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第14話 喰われる者と死を見つめる者 第二の犠牲者

 ――――――――――――――――


 残り時間――11時間03分


 残りデストラップ――11個


 残り生存者――12名     

  

 死亡者――1名 


 ――――――――――――――――



 門の付近で平岩の到着を待っていた幸代は、『ハローアニマルパーク』の中から聞こえてきた女性の悲鳴を耳にした瞬間、そこから脱兎のごとく逃げ出していた。


 昔から幸代は動物が大嫌いであった。だから、ここに来るのも本当は嫌だった。案内図に描かれた可愛らしい動物の絵を見ただけで、気分が悪くなり顔色が曇ったほどだ。


 そこで、ちょうど良い具合に平岩が遅れていたので、幸代は自分から進んで門で待つ役を引き受けたのである。ひとりになるのは怖かったが、動物のいるところにわざわざ行くくらいならば、ひとりの方がまだましだったのである。


 だが、ホッと出来たのも束の間だった。


 幸代は悲鳴を聞いた時、すぐに動物を使ったデストラップが発動したのではないかと考えた。あるいは動物嫌いゆえに、そういう先入観があったのかもしれない。


 実際のところ、中で何が起こったのか分からないが、動物嫌いの幸代からしたら、あの悲鳴だけでも逃げる理由には十分だった。



 でも、どこに逃げたらいいの?



 それは分からなかった。マップを開いて確認する時間すら惜しかったのだ。


 そもそも53歳という、いい年をした幸代がこの狂ったゲームに参加することにしたのには、むろん、ちゃんとした理由があった。


 幸代は税理士として、何十年も真面目に仕事をしてきた。良い出会いがなかったので、結婚経験はなかった。子供もいない。仕事こそが唯一の生きがいだった。


 そんなある日、高校時代の友人に誘われて、あるお店に行った。世間一般で言うところのホストクラブである。


 その手の刺激にまるで免疫のなかった幸代は、すぐにホストクラブにハマッてしまった。


 はじめは少しくらいの男遊びはしてもいいだろうという軽い気持ちであった。結婚もしていないので、不倫でも浮気でもない。単なる夜遊びでしかない。そう自分に言い聞かせていた。


 でも気が付いたときには、千万単位であった貯金通帳の残高がすでに数千円になっていた。今思えば、そこが人生の分岐点であったかもしれない。そこで気が付けば良かったのだ。


 だが、幸代は次のステージになんの躊躇もすることなく進んでしまった。


 自分の金がなくなったので、顧客の金に手を付けたのである。


 金の使い込みはすぐに事務所にバレた。そんなのは当たり前である。その当たり前のことを考える余裕すら、そのときの幸代にはなかったのだ。


 使い込んだ金を全額返済すれば刑事事件にはしない、と事務所の所長に言われた。事務所としても、刑事事件にしてしまうと信用問題になってしまうからだ。


 幸代は金は必ず返済すると書面で約束した。


 その期日が一週間後に迫っていた。しかし、まだ幸代は金を用意出来ていなかった。金を借りる当てもなかった。もはや、あとは逮捕されるしかない状況であった。


 そんな八方塞がりの幸代に、優しく声を掛けてきた男がいた。



 死神の代理人──紫人である。



 ゲームにさえ勝てばこちらで返済金を全額ご用意いたします、と紫人は幸代に優しく語りかけてきた。


 幸代はもちろん紫人の話に乗った。そして今、ここにいる──。



 こんな怖い思いをするくらいならば、宝くじなりギャンブルで大勝負を挑めば良かったかもしれない……。



 全力で園内を走りながら、ついそんなことを考えてしまう。しかし、今さらそんなことを思ったところで、この状況は変わらない。今の幸代に出来るのは、園内の道をただ走るしかなかった。



 グルルルグルルルゥゥゥゥ!



 前方の闇から聞き馴染みがある声が聞こえてきた。


「う、う、うそ……。なんで……なんで、こんなところに、い、い、犬がいるの……?」


 その場で立ち止まって震える声でつぶやく幸代の前に、見るからに凶暴な雰囲気を身にまとった、子牛ほどの大きさの野良犬が姿を見せた。


 幸代は恐怖で体が硬直するのが分かった。昔から動物を前にするとこうなってしまうのだ。特に犬に対してはなおさらだった。幼稚園の頃に近所の犬に噛まれたことがトラウマになっていたのだ。それ以来、犬の吠え声を聞くことすら苦手になってしまった。


 でも、今はとにかく逃げないとならない。



 もしかして……この野良犬が……デストラップなの……?



 最悪の事態が脳裏をよぎった。もしもこの野良犬がデストラップならば、動物嫌いの幸代には成す術がない。


 前方に細心の注意を向けつつ、動揺する心を必死に押さえて、後方にジリジリと後退を始めた。



 グルルルグルルルゥゥゥゥ!



 後方からあの声が聞こえてきた。


「な、な、なんで……なんでよ……! なんで二匹もいるの……?」


 振り返って確認せずとも、幸代はその声の正体を察した。


 幸代は『ハローアニマルパーク』の中に入らなかったゆえに、慧登たちが遭遇した地獄の番犬ケルベロスのデストラップのことを知らなかった。


 地獄の番犬ケルベロス──ギリシア神話に出てくる想像上の生き物である。その一番の特徴は頭が三つあることである。もちろん、そんな生き物は現実の世界には存在しない。もしも、ケルベロスが現実にいるとしたら、それは三匹の犬として現われるのが妥当であろう。


 一匹はすでに美佳が渡した毒入りクッキーを食べて絶命しているので、残りは二匹。その二匹がまさに今ここにいた。


 そしてもうひとつ、幸代が知らないことがあった。肉食獣は狩りのときに、群れからはぐれた一匹を襲う習性がある。その方が獲物を捕獲しやすいからである。二匹の野良犬は、はじめからひとりでいた幸代に狙いを定めていたのだった。



 グルルルグルルルゥゥゥゥ!



 前方にいた野良犬が今にも飛び掛からんばかりの吠え声をあげた。


「いやああああああーーーっ!」


 幸代は絶叫を張りあげたが、すでに恐怖によってどうしたらよいか考える余裕がなくなっていた。


 不意に太ももに強烈な激痛が生まれた。


 後方にいた野良犬が幸代に喰らいついてきたのである。前方にいた野良犬が吠え声をあげたのは、幸代の注意を前方に向かせて、後方からの野良犬の攻撃を悟らせないようにする為の罠だったのだ。幸代はまんまとその罠に引っかかってしまったのである。


 太ももに喰らいついた野良犬が、口を中心にして体全体を大きく捻った。その勢いに押されて、幸代は路上にうつ伏せに倒れこんでしまった。


 前方で様子を伺っていたもう一匹の野良犬が、次は自分の番とばかりに幸代に飛び掛かる。肉食獣特有の鋭い牙が、がら空きになっている幸代の首筋に深く突き刺さる。


 首筋──人間の急所のひとつである。


「ぎゅごぎょびゅあああああーーっ!」


 幸代の口から悲鳴が漏れる。しかし、その悲鳴はすぐにくぐもった声に取って代わる。首筋から進入した野良犬の牙が、簡単に頚動脈に達したのだ。


「うぐぅ…ぐぐぎゅ……ぶぶごぶっ……」


 幸代の口から声にはならない音が漏れる。


「……ぶげっ……ぶぼっぼ……ごぶぞっ……」


 幸代の口から最後に出たのは、声でも音でもなく、真っ赤な鮮血だった。



  ――――――――――――――――



「今、女の人の悲鳴が聞こえなかったか?」


 慧登は眼前の状況も忘れて、思わず耳をそばたてた。


「そんな悲鳴よりも、今はこっちの方が大事だろうが! どうせバカな客が騒いでいるだけさ」


 悲鳴など気にしていないのか、それとも目の前の状況に集中していて、悲鳴に気が付かなかったのか、ヒカリの厳しい視線は美佳に向けられたままである。


「この女が毒入りのクッキーを持っていたってことは、その死んだ野良犬が証明してくれたんだぜ。ということは、この女が死神か、もしくは死神側のスパイだってことだろ? これよりも大事なことなんて他にあるか? 悲鳴なんて後回しだ!」


 ヒカリの言い分はいちいちもっともだったが、慧登は即座に反論した。


「待てよ。悲鳴が聞こえたということは、どこかでデストラップが発動したってことなんじゃないのか? ていうことは、今ここにいるこの子は、デストラップとは関係ないってことになるだろう?」


 慧登は特に美佳のことをかばいたくて言ったわけではなかった。このゲームを生き残る為に、今何に注意を向けなければいけないのか考えて、あえてヒカリに言い返したのである。


「だから言ってるだろう。お前が聞いた悲鳴は、どっかのバカが騒いで──」


 ヒカリが言い返してくる言葉に、悲鳴が重なった。



『ぎゅごぎょびゅあああああーーっ!』



「おい、今の悲鳴はちゃんと聞こえただろう? やっぱり園内のどこかでデストラップが発動したんだ!」


 今度ははっきりとその場にいる全員に聞こえるくらいの大きな女性の悲鳴が聞こえてきた。


「ねえ、今の悲鳴って……幸代さんの声に聞こえなかった……?」


 玲子がさっと顔を曇らせた。


「それじゃ、幸代さんがデストラップに掛かったのか? だったら、今すぐ助けに行かないと!」


 慧登は門に向かおうとした。


「おい、こいつはどうすんだよ!」


 ヒカリが美佳のことを指差した。まだ美佳を疑っているらしい。


「それこそ後回しだろ!」


「そうね、今は悲鳴の件に集中しないと」


 玲子が慧登の案に乗ったので、ヒカリは苦々しい顔をする。慧登には強く言い返せても、玲子には言えないらしい。


「――よし、いいだろう。その代わり悲鳴の件が済んだら、こいつが持っていた毒入りクッキーについて徹底的に調べるからな! お前も絶対に逃げるなよ! まっ、逃げたら、お前が死神側の人間だという証明になるから、調べる手間が省けていいけどな」


 ヒカリは最後にひと際眼光鋭い目で美佳をにらみつけると、門へと振り返った。


「よし、急ごう」


 慧登は門に向かって走りだした。その後に、玲子、ヒカリ、そして美佳が続いた。



  ――――――――――――――――



 バスから降りた平岩はバスの運転手が親切に教えてくれた道順に沿って歩いて行き、『ハローアニマルパーク』に無事にたどり着いた。だいぶ遅れての到着だったせいか、ゲーム参加者の姿はどこにも見当たらなかった。あるいは、もう別の場所に移動してしまったのかもしれない。それならそれで、平岩も急いで後を追わないとならない。


「さて、どうしたもんか?」


 照明の下でマップを大きく広げて、園内の施設の位置を確認する。『ハローアニマルパーク』の近くには、『ミニチュア王国』、『巨大迷宮』、『白鳥の湖』のアトラクションがあった。


「彼らも遊びで来ているわけではないから、わざわざアトラクションの方には行かないだろうな。ちょうど花火大会も終わった時間だし、閉園時間が近いから、入園者が全員いなくなるまで、皆でどこかで待機しているのかもしれないな」


 近くに体を休ませることが出来る休憩施設がないかを探してみる。



『いやああああああーーーっ!』



 突然、女性の悲鳴じみた声が聞こえてきた。


「――――!」


 平岩は慌ててあたりをぐるっと見回した。夜空を明るく輝かせていた花火が終わったせいか、園内は暗さが増していた。だが、見える範囲でおかしなものは見当たらない。


「はて、空耳だったか? それとも歳のせいか?」


 平岩が首を捻っていると、また悲鳴が聞こえてきた。



『ぎゅごぎょびゅあああああーーっ!』



「こいつは本物の悲鳴みたいじゃな!」


 平岩の体に緊張が走った。


 すぐに悲鳴の元に助けに行くべきか? それとも、このまま悲鳴から遠くに逃げるべきか?


 年齢のせいで動きが鈍っている頭をなんとか回転させて、次の行動を必死に考える。


「まあ、わしのような老人が助けに行っても、かえって足手まといになるだけじゃろうからな」


 わざわざ老体に鞭打ってまで助けに行くのはやめにした。なぜならば、今は自分の命の方が大事だからである。


「わしは悲鳴が聞こえた方とは逆に行くとするか」


 再び手にしたマップに視線を落として、次に行く場所を探す。


「『巨大迷宮』は迷って出られなくなったら困るし、『白鳥の湖』は池にあるボートをこの歳で漕がないとならないし……。そう考えると、わしにぴったりなのは『ミニチュア王国』だな。とりあえず、そこでまで行って休憩するとしようか」


 平岩はゆっくりと歩き出した。悲鳴を聞いたことなど、もう頭の中からすっかり消えていた。老人は物忘れが激しいのである。



  ――――――――――――――――



 慧登たちが園内の道に沿って走って行くと、前方の路上で光がピカピカと点滅しているのが見えてきた。


「待った。前に明かりが見えるぞ!」


 慧登はその場で立ち止まった。目を凝らして前方を見つめる。光のフラッシュが瞬くたびに、前方がひと際明るく照らし出されるので、様子を窺い知ることが出来た。


 そこに見知った顔が見えた。喪服姿の女性である。


「あれって櫻子って子じゃないの……?」


 玲子が困惑した表情を浮かべた。慧登も同じ思いだった。なぜ櫻子がここにいるのか見当が付かなかったのだ。


「どうせあの女もひとりじゃ怖くて、俺たちのことを捜してたんじゃねえのか」


 珍しくもっともらしい意見を言うヒカリだった。


「ここで眺めていてもしょうがないし、近くまで行ってみるしかないよな。本人に直接聞けば分かることだし」


 慧登が前へと歩き出すと、他の人間もそれに続いた。


 しかし、その歩みはわずか数歩で止まってしまった。


 今まで暗くて見えていなかった『モノ』が、皆の視界に入ってきたのである。


「あの路上に倒れている人影って、まさか……」


 慧登はそこで言葉に詰まってしまった。


「ねえ、あれって幸代さんなの……? だって、体中、グチャグチャになって……」


 そこまで言ったところで、玲子が手で口を押さえた。喉の奥から込み上げてきた吐き気を、無理やり抑え込んだのだろう。


「クソっ! やっぱり最初の毒入りクッキーはあの女の仕業だったんだ!」


 ヒカリが悔しげに舌打ちをした。ついさっきまでは美佳のことを死神呼ばわりして疑っていたのが、この変わりようである。


「…………」


 美佳は相変わらず黙ったままだった。


 4人がそれぞれの反応を示していると、前方の光のフラッシュが唐突に止まった。慧登たちの気配に気が付いたのだろう。


「あら、こんなところでまたお会いすることになるなんて、何やら奇遇ですね」


 櫻子は道でばったりと友人に出会ったかのような調子で、慧登たちに声を掛けてきた。


「──君は……いったいそこで、何を……してるんだ……?」


 慧登は路上に横たわる『モノ』から離せずにいた視線を、無理やり櫻子の方に振り向けた。


「何って、ご覧の通り、こちらにある遺体の写真をスマホを使って普通に撮っていただけですよ」


 なんのてらいもなく、さらりと櫻子は答えた。さきほど見えた光の正体は、櫻子が手にしているスマホのフラッシュライトだったのだ。


「い、い、遺体の写真って……」


 慧登は櫻子の答えに絶句してしまった。なぜならば、路上には確かに幸代の遺体が横たわっていたのだが、その遺体は言葉で表現するのが躊躇われるほど、凄惨極まりない惨状を呈していたのである。正常な精神を持っている人間ならば、思わず目を背けたくなる光景だったのだ。


「どうやらこの方は大型の獣に喰い殺されたようですね。左足は付け根から無くなっていますし、腹部からは内臓が出鱈目にはみ出しています。それから頬を食べられたようで、歯が見えて──」


「や、や、やめてっ! そんなこと言うのはやめてよっ! う、う、うぐっ……ぐぐぅ……」


 悲鳴じみた声を張り上げる玲子。吐き気が堪え切れなくなったのか、道端まで走って行き、そこでゲエゲエと吐瀉する。


「玲子さん、大丈夫?」


 慧登は玲子のそばに駆け寄った。


「おい、お前がこの女を殺したのか?」


 ヒカリが怖い目で櫻子を睨みつけた。


「たった今、説明しましたよ。この方は大型の獣に喰い殺されたようであると。私がここに来たときには、もうこの状態でしたから。残念ながら、手の施しようがありませんでした」


「──お前、いったい何者なんだ?」


「それも最初に説明しましたが。──私はただの看護学生です」


「この状況でその言葉を信じるほど俺はバカじゃねえよ!」


「信じるか信じないかは、あなた次第ですから。私からはなんとも言えません」


「お前、俺のことをからかってんのか?」


「どうしてそういう結論になるのか、私には皆目分かりません」


「クソがっ! ふざけやがって!」


 一触即発寸前のヒカリと櫻子によるヒリヒリする言葉の応酬が続く。


 その時──。


 その場にいる全員のスマホが一斉にメール受信音をあげた。


 玲子の背中を優しくさすりながらも、ヒカリと櫻子のやりとりに目を奪われていた慧登は、急いで服のポケットからスマホを取り出した。すぐにメール本文を表示させる。



『 ゲーム退場者――1名 伊寺幸代



  残り時間――10時間52分  


  残りデストラップ――10個


  残り生存者――11名     

  

  死亡者――2名        』



 メールには簡潔にそれだけが記されていた。


「やっぱり幸代さんが犠牲に……。いったい何人死ぬんだよ……」


 慧登は我知らず指が白くなるほど強くスマホを握り締めていた。

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