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第29話 二人の面が割れる

 ――――――――――――――――


 残り時間――5時間22分  


 残りデストラップ――6個


 残り生存者――14名     

  

 死亡者――5名        

 

 ――――――――――――――――



 2人の男たちの後を見付からないように付いていったヒカリは、芝生広場の入り口付近で遺体に出くわした。全身に激しく火傷を負ったと思われる遺体。その遺体の傍には焦げたイルミネーションのコードが散乱していた。



 なるほどね。さっき見えた光の正体はこれってわけか。可哀想なこいつは感電してやられたんだな。



 内心でつぶやいた。



 ちぇっ、もう少し近くにいたら、死ぬ瞬間の映像を撮れたかもしれないのにな。ヒカリが生配信する『光のショータイム』を逃しちまったぜ。



 ブラックジョークを交えてつつ、心底がっかりするヒカリだった。もしも死ぬ瞬間を生で配信出来ていたら、ネット史上初の配信になったかもしれないのだ。ネットの歴史に名前を残せたかもしれないチャンスを逃したのはイタかった。



 まあ、いいさ。まだゲーム参加者は14人も残っているんだからな。そのうち絶好の配信チャンスが巡ってくるさ。次に誰が死ぬのかは知らねえけどな。



 いつまでも過ぎたことでくよくよしていても始まらないので、ヒカリはそこで気持ちを切り替えることにした。


 問題はこれからである。追ってきた2人の男たちの姿はすでにここにはなかった。おそらく、この芝生広場を横切って、先に進んで行ったと思われた。だとしたら、ヒカリもすぐに追いかけなくてはいけないが、目の前には絶好の被写体が横たわっている。死ぬ瞬間こそ撮れなかったが、被写体としては申し分ない。しかも、もう死んでいるから、どう撮ろうと文句を言われることはない。死人に人権なんてないのだ。死人に口なしとは、まさにこういう状況をいうのだろう。



 ということは、今からやるべきことはひとつしかないな。



 ヒカリはスマホの設定をすると、生配信を再開した。


「うわっ! これはなんなんだっ! 謎の光の正体を探ろうとして芝生広場まで来てみたら、まさかこんな無惨な遺体を発見するなんて!」


 わざとらしく大声で視聴者にも分かるように状況の説明をしながら、芝生の上の遺体を画面に大アップで映す。死者に対する敬意など、はなからない。ヒカリにとって芝生の上の遺体は、生配信の視聴者数と入金額を伸ばすための道具でしかないのだ。


「いったい何がここで起こったんだ? まさか誰かが殺し合いでもしているのか? でも、ボクはこの恐怖に負けずに配信を続けていくぜ! みんな、一緒に付いて来てくれよな!」


 ヒカリの絶好調のトークに比例して、生配信の視聴者数と入金額が飛躍的に大きく伸びていく。



 へへへ。そうだよな。みんな心の奥底では、こういうのを求めているんだからな。だったら俺がその求めに応じてやるまでのことさ。



「──さて、この生配信は皆さんの応援の上で成り立っています。詳しい応援の方法は概要欄に記載してあるので、ご確認のうえ、よろしくお願いします」


 ここぞとばかりに入金の告知もいれる。



 これでさらに入金額が増えそうだな。



 ヒカリは薄ら笑いを浮かべつつ、遺体をこれでもかとスマホで執拗に撮り続けるのだった。


 その様はまさに櫻子と同じであったが、むろん、ヒカリ本人はそのことに気付いていない。



 ――――――――――――――――



 少し前に目を覆いたくなるような惨劇が起きたゴーカートのサーキットコース上を、ひとりの女性がとぼとぼと歩いていた。


 喪服を身に纏った美女──櫻子である。


 その足取りはいったて普通で、まるで近所のコンビニに買い物にでも行くみたいな感じである。しかし、その目的としていることは、普通とはほど遠かった。


 櫻子の目的──それはゲーム参加者の遺体の写真を撮ることなのだ。


 その為ならば、自らの危険すら顧みずに前に突き進んでいく。常人には決して理解しえない行動であった。


 櫻子の手にしたスマホにメールの着信があった。手早くメールを表示させる。



『その先に遺体あり』



 たったそれだけが書かれていた。もっとも文字数こそ少ないが、その内容は驚愕すべきものがあった。櫻子に丁寧にも遺体のある場所を教えているのだ。


「感電死の次はいったいどんな遺体が待っているのかしら?」


 櫻子のその言葉から、芝生広場で人間イルミネーションと化して死んだ立石の遺体の写真は、すでに撮影済みだということが分かる。


 世間ではスマホを頼りにしてモンスターを集めるゲームが大人気であるが、差し詰め、櫻子にとってのモンスターはゲーム参加者の『遺体』なのだ。スマホからの情報を元にして、園内に散らばるゲーム参加者の遺体をくまなく捜しているのだ。


 常人の仮面を被った狂人はスマホからの情報を頼りに、何もためらうことなくコース上を進んでいく。


 その先にある遺体だけを目指して──。



 ――――――――――――――――



 コース上での襲撃を逃れたスオウたち一行は、カートのゴール地点から少し離れた場所まで歩いてきていた。目の前には分かれ道。そこで立ち止まり思案しているところだった。


 このまままっすぐ進むと『アトラクション乗り場』の方面に戻ることになる。迷子センターも近くにある。


 右手に曲がって行くと、園内の中央に位置する『白鳥の湖』に向かうことになる。


「この『白鳥の湖』って、ボートとかに乗れる池のことでしょ?」


 ヴァニラの不機嫌な口調からは、『白鳥の湖』へは行きたくないという思いが漏れ出していた。


「このマップには池のことは細かく書いていないけど、多分、ヴァニラが言う通りだと思うぜ」


 春元はマップと睨めっこしながら、進むべきルートを探っている。


「池に向かっても溺れるっていう悪いイメージしかないんだけど」


「まあ、デストラップ絡みで考えると、そういうイメージが湧いてくるよな」


「だったら、わざわざ池なんか行くことないでしょ!」


「うん? さっきから聞いていると、なんだか池には行きたくないみたいだな」


「当たり前でしょ! 夜の池なんて、危ないだけじゃないのっ!」


 ヴァニラは頑なに『白鳥の湖』に向かうのを拒否している。


「なるほどね。そういうことか」


 春元が何事か察したのか、にやりと笑った。


「な、な、何よ……そのいやらしい笑い方は……?」


「もしかして──泳げないのかと思ってな」


 春元の言葉が正しかったことは、ヴァニラの顔を見て分かった。


「な、な、な、な、何よ! お、お、お、お、泳げないのが、そんなにいけないことなのっ!」


 ヴァニラが顔を赤面させて抗議の声をあげた。スポーツ万能に見えたヴァニラにも弱点があったのだ。


「いけないなんて言ってないだろう」


「あんたのその顔が暗にいけないって言ってるの!」


 ヴァニラが理不尽な怒り方をする。


「おいおい、言い掛かりはよしてくれよな。この顔は必死にルートを考えている顔なんだぜ」


 春元も無駄に応戦をする。


「──あの、ヴァニラさんが泳げないっていうことでしたら、やっぱり『白鳥の湖』は避けた方がいいと、わたしは思います。万が一にも、ボートに乗らなきゃいけない状況になってしまって、そのときにデストラップが発動して池に落ちたら、泳げないヴァニラさんは危険極まりないですから」


 イツカがヴァニラに助け舟を出した。


「そうよ! イツカちゃんの言う通りよ! さすが可愛いイツカちゃんはしっかりしている!」


「あの、可愛いとかはあまり関係ないと思いますが……」


「だいたい、『白鳥の湖』なんて行って、あんたはアタシを溺れ死にさせるつもりなの? アタシが池に落ちたら、水も滴るいい女になっちゃうでしょ! これ以上キレイになってもしょうがないのよ!」


 イツカのつぶやきを無視して、ヴァニラがさらに意味不明の理屈を叫ぶ。心底、水が嫌いなのだろう。


「あのな、オレはまだ『白鳥の湖』に行くとは言ってないだろうが」


「それじゃ、『白鳥の湖』はスルーして、『アトラクション乗り場』の方に進むってことでいいわのね!」


 ヴァニラはこれで決まりとばかりに前へと歩いていく。よっぽど池の近くには近付きたくないらしい。


「やれやれだな。──毎度のこととはいえ、イツカ、ありがとうな」


 ヴァニラの後ろ姿を見ながら、スオウはイツカに礼を言った。この7人のチームでは、春元とヴァニラが言い合いを始めたら、止め役はスオウかイツカの2人しかいないのだ。


「ううん、どういたしまして。ていうか、実はわたしも泳ぎは苦手だったから、ヴァニラさんの意見に相乗りさせてもらっただけなんだけどね」


 イツカはそう言うと、イタズラっぽい笑顔を浮かべた。そんなイツカの笑顔を見ていると、それだけで胸の内から暖かい感情が沸き起こってくるから不思議だった。


 その感情の源が単なる仲間意識からくるものではなく、愛情からくるものだと、スオウははっきりと自覚していた。だが、それを口に出して言うつもりはさらさらなかった。なぜならば、スオウたちは今、死と隣り合わせのゲームをしている真っ最中だから──。


「それじゃ、おれたちもヴァニラさんを追って進むとしようか」


「そうだね」


 スオウとイツカはそろって歩き出した。その後ろから美佳が続き、さらに慧登と玲子が横並びで続き、最後に、まだ納得しかねるといった表情をしている春元が続いた。



 ――――――――――――――――



 相変わらずノリノリで生配信を続けるヒカリ。


「やっと芝生広場を抜けて、『ゴーカート乗り場』までやって来たぜ。でも、ここには誰もいないみたいだな」


 スマホを辺りに向けて、視聴者に状況の説明をする。


「うーん、どうしようか? みんなはどうしたらいいと思う? コメントをくれるかな」


 スマホの画面に顔を向けて、視聴者に問い掛ける。もっとも、ヒカリはもう内心では次の行動を決めていた。『ゴーカート乗り場』にはこれ見よがしにカートが置いてあった。あの2人の男たちも、ここからカートに乗ったことは間違いないと思われた。だとしたら、ヒカリもカートに乗って追うまでのことである。


 それでも、あえて視聴者に問い掛けたのは、視聴者にも生配信に参加してもらう為である。こうすることによって、視聴者はより臨場感を味わいながら、生配信を見てくれることになる。もちろん、その結果、さらに入金額が増えるのは言うまでもない。


「みんなからのコメントを読むと、このカートに乗って、あの男たちを捜して欲しいという意見が多いみたいだな。──よし、こうなったら、あの男たちをとことん追いかけるとするか!」


 ヒカリは調子良く視聴者の意見にのった風を装いながらカートに乗り込んだ。


「それじゃ、飛ばして行くぜっ!」


 カートのアクセルを強く踏み込んで、勢い良くカートを走らせていく。


「コース上に邪魔な相手がいないとスイスイ走っていけるな。この分じゃ、すぐに男たちに追いつけそうだ」


 右手でハンドルを握ってカートを運転し、左手ではスマホを持ちながら生配信をするという、実際の路上でやったら即逮捕される危険運転を平然とこなしていく。


 カートは連続するシケインを抜けて、ヘアピンカーブを過ぎていく。すると目の前に長いストレートが待っていた。


「よし、ここからはアクセル全開でかっ飛ばすぜっ!」


 目の前に広がったストレートを最高速で飛ばしていき、早くあの男たちに追いつきたかった。何も起こらないまま、ただカートに乗っているばかりでは、視聴者が飽きてしまうのだ。飽きさせないためには『何か』が必要だった。視聴者が食い付く、とびっきりの『何か』が──。


 そんなヒカリの思いが通じたのか、その『何か』がさっそくやってきた。少し先のコース上に、カートが停まっていたのである。しかも、そのカートは完全に引っくり返っていた。『何か』が起こらない限り、カートは絶対にこんな風にはならないはずだ。



 これは視聴者数を稼ぐチャンスだぜ!



 ヒカリは内心でほくそ笑んだ。カートが引っくり返っているということは、そこで事故が起こったと想像するのは難くない。当然、そこには怪我をした人間がいる可能性も高いのだ。



 ホラー映画顔負けの血だらけの怪我人とかいたらいいんだけどな。



 そんなことをつい考えてしまう。



 一層のこと、血だらけで今にも死にそうな息も絶え絶えの状態だと、映像的には一番ベストなんだよな。もちろん、死んでいてもいっこうに構わないけど。



 頭の中でいろいろと映像を思い浮かべる。さらに、どんなアングルで撮ったら一番効果的なのかも考える。まるで映画監督にでもなった気分だった。



 さあ、ここからさらに気合を入れてトークをして、視聴者の心をがっしり掴まないとな!



「おっと、コース上の先に何かが見えてきたぞ! カートだ! カートが見えてきた! しかも──あっ、引っくり返っている! どうしたんだ? あのカートは完全に引っくり返っているぞっ! まさか事故でも起こしたのかっ!」


 視聴者の気持ちを煽っていくトークを展開する。


「これは大変なことになったぞ! もしかしたら、また怪我人が出ているかもしれない! 怪我人がいるならば、急いで行って助けてあげないと!」


 1ミリも心にないことを、必死を装って叫ぶ。コメント欄には視聴者からのコメントが立て続けに流れていく。早く助けてあげてという内容のコメントが大半を締めるが、中には不謹慎なコメントも見られた。



『怪我人なんて放っておいて、あの男たちを追いかけようぜ』


『怪我人が女だったら、パンチラをお願いします。意識が無かったら、下着の中身まで撮影して下さい』


『ていうか、怪我人なんか見たくねえんだよっ! 早く死体を映せよ、バカ野郎!』



 実はヒカリが待っていたのは、この手のコメントだった。こういう知性の低い連中がいるとコメント欄は荒れてしまうが、その分、大いに盛り上がるのである。



 待ってろよ。今、お前たちの欲しがっている映像を撮ってやるからな。



 ヒカリは腹黒さを胸に秘めたまま、事故が起こったと思われる現場に急いだ。



 ――――――――――――――――



 歩くたびに体のいたるところから響いてくる鈍痛に顔を醜くしかめながら、矢幡は園内の道を無言で歩いて行く。さきほどの事故のとき、どうやら骨を折ったみたいであったが、その痛みすら今の矢幡の歩みを止めることはなかった。


「殺してやる……殺してやる……殺してやる……」


 呪詛の言葉を吐きながら歩き続ける矢幡の脳内では今、痛みを忘れるだけの強い恨みの念が激しく渦巻いていたのだ。


 矢幡は正式な組員ではなかったが、これまでに何度も荒事に関わったことがある。その数は手の指では足りないほどだ。目の前で半殺しの目に合った男の姿を見たこともある。


 しかし、無残に首を引き千切られた遺体など見たことなかった。いくらヤクザでもそこまではしない。


 だからこそ、矢幡は仲間を死に追いやった男たちに対して強い憎しみを抱いていた。あの男たちが許せなかったのである。


 今まで人を殺めたことは一度もない。だが、それも今日までである。


 今の矢幡に人を殺すことに対する禁忌は一切なかった。


「へへへ……こいつを持ってきておいて……良かったぜ……」


 矢幡の目の奥底からギラリと鈍い光が漏れ出た。


 手に持っていたのは、銀色に輝くナイフである。しかも、ただのナイフではない。刃渡りが二十センチ近くある、俗にコンバットナイフと呼ばれる軍用品でもある物騒極まりないものだった。エッジの利いた鋭い刃は、人の柔肌など紙のごとく引き裂く。


 このコンバットナイフは中学時代に護身用で持っていた物だったが、実際にこれで誰かを傷付けたことは今までなかった。このナイフを持っているだけで、なんだか自分が強くなれた気がして、日頃から携帯していただけだった。そのお陰かどうか分からないが、八幡は中学三年生の頃には、市内でもそれなりに名の知られる存在になっていた。もちろん悪い方にである。


 そして今、矢幡はどうなったのかといえば──ヤクザにもなれない、かといって、真っ当な仕事にも就けない、どうしようもない人間に成長していた。



 でもな──あの連中さえ殺せば、オレも組織に入れてもらえるはずだ。



 その思いが傷付いた矢幡の体をつき動かしていた。手にしたコンバットナイフの刃の部分に、奥歯を噛み締める矢幡の顔がくっきりと映り込んだ。その顔はもはや人の顔を呈していなかった。憤怒に歪んだ顔は、まさに怒れる鬼そのものであった。


 コンバットナイフの刃が外灯の光を反射させてギラリと冷たく輝く。まるで獲物を欲している肉食獣の牙のように──。



 ――――――――――――――――



「やっとカートのすぐ近くまでやってきたぜ」


 ヒカリはスマホを引っくり返ったカートに向けた。視聴者をわざと焦らせる為に、すぐにはカートに近付いていかない。



 さあ、カートの周りにはどんな景色が待っているやら。



 頭の中でいろいろなシーンを想像しながら、どうやってトークを展開していくか考える。もしも怪我人がいたら、刺激的なトークは控えた方がいいだろう。そういうときは善人ぶって振る舞うのが一番である。先ほどまでの相手を煽るようなトークから一転、今度は良い人を演じて好感度を上げる作戦である。ギャップを狙っていくのだ。


「あと数メートルでカートに到達するけど、みんな、ボクと一緒に怪我人がいないことを祈っててくれよな」


 またも心にも無いことを平然と話すヒカリ。



『どうかカートの運転手が無事でありますように』


『ひどい怪我をしてなければいいけど……』


『お前ら、揃いも揃ってバカかよ! それとも、ここにはバカしか集まっていないのか! こんなに近付いているのに声さえ聞こえないんだから、もう運転手はとっくに死んでいるに決まってるだろっ!』



 例によって、煽りのコメントが書き込まれる。もちろん、それはヒカリも想定内のことである。



 ありがとな。お前の腐ったコメントのお陰で、俺の良い人キャラの株が上がるぜ。



「おいおい、そんなひどいコメントは止めてくれよ。まだ怪我人がいるなんて決まっていないんだから」


 ヒカリは良い人キャラで言葉を返した。



『ヒカリさん、怪我している人がいたら助けてあげて下さいね』


『今はヒカリさんだけが頼りです!』



 ヒカリの声に反応して、予想した通りの返事が書き込まれる。



 俺のトークスキルも捨てたもんじゃないな。言葉ひとつで、何千人という愚かな視聴者をコントロール出来ているんだからな。



 ヒカリが頭の中で黒い思考を巡らせていると、何の前触れも無く、カートの陰からすくっと人影が立ち上がった。


「おっ、おおっ……!」


 生配信していることも忘れて、驚きの声を漏らしてしまった。考えていたのとは違う展開になったが、驚きこそすれ、気が動転することはなかった。なぜならば、その人影に見覚えがあったからである。


「──なんでこんなところに……」


 カートの脇から全身を見せたのは、漆黒の喪服を着た美女──櫻子であった。


「あっ、やっぱり――」


 頭に真っ先に思い浮かんだ疑問は、しかし声を出しているうちに回答に辿りついていた。


「お前も遺体を撮──」


 そこまで言い掛けたところで、ヒカリは自分が生配信をしていることを思い出して、慌ててその先の言葉を飲み込んだ。これ以上は生配信で言うわけにはいかない。



 どうせ、お前も遺体を撮りにきたんだろう。



 櫻子をじっと見つめながら、心の中で言葉を続けた。どうやら、ヒカリのその考えは当たっていたらしいく、櫻子は右手にしっかりとスマホを握っていた。



 さて、ここはどう対処したらいいか?



 頭の中で、光速で考えを巡らせる。ここで櫻子に撮影の目的を強引にでも問い詰めたいところだったが、今は生配信中である。配信中は良い人キャラでやっているので、櫻子と言い合いすることは出来ない。



 そうか──。



 ヒカリの頭にグッドアイデアが閃いた。櫻子の全身を舐めるように見つめる。



 着ている物はアレだけど、顔はとんでもない美形だし、体型もエロそうだよな。胸なんかDカップはありそうだし。こいつの姿を生配信で流せば、下心アリアリのバカな男どもたくさん食い付いてくるな。



 ヒカリはニヤリと邪な笑みを浮かべた。



 人間の死体と、それに執着している謎の喪服美女──。へへへ、これ以上ないくらいに豪華な組み合わせだぜ。確実に視聴者数も入金額も伸ばせるな。



 そうと決めたら、あとは実行あるのみである。ヒカリはさっそく中断していた生配信のトークを再開する。


「おや? こんなところになぜか喪服姿の女性がいるぞ。しかも絶世の美女じゃないか! いったい彼女の目的はなんなんだ?」


 スマホを櫻子に向ける。櫻子は感情の無い目で数秒間だけスマホをじっと見続けていたが、不意に視線を逸らすと、もう興味が無いとばかりにスマホに背を向けてしまった。そのままスタスタと歩き出す。



 ちぇっ、マジで使えねえクソ女だぜ。せっかくこうして生配信で映してやっているのによ。少しは可愛げのあるところを見せろっていうんだ。



 内心でイライラしながらも、ヒカリはそんな感情をおくびにも出さずに、良い人キャラでトークをつなげていく。


「あれ? 向こうに歩いて行くようだけど、もしかしたら、あっちにも何かあるのか?」


 ヒカリは櫻子の背中を映しながら、櫻子の後に付いていった。



 おっと忘れていたぜ。カートの方の全体像も撮っておかないとな。あの女がいたということは、必ず怪我人がいるか、死体があるはずだ。



 櫻子の登場ですっかり失念していたが、引っくり返ったカートのことを思い出した。軽い気持ちでカートの方に視線を向けたのだが、その光景を見て、一瞬息が詰まった。



 えっ? なんだ、これ? こ、こ、これって……まさか……く、く、首が……き、き、切れて……いるのか……?



 視覚では『ソレ』が何であるのか理解しているのだが、頭が付いていかなかった。非現実的な光景が現実であると、理解出来なかったのでである。


 喉の奥から込み上げてくるものがあった。それをなんとか精神力で押さえ込む。



 クソっ……あの女……平気でこの死体を見ていたのかよ……。



 そんな思いにとらわれた。同時に、櫻子への暗い対抗心が生まれてきた。



 けっ、こんな死体ぐらい、どうってことねえよ。俺はお前なんかに絶対に負けねえからなっ!



 ヒカリは櫻子に向けていたスマホを、引っくり返っているカートの方に向けた。


「あっ! あれはなんだ! あの引っくり返ったカートの下にあるのは──」


 あたかも初めて目にしたかのように、臨場感たっぷりに生配信をする。恐怖はまだ残っていたが、生配信を中途半端な形で止める訳にはいかない。


「人だ……人が倒れているぞ! しかも首が、首が……」


 スマホの画面に、首をなくした人間の遺体がアップで映し出される。引き千切られたかのような凄惨な傷口からは、今も真っ赤な血が路上に滴り落ちている。


「この遺体は……? いったいここで何があったんだ? もしかしたら、あの美女はこの首なし遺体に関係しているのかもしれないぞ!」


 上手い具合に櫻子のことも絡めてトークを展開させつつ、視聴者の興奮度を上げていく。


 再び、コースを歩く櫻子の方にスマホを向けた。櫻子はなぜか歩みを止めていた。引っくり返ったカートからは5メートルも離れていない。



 あんなところで立ち止まって何をしてるんだ? まさか、他にもまだ死体があるのか……?



 スマホ越しに櫻子を見つめていたヒカリは、そこでようやくコース上に転がる物体に今さらながらに気が付いた。


 コース上にポツンと落ちている、バスケットボールサイズの球体の形をした物体。


「ま、ま、まさか……まさか、だよな……?」


 思わず口を突いて出た言葉が、そのまま生配信に流れてしまった。だが、それほどまでに視界に入ってきた物体はインパクトがあったのだ。


 そう、さきほど見た遺体には、首から上がなかったのである。だとしたら、なくなった首はいったいどこに――。


「く、く、く、く、首だっ! ひ、ひ、人の、人の……な、な、生首だっ!」  


 ヒカリは我も忘れて叫んでいた。さすがに生首を目の前にして、平然とはいられなかった。


 対して、櫻子はヒカリの叫び声などどこ吹く風、生首から視線を外そうとしない。手にしたスマホでもって一心不乱に生首を撮り続けている。何かにとり憑かれたかのような様は尋常ではなかった。



 く、く、狂ってる……。この女、く、く、狂ってやがる……。やっぱりこの女が……死神、だったのか……?



 ヒカリが櫻子の様子に慄然していると、コース脇から不意に声があがった。


「いったいどこのどいつだ。真夜中の遊園地で、でかい声で喚いているのは」


 聞いた相手を威圧するような低く通る声。しかし、暴力的な事を生業とする者が出す粗野な声とは、明らかに質が違った。もっと冷静で場をわきまえた声である。こんな声を出せる人間は──。


「だ、だ、誰だっ!」


 反対に明らかに狼狽したと丸分かりの口調で喚き、声の聞こえた方に焦って顔を向けるヒカリ。


「ちぇっ、生配信中だったぜ」


 口汚く罵って、慌てて生配信を一旦中断する。自らの無様な姿をわざわざ配信する必要はない。自分にとって都合の悪い所は、一切映さないのがヒカリのやり方である。


「いきなり誰と言われてもな」


 相手の声はまったく動じていない。そればかりか、その語調には風格ともいえる余裕すら感じられる。ヒカリとは格が違った。


「そうか! お前、新しいゲーム参加者だな!」


 少しだけ落ち着いてきたヒカリはようやく思考能力が復活した。


「ゲームねえ。そういえば、あの紫人とかいう男も、そんなおかしなことを言っていたな」


「やっぱりお前もゲーム参加者なんだな」


「ふんっ、ちょうどいい。お前たちに、そのゲームとやらの詳細を教えてもらうのもいいかもしれないな」


 ヒカリの言葉を無視して、自分の言いたいことだけを言い募る姿なき声の主。


「何勝手なことをほざいてんだよ! あいにくと俺は忙しい身なんでな。お前にゲームのことを教えてやる時間なんて──」


「忙しいのは分かるが、お前はまた『同じ過ち』を繰り返すつもりなのか?」


「なんだって……!」


 ヒカリの動きが唐突に止まった。想像だにしない返しに驚愕して、体が硬直してしまったのである。


「お、お、お前……なんで、なんで……『そのこと』を知ってるんだ……?」


 喘ぐようにヒカリは言葉を搾り出した。


「お前だけじゃないぜ。そこに居る見目麗しい淑女の顔にも、なんだか『見覚え』があるんだけどな」


 二人の会話を一切無視して生首の写真を撮っていた櫻子の動きが、ヒカリと同様にピタリと止まった。


「────」


 櫻子が無言のまま、声の聞こえてきた薄暗闇の方に視線を固定させる。その表情からは、驚いているのか、それとも不安を感じているのか、一切の感情が読み取れない。


「警察では素性がバレることを『面が割れる』っていう言い方をするんだぜ。2人とも過去に『警察に世話になった』ことがあるよな。それで思い出した」


 コース脇に植えられている一本の欅の陰から人影が姿を見せた。そのまま明かりの下までのっそりと歩いてくる。


 服装は着慣れた感のあるくたびれた目立たないスーツの上下。声の印象では中年くらいの男性だと思われたが、その見た目からは年齢が皆目見当がつかなかった。なぜならば──。


「もっとも、顔に『コレ』を付けた男に言われても、説得力が全然ないよな」


 2人の前に姿を現わした人間は、お祭りの屋台で売られているキャラクターのお面を被っていて、その表情は一切窺い知ることが出来なかったのである。

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