第13話 逃げる者たち
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残り時間――11時間14分
残りデストラップ――11個
残り生存者――12名
死亡者――1名
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「春元さん、今の園内放送って……」
スオウは問うような視線を春元に振り向けた。
「どうやらデストラップってやつは、そんなに甘いもんじゃないらしいな。オレが想像していたよりも、はるかに危険みたいだ」
「それじゃ、やっぱりここも危険ということですか?」
「それはまだなんとも言えない。でも、さっきの放送がデストラップの前兆である可能性は高いだろうな」
そこまで話したところで、春元が突然腕時計で時刻を確認した。
「ちょっと待った。もう少しで午後9時になる。ていうことは、そろそろ花火大会が終わる時間だよな」
「何ですか、いきなり? デストラップは時間にも関係があるんですか?」
「なあ、スオウ君。通常、花火大会で最後にやる花火はなんだ?」
スオウの質問に対して、春元が質問で返してきた。
「最後にやる花火といったら……文字とか絵が浮き出る、仕掛け花火のことですか?」
「それだよ!」
「春元さんは仕掛け花火がデストラップだって言いたいんですか? でも、仕掛け花火がどうして……」
疑問に思ったが、すぐに解答が閃いた。
「春元さん、まさか『仕掛け』が──『死懸け』だとか言うんじゃ……?」
スオウの指摘に、しかし、春元は黙ってうなずいてみせた。
「確実にそうだとは言い切れないが、用心に越したことはないと思う」
「だけど、死を懸けた花火って、いったいどんな花火なのかまったく想像出来ないけど……」
「オレだって想像は出来ないさ」
スオウたちはデストラップの『前兆』を前にしながらも、どう行動すべきか考えあぐねていた。
『それでは次が最後の花火となります。皆さんの後方に建ったレストランの屋根に、フィナーレを飾るに相応しい特大の仕掛け花火が設置されていますので、ご注目して下さい!』
イベント広場の方から、また園内アナウンスが聞こえてきた。
「えっ? ウソでしょ……。だって、そのレストランって……」
イツカはすでに不安そうに顔を強張らせている。園内アナウンスの声は、まさに今スオウたちがいるレストランのことを指していたのだ。
「おい、確かここはログハウスだったよな? 丸太造りの建物ということは、花火が燃え移る可能性があるってことだぜ!」
春元の言葉を聞いて、スオウの背筋に冷たいものが走った。
「つまり仕掛け花火の火が丸太に引火して、火事が起こるのがデストラップの中身っていうことですか?」
「ねえ、そうと分かったら、ここでぼけーっと突っ立ってる場合じゃないでしょ? みんなで全力疾走で逃げるしかないわよ!」
ヴァニラが皆の顔を見回して決断を促す。
「そうだな。──よし、走ろう!」
春元の声を合図にして、4人は一斉にレストランホールから避難すべく走り出した。
その時──窓の外が一段とまばゆく光り輝いた。仕掛け花火が点火したのだ!
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「おい、お前。動物が好きなんだろう? お前があのアブナイ野良犬をなんとかしろよ!」
ヒカリがお前のせいだと言わんばかりに、美佳に無理難題を押し付けた。美佳の背中を両手で押して、前方に力ずくで押し出そうとする。
「お前、本気で言ってんのか! もっと他に手があるだろう!」
慧登は美佳の手を引っ張って、自分の後方に連れ戻した。
「こんなときにカッコウつけてんじゃねえよっ! だったらお前が責任をもって、あの野良犬をなんとかしろよな!」
「はあ?」
「ほら、早くなんとかしろよな。そうだ、ちょうどいい。お前の勇姿を撮影してやるよ。この映像をネットにアップすれば、お前も一躍人気者になれるぜ。俺に感謝しろよな」
ヒカリがさっそく服からスマホを取り出して、慧登に向けてきた。
「…………」
慧登はバカは無視して、無言で前方を見つめた。慧登の前には、動物を逃がさないための柵が設けられていたが、その柵の高さは慧登の太ももほどの高さしかない。子供たちが小動物と遊ぶエリアなので、柵といってもその程度なのだ。目の前にいる飢えた野良犬ならば、軽々と飛び越えてくるだろう。
いや、待てよ。逆にこの柵を使えば、もしかしたら──。
ひとつのアイデアが頭に降って湧いた。すぐさま行動に移る。慧登は柵の根元のあたりを力強く蹴りつけた。何度かやっていると、柵自体がグラついてくる。小動物用の柵なので、それほど頑丈に設置されていないと考えたのだが、どうやら予想通りだったらしい。
「よし、これならいけるぞ」
杭になっている縦の木の先端を掴むと、ひと思いに引き上げた。まるで冗談のように、柵が『サク』ッと上方に引き抜けた。
「よし、これで体を守りながら逃げよう! お前も一緒に持ってくれ!」
慧登はスマホを構えるヒカリに指示を飛ばした。ヒカリは露骨に嫌そうな顔をする。
「お前だけあの野良犬のエサになってもらってもいいんだぜ」
慧登のイヤミが効いたのか、ヒカリがスマホを仕舞い、柵に手を伸ばしてきた。
「君たち2人は、俺たちの後方に隠れるんだ!」
慧登は矢継ぎ早に指示を出した。玲子と美佳が素早く慧登たちの背後に移動する。
柵を盾代わりにして、後方に少しずつ下がっていく4人。
もちろんその間、野良犬はただじっとしていたわけじゃない。のっそりとした足取りで、4人との距離を徐々に詰めてきていた。人間に飼われているペットとは違った野生の動物ならではの勘で、相手との間合いを計算しているのだろう。
「もしもあいつが飛び掛ってきたら、そのときはどうすんだよ?」
ヒカリが野良犬に注意を向けながら訊いてきた。
「そこまでは考えてない!」
「おい、ふざけんじゃねえぞっ!」
「ふざけてなんかねえよ! とにかく今はあの野良犬の動きだけに注意しろ!」
「この野良犬から逃げたら、お前とは絶対に行動しないからな!」
「そんなこと言ってる場合かよ!」
「今だから言ってるんだよっ!」
慧登とヒカリがこの夜、何度目かとなる言い合いを始めると、まるでそのタイミングを狙ったかのようにして野良犬が動き出した。
地面を駆けて、一瞬で距離を詰めてくる。目の前に立ちはだかる柵を軽くポンっと飛び越えると、一気に慧登たちの目前に迫ってきた。
「絶対に柵から手を放すなよっ!」
慧登は迫り来る野良犬に全神経を向けつつ、ヒカリに激を飛ばした。この男ならば、柵から手を放してひとりで逃げることもあり得ると考えて、先に釘を刺したのである。
「わ、わ、分かってるさ……」
明らかに動揺したのがバレバレのヒカリの声である。
「2人とも、野良犬が襲って来るわよっ!」
2人の背後から玲子が声を張り上げた。
「分かったっ!」
「クソがっ……」
野良犬が地面を蹴って、大きく宙に飛んだ。体重を感じさせない華麗な跳躍である。
「きゃあああああああーーーーーっ!」
玲子の絶叫が響き渡る。
野良犬がジャンプの勢いそのままで慧登たちが掴む柵に飛び付いてきた。その重たい衝撃によって、柵を持っていた慧登とヒカリは柵ごと地面に倒れこんでしまった。
ガルルルルルウゥゥゥ!
野良犬が柵の上に圧し掛かってくる。細長い鼻先を柵の横木の間に突っ込んできて、慧登とヒカリに噛み付こうとする。慧登とヒカリは倒れたままの状態で、柵ごと野良犬を押しやろうとするのだが、痩せ細ったからだのわりに野良犬は重たく、また力も強くて押し返すことが出来なかった。
玲子と美佳は幸いにして倒れる寸前に逃げており、後方から二人のことを見守っている。
グルルルグルルルゥゥゥゥ!
慧登の目の前に、野良犬のてらてらと涎で光る牙が迫ってくる。鋭く尖った牙は、人間の皮膚など易々と貫きそうだった。
「は、は、腹だ! こいつの腹だ! そこを蹴り続けるんだっ!」
慧登は自分でも無我夢中になりながら、必死に野良犬の腹を蹴った。しかし、野良犬の方もようやくありつけたエサを逃してなるものかと、執拗に噛み付こうとしてくる。
「い、い、いつまで、こんなこと……してれば、い、い、いいんだよ……?」
ヒカリの声からは、さっきまでの強気な調子が完全に消えていた。さすがにこの状況下で強がるだけの精神は持ち合わせていないらしい。
「いつまでって……この犬が諦めるまでに決まっているだろ!」
「じょ、冗談だろう……」
「俺が冗談を言っているように見えるか?」
「…………」
2人が不毛としかいえないやりとりをしていると、すぐ近くで空気を裂くような高い音があがった。
ピューフュルルルルゥゥーーー!
不意に、野良犬の動きがピタッと止まった。まるで野良犬の時間だけが止まってしまったみたいだった。一瞬前まであれだけ暴れていたのがウソみたいな反応である。
野良犬に魔法をかけたのはひとりの少女であった。
少し離れた場所に立つ美佳が丸くした指を唇にあてていた。指を使って器用に指笛を吹いたのだ。その甲高い音に野良犬が反応したのである。
ピューフュルルルルゥゥーーー!
美佳がまた指笛を鳴らした。硬直状態を解いた野良犬が美佳の方に走って行く。
眼前の危機が消えたのを確認すると、慧登とヒカリは立ち上がった。
「ねえ、大丈夫だったの?」
玲子がすぐに駆け寄ってきた。
「ああ、なんとか……」
慧登は答えながらも、視線だけは注意深く野良犬の方に向けていた。もう襲い掛かってこないとは、まだ言い切れないのだ。
「2人ともケガがなくて良かった」
「でも、あの子の方は大丈夫なのか? 指笛で野良犬にちゃんと指示を出せれるのならいいけど……」
「おい、あいつが野良犬と遊んでいるうちに、俺たちはさっさとここから離れようぜ!」
助けてもらった恩を平気で仇で返す男がここにいた。少し前まであんなに震えていたのが、今はもう通常運転に戻っている。変わり身の早さだけは褒めてもいいレベルである。
「野良犬は大丈夫なのか?」
慧登はヒカリを怒鳴りたい気持ちをグッとこらえて、美佳に声を投げかけた。
「エサをあげてみる」
美佳が簡潔に答える。
「エサ……?」
「クッキー」
「…………」
この緊迫した状況に似つかわしくない可愛らしい単語を聞いて、一瞬、慧登は返答に迷ってしまった。
「クッキーって……まさか、さっき貰ったクッキーのこと?」
玲子がスカートのポケットを擦った。そこにクッキーを入れてあるのだろう。
「そう」
美佳の返事は一言だけ。
「クッキーで野良犬を手なずけられるのなら、俺のクッキーもあげて──」
慧登はポケットからクッキーを取り出すと、美佳に近寄ろうとした。だが、その前に事態が急変した。
キャクゥン……。
野良犬が不自然に愛らしい声をあげたかと思うと、そのままぐったりと地面に倒れ込んでしまったのである。
「えっ? ひょっとして、その野良犬……死んだのか……?」
慧登は恐る恐る美佳に近付いていくと、地面に横たわる野良犬を唖然と見つめた。野良犬の口元には、どす黒い血と白い泡がへばりついている。ピクリとも動かないところを見ると、確かに死んでいるみたいだ。
「死んだみたい」
美佳は野良犬が死んでも一切感情が乱れていない。
「でも、なんで突然死んだんだ? 犬にチョコをあげるのはダメだって聞いたことがあるけど、クッキーもダメだったのか? そんな話は聞いたことがないけどなあ……」
違和感はあったが、とりあえず目の前のデストラップは回避することが出来たので、慧登は良かったと思うことにした。
だが、慧登とは正反対の反応を示した者がひとりいた。
「──おい、それってクッキーに毒が入っていたってことなんじゃねえのか? もしかしてお前だったのか……? あのクッキーに毒を仕込んだのは……」
ヒカリが暗い目でじっと美佳を睨みつけていた。
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「早く外に出よう!」
レストランホールを走り抜けて、入り口に一番最初にたどり着いたスオウはドアに手をかけた。一秒でも早くここから出ないと、火事に巻き込まれる恐れがあるのだ。
「ちょっと待った! 先に周囲の警戒をしてからだ!」
スオウの後方からドタドタと走ってくる春元が怒鳴った。
「えっ?」
春元の声は聞こえたが、逃げることに意識が集中していたので、スオウはそのままドアを開けてしまった。
「外に出るな! イツカちゃん、止めてくれっ!」
スオウのすぐ後方を走っていたイツカが、スオウの腰のベルトにとっさに手を伸ばした。外に出る寸前のところで、スオウの体が急停止した。
スオウの眼前――開け放たれたドアの先の空間に、上方からゴウゴウと火花の滝が流れ落ちていた。
スオウは放心状態のまま、目の前の火花の滝を見つめるしかなかった。もしもスオウが一歩でも外に出ていたら、今ごろは頭から大量の火花を被って、全身大火傷を負っていただろう。
「…………」
スオウはその場でぺたりと床に腰をついてしまった。恐怖と驚きで力が抜けてしまったのである。
「おい、大丈夫だったか?」
春元が呼びかけてくる声も遠くに感じる。
「スオウ君! スオウ君! ねえ、大丈夫なの? どこか火傷をしていない?」
イツカがスオウの肩に手をやり体を揺すってきた。
「あ、あ、ああ……だ、だ、だい、じょうぶ……うん、大丈夫だから……」
ようやくスオウも気持ちが少し落ち着いてきた。
「ナイアガラの仕掛け花火だな。しかも巨大なやつだ」
春元が火花の滝を冷静に見つめながらつぶやいた。その間も、火花は勢い良く落ち続けている。
「どうやら本当のデストラップは建物の火災なんかじゃなく、こっちだったみたいだな。園内アナウンスを聞いたオレたちが慌てて外に出るところを狙っていたんだろう。考えてもみたら、いくらこのレストランが丸太造りといっても、すぐに火は燃え広がらないからな。──スオウ君、悪かったな。オレも冷静さを欠いていたみたいだ」
「いや、おれの方こそ、逃げることしか考えていなくて……。イツカに助けてもらったのも、春元さんの声があったお陰ですから」
「そうですよ。春元さんが怒鳴っていなかったら、わたしもスオウ君と一緒に外に飛び出して、大火傷をしていたと思います」
「2人にそう言ってもらえるとありがたいよ」
「アタシも全力疾走で逃げようなんて言っちゃって悪かったわ」
ヴァニラがしょんぼりとしている。ヴァニラの声に促されて走り出したのだから、責任を感じているのだろう。
「ヴァニラさんのせいでもないですよ。それよりも、その格好はどうしたんですか?」
スオウはヴァニラの下半身を指差して指摘した。
「速く走るにはこの格好が一番なのよ」
ヴァニラは大胆にも両手で腰までスカートを捲り上げていた。その結果、スカートの下に履いている、太ももまでのセクシーな黒ストッキングが丸見えの状態だったのである。
「その目でしっかり見たのならば、あとで料金を徴収するからね」
「おいおい、その大根足で料金を取るなんて、それこそぼったくりもいいところだろう」
さっそく春元がツッコミを入れた。
「言ってくれるじゃない。この脚線美のお陰でアタシはお店ナンバー1になれたんだからね!」
語気こそ荒っぽいが、ヴァニラの顔には笑みが浮いている。
「2人とも本当にお似合いですね」
スオウの言葉に2人がそろって反応した。
「誰がこんな低音ボイス女と!」
「アイドルオタクとアニメオタクだけは、絶対にムリだから!」
同時にムキになって言い返す2人であった。
「なんだか、返し方もそっくりだよね」
2人の反応を見たイツカが、スオウにだけ聞こえる声でそっと囁いた。
「それはいえてるよな」
「ちょっと、そこの2人、なにコソコソ話してんの?」
ヴァニラが目ざとく気が付いた。
「あっ、いや……このあと、どこに移動するか相談していただけです」
「あっ、そう、そうです。スオウ君と相談していただけです」
本人たちは気が付いていないが、この2人もまた同じような返事をしているのだった。




