むのか? 誰だよ、こいつは……?」


 自分が置かれている今の状況も忘れて、頭の中で謎解きを始める。程なく、可能性があるひとつの解答にたどり着いた。



 ひょっとしたら、このオニクボって、あの包帯男のことなのか……?



 顔中を包帯でグルグル巻きにした、見た目からして奇妙奇天烈な男。名前は『白包院』と名乗ったが、どう考えてもとってつけたような偽名にしか思えない。結局、レストランで別れて以来、一度も会っていないし、その姿を見かけてもいない。



 あの男の本当の名前がオニクボだったとしたら……。いやそれとも、新しいゲーム参加者の中の誰かのことなのか……?



 スオウはすっかりオニクボの正体について考えるのに夢中になっていた為、そのとき、同時にふたつのあることが起こっていたことにまったく気付かなかった。


 ひとつは、バイキングの揺れが徐々に収まりつつあったこと。


 もうひとつは、そのバイキングの揺れの収まりを悟った矢幡が、スオウとの距離をじりじりと少しずつ詰めていたこと。


 矢幡が無言のままコンバットナイフを構える。その憎悪に染まる視線の先には、ノーガードのスオウの姿があった。



 ――――――――――――――――



 幸いにして春元はトラブルに巻き込まれることも、デストラップに掛かることもなく、無事に救急箱を持って『ゾンビ病棟』まで戻ってこれた。


「イツカちゃん、ヴァニラの様子はどうだ?」


 すぐにソファの上に横たわるヴァニラの元に駆け寄っていく。ヴァニラの容態は春元が出ていったときとほとんど変わらず、今も苦しそうに短い呼吸を繰り返していた。


「春元さん、無事だったんですね。良かった」


 ヴァニラの傍に寄り添っていたイツカが、心底ほっとしたという表情を浮かべた。


「とりあえず救急箱ごと持ってきた。この中にヴァニラに効果がある薬があればいいんだが……」


「とにかく、まずは消毒から始めましょう。わたしも手伝いますから」


 イツカは率先して救急箱を開くと、中から消毒液を取り出した。一緒にガーゼも取り出す。ガーゼに消毒液を大量に染み込ませると、それをヴァニラの足の傷口にきつく押しあてる。


 春元はヴァニラの首の下に手をやり、軽く頭部を起こすと、ヴァニラの半開きになっている口に解熱剤を含ませた。


「ヴァニラ、辛いとは思うけど、この薬だけはしっかり飲み込んでくれよな」


 そう言って、自販機で購入してきたペットボトルのミネラルウォーターを、ヴァニラの口に含ませる。口内に冷たい水が入ってきたのを無意識のうちに感じとったのか、ヴァニラの喉元がこくりと一回小さく動いた。


「よし、ヴァニラ、よく頑張ったな」


 春元はヴァニラの頭をそっとソファに戻した。


「春元さん、これでヴァニラさんは大丈夫なんでしょうか?」


「はっきり言って、どれだけ効果があるのかは分からない。でも、今はこれしか出来ることがないのが現状だ」


「そうですか……」


 応急処置の後も、ヴァニラの様子にさほど変化は見られない。そのせいか、ヴァニラを見つめるイツカの目には、まだ不安の色が濃く浮いていた。


「イツカちゃん、俺たちはやるだけのことはやったんだ。あとはヴァニラの体力がもつのを信じるしかない。信じるしかないんだ」


 春元としても、ヴァニラのことをなんとかしてやりたい気持ちはあったが、これ以上有効な手段は思い付かなかった。


「――分かりました……。わたしもヴァニラさんの体力を信じることにします」


「イツカちゃんがそう言ってくれると心強いよ」


 春元とイツカは互いに小さく何度も頷きあった。


 そのとき、メールの着信音が鳴り響いた。


「まさか、スオウ君じゃ……?」


 イツカが瞬間的にはっと顔を強張らせる。手に持ったスマホを素早く操作する。



『 ゲーム退場者――1名 鬼窪


  

  残り時間――1時間47分  


  残りデストラップ――2個


  残り生存者――9名     

  

  死亡者――8名   


  重体によるゲーム参加不能者――2名      』



 メールの文面を読んだイツカの顔から、強張りが抜け落ちていく。


「スオウ君ではなかったみたいです」


「そうか、良かった」


 春元もイツカの言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。ヴァニラを助ける為に、スオウにはオトリになってもらったのだ。ヴァニラだけ助かって、スオウが犠牲になったのでは喜べない。


「──春元さん」


 不意に、イツカが真剣な目で春元の顔を見つめてきた。


「どうしたんだ、イツカちゃん?」


「こんな大変ときに、こんなことを言うのはあれなんですが……」


「──イツカちゃん。最後まで言わなくとも分かっているよ」


 春元はイツカの眼差しをしっかりと受け止めながら、優しい声音で答えた。イツカの思い詰めた表情を見た瞬間、イツカの気持ちは察した。まるで手に取るようにイツカの気持ちが分かった。なぜならば春元自身、ヴァニラを助ける為に、危険を承知の上で、自ら進んで行動を起こしたからである。イツカもまた春元と同じように、誰かの為に行動を起こそうと決意したに違いない。


「スオウ君のことを助けに行きたいんだろう?」


「──はい……すいません。決してヴァニラさんのことを見放すつもりじゃないんです。ただ、スオウ君の……」


 イツカの内心の気持ちを現わすかのように、スマホを握り締めるイツカの手は震えていた。こみ上げてくる気持ちを押さえきれずに、手の動きに出てしまっているのだろう。


「ヴァニラのことはオレがなんとかするから、イツカちゃん、君はスオウ君を助けに行ってくれよ。きっとスオウ君も君のことを心配しているだろうから」


「春元さん……。本当にすいません。チームワークを壊すような我がままを言って……」


 イツカがその場で深く頭を下げる。


「いやいや、いいんだよ。そんな風にして謝る必要なんてないから」


 春元は慌てて手を振った。誰かを助けたいという気持ちを否定することは、誰にも出来ないのだから。


「それに、もしも逆の立場だったら、オレもヴァニラを助けに行ってただろうからな」


「もしかして、春元さんはヴァニラさんのことを──」


「おいおい、まさか君までスオウ君や、玲子さんと同じ事を言うんじゃないよな?」


 春元は思わず苦笑を漏らしてしまった。


「えっ? それじゃ、2人も──」


「ああ、2人に言われたよ。オレとヴァニラはお似合いだってな」


「わたしもそう思いますよ」


「いや、みんな誤解しているんだよ。そうじゃないんだ。まだ確信は持ってないが、オレがこのゲームに勝ち残ることが出来れば、もしかしたら『ヴァニラの力』になれるんじゃないかとと考えているんだ。それでヴァニラのことが気になっているんだ」


 春元は慎重に言葉を選んで説明した。


「そうだったんですか。でも、そこまで考えているっていうことは、春元さんはヴァニラさんの『事情』も当然分かっているんですよね?」


 イツカはチラッとヴァニラに意味ありげな視線を投げかけた。


「ああ、もちろん、分かってるよ。そこまで言うということは、聡明な君のことだから、ヴァニラがこのゲームに参加した理由も、うすうす感付いているんだろう?」


「ええ、ヴァニラさんの『体の事』と関係があるんじゃないかと……。おそらくその治療費を……」


 そこでイツカは不意に何もない宙に視線を向けた。ここではないどこか遠くを見つめる視線。そして、何かを思い出すような口調でさらに言葉を続けた。


「――わたしがこのゲームに参加した理由なんですが、実は『スオウ君と同じ』なんです……」


「えっ、スオウ君と同じ……?」


「はい……」


「イツカちゃん、君がこのゲームに参加するに至った理由について、今ここで問い詰めるつもりはないよ。ただ、もしもそのことで悩んでいるのであれば、スオウ君に直接聞いたらどうなんだい? スオウ君ならきっとイツカちゃんの話をちゃんと聞いてくれると思うけどな」


 春元はイツカの気持ちを慮って優しい口調で言葉を重ねた。


「出来ればそうしたいのは山々なんですが、簡単には『話せない事情』がありまして……」


 イツカは珍しく露骨に語尾を濁した。


「そうか。君にも君の事情があるんだな。そういうことならば、この話題はここで終わりにしよう。──さあ、これ以上、貴重な時間を潰していてもしょうがないからな。イツカちゃん、君はそろそろスオウ君のもとに向かった方がいい」


「はい、分かりました。それじゃ、スオウ君を捜しにいってきます。春元さんも気をつけてくださいね」


「ああ、イツカちゃんこそ、絶対に死ぬなよ。例え、ヴァニラのようにゲームから退場になったとしても、生きていれば必ずチャンスは巡ってくるはずだからな。だから、なんとしてでも生き残るんだぞ!」


「はい、絶対に生き残ってみせます!」


 春元とイツカは互いの目をしっかりと見つめ、無言のまま手を握り合った。ここまで命懸けで一緒に戦ってきた2人だからこそ、それ以上の言葉はもう必要なかった。


 そして、そのまま静かに2人は別れた。


「──結局みんな、バラバラになっちまったな」


 しんみりとイツカの背中を見送る春元の視界の隅に、ちょろっと入ってくる人物の姿があった。前髪で顔を隠した美佳である。


「あっ、君のことを忘れていたよ。えっ? ひょっとして、君も行くのかい?」


 春元の問い掛けに答えることなく、美佳はすたすたと入り口に向かって歩いていく。


「うん……まあ、そうだな……。きっと君にも君の考え方があるだろうからな……」


 春元としては、もうそう言うしかなかった。



 ゲームはいよいよ最終局面に近付きつつあった。ゲーム参加者たちはそれぞれの思いを胸に抱いて、それぞれの行動に移っていく。それを止めることは、もう誰にも出来ない。なぜならば、参加者たちは自らの命を懸けて戦っているのだから――。



 果たして今夜のゲーム、誰が勝ち残るのか、それは神のみぞ──いや、ここは敢えてこう言うべきであろう。



 ──死神のみぞ知る、と。



 ――――――――――――――――



 あっと思ったときには、八幡が持ったコンバットナイフの刃先がスオウの右太ももを鋭く平行に切り裂いていた。


「うごわぁ!」


 一瞬にして、太ももに生じた灼熱の痛みが脳内まで駆け上がってくる。慌てて手で傷口を押さえようとしたが、視界の隅に矢幡の第二撃が見えた。コンバットナイフの刃の煌めきを見て、傷口に構っているときではないと悟る。


 右足では踏ん張れないので、左足に力を入れた。体ごと後方に投げ出すような形で体を回転させて、座席を無理やり乗り越えた。そのまま後ろの座席の足元に転がり落ちる。



 ジャギンッ!



 金属質の甲高い音が上がった。素早く視線を飛ばすと、一瞬前までスオウがいた座席の安全バーに、コンバットナイフを叩き付ける矢幡の姿が見えた。


 またもや間一髪のところだった。しかし、まだ依然として危機は続いている。


 スオウは右足を庇いながら立ち上がった。座席の背の部分に手を付かないと、立っているのも辛い状態だった。



 クソっ。この傷じゃ、フットワークはもう使えないな……。他に何か使えるものといったら……。



 必死に脳みそをフル回転させるスオウだったが、そのときになって、バイキングの揺れが徐々に収まりつつあることに、今さらながらに気が付いた。



 ヤバイぞ。バイキングが止まったら、あの男、必ず仕掛けてくるに違いない。早急に策を練らないと……。



 座席越しに矢幡との睨み合いが続く。矢幡は一撃を喰らわしたことで心理的な余裕が出来たのか、危険を冒してまでスオウに詰め寄ろうとしてはこなかった。おそらく、矢幡もバイキングが止まる瞬間を狙っているのだろう。


 スオウが策を考えている間にも、バイキングの揺れがさらにゆっくりとしたものになっていく。



 完全に止まる前に、このバイキングから飛び降りるっていうのは──。



 さっと地面に目を向けたが、この足の状態では遠くまでジャンプは出来そうにない。揺れるバイキングに巻き込まれそうで、かえって危険に思われた。


 バイキングの揺れがさらにスローになる。斜度もほぼ地面と平行までになっている。



 ていうか、最後まで転覆しなかったということは、このバイキングのアトラクションはデストラップと関係なかったみたいだな。おれの完全な読み違いだったのか……。



 内心で自嘲気味につぶやいたとき、矢幡の体に動きが生じた。止めの一撃を仕掛けてきたのだ。


 スオウははっと身構えた。無意識下で右手をポケットに入れていた。


 矢幡が座席を乗り越えてこようとする。すぐ目の前に矢幡のぎらついた顔が浮かぶ。起死回生の好機が、文字通り目の前にやってきた。



 その下品な顔を今から泣き顔に変えてやるよ!



 スオウは服のポケットから素早く取り出したスプレー缶を、矢幡の顔面に向けた。躊躇うことなく、スプレーのボタンを強く押し込む。



 プシューッ。



 緊迫した場面に、なんとも間の抜けた音があがった。しかし、その音の感じとは裏腹に、矢幡が受けダメージは深刻であった。


「うぎゃぎゅごああああああーーーーっ!」


 座席を乗り越えようとしていた矢幡は、もんどりうったように床に転げ落ちる。コンバットナイフを投げ捨てて、両手で両目を何度も拭く。だが、それでも痛みが一向に減らないのか、四肢をバタつかせながら、手負いの野獣のような呻き声を上げ続ける。


「ぎゃびゅううう……ぎゅううう……ぐべえええっ……!」


 スオウは矢幡が完全に戦闘能力を失ったことを確認すると、右足を庇いつつ、動きの止まったバイキングからゆっくりと下船した。


「ふーっ、最後の最後で『コレ』が役にたったな」


 無事に地面に降り立ったスオウは、美佳に貰った痴漢スプレーを感慨深く見つめた。



 ――――――――――――――――



 目の粘膜から進入した刺激物質が、矢幡の視神経の中で暴れまわっていた。剣山で皮膚をざくざくと突き刺されるような痛みと、猛火で焼かれたようなびりびりとした痛みの波状攻撃が、絶えることなく続く。


 その余りの痛みに、目は開けていられなかった。目尻からは矢幡の意思を無視して、だらだらと大量の涙が零れ落ちていく。涙だけではない。刺激物質は鼻の粘膜にも進入したようで、壊れた蛇口のごとく、鼻水が滴り落ちていく。絶望的な阿鼻叫喚の怒号を発し続ける口元からは、涎が流れ落ちていく。


 顔面の皮膚は鬼のように真っ赤に染まっていた。


 自分の身に何が起きたのか、皆目検討がつかなかった。ただ、凶悪な激痛だけが顔に張り付いていた。


 両手で目を強く擦り付けたせいか、零れ落ちる涙に赤いものが混じり始める。知らぬ間に口内も切っていたようで、涎にも赤い色が混じる。


 もっとも、矢幡本人は今だに目が開けられない状態なので、自分の顔がどうなっているのか想像も出来なかった。



 クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがクソが────────────。



 激痛に体を苛まれながらも、それに負けないほどの悪罵が心中に沸き起こってくる。



 ぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやる。ぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやる。ぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやる。ぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやるぶっ刺してやる────────。



 暗い情念の炎が矢幡の心を燃やしていく。


 涙と血で汚れた目蓋をゆっくりと開いた。血走った瞳が顔を覗かせる。しかし、まだ視界は不良だった。全体的にぼやけており、焦点が上手く合わせられない。


 自分の周辺に目を向ける。視線を何度も動かして、ようやくお目当てのものを見付けた。



 そんなところに……落ちていたか……。



 激痛に歪んだ顔が、さらに深く歪む。矢幡自身は笑ったつもりだったが、狂った鬼の形相にしか見えなかった。


 苦痛に苛まれつつもゆっくりと立ち上がると、床に転がったコンバットナイフを拾い上げた。



 これさえあれば……まだまだ戦えるぜ……。あのガキを……ぶっ刺すことが出来るぜ……。



 矢幡はふらふらとした足取りで、バイキングの乗降口に向かった。顔面には依然として、マスクのように激痛が張り付いていたが、自分をここまで追い込んだあのガキに対しての憤怒の方が勝っていた。今すぐにでもあのガキの体に、このコンバットナイフの刃を深く突き刺さないと気がすまなかった。


 右手にコンバットナイフを握り、空いた左手で手摺りを持ちながら、乗降口の階段を降りていこうとした矢幡は、階段のステップに何箇所も赤い斑な模様が浮いているのを発見した。



 へへへ……。あのガキの血だな……。ざっくり切り裂いてやったからな……



 あのときのナイフの感触をまざまざと思い出す。



 そうだな……次は腹を掻っ捌いて……内臓を抉り出してやるぜ……。



 血を見たせいか、気分が高揚してきた。あるいは、激痛のせいで妙なテンションになっていたのかもしれない。


 そのせいで矢幡は足元への注意が疎かになっていた。


 ステップを一段、二段と降りていき、三段目のところで足をつるっと滑らせてしまったのだ。


 手摺りを握ろうとしたが、激痛がまだ残る体では、強く握り締めることが出来なかった。


「うおっおおおおっ!」


 体勢を維持できずに、階段を盛大に転がり落ちていく。


 バイキングの乗降口の階段は、それほど高く設計されていなかった。段数にしても、十段といったところだった。上から落ちたところで、打ち所さえ悪くなければ、せいぜいが骨折程度で済む高さである。


 しかし、矢幡は手に危険な物を持っていた。


 切れ味抜群のコンバットナイフである!


「うげぇ!」


 階段から地面まで一直線に落ちていった矢幡の喉から、低い呻き声が一度漏れた。それで終わりだった。


 地面に横たわる矢幡の胸元から、にょっきりと異物が突き出ていた。刃先に真っ赤な血をこびり付かせたコンバットナイフである。


 皮肉にも、矢幡は自分で切り裂いたスオウの体から流れ落ちた血で足を滑らせ、さらに皮肉にも、その傷を作ったコンバットナイフで自らの胸を刺し貫いてしまったのである。


 因果応報にして自業自得の結末──。


 こうして矢幡は憎むべき相手であるスオウと戦うことなく、その生涯を終えたのだった。

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